基調講演「高齢社会フォーラム・イン福島」
「地域包括ケアと高齢者の生きがい」
堀田 力
公益財団法人さわやか福祉財団理事長
● 第二の人生をどう生きるか
今日は、何よりもまず、福島では二重の災害にもかかわらず、皆様方が一緒に助け合って、前向きに頑張っておられますことに深い敬意を表したいと思います。
本日、私に与えられましたのは「地域包括ケアと高齢者の生きがい」という演題ですが、「地域包括ケア」ということを中心に、いくつかお話ししたいと思います。
最初に、高齢者が第二の人生をどう生きるかということから始めたいと思います。もう、人生の生き方については、女性の方々は、お仕事をされている方も、家庭を支えておられる方も、自分の生き方を持っておられる。問題なのは、男性、特にサラリーマン層です。地域で事業をしておられるような男性はずっと地域とつながった生き方をされているのですけれど、地域とつながらず、人によっては、家庭ともつながらず、仕事をしている男性は、仕事が無くなりますと、家庭への入り方を知らない、地域への入り方を知らない、これからどうやって人生を生きていくのかということが大きな問題になります。
皆、違った考えがあるのでしょうけれど、簡単に私の考えを言えば、私はまず、したいことをして生きるということだと思います。サラリーマンをして、一生懸命頑張った。これはしかし、組織に命ぜられて、言ってみれば組織の歯車として仕事をしてきたことになります。それを卒業して、時間に制約されず、すべきことにも制約されず、自由にやれるわけですから、これはもうしたいことをして生きることが一番大事だろうと思います。
ところが、サラリーマンの男性をご主人に持っておられる女性の方々、ご主人はいかがでしょうか。したいことが分からない。何をしてもいいというのに、何をしていいか分からない、という男性が結構多いのですよね。どういうふうにして、何をするのかについては、この後のパネルのテーマですので、そこで皆で考えることになっておりますけれど、私は、2つのヒントを提供しております。
1つは、若い思春期の頃を思い起こしてみることです。中学校、高校の時の、自分の身体つきが変わってくるあの頃にこういうことをしたいなと思っていたこと、憧れていたことをやる。たとえば、女性ですと、新珠三千代さん、有馬稲子さんになりたい、──ちょっと古いですかね──そういう思いで、思春期を迎えられていた方々は、やっぱりそういう女優の道を考えてみる。でも今から、ちょっと女優というのも難しいので、ボランティア団体に入ってみる。そうすると、ボランティア団体の総会などで、演劇をやったりしますから、そこで主演を張る。主演を張りたければ、これは簡単です。大体介護劇なんかをやりますから、その時に、いいお嫁さんを苛める姑の役なんかをやる。これは、なかなかなり手がいないのです。だから、入って直ぐ主演を張りたければ、姑の役に立候補すれば、直ぐに当ります。嫁の役は競争激しいです。姑の役はなかなか演技力が要るので、俳優に憧れた方はそこで演技力を発揮していただければいい。ただし、あまり迫真の芸をやると、「あの人、地じゃない」なんて思われますから、そのへんは適宜演技力を発揮してもらえばいい。
男性ですと、思春期に王さん、長嶋さんになるのが夢だった方は、今から王さん、長嶋さんにはなれませんし、そういう方は、地元の少年野球のコーチなどに志願する。「今度は優勝しよう!」と言ってやっていますと、本当に血沸き肉躍る第二の人生が拓けます。思春期の頃にしたかったなあと思うこと、それが大体その方の本性であり、一番合っていることですから、そのラインで、いいボランティア活動を見つけてそれに取り組むと、長続きします。これが1つですね。
もう1つは、仕事でいろいろな特技を習得しますから、たとえば預金者を獲得するのが上手だった銀行の方などはボランティア団体に入って、寄付金集めなどを行ったら、これはもう能力を十分発揮できますので、仕事で身につけたいろいろな能力を発揮する。この2つをヒントに好きなことをやってみる。
そして、したいことをする他に、もう1つ大事なことは、やはり人の役に立つことをすることです。たとえば、自分は凄く絵を描くことが好きだったのならば、一人で絵を描いて、「うーん、俺はピカソみたいだ」と自分で自分を褒めていても楽しくないですから、老人ホームへ行って、そこで絵を描く会などがありますから、皆さんと一緒に絵を描いたり、自分は絵が得意ですから、「ここを、もうちょっとこんな色にしたら」とアドバスをしてあげたりしたら、おじいちゃん、おばあちゃんが「ありがとう、先生」と言ってくれますよ。そういうふうに、自分の好きなことが人の役に立てば、もっともっと嬉しくなって、自分も元気になります。第二の人生で、したいことをして、それを人の役に立つようにするのが、いい人生かなと私は思っていますが、いかがでしょうか。このあたりは、後のパネルのほうで話が出るかと思います。
● 明るい高齢社会の構築のために求められる高齢者のいい生き方
次に、自分のしたいことをするわけですが、今、どのようなことを社会は、特に高齢者に対して求めているのか。これはもう、高齢者が、どんどん増えていることに関わっていることです。今度消費税を上げる話の中でも出てきていますよね。「高齢者がどんどん増えるのに伴って、社会保障費が凄く増える。だから、消費税を上げたって、そちらのほうでほとんど消えてしまって、あまり使えないよ」と、何か高齢者が増えるのが悪いことみたいな言われ方をすることがある。これは、本当に不本意ですよね。
だから、いくつになっても自分のしたいことをしながら、社会の役に立って、そして、高齢者自身が助け合って、「そりゃ、身体がどうにもならなくなったらお世話になることもあるけれど、大抵のことは自分たちで助け合ってちゃんとやっているよ。それに皆さんのお役にも立っているのだよ」と、高齢者がそういう生き方をする。これが一番いい社会ですよね。社会から、「働いている者が税金をたくさん納めて、それも全部高齢者のせいである。本当に高齢者が増えてしょうがない」と非難されるような社会なんて、寂しい社会じゃないですか。「そうじゃないよ。我々だって今までも頑張ってきたし、これからもまだまだ頑張って、助け合って、楽しく元気に生きるのだよ。あなた方も早く高齢者になりなさい。われわれは、それぐらい素晴らしい生き方をしているよ」と言えるぐらいに、いい生き方をすることが、これからの高齢社会を明るい、皆が希望を持てる社会にするために、今必要だと思うのです。だから、そういう活動をすることが、今の日本の社会に、また世界中が高齢化していますから、世界中から求められていることなのだと思いますが、いかがでしょうか。
● 安心して楽しく生きられるための高齢者を支える仕組み─「地域包括ケア」
3番目は、このような話を踏まえて、それではそういう高齢者が安心して、楽しく生きられる社会にするのに、どのような仕組みが要るのかということです。その高齢者を支える仕組みが、私の演題にある「地域包括ケア」です。もう10年ぐらい前から、行政は、その方向に進み始めており、それがどんどん広がっていると思います。
- 「地域包括ケア」とは
では、「地域包括ケア」とは何なのかと言えば、簡単に言えば、可能な限り、最期まで自分の家、自宅あるいは自分の住み慣れたところに住む。できれば自宅で天国へ旅立つ。病院に入って、あるいは施設に入って、あちこちスパゲティみたいにいろいろ管を入れられて、動くこともできず、自分で食事もできず、そのような状態で死ぬのはごめんだ。身体が不自由になっても、いろいろな人の助けを借りて、自分のしたいことのできる自分の家で天国に旅立ちたい。これは、ほとんどの方の願いですよね。
私は、全国で、沖縄から北海道まで、「最期まで、自宅で暮らして旅立ちたいですか。それとも、施設や病院で最期を迎えるのがいいですか」ということを聞いているのですが、本音で言えば、やはり自分の自由に暮らせるところで最期まで過ごすのが幸せだとおっしゃいます。これは全国どこでもそうなのです。だけど、実際はいろいろな事情でなかなかそうはできない。それを何とか望んでいるとおりに、可能な限り、自宅あるいは住み慣れたところで最期まで暮らせるように支えましょうという方向に少しずつ、少しずつ、少しずつ支え方が変わってきています。介護保険制度ができた最初の頃は、施設に入ることは普通のことでした。でも、「それって寂しいよね」ということで、何とか自宅で暮らせるようにしようということで、地域包括支援センターというものもでき、地域密着型のサービスとか、小規模多機能型の施設であるとか、なるべく地域で暮らせるような仕組みをつくり、この3年ほど前から、全国に広がりつつあるのが「24時間巡回サービス」(「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」)、要するに、24時間いつでも、お家へ行きますよというサービスです。
これは、初めは、「そんなものできるかい。人がいっぱい要るだろう」とか言って、ほとんどの方が反対だったのが、もう今は、全国で何百と広がっています。これは、必要な時にお家に来てくれるサービスですね。朝、起こしに来てくれる。着替えを手伝ってくれる。朝の歯磨きを手伝ってくれる。それから、朝のトイレを済ませて、朝食も手伝ってくれて、帰って行く。お昼に来て、昼食を手伝ってくれる。午後3時頃に来て、トイレを手伝ってくれる。夕方には、お風呂、夕食。また夜に着替えから、歯磨きと、これは必要な時に、何回でも来てくれます。夜中に、歩けないのに歩けると錯覚して、立ち上がって転ぶ人が結構います。自分では起き上がれない。コールセンターへ電話を一本入れると、テレビ画面が付いて様子が見えますから、「これは行かなくてはいけない」と来てくれて、起こしてくれます。そういうサービスは、現実に日本のあちこちで始まっていますし、これからどんどん広がっていきます。
こうなれば、身体が動かなくなって、自分一人では食事ができない。そういう状態になって、しかも家族は誰もいない。残念ながらご主人は先に旅立っており、子どもと一緒に暮らしておらず自分一人だ、という方にもお家で過ごしていただけます。
時々ご主人が一人で残る不幸なケースもありますけれど、そういう方は割合早くお亡くなりになりますが、問題は女性ですよね。ご主人がお亡くなりになられて、少しの間悲しい期間がありますが、その後、生き生きとしたいことをして、旅行を楽しみながら、10年、20年、30年を過ごされる。あまり再婚はされないですね。「結婚はもうこりごりです」などとおっしゃっていましてね。
このようにお一人で人生楽しまれた方は、身体がご不自由になられてもお一人です。「やっぱり住み慣れた家がいいよ。仲間たちもしょっちゅうここに来てくれるのだし……。でも、身体が不自由だし、施設に入るしかないか」というのが今まででした。これからは、仲間たちにも来てもらいながら、一人でお家で暮らせるというサービスを介護保険制度がつくり出しました。
- サービスの進展だけでは埋め尽くせない寂しさを解消する「仲間の支え合い」
この仕組みについては、当初「夜中に何回も行くというけれど、ヘルパーさんはそれほどいないよ」と心配する声もありましたが、実際にやってみると、そんなに頻繁に行かなくても済む。大体平均すると、本当に呼び出されて行かなければならないのは、1週間のうち3回ほどです。あとは、貸してくれていますテレビ電話で話して済みますので、そんなに行かなくてもいいようでして、実際にやれることが証明されてきています。これからこの仕組みはどんどん広がっていきます。そうすると、最期まで住み慣れたところに住んで、いい仲間たちが訪ねてくれて、楽しい時を過ごして、天国へ行けることになります。大分夢の状態に近づいてきています。
サービスのほうは、そういうふうにしてうまく夢に近づいてきていますけれど、ただ、一人で身体が不自由で、トイレも一人で行けない状態になってくると、サービスは来てくれるものの、それだけだと寂しいですよね。折角そういうサービスができたのに、「寂しいから施設に入っちゃうよ」ということでは、本当に寂しい話になってしまいます。折角苦労してつくって、そういうサービスに発展させてきた甲斐がありません。
そこは、「仲間の支え合い」ですよね。実際、私どもの仲間も、一人暮らしで一人だけでは動けない方のところへお訪ねして、お話したり、一緒に歌ったりしています。
歌の好きなおじいちゃんのところには携帯用カラオケをぶら下げて行って、日露戦争時の乃木希典大将とアナトーリイ・ステッセル将軍(中将)が会見するところを歌った小学唱歌「水師営の会見」を歌うのだそうです。この歌詞は1番から9番まであるそうです。そのおじいちゃんは、認知症で自分の息子の顔も、ほとんど何もかもを忘れていますが、この歌だけは忘れないで、全部歌えるそうです。この歌を歌わせていると元気だということで、私どもの仲間は、携帯用のカラオケを持って訪ねて、「さあ、歌いましょう」とやっています。おじいちゃんは元気に歌いだしますが、途中まで歌うと疲れてお休みになるので、カラオケにはこの歌だけを入れておいて、お休みになればゆっくり寝ていただければいいのです。これは、仲間内の支え合いです。
女性は、教えるのが好きで、たとえば「私は、寝たきりだけど、編み物を教えたい」と言う方がいます。これには、ボランティア仲間のおじいちゃんが教えてもらいに行っています。「編み物を教えたいとおっしゃっていますよ」と周りに声をかけると、女性の方は大体、「いや、今更習わなくても……」とおっしゃいます。やはり、男性ですよね。「男性は、編み物を知らないのだから、習いなさいよ」と言いますと、それでも、「今から編み物を習うのか」と言って、なかなか行かない。「そりゃ、ボランティアだから、あんた行きなさいよ。あのおばあちゃんは高倉健が好きだ。高倉健にはあんたが一番似ているのだから」と言います。本当は、似ていないですよ。行かさなきゃいけないからそう言いますと、いい気になって習いに行っていますけれどね。おばあちゃんは本当に幸せそうに編み物を教えています。何といっても、このおじいちゃんは全然進歩しない。何回教えても進歩しない。普通なら、苛々するのですけれど、このおばあちゃんは、どこまで教えたかを直ぐに忘れますから、根気よく編み物を教えている。どっちも幸せで、元気ですよね。
だから、24時間サービスとか、お家で暮らせるというようになっても、やはり仲間がいないと、折角その地域で最期まで暮らす甲斐がないですよね。そういう仲間をしっかりつくって、そういう助け合いをやっていく。助け合いと言ったって、助けられるほうも人に世話してもらうよりは編み物を教えたり、墨絵を教えたりする。癌の末期で、ホスピスに入っていますけれど、ベレー帽を被って墨絵を教えているおじいちゃんもいます。やっぱり自分の特技を生かして、最期まで人の役に立ちたいのですね。お世話になるよりは、役に立ったほうが楽しいし、元気になる。これも、墨絵を習いに行っている男性はボランティアですね。そういうふうに、地域の仲間で、最期まで支え合う。そういう地域にしておかないと、いくら「地域包括ケア」、「24時間巡回サービス」ができたって、一人だけの寂しい人生なら、別に病院でもどこでもいいではないですか。やはり、地域とのつながりを、第二の人生でしっかりつくっておくことが大事なのだろうと思いますね。
● 地域の中のつながりや助け合いのベースである自治会活動
4つ目。それではそういう助け合い、支え合いをどういうふうにするのか。その中で、自分を生かし、人の役に立つには、どんな活動があるのか。私どもは20年間全国でそういう活動を広げてきましたので、そういう活動をいくつかご紹介したいと思います。皆様方がやっておられる活動もいろいろ入っていると思います。
まず、地域の自治会活動です。これが4つ目です。この自治会活動はベースですね。大体われわれは、NPO活動、ボランティア活動のように何か特別なことをやるグループが主体になっています。そうではなくて、地域の中で、皆がつながりあって、助け合うという、これがやはり一番ベースなのですね。自治会活動は、それぞれの地域でいろいろあると思います。
- いろいろな自治会活動
朝起きて体操する。これもいいですね。朝起きて、元気な顔合わせができますし、一緒に体操して、その後、気分もすっきりしていますから、そこでお喋りしたり、心配事を相談したり、「あっちの病院がいいよ」とか、「こんなボランティア活動があるよ」とか、「あそこの困っているおばあちゃん、何とかしようよ」とか、そういう話をする。体操とか、火の用心とかの後にね。火の用心は、終わった後あまり喋っていると、夜更かしの不良老人になりますけれど……。そういうふうに、地域で顏をつなぐというのは一番基本的なことです。男性も参加し易いですよね。そういう活動があれば入ってみると、仲間が広がっていきます。
公園をきれいにしようとか、清掃活動もいろいろありますね。これも公園をただ掃除するだけでは面白くないですね。だから、そこに池があれば、たとえばその池に蓮を植えて育てるとか、花を植えるとか、そういうふうにして、楽しい環境をつくり出すような活動になってくると余計に楽しい。たとえば、北海道の札幌の近くの広島という地域(北広島市)は、通り道をきれいにしようと自分の家の庭に、「うちは黄色い花を植えるよ」、「うちは春の花を植えるよ」と相談した上で、いろいろな花を植えて、通る人がそれぞれの家の花や木の様子を楽しめるような街にしようという活動をしています。ですから、歩くと楽しいですよね。ドイツなどでは、そういうふうに相談し合ってよくやっています。でも、中には、「そういうことに協力するのは嫌だ。俺の庭だ」と、協力しない人が出てきます。そうすると、町内の人が「あの家にはこんな花が欲しいな」と種を買ってきて、その家の人がいない間に、人の家に勝手にその種を蒔いていますね。これは翌年花が出る頃まで分かりません。翌年自然にきれいな花が咲いて、「うちの庭はどうなったのだろう」と家の人は驚きます。このように、美しい街をつくろうということをやり出すと楽しいですよね。
それから子どもです。やはり通学路の安全ということがありますよね。朝、子どもたちの通学の時に、表へ出て、「元気で行ってね」、「頑張っているね」と言って、子どもたちに手を振る。これを朝やると気分いいですよね。これも男性が簡単にできますよね。「あの家の孫はこんな子か」、「あの野郎の孫か。同級生だったあいつはクラスで一番できなかったのに、孫はどういうわけかクラスで一番になっておる。どうなっているのだ」とか言って、楽しいではないですか。「元気で行ってらっしゃい」と声をかけると、子どもたちも手を振ってくれたりしますよね。これは、ありがたいことです。なかなか子どもたちから手を振ってもらえることなんてないですよ。朝起きて、ちゃんと見守っているから、そういう絆ができていくわけでしょう。
それから、ご近所の方の見守りですね。「ちょっとあそこの家は汚いし、汚いものが流れて出てくる。全然あそこのおやじは出てこない。何とかしなければいけないよな」、「よし、何とかしよう」というふうに、お互いに見守りをします。ゴミ屋敷をつくったりして、どうしても出てこない偏屈な引きこもりがいるじゃないですか。ご参考までに、これをご近所の助け合いでどうすればいいかをお話しすれば、いろいろやっておられる方もいるでしょうが、一番いいのは子供を使うことです。大人が行くと、世の中を警戒していますから、直ぐに怒ったり、噛みついたりする。子どもには怒りません。だから、ボールをポーンと投げ入れて、「おじちゃん、ボールが入った。取らせて」と、子どもが行くと、子どもには結構優しい。そこで、子どもがだんだん馴染んで、ご馳走になったりする。「だけど、こんな臭い、汚い家は嫌だよ」と言うと、「じゃ、なんとかしようか」ということになる。このように、子どもを使う手があります。そういういい子がいない場合は、かわいいおばあちゃんですよね。ご近所のおばあちゃんの中で、何となく皆がそのおばあちゃんを見ると、かわいい感じのするおばあちゃんがいるじゃないですか。そういうおばあちゃんを差し向ける。おばあちゃんは上手ににこにこしながら行って、友達になる。引きこもりの人も、本当は寂しいのですよ。社会で傷ついてひねくれていますけれど、そういうおばあちゃんが来ると、「よし、何とかこのおばあちゃんのために何かしてやろう」という気持ちになる。そういう人も人のために何かしたいという気持ちを持っていますから、「よし、おばあちゃん、俺が代りに買い物をしに行ってやる」というように、うまく頼むと動き出しますから、そういう人を引っ張り込む。そういう近所の絆づくりが、自治会の重要な活動の一つです。
- 自治会によるうどんづくりのNPO
北海道では、自治会の中で有志が空き家を借りて、手打ちうどんをつくろうとうどんづくりの勉強をしました。うどんを打つと、当然人に食べさせたくなりますよね。そこで、うどん屋をついでに開くことにしました。そうすると、近所の人が寄ってきます。それじゃ、これを法人にしようと、自治会の中からうどんづくりのNPOができて、そしてそこをただうどんを食べに来るだけではなくて、皆が寄れる、誰が行ってもいい「居場所」にしました。そうすると、子どもたちも遊びに来ます。そのように自治会の中からNPOが生まれています。私も北海道のそのうどん屋さんを訪ねましたけれど、いろいろな人がそこに立ち寄っています。おうどんも結構美味しかったですね。自分のつくったもので、人が喜んでくれると嬉しい。つながりができますよね。
- 自治会とは別の「地域の会」による活動
「自治会というのは、何か古臭くて嫌だ」、「大体、あの会長は地域のことを知らない。威張るばかりで、家のことを何もしない封建じじいが会長になっている。あんな自治会は嫌だ」などと言われるような、まだそういう自治会もあるのですよね。そういうところは、町内で別の集まり「懇話会」と言ったり「地域の会」と言ったりしていますが、そういう「地域の会」を自治会とは別につくっており、それが全国に広がっています。東京も横浜もこの方式ですし、広島もそうだし、東北では秋田県がこういう方式ですね。名古屋もそうです。
たとえば、秋田県の湯沢や横手ではこういう会がそれぞれできていて、「雪下ろしを一緒に手伝いましょう」とか、「あそこはおばあちゃん一人だから、皆で雪下ろしをしよう」という「助け合い」の活動が始まっています。そこに自治体がお金をつけています。
このように、行政が、年間何百万円という何に使ってもいいお金を「地域の会」に出しているという方式が、中国地方や東北地方でできていますね。この方式が最初に始まったのは名古屋です。名古屋はちょっと成功していないですけれど……。そういう自治会とは別の助け合い活動に市や町がお金をつけるのも全国でかなり広がっています。そうすると、地域の人たちは集まって、「あそこの困っているおばあちゃんを支えよう」、「この子どもたちを何とか支えよう」など、いろいろな活動が広がっていきます。そういう地域の活動が基本になるのです。これが4番目です。
● 「居場所づくり」
5番目は「居場所」です。今、自然に「居場所」が町内会でできている話をしましたが、「居場所づくり」は、意識的に空いている場所を借りて、皆が集まる場所をつくることです。これは、社協さんなんかが「サロン」ということで、昔からやっておられますが、高齢者だけが集まるというのはあまりうまくいかない。高齢者は、高齢者をあまり好きではないのですよ。若いほうが好きなのですね。特に、おばあちゃんは、おじいちゃんより若いイケメンのお兄ちゃんのほうが好きです。だから、高齢者だけを集めても、何となく満足しないのですね。しかし、なかなか若いお兄ちゃんは実際には出てこないのです。だから、子どもですね。高齢者と子どもは合います。テンポも合いますし、一緒に遊んでも楽しい。そういう「居場所」、皆が集まる場所をつくる。これは、誰が始めたっていい。「自分の家の一間を開放しますよ」で、いいのですよね。「いつでも、だれでも来てください」というのがいいですよ。そして、集まって、好きなことを話している。「ちょっともらい物があったから、今日はお菓子持ってきたよ」とかいろいろモノを持ってくる人たちが出てきます。そこで話し合っていて、「ああ、あんたがそれで困っているのなら、俺がなんとかするよ」とか言って、男性が出てきたりしまして、いろいろ助け合いが広がります。
全国で「居場所」が随分広がってきましたが、そこに来る人で、要介護の高い人が非常によくなっています。「居場所」で一番よくなったのは、要介護度4の人が要介護度3,2,1、要支援2、1ときて、最後は自立まで回復したのですよ。その方は、樹木を剪定する庭師さんです。最初は、車椅子でどうにもならなかった。ところが、「居場所」の庭に木が茫々と生えているので、車椅子で剪定を始めた。車椅子での剪定だと木の下のほうしか切れないじゃないですか。そこで、何とか上のほうを切りたいと思ったのでしょうね。何か月か経った時に、ふと、そこに集まっている人が見たら、車椅子の上に立って剪定していたのですよね。どうしても切りたかったのでしょうね。皆、びっくりして「ああ、立っている」と叫んだ。本人も立っていると知らなかった。やっているうちに立っていたのですね。「立っている」と言われて、びっくりしてひっくり返ったのですけれど……。それでもだんだん立つようになって、動くようになって、最後は自立になった。これが、私が知っている回復度の大きな例です。まあ、それはちょっと例外ですけれどね。要介護度1、2の人が要支援になったり、自立になったりするのはざらです。やはり、皆のために何とかしたいという思いを誰もが持っているのです。だから、昔理髪師だった人は、来る人たちの髪を切ってあげると、手が器用になってくるとか、そのように皆の中で自分のできることをやっています。皆が褒める。喜ぶ。嬉しくなる。元気になる。だから、リハビリとか言って、決められたことを面白くもないのに一人でやっているよりは、そういう皆の中で自然に自分のしたいことをして、頑張っているほうがずっと介護予防になるということですね。だから、「居場所」もとても大事です。
● 皆で、自分を生かした人の役に立つ人生を!
6番目は、そういういろいろな活動をして、その中で自分の能力を生かして、人を幸せにしていると、自分も元気になるし、大きな介護予防になるし、天国に行く時に、「うーん、自分の人生はよかったな」と、本当に満足していい最期が迎えられます。
最後の私の締めは、人の役に立つ、あるいは生活をすることは人のためではなくて、自分が元気になり、幸せになれることなんだということです。
そして、最期、一番大事な時期、お迎えが来る頃というのは本人に分かるのですね。私もいろいろな方から聞かれました。「自分の人生はよかったのだろうか」と。その時に、「いやあ、あなたはこういう高いポストまでいったから、(あるいは)師匠になったからそれでいいでしょう」なんて、そんなものは全然何の慰めにもならない。「あなたはお金をたくさん貯めたじゃない」というのも、全然慰めにならない。「こんなに貯めたのに、あのドラ息子に使われるのか」と思えば、安心して死んでいけないですよね。だから、お金も地位も本当の幸せをもたらさない。「あなたが、あのおばあちゃんを喜ばせて、本当にあのおばあちゃんは喜んで旅立たれたじゃない。きっと天国であなたを待っているよ」と言うと、本当にほっとした顔をします。そういう自分を生かして人の役に立つという人生を皆で送って、社会のニーズに応え、高齢社会を素晴らし社会にしていければ、嬉しいなと思います。