第3分科会「高齢社会フォーラム・イン東京」

「地域社会活動(自治体、社会福祉協議会等との協働)ボランティア」

地域社会において、生活環境を守る活動、子育て支援・世代間交流、福祉支援等を推進する多様なボランティア活動の展開について語り合う分科会。

コーディネーター
吉田 成良
(エイジング総合研究センター専務理事・高連協専務理事)
■パネリスト
西山 眞
(エコー2000代表・双葉町自治会副会長)
荒木 初美
(次世代育成「ポケット」代表)
国生 美南子
(たすけあいの会ふきのとう副代表・石巻市雄勝地区復興支援 活動インストラクター)

吉田氏、西山氏の写真 荒木氏、国生氏の写真

吉田:この分科会の前半では、3人のパネリストの方々にそれぞれの地域での活動内容や課題等についてお話しいただきます。そして、後半では、それについて、会場の皆さまとパネリストとのあいだで意見のやり取りをしながら進めていきたいと思います。

地元埼玉県志木市で取り組んできた多様な地域活動

 吉田:まず、会社を離れてから、地元の埼玉で子どもの通学の見守りから、世代間交流、防災・防犯等何でもやっておられる西山さんにお話をお願いします。

○会社を離れたあと悩んだ挙句に決めた地域活動への取組み

 西山:私は、後期高齢者の一人です。生まれも育ちも埼玉県の志木市です。双葉町自治会は志木市政の町で、福島の双葉町と同名なので、支援活動もしています。ちょうど、13年前の、平成11(1999)年に会社から離れました。例外なく、2~3か月は、会社の退任挨拶や、いろいろ雑事がありましたので過ごせましたけれど、そのあとが大変でした。

 会社を離れたあとは、妻も現役で勤めていた関係で、私は、留守番役で、自宅で何するとなく過ごしていました。現役時代に十分仕事をやり切ったという達成感はありましたが、次に何をすればいいのかと自問自答する虚無感に苛まれる日々もありました。

 いろいろな講演会にも出席しまして、自分の身の処し方を考えました。そして、結局、家族と一緒に過ごせる時間を活用できる地域活動に取組もうと決めました。

 地域活動と申しましても、私が参加している活動には、居住地域を中心にするもの、埼玉県全域レベルのもの、東京を中心としたエリアのボランティアのグループ活動、それから全国ベースのものとがあります。今日は、そのなかから、私が立ち上げた「エコー2000」という小さな団体と地域の町内自治会の活動に絞ってお話しします。

○アダプト・システムにもとづく「エコー2000」の活動

 「エコー2000」は、端的に言えば、草取りを行う団体です。これは、これから何をするか悩んでいた私が、志木市の広報誌で募集していた「環境ボランティア養成講座」に応募して受講したのが立ち上げのきっかけになりました。応募した者約30人が3か月間受講した、この講座は、非常に高邁な理論や、ゴミから大気汚染までの広い範疇のテーマを扱っていました。そして、講座を修了した仲間で、一緒に自然保護、緑のボランティア活動をしようと「エコー2000」を立ち上げました。

 2000年にスタートしたので、団体名を「エコー2000」と名づけましたが、現在12年目に入っています。この「エコー」は、「呼べば答える仲間たちだ」という意味です。「エコー2000」は、緑の保全のための定例的な草取りと同時に、仲間づくりのグループ活動です。会費は一切取りません。

 1985年にアメリカでは高速道路の公共スペースを特定して保全するために、自治体と住民とのあいだで役割分担についての協約を結び、それに基づき継続的に美化活動を進めるアダプト・システム(プログラム)という制度が誕生しました。志木市でも、市民が「里親」になり、道路等の、特定の公共スペースを「里子」に見立てて、清掃や手入れを行うアダプト・システムが設けられています。私たちも、「里親」として、ある地域の保全活動を行うことについて、2000年当時の細田喜八郎市長との間で協約を結びました。道具とか、衣服とか、ゴミ収集の袋とかの、清掃に必要な用具や資材は市役所もちで、私たちは労務の提供だけを行います。現在会員は20名ほどですが、男女比では男性が2~3割の比率で推移しています。私たちは、月1~2回定例的に作業着に着替えて、午前中いっぱい2時間作業を行います。しかしそれだけでは、いずれ先細りになる懸念もあるし、いろいろな話を聞いて、勉強したいという会員の希望が強かったので、2年に1回はそのときの市長による、寺子屋形式での市政についてのお話をお願いしています。

 志木市には、夏休み等学生の休暇期間中に行われている、社会福祉協議会が窓口となっている「福祉学園」という名称の体験学習プログラム事業があります。現在、私たちのグループも、社会福祉協議会と連携して、体験希望者の受け皿団体として、地域活動体験プログラムの体験希望の方々を受け入れ、彼らに作業を一緒に行ってもらっています。

○町内自治会における防犯パトロールと児童の交通安全誘導

 もう一つは町内会自治会の活動です。そのなかで、私が、防犯パトロールの活動についてお話しします。埼玉県の犯罪発生件数は、年々減ってはいますけれど、人口約720万人のところ1日およそ300件、年間10万件前後の犯罪が起きています。ちょうど志木市は、人口が県全体の100分の1で7万人ですから、人口に比例するのでしょうか、1日3件の割合で犯罪が起こっています。最近都市化が進み、どうしても人の動きが激しくなっているため、犯罪も件数としては横ばいないし増える傾向にあります。特に、侵入盗に入る空き巣、あるいは、引ったくりといった、端的に言えば、一番悪質な犯罪の件数が倍増しています。そこで、常に県警本部からもらうデータをもとにして、その推移を見ながら、パトロール対象会議等で情報交換をして、犯罪の抑止を図るように努めています。

 防犯パトロールは4つの部隊から成っていまして、現役の方々は、昼間働いているので、夜8時ぐらいから回ってもらっています。私たちシニアとか昼間時間を提供できるご婦人の方々は、昼間の部隊に編制して回ってもらっています。警察の情報で一日の時間帯で統計的に、一番犯罪が起こり易く、犯罪者に狙われ易いとされている午前10時前後、あるいは薄暮の買い物に行く夕方の時間、それと夜の時間、それから児童・生徒が下校する午後2~3時ぐらいにそれぞれの担当の部隊がパトロールしています。また、児童・生徒の下校時には、防犯のパトロールと同時に、交通安全の誘導も行います。私が所属しているのは、午後2時30分~4時30分の2時間のパトロール隊です。近年、小学児童が集団下校するときに車にはねられたりしている事件がしばしば報道されています。そのようなことがあってはならないと、それぞれ分担している信号の箇所に私たちが立って、交通指導員と一緒に、子どもたちを誘導します。児童たちが全員下校し終わるまで、毎日1時間ぐらいは最低交通誘導を行っています。

手作りサークル「ポケット」の活動

 吉田:次に、江戸川区において次世代育成を目指す「手作りサークル:ポケット」の代表の荒木さんから、取り組んでいる活動についてお話をお願いします。

○手作りサークル「ポケット」の発足と活動目的

 荒木:江戸川区には、シニア向けの生涯学習の学校として、「江戸川総合人生大学」があります。この「江戸川総合人生大学」では、卒業時にグループごとのテーマ発表がありまして、そのときのグループのメンバーが集まり、この「手作りサークル:ポケット」を結成しました。大学の卒業が、平成22(2010)年9月でしたので、発足も同時期でした。

 初めは、4人で発足しましたが、その後、メンバーが増えて、現在は、8名で活動しています。それでも、イベントによって、人数が足りなくなる場合には、「サポーター」と呼んでいるお友達やお手伝いの方々を呼んで開催しています。

 メンバーの平均年齢は68歳で、一人が若くて30歳代でして、その方を除くと73歳です。男性4名は平均年齢が74歳、女性4名で平均年齢63歳、30歳代の方を除くと71歳です。

 このサークルの活動目的は、「ものづくりを通して、人と人とのコミュニケーションが取れる場をつくる」ことです。このサークルは、活動できる方々を育成しながらボランティア活動を通してこの目的を実現していこうとしています。

○サークルの活動状況

 このサークルの主な活動場所は、江戸川区立の小学校にある「すくすくスクール」や、江戸川区立の「子ども未来館」です。また、NPO法人「えどがわエコセンター」でも、教室の開催や、いろいろなまちイベントに参加して活躍しています 。

 平成24年度の活動状況に焦点を当てて、開催月日の新しいイベントから順番に紹介したいと思います。

 5月4日に「子ども未来館」「ペットボトル風車を作ろう」を開催しました 。

 3月13日には、「下鎌田西小学校のすくすくスクール」「新聞紙エコバックを作ろう」を開催しました。このとき、デンマークのコペンハーゲンから新聞記者の方々が区役所の案内で来られました。取材内容は、「なぜ、高齢者が、ボランティア活動を頑張れるのか?」でした。取材の回答で、私は、「退職後は時間がありましたので、江戸川総合人生大学に入学しました。そこで、ボランティア活動の重要性を学習し、私にもできることがあるかしらと思ってボランティアを始めました」と述べました 。

 2月25日には、「親子で作るストロー風車」というテーマで新川の川岸で開催された、 ボランティアグループ主催の「新川朝市」に参加しました 。

 同じ2月25日に、江戸川区すくすくスクールのチャリティ文化祭に、「ストロー風車をつくろう」というテーマで参加しました。参加目的は、東日本大震災への義援金募集でした。会場は、小岩アーバンプラーザ2階「あそびブース」でした。義援金がたくさん集まり、被災地にお送りさせていただきました 。

 1月24日に、「下鎌田西小学校のすくすくスクール」で、「ストロー楽器をつくろう」を開催しました 。

 なお、私たちが作る諸作品は、全て捨てられたものを活用しています。

○イベント開催の準備

 イベントの開催には、事前の準備が必要です。作品を作るために必要な材料を集めます。たとえば、ペットボトルは、メンバーが飲んだ飲料水のペットボトルを家に持ち帰り、綺麗に洗って保管します。また、事前に材料の加工等の準備をして、当日の作業時間の短縮を図ります。それから、当日のものづくりのための説明書や、説明用の掲示物の作成も必要です。当日は、材料運搬、説明用掲示物の掲示、机の配置を行い、終了後は、片付けもあります。自分たちで考えたオリジナルな、新しい「ものづくり作品」を考えることも私たちの課題です。たとえば、1年以上トイレットペーパーの芯を見つめ続けて、最新作品の製作のために格闘してきた結果、からくり人形を完成させました 。

○人生大学における活動状況発表

 江戸川総合人生大学の介護・福祉学科(8期生)の授業で、先輩のデビュー段階の体験を話しました。この発表会では、先輩からはいろいろな苦労話が出され、学生からはそれに関するいろいろな質問が出されます。私たちは、学生の皆さんが失望しないように回答します 。

吉田:お話を聞いて、江戸川区にはものづくりとか、身近なものをつくる風土があるのだと思いました。荒木さん、ありがとうございました。

「ふきのとう」の活動

 吉田:次に國生さんに地元で取り組んでいる活動についてお話をお願いします。

○たすけあいの会「ふきのとう」の立ち上げと介護保険制度の誕生

 國生:私は千葉市の隣にある人口8万7,000人ぐらいの四街道市で地域活動をしている者です。いまから24年前の1988(昭和63)年に団体を立ち上げました。四街道市は、東京へ通う人たちのベッドタウンで、そのころ新住民が入ってきまして、新しい団地もたくさんできました。団地には、30歳代~40歳代前半ぐらいの世代が移り住んで、そこで生活を始めるのですけれど、何かまだ社会において競争が激しかったころで、隣りの人とも交流することもなく、皆がそれぞれ住宅ローンを払うのに必死で働いたり、お家のなかや庭を本当に文化的に美しくしたり、住み心地のいいところにしたりすることでは一生懸命なのですが、地域のこととか、ご近所にちょっと具合の悪い方が出てもあまり関心を払うことはありませんでした。このように近隣の関係が希薄なままで、皆が年をとってしまったら、一体どうなるのかと思いまして、地域のお医者さまとも相談して、まだ動ける若いうちに、助け合いの関係づくりをしていきたいと思い、活動を開始しました。ですから、まだ、介護の社会化はなされておりませんで、やっとそういう声がぽつぽつ出始めたころでした。周りを見渡しますと、介護を要する方があっても、そのことを外に出さない風潮が強くて、苦しんでいる方もいらっしゃいました。

 制度的には措置の時代と言って、介護サービス等福祉のサービスは行政が措置ということで提供している時代でした。そのため、お金がある程度裕福であっても、一般の方に届くサービスはなかった時代でした。そこで、そういう身近な人にちょっと手を差し伸べることをしようと、自立した会にするために会費を集めて、サービスを提供することにしました。それも自立していきたいと思いましたので、最初から有償のサービスと無償のサービスの両輪で始めました。

 制度外のインフォーマルなサービスは、助け合い活動を中心に据えていましたが、やがて制度が整ってきました。今日お出でくださっている樋口恵子さんがさかんに「介護の社会化」を訴えてくださいまして、それが大きな声になっていきました。

 それから10年経って介護保険制度が生まれました。介護保険制度が始まってみますと、助け合いでサービスを提供したときには、丸ごと、いつでも誰にでも提供できるサービスでしたけれど、介護保険制度では、サービス対象が65歳以上で、サービスの内容もある程度決められていて、それ以外のサービスはしてはいけない決まりでした。そのため、介護保険を利用されたほうが1割負担でうんと経済的には楽な筈なのに、やや窮屈なので、介護保険よりもあなたたちのサービスを使いたいという高齢者の方も多くおられました。

○助け合いサービスと介護保険サービスを両輪にした在宅福祉サービス

 いまは、だんだん制度の利用が普及いたしまして、助け合いのサービスと制度のサービスの両方を使って、在宅生活を営んでいる方が増えています。

 私どもも、助け合い活動だけですと、経費だけはたくさんかかり、どうしても経済的に成り立たないので、会の運営が非常に難しくなってまいりますので、助け合いのボランティアの活動をきちんと継続していくうえでも、介護保険の事業を行い、そこから上がる収入で会を維持していこうと考えました。そこで、いまは、ケアプランをつくる居宅介護支援、訪問介護、小規模通所介護事業の三つの介護保険事業を行っています。

 この小規模通所介護事業は、「宅老所」とも言われています。制度だけでは地域で最後まで暮らすことはなかなか難しくて、大体、途中でご家族の方が諦めて、ケアプランナーに、もう入所を考えたいとおっしゃり、皆さんおおよそ、大きい特別養護老人ホーム等に入所させることが多くなります。やはり、地域のなかに小さくてもいいから継続的にケアをしてくれるところがないと、在宅生活は続け難いのだと思いまして、先駆的な市民たちが「宅老所」というかたちのものをあちこちでつくり始めました。

 それがもとになって、小規模デイサービス、認知症対応のもの、小規模多機能型のもの、グループホームといった、地域密着型サービスがいま言われております。これは、制度化される前には、市民が独自にやっていたので、比較的自由にサービスを丸ごと提供できますが、制度化されますと、制度によってきちんと仕事が保障される意味ではありがたいのですけれど、制限も出てきます。私たちは、そういうところを埋めつつ、活動しています。

 どちらかと言うと、地域のなかで気がついた市民が立ち上がって、フロントランナーの役割をいろいろなところでやってきたと思います。現在各地に広がっている、富山県富山市の、富山方式と呼ばれる、民間ディケアサービス施設「このゆびとーまれ」の活動なども、全く制度外のところからスタートして、制度も利用して、いまも全く垣根のないサービスを行っています。最後まで在宅生活を全うすることになると、私どもも看取りまで支えさせていただいた例をいくつも持っておりますけれど、介護保険のサービスだけでは看取りまではできません。そこに助け合いサービスも加わって、両方がうまく連携が取れると、最後まで地域で、その方の意思に従って生きていただくことが実現します。

○地域づくり活動への取組み

 そういう事業のほかに、コミュニティ喫茶を開いたり、施設を訪問して喫茶店を開かせていただく訪問喫茶を行ったりしています。

 かつて20年以上前には施設が孤立していました。たとえば、特別養護老人ホームは、誰も地域の人が近づかないような感じで、私たちも研修で訪問したときに、こういうホームだと、自分の親を喜んで預けられるだろうか、私自身老いたときにここで最期を送りたいと思うだろうかと疑問を感じたものでした。利用者の方たちは皆、同じ表情をしていまして、一人一人が生き生きしてはいませんでした。また、広い廊下の手摺りに抑制帯で車椅子ごと結わかれて、ずらっと何人もの人が並んでいる光景とかを見ますと、それが安全のためとはいえ、何か尊厳とは程遠い感じがしました。住み慣れた地域から、あるいは住み慣れたところで培ってきた人間関係から、すぽっと切り離されて施設、しかも少し郊外にある施設に住むことになってしまったときに、リロケーションダメージで無気力になってしまう傾向が強いように感じました。

 私たちが訪問して、喫茶店を開かせていただくときも、最初のうちは本当に皆さん、どうやって飲み物やお菓子等を注文するのか、自分でお金を払うのかも分かりませんでした。そこで、施設の方には反対されましたけれど、自分で選んで、自分でお金を払って、コーヒーを飲んだり、ケーキを食べたりしていただくことを条件として訪問喫茶を開かせていただきました。それを繰り返しやっているうちに、少しずつ表情が蘇ってきました。やはり関係づくりをきちんとしていかないといけないと強く感じました。

○小規模通所介護事業所「みんなの家 ぱお」(共生型宅老所)

 小規模通所事業所をちょっとご紹介したいと思います。いま、ここには7歳から104歳までの人がきます。7歳の男の子は重度の障害がある子で、特別支援学校から真っ直ぐうちの事業所に「ただいま」と言いながら帰ってきます。お年寄りが皆さん、「お帰りなさい」と言って迎えて、夕方一緒に過ごします。104歳の方も、ご近所で一人暮らしなのですが、きちんと歩いてこられます。この方の最期を、私たちがしっかり見届けたいと思っています。障害や認知症があっても、役割を持って、住み慣れたところで暮らしていきたいということを大切にしたいと思って、運営しています。

○寄合所 コミュニティ喫茶「けやき欅」

 コミュニティ喫茶のご紹介もさせていただきます。お年を召していても、障害があっても、「世話を受けるだけの身は辛いよ」とおっしゃられます。その言葉を大事にしたいと思いまして、お世話をする場ではなくて、皆が主役になれる場所をつくろうと、小学校の余裕教室を借りて、喫茶店を開いています。どこにも行くところがない人も結構いまして、ここが居場所になっています。自由で楽しく寄り合う空間で、さまざまな方がいらっしゃるので、共生にもなります。一人で来られない方のために、高齢のシニアのボランティアの方たちが送迎もしています。

○これからの地域福祉 ~活躍するのはシニア世代と高齢者の経験知

 これからの地域福祉において、活躍するのはシニア世代と高齢者の経験知だと思います。

 いままでは、高齢者は、支えられる側で、三角形の上のほうで下のほうの若い世代に支えられていましたが、今後は、逆三角形で、私たち高齢組が下の若い世代をサポートしながら、社会をつくっていくことになるのではないかと思います。私たちNPOでも、立ち上げました私たちは、もう子育てが済んでいます。子育ての人が活動に参加してくれるときには、その方たちに私たちがもらう分のお給料を別個に振り分け、若い世代がNPOできちんと生活しながら、活動できる仕組みにしています。私たち高齢組が、いま活動してくれる力のある若い世代をいろいろなかたちでサポートすることが地域のなかで日常的に行われるようになると、これからの社会が何とか持続可能になるのではないかと思います。

吉田:どうもありがとうございました。

質疑応答

 吉田:これから、この会場の皆さまから、パネリストの方々のご意見に対するご質問やご意見があれば、承ろうと思います。

○独居の高齢者等を地域に巻き込む仕組みづくり

質問者:いま、新規事業や新規サービスをデザインする会社をやっていますが、現在、独居の老人の方がコミュニティとか地域に参加できないでいる状況があると思います。このような方への働きかけとか、巻き込んでいく仕組みはないものでしょうか。

吉田:まず、國生さんお願いします。

國生:すっぱりと回答できないのが残念ですが、数年前から中学校区に一つ設置することが方針として打ちだされている地域密着型の小規模のサービス事業所が、その地域の人たちの相談をワンストップで受け止められるような事業体になっていく必要があると思います。私のやっている、「ふきのとう」とは別の法人は、「まちかど福祉相談室」というものを地域にたくさんつくろう、そして、そのための人材、つまり、いろいろな相談ごとに応じられて、専門的でそこで解決できないものについては専門のところへきちんとつないで、同行支援までできるぐらいまできちんとサポートすることのできる人を多数育成していこうと、講座を開催しました。育児相談から、育児放棄の問題、虐待、貧困、引きこもり、自殺、心を病むこと等さまざまな問題がいま、地域のなかにはあります。したがって、いま社会的包摂サポートと言って、社会の仕組みの不都合でさまざまな生活上の困難を抱えて、生き辛くなってしまう状態の人たちを社会の仕組みでしっかり受け止め、自立できるようにするために支援することが求められています。介護の問題だけではもうなくなっています。もっと、その底に大きく貧困の問題とかがあって大変な状況ですから、そういった問題も含めて、地域の小さなところで、第一歩の相談が寄せられて、歩いてでも一人暮らしの人も相談に来られるような、分かり易い看板を掲げた、「まちかど福祉相談所」をまちなかにつくっていきたいと考えています。その相談に乗れる人が多方面の相談にもある程度乗れて、専門職につなげることもできるための力をつけないといけませんので、その事業をいろいろなNPOがいまやり始めようとしています。ですから、いま直ぐ可能にはならないかもしれませんけれど、そうなっていかなければいけないと思っています。

 それと各地で開かれているサロンや居場所も地域のなかの隠れた情報を集めていくという意味では、重要な役割を担うようになっていくと思います。そういうところで、いろいろな話題をキャッチした人が、ちゃんと私たちに伝えてくれれば、私たちも訪問できるようになりますので、サロンとか居場所とかも、地域内のいろいろなところに、たくさんできていく必要があるかなと思います。いまのところ、そのような方法しか思いつきません。

吉田:次に、西山さんはいかがでしょうか。

西山:地域活動において、どのように地域の皆さんを巻き込んでいくかは、大事なことで、永遠のテーマだと思います。

 地域の皆さんを地域活動に巻き込む方法としては、一つには、「世代間交流」があります。たまたま7月21・22日に私どもの地域の夏祭りがありますが、これは、まさしく、「世代間交流」ができたり、初めて参加する人を歓迎できたりするチャンスとなるイベントです。私の所属している町内会は、班ごとに当番が決まっています。ですから、集合住宅の方でも会員になっていればその全員が当番ですから、半ば強制的に声をかけられます。「当番ですから、参加してください」「皆で、共同で盛り上げましょうよ」「いろいろな役割があるのですよ。子どもさんのだし山車を引いて、それを付き添っていく仕事もあるし、お祝いにきてくれた人の接遇をしたり、声をかけたりする仕事もあります」といったかたちで、参加を働きかけることができると思います。

 しかし、普段はなかなか共通のイベントが見つからない問題もあります。けれども、日常活動としては、防犯パトロールや防火活動等、共通のテーマを探せると思いますので、それをイベントとして盛り込んで、地域の方々を巻き込んでいくことが大事だと思います。

○地域医が果たす役割ならびに住民側に立った制度の活用

質問者:元新聞記者でした。國生さんに二つご質問したいのですが、まず、地域でお医者さんが果たす役割が大事だと思うのですが、四街道ではお医者さんがどのようなかたちで地域活動に関わっているのでしょうか。もう一つ、先ほど、制度化されたことによって制度外で行っていた活動にマイナスの影響が出るという自治体の動きが垣間見えましたが、逆に活動にもっとやさしい自治体の動きがあればご披露ください。

國生:在宅で最期まで暮らすのに絶対に必要なのは、医療者との関係になると思います。そのために、10年以上前に、訪問診療をしてくださる地域のお医者さまたちが増えていって欲しいということで、地域の家庭医たちに呼びかけて、シンポジウムを行政も交えて企画しました。お医者さんにこのパネリストとして参加していただきましたが、当日シンポジウムのふた蓋を開けてみますと、フロアにも7名のお医者さんが参加してくださいました。そこで、一気に行政と医療関係者とのネットワークができました。

 四街道の医師会は、もうちょっと広域の医師会のなかの一つの部門なのですが、それでも、最期の看取りまで可能な地域社会にしていくために地域の医師として何をしたらいいかという議論が医師会のなかでも交わされるようになってきました。それによって、看取りまでケアが何とかぽつぽつ可能になってきています。ただ、残念ながらお医者さん全部ではなく、数人のお医者さんに留まっています。もう少し広げていきたいと思っています。

 もう一つの行政の動きに関するご質問ですが、どうしても制度になってしまうと、制度としての縛りは出てくると思います。そこで、それはそれで理解したうえで、私たちは制度に合わせて生きるのではなくて、私たちの生き方に合わせて制度をうまく利用することを考え、制度化によるメリットをうまく活用しようと努めています。行政は、どちらかというと、制度を前面に出して、「この制度しかないのだからこれでやれ」と、いつも言うのですが、私たちは、住民の側に立って、私たちの生き方に合う制度をいっぱい拾い集めて、それをつないで、うまく利用すればいいのだ、と割り切ってやるしかないかと思っています。

○社会福祉協議会との連携をめぐって

質問者:八王子から来ました。NPOの活動に取り組んでいます。この分科会のテーマは自治体、社会福祉協議会等との協働という視点からの地域社会活動ということですが、特に、地域福祉という点では、1951(昭和26)年の社会福祉法(当時は社会福祉事業法)の制定にもとづいて設置されてから、60年ぐらいの歴史のある社協が都道府県、市区町村の福祉面で果たした役割は大きいと考えられます。また、社協は、経済面、人材資源の面で大変大きいストックを今日現在も抱えています。我々NPOの活動がこれだけ活発になってきて、さらに力をつけていくためには社協と上手に組んでいかなくてはいけないと思います。私は、その辺をどうしたらいいのだろうかと常々考えています。そこで、社協とのうまい連携の仕方についてお話をお聞きしたいと思います。

吉田:このご質問については、演者だけでなく、この会場の皆さまのなかにも社会福祉協議会との協働で諸活動に取り組んでおられる方がいらっしゃると思いますので、そのご経験のなかからもご意見をお聞かせいただきたいと思います。

質問者:全国の介護者を支援することを目的とした団体を創設し、介護人材に対する支援の活動を行っている者です。あの3.11の前までは、高齢者だけでなく、子どもも含めての、いわゆる社会福祉に関する一番いい団体だと思っていました。ところが、3.11以降、私たちには見えなかった社会福祉協議会の悪い面が一遍に出てきました。その一例を言います。今日はちょうど3.11から1年4か月目になりますが、私も1年3か月前から復興支援のために宮城県に入っています。毎月いまでも2回は行っておりまして、この3月には高連協にも協力いただいてシンポジウムも催しました。高齢者、障害者、一般家庭における問題として何故復興が遅れているかと言いますと、行政も悪いのですが、行政が社会福祉協議会に丸投げなのです。それを受けた社会福祉協議会がまた有力なNPOだとか、名前の売れている団体へ丸投げをしているので、地域の自発的活動がはじかれる問題が出ています。

質問者:私は、何度も岩手県や宮城県にボランティア活動に行ったのですけれど、全て社会福祉協議会の窓口を通せと言われました。そのため、多くの仲間が出かけて行きましたが、ボランティア活動ができずに帰ってきた者もいっぱいいました。行政や社会福祉協議会はボランティア活動の力をうまく活用する観点で、考えるべきだと思いました。

 また、横浜に福島の被災者の方がたくさん来られましたが、ボランティア活動のために、避難場所の会館へ行ったのですが、そこも全て社会福祉協議会を通せと言われました。何もかも社会福祉協議会を通せというのも困りものだなと思った次第です。

○雄勝地区復興支援の取組み

質問者:ところで、今日、第3分科会に参加した理由は、この石巻市雄勝地区復興支援活動インストラクターの國生さんから同地区への支援の取組み内容について聞きたかったからです。是非お話をお聞かせいただきたいと思います。

吉田:それでは、國生さん、お待たせしましたが、お願いします。

○復興支援活動インストラクターの使命

國生:石巻市雄勝町へは、公益財団法人「さわやか福祉財団」のインストラクターとして伺いました。「さわやか福祉財団」は、これからのまちは包括ケアシステムのまちづくりにしなければという方針を前面に掲げて、活動中です。被災した各地が復興していくに当たって、新しくできるまちが既に包括ケアの仕組みを取り入れたまちづくりにしていくことによって、どのような状態になっても、安心して暮らし続けられるようなまちづくりを最初から構想していこうとしています。その下地づくりがインストラクターの使命です。そのため、まずはつて伝手を頼って、いろいろな方にアポイントを取って、お話を伺いに行くという、人間関係づくりをしてまいりました。

○壊滅状態であった雄勝地区の復興の現況

 雄勝地区は壊滅状態です。雄勝は半島で、岬になっているので、真ん中に山があり、その両側がリアス式海岸のなかの浜になっていまして、僅かな平地の部分に人々が暮らしている、15浜から成り立っている地域です。それぞれの浜が漁業を営んできて、中心部は比較的大きい集落があったところですが、そこも壊滅状態でして、そのあたり全部が何もかにも無くなってしまっています。

 それぞれ浜では、仮設住宅に暮らしながら、漁業も再開し始めています。流された家のところに、漁をするための道具を置くテント等を張って、そこで作業ができるようにご自分たちで努力しています。そのうえの高台に仮設住宅を造って住んでいます。

 この地区は、浜が点在していまして、浜のなかの人々の結束は強いし、そこでの助け合いはとてもよくいっていましたが、高台の場所が狭いために、たくさんの住宅を建てられなかったことから、希望する、自分が住んでいた浜の近くの仮設住宅に入れず、あちこちの仮設住宅にばらばらに分かれて暮らさざるを得ない状態がありました。

 特に中心部の一番広い住宅地に住んでいた方たちは、石巻市市街地の河北の仮設住宅に、それこそ抽選でばらばらと入ってしまっているために、これからも雄勝に帰って自分たちのまちをどうするかという話し合いをうまく行い難い、誰がどこに住んでいるのかもお互いに分からない状態で、行政に聞けば個人情報だから教えられないということになるので、かつてのコミュニティがすっかり壊れてしまった状態が大半です。そのため、なかなか進め方も難しくて、苦労しています。

○さまざまな困難な課題に当面している復興のまちづくり

 やっと各仮設住宅を回りまして、そこで意見交換会を開いて、皆様の意見を聞きましました。やはり雄勝に非常に執着を持っている方は、高齢な方たちです。どうしても雄勝に戻って、雄勝で死にたいという方も何人もいらっしゃいましたが、若い世帯の方はここにいても仕事がない、学校もない、──元々中学までしかありませんでしたので、高校になると、皆石巻市街地や女川に行っていまして、若い人が定着し難い状況でした。

 そのように、過疎化が進みつつあったところに今度の震災ですから、震災前は4,500人いた人口がいまや1,000人を割って、900数人ぐらいです。調査をしましても、中心部に戻りたいと希望する人は、行政の調査によると、数か月前が約200世帯で、今度の6月の個別調査によりますと、行政の方のお話では、150世帯いけばいいかなとのことです。したがって、仮設住宅を回ってお話を聞いてみますと、「もう高齢村になることは覚悟しなければいけない。高齢村になったときに、どうやって暮らしていけばいいのかな」とおっしゃっていました。ただ、漁業ではワカメとか、帆立とかの仕事があるので、海の仕事に携われる、元気な人は「仕事はいつもある。年間をとおして、順繰りにいろいろな海の作業がある。だから、動けるうちは、贅沢はできないけれど、ここで暮らすことはできるのだ」と言っています。その方たちは、多分残る。けれども、もう少し自分の人生設計を、子どもたちを育てることをきちんと考える方たちは残れません。

 ですから、これからのまちづくりがどうなるのか、老人村になるのだとすれば、そこにどの程度の福祉サービスを用意して、復興のまちづくりをしていけるかが大きな課題です。

○求められる個々の集落をコーディネートする人材の育成

 10月27日にフォーラムを雄勝で開いて、行政も含めて、住民の方たちとそのことについて話し合う予定になっています。皆さん、個別にお話を聞きますといろいろなお話をしてくださるのですけれど、表に出て発言をすることには尻込みされます。浜同士で文化が違う問題があります。そのため、お祭りのときを除いて、浜と浜の交流はあまり無いのです。だから、浜同士に微妙な対立があって、二つの浜、あるいは三つの浜から集まって、同じ仮設住宅で生活していらっしゃるのですが、何となくうまくいっているところと、凄い対立のまま、あちらの浜の人とは口も利かないところもあります。フォーラムには、いろいろな方に来ていただいて、雄勝全体のことを考えるものにしたいと思うのですが、お話を伺うと、自分の浜、あるいは自分の住むところがどうなるかで頭がいっぱいで、雄勝全体のことを考える余裕はとてもないとおっしゃる方が多くて、フォーラムに向けてどのような下準備をしていったらいいのか、いま悩んでいるところです。

 ただ、雄勝には元々海の幸があるうえ、木とか、山菜、さらには硯になる「雄勝石」といった山の幸もありますので、改めてそれらにスポットを当てて、そこで働ける人たちが住民のなかからたくさん生まれてくる仕掛けにしていけたらいいのかなと思っています。それもこれも外部の私たちが決めることではなくて、雄勝の住民の方たちが自分たちで選んで、決めていくことですので、その話し合いには、私たちは、考える機会をお膳立てしていくことぐらいしかできないと思っています。

 何とか高齢世帯になっても、浜と浜、あるいは浜と中心部を繋ぐことができる、雄勝の住民の人たちをコーディネートできる人をここ1~2年できちんと育てられるように支援していきたいと思っています。

○新しい視点で社会福祉協議会との協働を

質問者:自治会活動を行っている者です。今日のテーマのシニアの社会参加ということでは、社協に対して、先ほど厳しい意見が出されましたが、私は、自治会の活動を行うなかで、社協に非常にお世話になっているから、敢えて発言させていただくのですが、いま自治会関係での大きな問題は、防犯もありますが、一人暮らし高齢者の見守り活動、それから、震災時の避難の対象──年寄り、一人暮らしの方、お子さんで障害のある方等──をいかに救助するかということだと思います。私どもは、850世帯、2,500人ぐらいの自治会ですけれど、私が自治会長になったときに、全員にアンケートを取りまして、活動に参加していただける方に手を挙げていただきました。そして、一人暮らし高齢者の日常の見守りの対象の方が20人ぐらい、それから災害者緊急時に避難の対象となる方は35人ぐらいいますけれど、この対象の方の、向こう三軒両隣の方々には、そっと見守っていただくことについて、主にご協力いただくことをお願いしています。このように、自治会全員の協力を受けながら、いわば町内挙げての、全員参加の自治会活動の体制を整備・推進しようとしています。お陰様で、いまは順調にいっております。そのときに、一番助かったことは、長年時間をかけて培ったノウハウと情報を持つ社協の方々が我々に協力していただいたことです。社協の方々と我々とが協働するなかで、初めてこうしたシステムを構築し、順調な自治会活動を実現することができました。地域のこと、高齢者をはじめとする地域の人たちの社会参加の促進等を考慮して、常に地道な活動に取り組んでいる社協の人たちを私は大勢知っています。

 震災のときのお話を聞く限りでは、社協を通さなければ事が進まないというのは、確かに非常にまずい。社協にそういう欠点はあるのならば、それはどんどん直せばいい。

質問者:加須市からまいりました。いま出された意見は、一つの考え方だとは思います。この高齢社会NGO連携協議会は、いろいろな考えを持つ人たちの集まりだと思います。そこで、対立点を出すのではなくて、共通点を出していくのが、このフォーラムの基本的な目標だと思います。

 孤立死の問題では、松戸市の常盤平団地では、常盤平自治会会長の中沢卓実という方が、常盤平団地地区社会福祉協議会と連携して「孤独死ゼロ作戦」を推進しておられます。

 それから、新宿区の戸山団地では、NPO法人「人と人をつなぐ会」代表理事の本庄有由という方が、この団地の荒廃状況を改善しようと、一生懸命頑張っておられます。

 また、ちょっと毛色が変わっていますが、立川市の大山団地では、自治会加入率が100%で、孤独死がこの8年ぐらいゼロです。これを支えているのは、「助け助けられるコミュニティ」の形成を原点とした団地の自治会組織「大山団地連合自治会」の取組みです。

 先ほど社協の問題が出されましたが、実際には個別にいろいろな困難な状況があると思います。しかし、戸山団地、常盤平団地、大山団地それぞれの場合でも、行政と社協と団地とが組んで活動しているからこそ、自治会の問題が解決に向かっているのです。

 常盤平団地の場合には、社協と組んで国への陳情を3回も4回も行っているので、平成23(2011)年度に1億9,000万円の予算が出ているのです。ここのところは、地域活動に参加している人も、基本的に国とか自治体が行っているいいところをきちんと捉え、情報連絡し合いながら、自治会と社協が協力して壁を破っているところを評価していかなければいけないと思うのですが…。

吉田:社協は、戦後アメリカから導入されたコミュニティワーク(地域福祉とその技術)の普及促進とボランティア活動の推進・支援という考え方にもとづいてつくられました。おっしゃる通り、我々が税金を納めて、活動している行政の一端だと捉えて、いい関係で付き合っていくのがいいのではないかと思います。しかし、こういう機会だからこそ、社協の問題点も出してもらいました。ちょっと社協が問題だと思っている人が多過ぎるのかもしれません。

 けれども、これは、NPO・NGOに対する社会の見方や意識が発展してきたからだと思います。20年前だと、社協に対して文句など誰も言わなかった。皆、言いなりでした。

 社会は日々進歩し、変わっていきます。それをいちいち、法律や税金でやっていたら間に合わない。できることは、身近にいる市民とか、NPOとか、そういう仲間同士でできることはやろうじゃないかという社会になってきたからこそ、我々が言っていることをもっと公も理解してもいいのではないかという不満もいま出てくるようになったのだと思います。ですから、前向きに捉えて、社会が変わって、これだけ元気な高齢者が増えた、この人たちが社会参加し易いような社協、国、行政の理解を併せてつくっていくのが、「シニアの社会参加が世の中を変える」という樋口さんの、今朝の基調講演にも通じることかなと思っています。

 そろそろ時間のようです。本日は、どうもありがとうございました。