パネルディスカッション「高齢社会フォーラム・イン広島」

「シニアの社会参加~何をするか、何ができるか~」

地域社会において、生活環境を守る活動、子育て支援・世代間交流、福祉支援等を推進する多様なボランティア活動の展開について語り合う分科会。

■パネリスト
春日 キスヨ
(高齢社会をよくする女性の会 広島代表)
梶田 省三
(日本産業退職者協会 広島代表)
渡辺 武
(高連協関係団体会員)
■助言者
堀田 力
(高連協共同代表、さわやか福祉財団理事長)
糸山 隆
(広島市健康福祉局長)
■コーディネーター
吉田 成良
(エイジング総合研究センター専務理事・高連協専務理事)

吉田氏、糸山氏、堀田氏の写真 渡辺氏、梶田氏、春日氏の写真

吉田:それでは、「シニアの社会参加 ~何をするか、何ができるか~」を中心テーマとしたパネルディスカッションに入りたいと思います。基調講演をされた堀田さん、事業の紹介をされた糸山さんは助言者です。お話をするのはパネリストの春日さん、梶田さん、渡辺さんの3人です。まず、パネリストの方々それぞれからご自身のご経験も踏まえてのお話をいただき、その後、もし助言者からご意見があれば、それを頂戴したいと思います。そして、基調講演、紹介の講演並びに、パネリストのご意見に対し、会場の皆様からご意見・ご質問を頂戴したいと思います。このように後半は、壇上の演者の方々と会場の皆様との相互のやり取りで進めたいと思っています。
 それでは、まず春日さんからお願いいたします。

○経験を生かし「認知症行動マップ」

△「高齢社会をよくする女性の会」の全国大会開催を契機に発足

 春日:私は、「高齢社会をよくする女性の会広島」の代表をしています。この会は、「高齢社会をよくする女性の会」理事長の樋口恵子さんから是非2005年に広島で第24回全国大会を開くように奨められて開いたのですが、ただ、大会を引き受けるだけだと芸がないから、この大会をきっかけに広島でいろいろな活動ができるような形にするのなら引き受けようと言って、仲間と一緒にやり始めました。2006年に発足し、今年が8年目です。会員は100名をちょっと超えたぐらいですが、樋口さんがやっておられる東京の場合は平均年齢が80歳近くになっていて本当に高齢化されているみたいですが、私たちの会は50代、60代が主力です。実際の介護を担っている方もメンバーに多数おられます。そういうところで今日話をしたいと思うのですが、やっぱりこれだけ壇上に並んでいるのに、どうして男ばかりなんや。つまり高齢社会というのは、要支援・要介護認定者人口も女性が男性の何倍かで、人口も何倍かで、地域活動を担っている人口も女性が男性より圧倒的に多く、女性が支えているのです。女性が多いはずなのに、何か並ぶようなことがあると男が並ぶ。樋口さんが来ておられたら、きっと「やっぱり男が暇になると上に立ちたがるんだ」と言われるのではないかなぁ、と思うのですが……。

△マップづくりのために重ねた勉強会

 私たちの会が、今年非常にユニークな取組みをやっていまして、それをご紹介したいと思うのです。会を始めて7年ばかり「知っとく、納得、ツボ講座」という形で、会員から出てきた様々なテーマで、県内さらに県外の講師を招いて、皆で勉強しています。さらに1年に1回は大きな講演会を行います。例えばこれまでには上野千鶴子さんを呼びました。来年4月は鷲田清一さんを呼んで講演会を行うのですが、今年は、社会福祉法人朝日新聞厚生文化事業団から「高齢者への暴力防止プロジェクト助成」を受けることになりまして、今「認知症行動マップ 家族編」「おひとりさま編」を作成中です。

 これについては、認知症になってから最期までどういう段取りで、私たちは社会的支援につなぐのかについて知っておく必要があるのかということを、皆で話し合い、聞き取り調査をしたり、合宿をしたりして取り組んでいます。身近な人が認知症になったらどうするか。症状の初期からの経過を図式にし、時期に応じた相談場所や注意点、サービスの情報が一目で分かるようにしたいと思っています。

 私たちの会のモットーを簡単に言いますと、やはり自分で学ぶことが大事なのですね。自分が分かることは自分が変わることです。そして、自分が変わることは、自分がつくる関係が変わることです。それは、人生が変わることだし、ひいては社会を変えることだというのが私たちの会のモットーだと思うのです。

 女性の力はやはり凄いなと思うのですが、4月から月1回大体50人程度の勉強会を行っています。だから、男性、つまり息子介護者の方のお話を聞く、ケアマネージャーさんのお話を聞く、それから、名古屋で活躍しておられる方をお呼びするという形で、月1回、毎回50人程度参加された方々で勉強しています。私たちは力のない女性たちの集まりですから、皆それだけに知りたい、分かりたいという要求が非常に強いのだと思うのです。年間小さな会合を11回、そして、鷲田先生に来ていただくような大きな会を1回ということで、月1回ぐらい勉強会を行っているわけです。

 そうした中で、私自身学んだことがいくつかあります。「認知症行動マップ」については「家族編」「おひとりさま編」を今年つくっているのですが、「おひとりさま編」で出でてきた言葉は、「お二人でもお一人様」「三人でもお一人様」という家族が一杯いることです。例えば、非常に夫婦仲がよく、ずっと社会から孤立して、夫のほうが男性介護者として介護を担っておられているような場合には、二人いるけれど、本当に孤立していて、お一人様と変わらない。もっと悲惨な状況はもうない、ということが取り組んでいる過程で分かってきました。だから、「おひとりさま編」では、お二人なのにお一人様にも役立つマップをつくってきました。

△マップづくりの過程で分かってきたこと

 このように進めてきた中で、分かってきたことがあるのです。一つは、これまでの認知症のお一人様の問題は、鍋を焦がしたとか、ゴミが溜まってゴミ屋敷になったとか、火の始末が不安で仕方ないので地域から施設に入ってくれないかという要請が出ているなどの形で上がってくるのだけれど、実は、このようにどろどろになって上がってくる認知症のお一人様の例は、やはり今日のテーマである、地域から孤立した生き方をずっとされている場合に、認知症になってからある段階までそれが進行して、問題が顕在化して発見され易くならないと分からないということです。ところが、皆様みたいに、若い時からこういうところに出て、人とつながっていたら、あるいはサロンの世話役なんかをしていたら、「サロンの世話役で会計をしてもらっているのだけれど、この頃あの人はしょっちゅう計算を間違う」とか、「あの人はしょっちゅう靴を間違えて帰って行く」とかで「おかしいんではないの」と、平常の段階で分かる。つまり、認知症の発見の早いか遅いかは、その人が現役の時に市民活動を願ってきたかどうかによって非常に違う。だから、認知症が軽度の時の人は、友だちが「毎回あの人は車に乗ってくるのだけど、しょっちゅうぶつけて、車がボコボコに傷ついている。大丈夫かいね」という段階で、「振り返ってみれば、あの人は、あの頃からおかしかったんだよね」ということで早期に発見されやすいし、それが早目に分かると、対応も違って、認知症の進行も遅らせることができます。そのようなことが一つ分かりました。地域の問題として、私たちはずっとお一人様については、困った問題が起きてから、その問題について認識していたのですが、実はそうではないのです。お一人様の前半の生き方が認知症の対応面にも非常に影響する。

 もう一つ、こういう取組みをしていて教えられたことがあります。皆さんは、年賀状がきたら、ちゃんと束にして、きちんと収めるところ保存しておられますか。それから、記帳済みの預貯金の通帳をちゃんと取っておられますか。「もう要らんわ。済んだわ」と言ってポイポイ捨てていませんか。「認知症行動マップ」づくりの出発点は、それぞれの経験を会員相互で話し合い、尋ね合うことにありますが、私たちの会の集まりで、マップのためのいろいろな資料をつくっている時、会員相互による経験等の語り合いや意見交換のなかでいろいろなことを学びました。例えば、「認知症になってまだ軽度の時には分からないのですけれど、いろいろな業者が訪ねてきますので、その時に通帳を取っていたら、その人のコンスタントなお金の使い方が分かる。そして、ある時、ポカッとお金が異常に使われていたら、この人はこの時期に何かあったのではないかということの証拠になる」とか、「だから、記帳済みの預貯金通帳は捨ててはいけませんよ」とか、そういう瑣末と言えば瑣末ですが、私たちの会は女性が多く、皆生活者ですので、生活の中でいずれ家族持ちもお一人様になるのだとしたら、会の中でつながりをつくって、情報を得て、そして、自分がそれを理解することによって、新しいことを知るようになります。

 これも学んだことですけれど、在宅で過ごすより施設に入ったほうが認知症でも長生きするからお金が要ります。施設に入ると、栄養管理はいいし、ちょっと具合が悪いと言えば、「はぁ、先生」と、先生をすぐに呼んでくれます。そうしたら、90歳過ぎまでは生きる可能性があります。

 人生90年じゃなくて、人生100年時代の準備をして生きなきゃいけんね。そのためには、皆つながっとこうね。そして、自分たちが変わるだけではどうにもならないから、社会を変えていこうね。市の人にも変わってもらおう、というような形で、最終的にはソーシャル・アクションのマップをつくって──来年4月にできるのですが──、皆と共有し、皆の知にして、そして、それが社会を変えていく力となるように、最後は一人になるかもしれないという危機感を持っている女性の視点から取り組んでいこうというのが私たちの会のモットーです。

△家族変化が起きている時代に必要な「見守りする力」

 堀田さんのお話を聞いて思いました。

 私は、家族社会学が専門なのですけれど、家族というのはいい時にはよくて、共感できるのですが、不幸を家族が背負うと、「もう分かっているから」と言って共感力を失うのが家族でもあります。

 さらに、生涯未婚率が、2010年時点で、男性では20%です。生涯未婚率というのは、「45~49歳」「50~54歳」の未婚率の平均値から「50歳時の未婚率(結婚したことのない人の割合)」を算出したものです。この単身率と離別者の割合を合わせると25%です。現在日本では、4人に1人が、50代男性ではシングルです。そのような中で、自力で生活できない人が高齢の親と暮らすような社会になっているのです。

 堀田さんは、震災地で自殺者が出たことについておっしゃいましたが、震災地での出来事だけではなく、実は、親に依存して一緒に暮らしていた人が親亡き後、後は自殺せざるを得ないという理由での自殺が、日常私たちの身近なところでも起こっていることなのです。家族変化が急速に起こっている時代だから、まだ余力のある私たちがどれだげつながって見守りをするかが重要になります。  一人暮らしだけではなくて、高齢者夫婦だけではなくて、そういういろいろな生きにくさを抱えている人たちが増えていく社会において、見守りする力をどうつけていくかが、私たちの会の最も重要な課題です。

吉田:春日さんはこの3月まで家族社会学を講じておられた大学教授です。ご専門の視点も交えてお話をいただきました。ありがとうございます。

○趣味からボランティア活動へ

 △現役生活を振り返って

 吉田:それでは次に、梶田さん、よろしくお願いいたします。

梶田:私は、昭和4(1929)年に呉市で生まれましたから当年83歳です。かなりの高齢者と自覚しております。昭和28(1953)年に損害保険会社に採用されまして、広島支店に配属になり、当時貧しかったものですから、組合主催の野球大会とか、卓球大会とか、秋の大運動会などで皆さんと交流しました。昭和40(1965)年に高松支店にまいり、昭和44(1969)年に名古屋支店、昭和49(1974)年に渋谷支店にまいりまして、初めて東京の生活を経験しました。何と驚きました。昼も夜も人が湧くように現れて、街中を忙しく歩き回る。東京の人は、夜寝ていないのかと一瞬思ったほどの素晴らしい人間の数でございました。もう1点は、天下の俊英が集まる日本の首都だなぁという実感であります。素晴らしい人間がたくさん集まっております。このままでは取り残されると私は焦りました。勉強をせにゃならんと思って、「清話会」に入りまして、毎月1回政財官のトップクラスの人の話を一生懸命拝聴いたしました。

 そうするうちに、昭和58(1983)年に、最後の異動で広島支店にまいりました。55歳定年ですから、あと2年弱しか定年まではないのです。しかし、当時私は定年後のことを真剣に考えませんでした。「何とかなるさ」と思っておったのです。それで、仕事に没頭しました。格好つけている訳ではございませんが、無我夢中で仕事をしました。1年経って、58歳まで定年が延びました。3年間、「これは絶対のチャンスだ」と、ラインを離れた職場で生活をして、私の認識が変わりました。「この3年間で、これからの自分の生き方を決めにゃぁいかん」と覚悟したわけです。会社の仕事以外の仕事を見つけて、それに徹底的に当ってみようと思いました。当時は東京と大阪しかOB会はございませんでしたので、広島でOB会をつくりました。小学校、中学校の同期会も頑張りました。異業種交流の勉強会で講師を探して市内を歩きました。一生懸命やっていました。確かに、その結果、私は変われたのです。「会社を去っても、このまま年金生活者で終わらない。自分の時間さえ持てない初老の男なんぞになるものか」と覚悟を決めました。

△日本退職者協会広島支部創設に向けての模索

 当時、会社の女子社員と同業他社の男性が結婚しまして披露宴がありました。出かけましたら、何と25年ぶりの仲間が同じテーブルにいました。「いやぁ、元気かい」「いやぁ、最近はゴルフに行く機会が全然無くなって、寂しい」と彼はぼやくのです。年50回以上ゴルフ場に出ていた男ですから、回数が減ったら寂しがるとだろうと思いました。「それじゃ、われわれでゴルフをやる会をつくればいいじゃないか」と私は直ぐ決めまして、「ゴルフをやる会をつくろう」と彼に話しました。今月はゴルフ、来月は麻雀、再来月は飲み会と、毎月1回集まってワイワイやっておりましたら、直ぐに仲間が30人集まりました。昔広島で遊んだ同業の仲間であります。「広島損保クラブ」という名前をつけまして、皆で誇れるような素晴らしい同業の仲間のOB会ができました。5年経ちました。損保クラブの世話役の一人が「ちょっと、相談したいことがある」と電話してまいりました。いつもと様子が違うので、私は「何事か」と思って彼と話しました。彼の言い方は面白いのです。「OB会の総会が東京であって出かけた。俺は広島で損保クラブというのをつくっている。皆で楽しく遊んでいると自慢した」と、こう言うのです。「そうしたら、大先輩から、せっかく愉快にやっているのであれば、損保だけじゃなくて、全産業のOB会にしたらどうだと言われた」と、こう言うのです。その大先輩は、かつて広島支店長で彼の上司でありまして、副社長を務めた男性、「日本産業退職者協会」の専務理事をやっておられる方であったのです。この話を聞いて、私は、運命的な出会いだと思いました。これは絶対に逃しちゃいかん。「損保クラブで、皆で相談します」と、彼に話して別れました。

 82歳になったその専務理事は実に悠然と広島に現れて、私の話をしっかり聞きまして、「後輩のためにも受け皿をつくってくれ」とくどくどとお話になりました。この人には絶対についていくと私は決めました。「皆に相談して、またご返事します」と言って、別れました。

 早速皆に話しました。総論賛成、各論反対でした。「いい話だろうけれど、愉快にやっとるのに、特に無理せんでもいいではないか。このほうがいいじゃないか。要らんことをすまいや」と言うのが大半でした。私は「結論を出さないで、3か月後にもう一度話し合おう」と言いました。

△日本退職者協会広島支部の活動とその広がり

 当時、私はボランティアについて知識がございませんでしたが、ジェロントロジー(gerontology)という言葉に魅かれておりました。ジェロントロジーについて辞書を引いてみますと、一言「老人学」とだけ書いてある。これはどういう学問だと思いましたが、探してみるが、見つからない。「日本の宇宙開発・ロケット開発の父親」である糸川英夫教授が随想に書いておられました。「ジェロン(Geron)とは、年齢を重ねることである。トロジー(tology)は学問。したがって、ジェロントロジーは日本語では『加齢学』と言うべきだ。人間が年を取ると能力がどのように変化するかを研究する学問のことである。人間能力は、総じて60~70歳がピークであるとされている」と書いておられる。喜びましたね、私は。「しかし、手放しでは喜ぶべきでない」と糸川先生は言うのです。「若い時から継続的に自己啓発を進めていくという習慣を身に付けている場合に、こういうことになるのだ。のほほんとしておったのでは60~70歳でピークにはならない」。こういうことで、私はまた慌てました。しっかり頑張って勉強して、謙虚に学ぶ人間にならなぁいかん。東京に行った時に持ったのと同じような感想を持ちました。

 3か月後の飲み会では、私はもう皆の意見を聞きませんでした。「俺は一人でもやる。後輩のために、交流の場をつくるんだ」と申しあげました。10人のメンバーが賛成してくれまして、スタートすることができました。会社や同業者の協会等を歩き回りましたが、全然反応がありません。もう個人の力に頼る以外にない。徹底して個人の力を集めようと覚悟しまして、私は、知人に徹底して当たろうという話を皆さんとしました。準備委員会が15人でスタートしました。皆一生懸命に歩いて仲間を集めました。苦労して、アピールを考えました。そのアピールは、1番目、業界や企業を越えた幅広い交流の場をつくり、相互啓発に努めよう、2番目、豊かな経験や能力を活かし、市民として地域社会に貢献しよう、3番目、全産業のメンバーによる交流を実現し、新しい出会いを広げようというものです。

 1年後の平成4(1992)年4月、23業界から73人の会員が集まって、日本退職者協会広島支部設立総会を開くことができました。夢はまさに実現したわけであります。日退協(日本退職者協会)という名前を最初からつけましたら、すぐに承認を得られた訳ではありませんでした。しかし、活動を続けようということで、平成4(1992)年4月から損保クラブの世話役の会社の同窓会事務所を借りました。7年間やった後、平成10(1998)年10月に広島市ボランタリー総合センターができまして、平成11(1999)年2月にここへ事務所を移しました。このボランタリー総合センターに感謝する次第です。平成14(2002)年6月に広島市まちづくり市民交流プラザができて、その3階に事務局を移しました。賃料は要りません、会議はいつでもできる、印刷作業室は実費負担で自由に使える、という非常にありがたい事務局ができ上がりました。

 支部の活動としては、会員の交流をする同好会活動は市民の組織力、自転作用に任そう、ちょっかいは出さないということで、自然発生的に設置する方針を取りまして、現在27の同好会が活動しております。これは、素晴らしい組織の自転力の賜物であると思っております。支部のエネルギーは、市民として地域社会に貢献しようというテーマに注ぐことにいたしました。これは、誰もが言うのですが、非常にやり方が難しい、どうやったらいいか分からないというテーマでございますので、自然発生的にできる運動ではないと思って、支部の力をこのテーマに注ぐことにいたしました。

 広島市社会福祉協議会に「いろいろ教えてください」と、ボランティアの勉強に行きました。平成4(1992)年10月には、ボランティア団体として登録をして、ボランティアサークルの活動の手伝いをさせていただきました。平成5年3月には、ホテルで留学生との交流会を始めました。中国人の女子学生2人を呼び、会員は11人が集まりました。留学生を励まし、精神的に支援する方針は、現在も受け継がれております。現在18か国、627人の留学生と交流し、会員は延べ2,400人のメンバーが交流を続けております。「小さく生んで、大きく育てよう」ということを皆が実践いたしました。

「国際交流・協力の日」が毎年1回ありますが、これには70人で交流に出かけております。このイベントには、平成11(1999)年10月から参加しており、バザーの売上金を平和文化センターや社協に寄付をしております。平成14(2002)年には、支部設立10周年を記念して、有志でボランティア活動をする従来のスタイルから支部で力を挙げて、ボランティア活動を推進しようという風に方針を強化しまして現在に至っております。

吉田:どうもありがとうございました。

○多様な第2ステージの経験から

吉田:それでは、渡辺さん、引き続きお願いいたします。

渡辺:私がいま住んでいるのは、千葉県の浦安市の舞浜というところでございます。舞浜と言えば、東京ディズニーランドがあり、去年の東日本大震災では液状化現象が起きたことで大変有名なところです。

 私自身は30年間ほど大手の化学会社でサラリーマンをやってまいりました。元々、機械工学、あるいはシステム工学、コンピューターなどの専門をやった訳でありますが、たまたま30歳頃に税理士の資格を取りました。この税理士の資格を取ったことがその後の会社生活、あるいは退職後の現在に至る生活に大きな影響を与えております。

△第2ステージにおいて取り組んだ三つの仕事・活動

 退職はちょっと早目でございました。たまたまいろいろな経緯がございまして、55歳で退職いたしまして、独立したということでございます。これを敢えて言うなら、第2ステージの生活に入ったということでございますが、その第2ステージの仕事、あるいは活動は、大きく三つに分かれます。

 一つ目は、先ほど申しあげましたように、会計事務所を設立して運営していることでございます。これにつきましては、今度独立するからということで挨拶状を500通ぐらい出したかなと思いますけれど、その中で敢えて書いたことがこれから第2の人生を送られる方に新たな事業を立ち上げる時には、是非支援をさせてくださいと、こういう旨のことを書いた訳です。これがタイミングよかったのかもしれません。ちょうど私の知り合いがこれから60歳ぐらいになろうかという方が多かったわけでありまして、いろいろな話がございまして、「まあ、そういうお話なら会社をつくったらどうですか」とか、いろいろなことをお話させていただいたわけでございます。結果的には15~20社ぐらい会社づくり等応援させていただいたということでございます。会社をつくるというのは、一つは実利的な面もございますけれど、一方では特に男性社会では、あとの20~30年を過ごすときに、急に名刺の肩書が無くなるのを補うという意味で精神的には一つの支柱なったのではないかと思いますけれど、そのような面でもある程度生きがいづくりに貢献できたのではないかと思っております。

 二つ目は、たまたまご縁がございましてISOの審査会社、──品質とか環境のマネジメントシステムというのがございまして、皆さんよく街でISO9000とかISO14000という看板が出ているのをご覧になることがあると思いますが、──あちらの審査会社に勤めさせていただくことになった訳でございます。これにつきましては、本来私は経理の仕事をすることで入ったのでございますが、実際入ってみますと、人事の仕事もあり、ついでにと言うか、こちらが多くなったのですが、品質マネジメントシステム、品質のほうの審査自身の仕事も行うことになっております。現実に、大体1年に40か所ぐらいの事業所・会社を訪問させていただき、これで12年になりますので450か所ぐらいの会社あるいは事業所を訪問させていただき、審査をさせていただきました。これも、今も続いている訳でございます。これは審査でございますので、その時に一生懸命やる訳ですが、付随的にはこの会社の問題点はどこにあるのだろうか、どうすればもっといい会社になるのだろうかということを頭に置きながら、できるだけのアドバイスと言うとちょっとおこがましいのですが、ご参考になることを残して帰ってきます。こういうことではございますけれど、逆に私自身が貴重な体験をさせていただき、また、勉強をさせていただいているというのが実態であると思っております。

 活動の三つ目でございますが、私は民生委員・児童委員を浦安のほうでやっています。これは20年目ぐらいになります。当初、先ほど申しあげました舞浜地区の初代の自治会長を4年ほどやりまして、たまたま民生委員のやり手がなかったので、私のところへ話が来まして、それ以来やらせていただいているということでございます。民生委員をやりますと、自動的に市の社会福祉協議会の推進委員を委嘱されるわけです。先ほど、糸山局長さんから地区社協のお話がございましたが、浦安では支部社協という名前で呼んでおります。私は、そこの支部長を10年ほどやらせていただきました。

△支部社協のリーダーとして取り組んだ三つの活動

 支部社協の支部長のほうは、やっと去年お役御免になったのでございますが、その間主として三つの活動をやらせていただきました。

 一つは、世代間交流ということで、市のほうで管理しております舞浜公園の80坪ぐらいの土地を市からお借りして、そこで、栽培することが地球温暖化対策につながると言われるケナフ(Kenaf)や、サツマイモ、それからお花の栽培などをやらせていただいていることでございます。この活動は最初、その近隣にございます舞浜小学校の5年生の皆さんの副教材という形で活動させていただいていたのですが、「ゆとりの教育」を見直すことになり、そこでちょっと途切れまして、その後は、やはり近隣にございます舞浜幼稚園の年長さんと一緒にずっと活動をしています。年長さん、その先生方、お母さま方、それから地域の皆さん、高齢者の方、そして推進委員、皆さんの世代を超えた交流というようなことでやらせていただいております。ケナフは、ご案内のとおりでございますが、小さな種を2~3粒蒔いておきますと、半年も経つと、何と4メートルぐらいの大きな木になります。それを刈り取って、クッキーに入れてみたり、炭焼きしてみたりといろいろなことをしております。また、サツマイモにつきましても、私らの世代ですと当たり前のことですが、あの葉っぱをちょっと挿しておくだけで、数か月後に立派なお芋になるわけです。いまのお子さんたちにとりましては、そのような体験は大変得難いものではないかなと思って取り組んでいます。

 活動の二つ目でございますが、中高年の皆さま方の健康の維持・向上、それから介護予防を目的としまして、具体的に「健康教室」「健康サロン」を行っています。

「健康教室」のほうは、年1回行っていますが、ホールとか大き目の会議室に集まっていただいて、お医者さんにお出でいただいて、1時間~1時間半ぐらいご講演をいただきます。いまでは、脳の話、癌の話、あるいは最近ではうつの話をしていただきました。うつ病の話については、さすがにこの名前ではあまり集まっていただけないかなと思っていましたら、とんでもない、200人、目いっぱいお出でいただきました。そのようなお話をいただいたあと、少し癒しの音楽と言いますか、地域のヴァイオリニストの方にお出でいただいて演奏していただくといったことを行っています。

「健康サロン」のほうでございますが、これは高齢者会館──老人クラブの会館ですが、──で、月2回ぐらい、30人前後の場合が多いのですが、地域の方に集まっていただいて体操を行う、それから、その時に市の方にちょっとお出でいただいていろいろなお話をしていただく、という活動でございます。

 いままで中高年の方についていろいろやってきたのですが、活動の三つ目として、若い世代の方に対して行うことが何かないかなぁということで、5年ぐらい前から始めたものがございます。これは、いわゆる「子育てサロン」でございます。ゼロ歳児の方に一応限定しまして、そのお母様の方に一緒にお出でいただき、お母様方の交流の場を提供するというものでございます。最近、イクメン(育児を積極的に率先して行う男性)ということで、お父様が来られることが現にございました。これは、予想外と申しますか、大変好評でございまして、多い時には、30数組のお子様とお母さまがいらっしゃられ、そしてゼロ歳児のお兄ちゃんやお姉ちゃんがちょっといらっしゃることもございます。そうしますと、推進委員、市の職員の方も全部入れますと80人近くになりまして、さすがにに老人クラブの大きな部屋が一杯になってしまうこともあった訳でございます。

 このような活動をいわゆる支部社協でやっております。ここの支部の推進委員は55名程度でございます。本当に熱心にやっていただいている方から、機会があるときにやっていただいている方といろいろございます。それは、自分のできる範囲でということでお願いしております。高齢者の方が大体3分の2ぐらいを占めております。

△第2ステージ生活の経験からの問題提起

 このようなことで、自営業、サラリーマン、それからボランティアの活動という3本立てでやってまいった訳ですけれど、そろそろ体力的にも限界かなと思っておりまして、これからぼつぼつ第3ステージに入っていくかなと思っております。

 そういう過程の中で、少し感じていることを2点ほど申し述べたいと思います。

 先ず1点目ですが、福祉がこのままでいいのかなという素直な疑問がございます。「福祉」を辞書で引きますと、「皆の幸せ」と言う言葉、あるいはこれに近いかたちで辞書に載っております。皆の幸せの割には、福祉と言うと大体高齢者と頭が行ってしまうのは、実際どうなのかなというのが私の率直な感想でございます。現に民生委員・児童委員ということで、児童委員という名前はついているのですけれど、実際には児童委員としての活動は非常に少ないのが実態でございます。民生委員は、特に高齢者の皆さんのことで頭がほぼ一杯というのが実態でございます。

 現に若い世代を見ますと、なかなか大変でございます。自分の子どもを見ても大変だなと思うのです。就職難であり、給料が昔と違って全然上がらない。逆に下がっていくことが多い。それから、年金は自分たちの時に本当にもらえるのだろうか、という率直な疑問がございまして、将来が不安で、子どもを産み、育てる気になかなかならない。こういうのがかなり多くの人が感じていることではないかと思います。

 少子高齢化の影響がございまして、年金、医療、介護この辺につきましては、いま消費税の話が出ていますけれど、仮にこのままで行きますと、ほぼ破綻は間違いないわけでございます。また、もうすぐ1,000兆円を超えるだろう国の借金は、基本的に次の世代以降のところで負担していただくという方向にほぼなっているように思います。これから社会を支えてくれる若い世代が本当に希望の持てるような社会にするにはどうしたらいいのだろうか、今何をやったらいいのだろうか、社会資源をどういう風に投入していったらいいのだろうか、それから、若い世代の意思を政治にどのように反映していったらいいのだろうか、この辺を正直いろいろ考えているところでございますし、この辺を皆様方のいろいろな活動の上で頭の一部に置いといていただければありがたいなと思います。

 二つ目でございます。これは今日のテーマでもございます、シニアの方々がどのように手応えのある生活を送っていくかに関連するところでございます。人生昔は50年と言っておりましたが、今は80年、90年、場合によったら100年という話が出ているわけでありますが、高齢者比率がこれから4割ぐらいになるのは、時間の問題でございます。

 そうなりますと、高齢者の皆様ができるだけ長く自立をして、ちゃんと社会の中で役割を果たしていただくような仕組みにすることが大事なのではないかなと思っております。そうでないと、社会が成り立たないのかなと思います。

 先ほどの「自立」という話は、経済的な面を含めての自立ということを申し上げたいと思うのです。私自身、中小企業診断士もやっておりますけれど、そちらの実習の先生がおっしゃったことがございます。「皆さん、この中小企業診断士は、定年後やるには大変いい仕事ですよ。ゆったりした気持ちでやると非常にいいですよ。ただし、まだ現役の間に10年かけて準備をしてください。そうでないとこれはできませんから」ということをおっしゃいました。何10年も前のことでございますが、非常に鮮明に、印象に残っております。

 これから第2ステージに移られる方、そこまでまだ若干時間のある方、いわば将来の高齢者予備軍と言いますか、そういうところの方については、是非自分が第2ステージになったとき、あるいは自分でそれを決めればいいわけですが、そのとき何をやりたいか、ライフワークとしてどういうことをやっていくのかということを今のうちから考えていただいて、できれば10年ほどかけて、それなりの時間をかけて、人脈づくりとか自己啓発とかをやっていただくといいのではなかろうかと思います。考えようによっては、自分の第2の人生は20~30年あるわけでございますので、それを自分でデザインするという風に、前向きに捉えますと、非常に楽しい、やりがいのある取組みかなと思うのです。

 先ほど堀田先生のお話にもございましたように、奥様も含めまして「今のうちから、ちょっと、いろいろ将来どのように生きるかについて考えようよ」ということで、活動していただくといいのではないかと思います。

 それでは、いま既にシニアの域に入っている方はどうかということです。今既にシニアの方は、個別にはいろいろあるとは思いますけれど、年金は一応支給される等、基本的に恵まれているとすれば、今の社会の要請、──それは今後一層高まってくると思いますけれど、──その中で、役割を果たしていただく、それをまた一つの生きがいにしていただくといいかなと思います。行政のほうでも、今、近い将来、そして遠い将来に、それに向けたどんな機能が社会に必要なのだろうかについてよくご検討いただいて、そのための準備、仕組みを早急に、積極的につくっていただければありがたいなと思う訳でございます。

 そのPRに基づきまして、シニアの皆さんは、そういう中で自分自身がどういうことができるのだろうか、自分の得意技はどういうことであるのか、やりたいことをやって、それで役に立つのが一番いい訳でありますから、その辺を自問自答していただきまして、できるだけ積極的に、例えば自治会の活動をしてみるとか、あるいは社協の活動をやっていただくとか、いろいろなやり方があるかと思います。そういう風な活動を進めていただければいいのではないかと思います。

 このためのいろいろな施策、あるいは導入の支援なんかも、行政に準備していただければ非常にいいのではないかと思います。

 その際に、期待される機能を現在は完全なボランティア中心になっているわけでございますが、中長期的に考えますと、有償のボランティア、あるいは給与が出るような、そういう仕事に発展させていただければ、これまたもっといいのではないか、そして、それがまたやりがいにもつながり、また長い自立の道にもつながるといいのではないかと思います。特に、今後年金が下がってくるとすれば、こういう風な一つの道は検討に値するのかなと思っているところでございます。

吉田:ありがとうございました。

○豊かな地域社会づくりと個人の成長を示す三つのモデル

吉田:いまの3人のお話について、助言者から何かございましょうか。

堀田:お三方とも大変感動しながら聞きましたので、ちょっと考え方をまとめさせて欲しいと思うのですけれど……。

 春日さんの場合も、梶田さんの場合も、それぞれの団体に入られて、ご自身も、団体もどんどん進歩されておられることが素晴らしいなと感服いたしました。

 春日さんの場合は、「高齢社会をよくする女性の会」の全国大会が開かれたのを契機に広島の「高齢社会をよくする女性の会」をつくられ、年に11回の勉強会を重ねるうちに、「おひとりさま」の認知症の問題に突き当たって、「認知症の方をしっかり支えるには、認知症になるもっと前の生活段階から人としっかり絆を結んで、それに基づく支えがあることが必要なのだ」という結論に辿り着かれました。そして、それでは私たちの会を人への「見守り」や人との「絆」の方向にさらに発展させていこうと皆さんの考えも進展し、それによって会の動きも安定して、単なる集まりだったのが勉強の会になり、物事の新しいことを発見し、さらに社会的につながっていこうとする、そういう大きな目的を持った動きになってきているところが本当に素晴らしい。

 せっかく「認知症行動マップ」をおつくりになりました。認知症は全国305万人以上に増えて、支える方、特に本人のための財産、身上の判断をする後見人が20万人にもまだいっていない。認知症の人に後見人が10分の1もついていない。認知症の方皆が自分を守ってくれる人がいない状況の中に置かれています。おっしゃるとおり家族で看るのはもう無理なので、やはり今広がり出した市民後見人の存在は重要です。市民同士で支えていこう、市民として本人の財産を支え、その財産がしっかり本人のために使われるように支えていこう、という市民後見人がやっと広がりだし、広がる仕組みもできてきました。しかし、実際に市民が動かなければ、このどんどん増えていく認知症の方が本人を守る人のないままに、家族から財産を持って行かれたり、最期悲惨な状況になったりしている。それでは、せっかくの先進諸国の名称が恥ずかしい。幸せが保障されない。皆で支えていく方向に、さらに動きが強まっていくと素晴らしいかなと大変期待しています。

 梶田さんのところは、広島損保のOB会で、趣味の集まりだったのが、「これだけではなく、もっと広げようよ」ということで、他の産業にも広めることに発展し、広めながら、趣味の交流だけでなく、地域社会に貢献しようという、皆の力をもう一段上のところで社会のために生かそうというところに発展して、それを個々でやっておられたのを支部でまとまってやろうというところまで発展してこられた。皆でやっていこうという力が集まって、どんどん発展していく、進展していく、個々人の能力も伸びていく、そこのところが発展どおりの素晴らしいモデルだと思います。

 それぞれに素晴らしいモデルをたくさん集められた訳ですから、それぞれの能力が全部社会に生きるようなボランティアにつながっていけば、本当に素晴らしい広島になるだろうと思います。先は本当に期待が持てる、素晴らしいご発表でした。

 渡辺さんの場合は、団体というよりも税理士としていろいろな企業を支援されるアドバイザー、それから、ISOの審査をされる仕事、これは審査をするというちょっと離れたお立場、それがさらに他人の審査をしている、あるいは応援しているだけではなく、ご自分が支部社協のリーダーになられて、世代間交流、あるいは中高年の健康教室等々、自ら地域のリーダーとして力を発揮されるようになってこられるというように、渡辺さんの素晴らしいご発展ぶりが本当にモデルとなる生き方だなと感服しながら伺いました。今は、NPOリーダーはかなりできてきましたが、これからは地域のリーダーが求められています。そういう社会の段階に入ってきていますので、渡辺さんには同じような地域のリーダーをいろいろまた育てていただきながら、そういった渡辺さんのような活動がどんどん広がることになればいいなと思います。

 渡辺さん自身が、「福祉はこれでよいのか」「それは高齢者に偏っていないのか」、そして、「それは持続するのか」という問題提起をされました。

 持続するためには、「税と社会保障の一体改革」をこれからどう進めるかについて議論する場である「福祉の国民会議」をきちんと実現して、その「国民会議」で、まず社会保障がしっかり続くものにしないと危ない状況ですから、「国民会議をしっかりやれよー」という声は党に任せているとずっと実現しないので、私たちが声をあげなくてはいけないのではないか、という活動を私たちがしなければならないと思います。

 それから、「高齢者に偏り過ぎていないか」ということについては、やはり「税と社会保障の一体改革」で、子育てのほうに増税分の7000億円を回そうということが決まりました。これが実現すると、子育て支援が法律でも通っておりますので、こども園(保育所および幼稚園等における小学校就学前の子供に対する保育および教育ならびに保護者に対する子育て支援の総合的な提供を行う施設)──認定こども園ですが、──の管轄とか、いくつかの形で進出します。だけど行政に任せていただけでは、いま遅れている子育て支援が遅れたままです。そこで、やはりこれは、高齢者については地域で支えようと介護保険ができたように、子育てについても親御さん、特にお母さんにだけに任せるのではなくて、地域の皆で支えようと、そこに子育てが進んでいかないとお母さん方は辛いままであり、子どもをなかなかつくりがたいままであるので、地域で子育てをしようという呼びかけを今は早く頑張ってしなければならない段階なので、まさに渡辺さんのようなリーダーが地域でそういう声をかけていただければ、それが全国モデルとして広がっていくのではないかと思います。

 本当にやらなければならないことは一杯ありますので、皆でがんばっていければ嬉しいと思っております。素晴らしいご発表をありがとうございました。

吉田:パネリストの方々の発表を分析し、まとめていただきました。ありがとうございます。

質疑応答

吉田:それでは、これから会場の皆さまからご質問やご意見を頂戴しまして、パネリストや助言者の方々に、それに対してお答えいただこうと思います。

○団塊の世代の地域デビューにおける課題と若い世代を交えたまちづくりをめぐって

質問者:先ほど、話された梶田さんと同じ「日本産業退職者協会広島支部」の者です。私は、7年前に広島で開催された「高齢社会をよくする女性の会」の全国大会にも協力させていただきました。女性は若い人も年を取った人もしっかりしていますので心配していないのですよ。ところが、堀田先生がおっしゃったように、男性はなかなか地域に出てこない。特に、現役時代にお仕事を一生懸命なさった方、どちらかと言えば地位のかなり上だった方が出てこられない。

 これから団塊の世代が地域社会に戻ってきますけれど、現実が厳しいものですからまだ仕事をやらなくてはならないとか、馴染みがないとかの理由でなかなか々地域活動に出ていくことができない。先ほど渡辺さんがおっしゃったように10年前から準備をしていないと、定年になったからとすぐに地域に出ていくのは非常に難しいと思います。

 それから、これから介護の問題や東日本大震災以降その必要性が一層強調されるようになった、防災対策を始めとした災害対策への対応等が求められるようになりますが、高齢者ばかりでは対応しきれない状況が出てまいりますから、私はこういう会に中学生、高校生を含め若い世代にも参加してもらって、そういう方にも協力してもらえるよう理解を得ることが大事だと思うのです。このように、自助だけでは対応しづらい状況については、行政の方もその辺をご理解いただき、共助、公助の道を開いていただきたいと思います。

吉田:冒頭の、団塊の世代がシニアになっても、地域社会に入っていきがたい状況があるというお話については、団塊の世代に近い世代の、高齢社会NGO連携協議会の参与の方がこのフォーラムに参加していますので、彼の話を聞いてみましょう。野島さんお願いします。

野島:高連協の参与をしている野島です。昭和25(1950)年生まれで今年62歳になりました。厚生労働省の話では、団塊の世代は昭和22(1949)年から3年間ですから、団塊の世代ではないと言っておりますが、ほぼ同じ世代です。私は、堀田さんが代表をしている「さわやか福祉財団」のお手伝いをしている関係で、何となく社会福祉の世界にスムーズに入っていけるかなと思っています。最初は「何だこれは」と思いましたけれど、2年経ちまして、大分分かってきたかなと思っています。

 私の同期は、浪人した者もいますので、今年で全員おおむね定年退職をしました。会社の斡旋もあって、仕事に就いている人間が同期の半分ぐらいいます。それ以外は自適ということですが、これも悲惨な例もございまして、買う金がもったいないので煙草は買わない、コーヒーも好きだったのだけれど喫茶店では飲めない、本は、月1回身体の治療で東京に行ったときにだけ読みたいものを探すということで、だんだん出がたくなる環境を自分でつくっているようなことがあるのは確かです。時々、私が「そうは言わずに何かやれや」と声をかけているのですけれど、やはり誰かが強引に引っ張るとかがないと、それまでやっていない連中ですから、社会参加はなかなかし難いようです。それ以外に、若いころからサッカーが好きで、子どもにサッカーを教えていたとか、いまでもやっているとか、そういう経験があるとスムーズに入っていくのですけれど、地域参加ということで言えば、いきなりということは難しいのかなと思います。きっとそのような状況で悩んでいる人間がたくさんいるのだろうなと思っています。

吉田:行政の立場から糸山さん、お願いします。

糸山:高齢者の仲間入りする人が地域活動に関わらないという問題ですが、地域活動もそうですけれど、老人クラブもそうなのです。老人クラブの加入率は広島市で14%です。60歳になったから声をかけると、「何で私が老人クラブに」という答えが返ってくることもあるようです。いわゆる地域活動の状況を見る指標として、町内会・自治会の加入率がありますが、これは広島市では64%です。これはまた地域によって差があります。昔ながらのコミュニティや団地が意外に高いということがあるのですけれど、全市平均ですとそういう状態です。

 多少参考になる話として、広島市は職員が退職前になるとセミナーを催し、「自治会活動に入りましょう」という働きかけをしています。実際、その過程、その後のフォロー調査の中で、市の職員のOBが自治会活動に入っているかどうかを調べたものがありますが、かなりの割合で入っているのですけれど、ただ、そのときに自治会に入っていない方も何人かいらっしゃいます。その理由を聞くと、「自分は関わりがない」という方は本当に極少数です。「話がなかった」「自分が引っ越していった時に、話がなかった」という回答がありました。意外にそういうことが起こるということがあります。

 先ほど防災のお話もありました。実は、私たちは、一昨日(11月28日・日曜日)、広島県とともに医療救護訓練を行いました。広島市佐伯区で震度7の地震が起きた時の訓練を行いました。訓練想定で震度7の地震が起きると、救急車も手一杯で何もできません。自衛隊を呼ばなければなりません。そういう本当に大きな災害というのは、地域で本当に避難できるかというところがあります。だから、現在市の取組みとして、災害時要援護者(災害時に自力で避難することが困難な高齢者や障害者などの援護を必要とする者)を決めて、誰が責任を持って、どこの避難所へ連れて行く、ということを地域で決めています。やはり、そういうところで、できるだけ行政の方もいろいろな支援ということがございます。そういうことで、行政も関わっていく必要がと思うのですが、いま、私自身としては、やはりコミュニティ意識と言いますか、「地域としての絆」をもう一度深めていくことのお手伝いをする形で関わるのが中心になるのではないかなという思いをしています。

 そういう中で言うと、例えば、中学生、高校生にこういうところに参加してもらうだけでなく、今日、取組み事例の中にありましたように、いろいろ老人クラブで「友愛サロン」をやる時に、お年寄りの方に「来ませんか」と声をかけると同時に、近所の子どもたちに声をかけてやるとか、そういった形で、世代を超えた「絆」を深める手立てはあると思うのです。今日、いろいろ事例発表した中にもいろいろヒントがあると思います。そういうところをしっかり掘り起こしながら、行政としてもそういう中で、場を提供するとか、情報を出すとか、場合によっては人を出すとかいった形でお手伝いできればと思っております。

堀田:今の団塊の世代の問題と子どもたちの問題について簡単にお話しします。

 団塊の世代に地域社会へ参加してもらうには、奥さんに押していただくのが一番いいので、団塊の世代に申し上げれば、会社を辞めて地域に入れないならば、奥さんにくっついて、しばらくは地域の中を歩きましょう、という方法が一つあります。

 それから、団塊の世代、あるいはその周りの方にとっての方法が後2点あります。

 一つは、自分の気に入ったような、あるいはいいなと思うようなNPO活動・団体活動について、その会員になる、寄付する。自分が直接やらなくても、会員になり、寄付することによって、「あ、そうか。この団体はこんなことをしているのだ」「こんなに頑張っているのだ」ということが分かってくれば、こういう面で応援しようとか、もっと他にも寄付してあげようということで、自分の活動が発展していきます。是非会員になって、NPO活動に目を向けて欲しい。

 もう一つは、地域活動、自治会活動、「火の用心」ですね。「火の用心」をやっている地域であれば参加する。そこで、地域の方と顔がつながります。「火の用心」がなくても、学校行事とかいろいろあります。おずおずでいいから、出てみる、勇気を出して飛び込む。そうすると地域とつながります。ともかく、引きこもりにならないために、勇気を出して飛び込んでいくことがいいかなと思います。

 それから、子どもたちと地域活動の問題ですが、この度大震災にあった南三陸町に志津川高校というのがあります。少し高台にあって、津波被害にあっていないのですが、志津川地域は全部流されました。地震があったときに、もうすぐ津波が来るかも分からないというので、この志津川高校の生徒たちが志津川地域に下りて行って、認知症のお年寄りを担いで、誘導して、避難して全部の命を救った。何故高校生がそんなことをしたか。平時から高校で、認知症サポーター制度(認知症について正しく理解し、認知症の人に対する接し方を学んだ人が、生活のさまざまな場面で、認知症の人およびその家族をサポートする制度)というのがありますが、認知症を理解する教育をやって、そこの実習をやっていたから、地域の方々がつながっていた。つながりがあるから、「今ほっておけない」「このままだとあの人たちが大変だ」ということが分かり、すぐに飛んで下りた。これは危ない行為ではあるのだけれど、つながりがあれば、子どもたちは動く。

 そして、実際被災地では、例えば大船渡市では、震災後1か月で、高校生、中学生を集めて、この街をどうするかについて、子どもたちの会議を開いております。そこで、子どもたちは、こうしたい、ああしたいという、意見をいっぱい言っています。つまり、子どもたちは、聞けばしっかりした素晴らしい意見を持っているのです。私たちも、その後ずっと現地で復興会議をやっておりますけれど、そこで高校生・中学生たちを招待して、どうしたいのか、どうすればいいかを聞くと、大人たちよりずっと広い目で、ずっと未来を見て、こういう風な街にしたいと言ってくれます。だから、子どもたちは、させるものとかではなく、機会を与えれば素晴らしい知恵を持っているのです。だから、防災会議も平素、いざという時にどう避難するかについて、子どもたちに意見を求めれば、本当にびっくりするような知恵が出てくると思いますし、防災訓練も求めれば、いろいろな知恵を出してくれるのではないかと思います。そういう風にして、子どもたちの知恵を平素から地域に生かす機会を大人たちがたくさんつくっていくことも大事かなと思います。

○会社の延長上での社会活動では駄目!

 吉田:次は、女性からご意見をいただきましょう。岩国から来られ、社会参加章を受章された団体の方はいかがでしょうか。

質問者:いつも、テレビで拝見しております堀田先生の大ファンです。私も38歳頃からずっとボランティアをしています。私たちは、地域において、伝承料理を通して、小学生、中学生、高校生、大学生の人たちとふれ合っております。「地域の教育力」と言いますか、やはり子どもたちと一緒にやることが大事だと思っております。

 それから、春日先生、私も38歳で岩国短大に入らせていただきましたが、いろいろご指導ありがとうございました。

吉田:春日先生、一言でも、二言でもどうぞお願いします。

春日:今まで出た意見の中で全くそうだと思うのですが、男性が地域に出て行かない。これは本当に難しい問題だと思います。男性は、何か役割があると、あるいは、「してくれんか」と頼まれると出て行く。男性が地域参加をするためには、そうした役割の人が要るのだろうと思います。

 ただ、先ほどから聞いていまして、女性の視点から言うと、仕事が社会活動にすり替わっただけではどうにもならない。男性の方はいろいろな活動をなさっているけれど、家事は奥さん、洗濯も奥さん、子どもとの付き合いも奥さんで、会社の延長上で社会活動をしている方も結構おります。今、夫が妻を介護する割合、つまり女性高齢者の介護者の38%は夫です。それで、その割合はどんどん増えていっています。そして、男性高齢者の場合、80歳以上は、女性介護者よりも男性介護者のほうが多いです。50%を超えている。そういう中で、「内を固め、そして外に出」、という両立が要求されているのが男性だということをお忘れにならないでください。ということで、女性の視点から、「言っているだけではどうにもならないわね」と思いました。

○「呆けても安心して暮らせる社会」を願って邁進

 吉田:さらに、女性の方にお願いします。

質問者「認知症の人と家族の会広島県支部」の者です。家族の会広島県支部は、設立してから31年を経過しております。先ほど、堀田先生がお父様の話をされたので、ちょっと気付きました。認知症になられた人の代弁ではございませんけれど、私も4人の介護をしてきましたが、それなりにその時代にしっかり社会に貢献してきておられます。当時の社会の理解がないために、差別的なことを、また、認知症でなく痴呆と言われて、本当にご本人は辛い思いをしたと思います。また、家族からの差別もあったと思いますが、われわれは反省しております。

 皆さん、お父様、お母様ご本人は、本当に社会に貢献して、私たちには人間の生き様を残してもらったように思います。堀田先生も思い出を語られましたが、私たちも思い出を語りながら活動しておりますし、また、私たちも生き様を残していくのだろうと思います。

 その問題提起をいろいろしてくれましたので、介護の社会化とかいろいろなことをやってきておりますが、家族の態度は「呆けても安心して暮らせる社会」を願って、皆様と一緒に、また広島の場合は、県と市と社協等団体の皆様に応援していただきながら、これからも頑張っていこうと思いますので、今日の会場の皆様、認知症になるのを嫌うのでなくて、なっても安心して子どもたちがお世話してくれる社会になればいいなと思っていますので、ご支援のほど、よろしくお願いいたします。

○セカンドライフ研修の義務づけの是非

 吉田:今度は、男性の方です。お願いします。

質問者:佐伯区のボランティアセンターで高齢者の方、認知症の方、身体障害者の方等の応援を、勉強しながら、やっております。先ほどから、男性が地域に出難いというお話がありましたが、企業等OBの男性が円滑に地域へ出ていくことを促進するために、ちょうど行政の方もいらっしゃるので、企業等の従業員で定年退職する時は事前に決まっていますから、例えば、退職する何年か前に、セカンドライフに関する研修を企業に義務付けることを提案したいのですが、いかがでしょうか。

糸山:先ほどご紹介したように、市役所は、職員にセカンドライフを考える研修を義務づけております。それを全ての企業等に義務付けようというご提案だと思いますが、それは、市の行政として強制力はありませんけれど、一つあるかなと思います。ただ、基本的にセカンドライフというのはいろいろあってしかるべきです。やはり、人それぞれだと思うのですね。だから、義務付けることよりも、そういうことを聞く場をいろいろなところに設けることを考えていくのがいいかなと思います。

○自然も心も豊かな田舎生活の再評価を

 吉田:会場の方に、もう一つご意見・ご質問をいただきましょう。

質問者:私は、山県郡の安芸太田町からまいりました。安芸太田町は県下でも一番過疎化が進んで、本当に高齢化が進んでおります。私は、今日の話を聞いていて、もう早くやらなきゃ私の町のようになるよ、と皆様に言いたい。本当に私は、20数年前に認知症の姑を看るために、田舎暮らしは始まりましたけれど、その頃の仲間にいろいろ助けていただいて、認知症の姑を介護してまいりました。その時の仲間がいま、一生懸命皆でボランティアをやっておりますが、嬉しいことにその仲間たちで認知症になった人は一人もいないのです。亡くなった方はおります。でも、認知症で亡くなった方は誰もいません。

 私の周囲を見ると、息子さんが帰ってきたいけれど帰ってこれない訳は息子さんの奥さんが「本当ご免です、田舎暮らし。不自由だ」と言います。一番の問題は、交通問題なのだと私は思っています。資本主義の世の中では、採算の成り立たないことはできないと言われるかも分かりませんけれど、政治でこの問題を解決していただければ、自然の中での田舎暮らしもなかなかいいものです。いろいろな災害も少ないです。だから、本当は、私は20数年前に田舎暮らしを始めてよかったなと思っております。思っておりますが、都会へ皆様が親を連れて帰られるなら、どうして帰ってあげないのと言いたい。私のところは、広島市なら通える距離にあるのです。交通の便が悪いからそうなるのですが……。それで、連れて帰った親御さんがどうなるかと言いますと、狭いところで、結局認知症になる。だから、そういう中で、認知症をつくっているのではないかと思われる節があります。

 10年前に私たちが頑張ってきたけれど、皆様がこのように思ってくだされば、いまの日本はもっと違ったのではないかなと感じながら、午後のお話を聞かせていただきました。

○得意技を生かして地域に溶け込む方法も

 吉田:最後に、渡辺さんにお願いします。

渡辺:先ほど、団塊の世代の方がなかなか入ってこれないというお話がありましたが、確かに男性のその辺りのメンタリティには難しいものがあります。私の経験から言いますと、お話にも出ていますけれど、誰かが引っ張るというのが、一つのキーワードかなと思います。それから、どの方も大体何か得意技を持っておられます。誰がどのような得意技かということをできるだけ公表していただいて、その話が出た時に、その方にお願いする。さっきも出ましたね。頼まれると断れない。そういう方が結構多ございまして、民生委員はその典型例かもしれません。

 浦安の場合、液状化現象が起きました。1年間、法律の面、税制の面、建築・土木の面等のいろいろな能力を持ち、それぞれの方面に達者な方にご参加いただいて、その問題に取り組みました。そればかりではございません。防災の話が出ましたけれど、意外と500軒ぐらいの街の中に消防に勤めておられる、あるいはおられた方が数人おられます。その方々に、ポンプの動かし方の講習をお願いしますと、きちっとやっていただけます。その方に頼んで、消防署からポンプを払い下げていただきました。そのように、皆さんそれぞれ得意技をお持ちですから、そこをできるだけくすぐるような形でお出でいただき、友だちには「一緒にちょっとやろうよ」ということでつながっていました。そういう風なことがいいのではなかろうかなと思います。

 実は、私どもが最初自治会をやる時、奥様方も一緒に出ていただきました。13~14人の役員でしたが、奥様方にも出ていただいて、25~26人で役員会をやっていました。未だに奥様方はずっと話がつながり、いろいろな交流ができています。こういうやり方もいいのではないかと思います。

 それから、中・高校生の話が出ていましたけれど、浦安の場合、結構赤い羽根募金等、そういう福祉活動に中学生、高校生、場合によっては大学生に出ていただいております。よく見ますと、皆さん、私立なのです。私立の学校の皆さんは、比較的学校の方針で活動しやすいのかなと思いました。そちらから話を進めて、形をつくりながら、公立のほうにも広げていく。こういうことになると、一つの道かなと思います。

吉田:もう時間が来たようです。本日は長時間ありがとうございました。