第2分科会「高齢社会フォーラム・イン東京」
「期待されるフレッシュ・シニア」
- コーディネーター
- 岡本 憲之
(日本シンクタンクアカデミー理事長) - パネリスト
- 上原 喜光
(全国介護者支援協議会理事長) - 坂林 哲雄
(日本高齢者生活協同組合連合会専務理事) - 水野 嘉女
(みなと・しごと55所長)
各パネリストによる意見発表
岡本:この分科会のテーマは「期待されるフレッシュ・シニア」ですが、キーワードは社会参加です。今や人生90年時代、会社人生を終えたあと20年以上のシニア人生が待っています。高齢者の方々も何らかのかたちで社会を支える活躍ができるはずですし、そうならなければいけないと思っています。そこで、初めての社会人になる若者をフレッシュマンと呼ぶように、1度目の社会人を卒業して2度目の社会人の仲間入りをするシニアの方々を、フレッシュ・シニアと呼ぶことにしました。フレッシュ・シニアの社会参加活動が、高齢社会を支え世代をつないでいくと考えています。今日は、就業にせよボランティアにせよ、フレッシュ・シニアの新たな社会参加のスタイルを探っていきたいと思います。まず分科会の前半は、3名のパネリストの方々からのプレゼンです。
- 坂林哲雄氏(日本高齢者生活協同組合連合会専務理事)からの報告
坂林:日本高齢者生活協同組合連合会の専務理事をしております坂林と申します。57歳になります。この高齢者生活協同組合は、全国に30ヶ所位、福祉を中心にした生活協同組合として存在し、私どもの連合会には21が加盟しています。発足当時のスローガンが「寝たきりにならない・させない」、その後、「一人ぼっちの高齢者をなくそう」というのが理念の中に加わりました。支えられる存在から支える存在になろうと、元気な高齢者が集まって地域社会にいろんな仕事を作ることも含めて活動しています。
以前ある方が「男という病」があると言われました。高齢者の一人暮らしというのは非常に危険で、特に男性は危険だということでした。過去のしがらみの中で自分自身を地域の中にデビューさせることができず、社会的に孤立しがちになっていくのだと。- シニアの社会参加は何のため
日本の高齢社会の問題というのは、高齢化のスピードに個人や社会の意識、国を支える様々な制度が追いついてきていない、そんなことが大きなひずみとして存在していることだと思います。この中で高齢期を生きる我々がどう考えていくのかがとても大事で、制度にあまり頼ることもできないから、自分自身の意識も変えながら社会も変えていく構えでないと良い人生は送れない。子供たち、あるいは孫の世代に良い日本社会を残せないと考えるべきだと思います。
シルバー人材センターの歴史は古く昭和60年頃には各都道府県・市町村にできていたと思います。高齢社会白書が正式にできた平成7年頃から国も真剣に政策を考え始めたのですが、それまではシニアの社会参加なんてお節介なことは誰も言わなかった。リタイアした後は、余生を楽しんで全うするものだと。それなりの社会保障は必要だから年金があり、介護に多少お金がかかってもなんとかなるだろうと。
ところがそれがそうはいかなくなってきた。その一つは、生産年齢人口が急激に減ってくると日本社会が経済大国から転げ落ちていく。だとすると女性や高齢者にも働いてもらう必要がある。もう一つは社会保障です。社会保障財政が爆発的に伸びて危機感を持ち始め、年金は65歳まで引き上げの途中ですが、68歳までとなるかも知れません。
社会保障制度を維持するにはやはり元気で長く働いて、できれば介護や医療の世話にならず、世話になってもできるだけ短い期間で、ピンピンころりで逝きたいと多くの方々は思っていらっしゃると思います。シニアの、いつまでも元気でいたいという気持ちと、社会保障制度や経済事情とを併せて、シニアの社会参加ということが大きな課題になっているのです。 - 世代間のギャップ
昨日の新聞に、老人優先経済で日本が破綻するとありました。高齢者の就労を65歳まで伸ばすということだけでも結構投書があり、若者の新規就職を阻むことになる、若者の給料が増えないとか、このことを巡っても社会的制度が動いてきており、超えていかなくてはいけない課題です。日本の社会保障というのは仕事と一体の制度で、退職して生活ができなくなった時を支えるために社会保障制度ができていた。その意味では日本の社会保障というのは、若者の世代のことを考えなかったと言えると思います。
今日、高齢者の就労を考えるとき、若者の就労も含めて働く場をどうつくっていくか、世代間対立ではなくてどのような仕様にするかが重要で、働き方を制度的に変えていかないと克服はできないと思います。
年金などは負担をする世代が減れば給付は減らざるを得ず、昔のようなピラミッド型の構造は限界を迎えます。 - 市場経済を超えた取組
人が生きる力というのは、どこでも寝られる、何でも食える、誰とでも友達になれるという話を聞きました。問題は誰とでも友達になれる、この力が必ずしも強くないということです。このことはリタイアした人達が地域社会にデビューしてその中で自分らしい生活を作り上げていく時にとても重要な意味をもってくると思います。
今、この状況下で若干難しくなってきている若者の就労を巡って、国は政策をつくろうとしています。若者支援のためのセンターのようなものを地域社会に置くとか、就職する前に海外体験を奨励するとか、若者の移行期の問題に政策が向き始めています。
高齢者にとっても、この移行期が必要なのではないかと思います。60歳から65歳まで定年が延長されるのであれば、この5年間を地域社会に移行するための移行期として何らかの政策が組まれて良いのではないか。
交流会でよく「私たちに何かできることがありますか」と質問を受けますが、地域の中にどうデビューし、どうやっていくかについてほとんど何も伝えられないまま多くの方たちが地域に出ていこうとされています。この移行期の問題は重要で、そこをなんとかできれば地域社会に高齢者の活躍できる場をつくり出せるのではないかと考えています。
今まで経済優先で動いてきた団塊の人たちがリタイアする時、市場経済の枠を超えて社会の中で循環型がつくれるのではないか、IT社会の中で様々な取組が出てくるのではないかと思います。
高齢期というのは、市場で金銭が介在して全てが満たされてしまうのではない、それだけでは豊かな生活とならない、そんなことが肝要ではないかという感じがします。そういう意味でシニアの社会参加を考えた時、学びからの出発はとても大事なことですが、それが自己啓発だけに終わるのではなく、学んだことをどう社会にいかせるかということをもっと求めていきたいと思っています。
私はワーカーズコープ連合会の役員もしていますが、自分たちで出資して経営もしつつ働く場をつくるという運動に30年位取り組んでいます。その新しい働き方を協同労働と呼んでいますが、従来の誰かに雇われて働くというのとは違う別の働き方があっても良いのではないか、21世紀の協同組合の働き方の一つにこういうスタイルがあっても良いのではないかと問題提起をさせてもらっています。リタイア後には、自分らしい働き方、皆さんと何かをつくりだす働き方の中に、もっと魅力があるように思います。顔の見える関係、地域に密着した働き方です。
一つだけ例として紹介します。名古屋の生涯学習で大工さんの学びがあったのですが、卒業した方たち30人位でNPO「てすりなごや」を立ち上げて、リフォームの関係の仕事をされています。高齢者の家庭で手すりの取り付けから、住宅のリフォームの仕事に専門知識を活かして取り組んでいます。一定のお金が介在はするけれど、そこに参加すること、仲間を増やすこと、高齢者に貢献できる、その過程に喜びを見出されているのです。たとえ赤字でも少々の持ち出しであっても、市場という概念を超えているけれど、この方たちの生き方を豊かにしているのだと思います。
我が組織では、できれば年金プラス5万円くらいの所得があるような仕事がつくれないか、それが地域のなかに役立つのであれば自分が地域で生かされる力になるのだと、そんなことを参加された元気な高齢者の方と話し合いながら、様々な事例を追ったり支えたりという活動をさせて頂いています。
- シニアの社会参加は何のため
- 水野嘉女氏(みなと・しごと55所長)からの報告
水野:私は無料職業紹介所「みなと・しごと55」を運営していますが、その前は長寿社会文化協会(WAC)で25年間仕事をしてきました。年を取るということは決してマイナスではなく、蓄積してきた経験や知識や知恵、そしてお金も、そういうものを持った人たちがたくさんいる社会になることなのだという趣旨のもと、1988年から活動をしてきました。
実際には地域コミュニティづくりとか助け合い活動のためには自分たち自身が一定のスキルを身につけないといけないということで、ヘルパー研修をやってきました。
それを終了した人たちが中心になり、地域での助け合いの活動をやりたい、学んだことを地域にいかしていきたいという趣旨で、有償のボランティア活動をするグループを全国にたくさんつくっていこうという活動でした。- アクティブシニア就業支援センターとは
アクティブシニア就業支援センターは、東京都が平成14年に都内の各市区町村に呼びかけて始めた事業でした。今都内に14ヶ所あり概ね55歳以上の人たちを対象とした無料の職業紹介所です。厚生労働省の許可を得てやっているのですが練馬区だけシルバー人材センターが運営をしています。
私のところのアクティブシニア就業支援センター「みなと・しごと55」は、港区が区内に事業所のあるNPOもしくは公益法人を対象に公募し、平成20年度に14番目のセンターとしてできました。概ね55歳以上と言っていますが、実際には50歳以上の方を受け付けています。
みなと・しごと55は平成21年の2月にオープンし、今年5年目を迎えます。私もそうですが、昨年から団塊世代が65歳を迎えたので、たくさんの方が仕事探しに来られるかと待っていたのですが、どういうわけか最近少し来所される人が減っています。
団塊の世代の人たちは第一線で企業戦士として働いてきて、65歳になって仕事を終えたのに、そのあと仕事をするのは嫌なのではないか、一生懸命働いてきたので一休みしたいと思われているのではないかと考えたりしています。
実際の状況はというと、月平均250~300人の方が見えます。新しく登録されるのは、オープン当時は100~200人だったのですが、今は月50人位になっています。仕事は東京都と港区からの支援を受け、今年の4月から東京都、各市区町村とアクティブシニア就業支援センターとで協定書を結び、ハローワークの仕事を東京しごと財団経由で各アクティブシニア就業支援センターに廻してもらっています。
東京しごと財団には、ハローワークからの仕事が毎日2,000件位あるらしいのですが、実際に50歳、60歳以上でも採ってくれそうな企業の求人を選り出して私たちの事務所に情報として送ってもらっています。
お見えになる方の平均年齢は、男性は63歳を超えています。女性が少し若くて62歳位です。65歳というのは私たちのところではどちらかといえばまだ若い方で、60代後半から70歳にかけての人たちもかなり仕事を探しに来られます。働くということが生きがいになり、自分の役割を自覚して地域に貢献できれば良いとお考えになっている方だと思います。
働くこと自体が健康を維持することになり介護予防にもなり、ひいては社会保障費の軽減にもつながっていくのではと思います。 - 仕事づくり、居場所づくり
今年の3月に厚労省で、70歳まで働ける社会をという取組「生涯現役社会の実現にむけた就労のあり方に関する検討会」が開かれました。その際現場の状況を問われて話したのですが、実際には70歳を過ぎた方の仕事をつくるのはとても大変で、雇ってくれる会社も限られています。元気で何でもしますと言われても、企業側が積極的ではありません。私たちも一生懸命営業をしているものの70過ぎの方の仕事探しは難しいのが今の現実です。どのように高齢者の就業の場を地域でつくっていくかが課題になってくるのですが、来所される方をみて思っているのは、実際にハローワークやアクティブシニア就業支援センターの一般の求人の中から、自分に合った仕事を見つけるのは難しいという現実です。
与えられる仕事の中から自分に合う仕事を探していく方も、年金にプラスアルファで少しお小遣いが欲しいのでと言う方もいますが、そうではなく、国民年金しかなくどうしてもあと5万、10万円は働きたいという方も多くいらっしゃいます。
どうすればいいのかとこの5年間みなさんに仕事を紹介しながら考えてきたことがあります。それは、自分たちで工夫して仕事をつくって実際の収入につながるようにならないかということです。
年金があって、お金はそんなに必要ではないが、家に閉じこもりがちでお散歩以外することがないような方もいます。何人かの仲間で仕事をつくりだしてはどうかと。実際に、地域の茶の間、コミュニティカフェとか居場所をつくっている人もいます。
例えば、「三鷹の便利屋さん」というのができていますが、わくわくサポート三鷹で仕事探しをしていた人たちが何人かで始めて、草むしりやゴミ出しなどの仕事から住宅改修のような仕事までやっていこうという団体です。品川区中延にも「街のお助け隊コンセルジュ」という同じような団体があります。大工さんや襖はり、庭の手入れとか、ちゃんとした仕事として取り組まれています。もう一つ、田町と浜松町の中間ぐらいの古い住宅街の中に、港区と慶応大学のコラボレーションで「芝の家」という居場所もできています。月曜から土曜まで開いていて誰でも遊びに来て下さいという居場所になっています。
団塊世代が65歳を迎えても、意外と求職活動にくる方が少ないのは、そういうような生き方とか仕事とかを求めているからではないのかと思います。 - 社会参加のきっかけづくり
実際にはどんな求人、仕事があるかというと清掃、警備、マンション管理というのがかなり多いです。マンション管理というのも管理だけをやるのではなく、多くはマンション全体のゴミ出しをしたりするのですが、猛烈社員やホワイトカラーの人たちが少し自分の考えを変えることで比較的取り組みやすい仕事ではないかと思います。
私どもの機関紙「ふれあいネット」に掲載したホテルマンだった人の例ですが、この男性はマンション管理の仕事をしていて、ちゃんとお休みもとれ、年金プラスアルファで、一定の程度のお給料も入るこの仕事を続けていきたいと言われています。
また、これまで経理の仕事をしてきた80歳の女性ですが、一人暮らしでずっと家にいるのは耐えられないので仕事をしたい。何でもやってみると言われるので、お掃除の仕事を紹介し週に1回2時間位のお掃除の仕事を始められました。私たちも営業を通して企業の担当の方たちと仲良くなり色々無理を聞いて頂けるようになったのですが、その80歳の女性を雇って下さったのも女性の社長さんでした。
一人で毎日家にいるより出かけて行って働きたい、事務でなくお掃除で構わないと考え方を変えたら声をかけられ、今も仕事を続けています。同じようにお掃除をしている75歳の女性ですが、隣のビルのオーナーがその働きぶりを見て是非うちにもと望まれ、今3ヶ所で仕事をしています。そんな風に65歳、70歳、75歳を超えても仕事自体は探せばいくらでもでてきます。
- アクティブシニア就業支援センターとは
- 上原喜光氏(全国介護者支援協議会理事長)からの報告
上原:私が在籍している団体は、高齢者や難病の介護をしている人、高齢者の家族、パーキンソンとかADSLの介護をしている人をサポートする協議会です。
私は66歳6か月で団塊世代の一番上になります。仲間が集まると、ぼんやりしている人もいれば、何か仕事をしたいとか、色々な問題を抱えている人もいます。- 団塊世代の位置づけ
団塊の世代といわれる私たちは戦後ベビーブーマーと言われた世代です。中学校、高校を卒業して就職するのに、地方から東京や大阪へ、東京だったらいわゆる夜行列車に乗って上野駅に集まり、あちこちに散っていった。この人たちが上野駅に集まったのが、いわゆる若い根っこの会となり、進学するのに夜行列車に乗った人達は、全共闘世代と言われました。
我々は、どういう生活を送っていたかというと、まず小学校に入ったら教室が足りない。二部授業といって、朝8時半に学校に来て1時間目から4時間目までやって給食を食べて帰る。二部の子供たちは給食の前に来て、一部の生徒が給食を食べた後に座って給食を食べ、それから授業を始める。私の場合は1クラスに63人、13クラスでした。今では考えられないような環境で育ってきましたが、一つだけ世間に喜ばれたことは金の卵と称されたことでした。
先ほどの高齢社会白書にもあったように、人口の多い団塊世代が65歳になってくるのですから社会保障費も大変です。以前は高齢者を騎馬戦で支えたのが肩車になる、原因は団塊の世代である、というような形で問題視されているのです。
東京でみると、60~70歳位までの人たちの70%は地方から出てきている人です。三代続いた江戸っ子はそんなにいない。東京で就職した人も、進学で上京した人も、「ふるさと」という歌の二番の詩にあるように、志を果たしていつの日にか帰らん、と思っていた。ところが帰ろうと思った時には、田舎に自分の帰るべき場所は残っていない。そこでせいぜい車で行って墓参りをして日帰りするとか、段々ふるさとが遠くなってしまう。ではこの東京を第二のふるさとと考えた時には、ここで生活を続けていかなくてはならない。高齢社会白書にありましたが60歳以上の就労が73%、65歳以上が55.4%、合わせて60%の人間が何故60歳以上でも働いているかというと、ローン返済や生活費の不足を補うためというのが実態なのです。 - 望ましい社会参加のかたち
先ほど65歳以上の新規の登録者が少ないという話が出ましたが、私もハローワークへ実際に行って来ました。年齢、住所を書いてパソコンの前に座ると、出てくる求人は一番に掃除、二番目はガードマンで一日おき。一番高給は一週間に2回12時間乗るタクシーの運転手でした。これが悪いというのではありません。例えばハイヤーの運転手だったけれど辞めてタクシーに転向しようというのであれば。ただ、これまで30年も40年も仕事をしてきて営業なら営業、みんな専門分野があって家族を養ってきたのに、出てくる仕事、求人と完全にミスマッチなのです。
パートでもフルタイムでも皆、働きたい気持ちはもっているが働く場所がない、あったとしても自分のスキル、やってきた経験を生かせる職種がないということです。
そんな中でも50%以上の人たちが働かなければ生活できないのです。
60歳以上の就労についてどういう環境でどんな仕事をと考えるのですが、団塊の世代はどこでも寝られなかったら生活できなかったし、何でも食べられなかったら死んでしまった。友達ができなかったら、つくらなかったら会社生活で落ちこぼれたのです。我々の時代に引きこもりなんていない、ひきこもる場所がなかったからです。
今あちこちの団地が過疎化し、孤立だ、孤独死だと言われていますが、私たちが社会人になったころの公団住宅は素晴らしかった。そこにずっと住んでいる人がちょうど団塊の世代なのです。いい意味でのこの年代の特性をいかしてどうやって就労するか、あるいは足かせにならないように社会に参加していくのかだと思います。
練馬の光ヶ丘に大きな団地があり住民が3万人います。ちょうと30年位前に入居した人たちは子供が独立して、今はほとんど夫婦ふたりで、高齢化がすすんで48%位になっています。
我々の協議会は週一回朝9時から5時までその光が丘団地でサロンをやっています。コーヒーとお菓子を用意するので100円持ってきて下さいと言っていますが、1日に50~60人位見えます。そこでは特に何かやったりやらせたりはせず、世間話してガス抜きして帰って下さいという会です。そこで話に出たのですが、団地内に大きいマクドナルドの店があって朝7時から開いていて7時半になると女性で一杯、朝マックと言うそうです。そこで10時まで毎日井戸端会議朝マックだそうです。一方男性は何をしているか。朝、靴履いてカッターシャツ着て光ヶ丘の地下鉄の駅で新聞買って天気の良い日は近くの公園で読み、10時になって家に帰るのだそうです。それで光ヶ丘の地下鉄売店の新聞売上が一番多いそうです。帰ったら奥さんは町内会の用事、バザーで出かけ、旦那さんは家で待っている。では働けばいいじゃないか、しかし働く場所がない。贅沢言うようですがハローワークに行っても自分にあった仕事が見つからない。どうせなら今まで35年以上勤めた仕事を活かしたいと、そこに望みを掛けているのです。
若い人たちに、自分たちのやってきた営業経験とか、ものづくりのスキルとか、海外経験、地方へ転勤した経験等々の経験知を教える仕事はできるのではないか。それは毎日でなくても、時間制でも、3日に一度の不定期な仕事でも構わない。
そのような仕事が可能であれば、年金プラス少し足りない分が補足できる。制度として、仕組みとして、団塊世代の働くフィールドを増やす方法・工夫を、この「期待されるフレッシュ・シニア」のような会で議論し、模索するべきだと思います。
団地にしても町内会にしてもボランティアというのは長続きしないようです。ボランティアでもNPOでもすごく長続きしているものもありますが、これはかなりパブッリックなものに限られる。やはり交通費、日当、対価がない限りダメだと思います。ただ時給は800円じゃなくても200円でもいいじゃないですか。対価がないところで精力は燃やせない。だから町内会でも自治会でも役員のやり手がないのです。やっぱり対価が発生する、汗かく、頭を使う、体を動かす、ということが死ぬまでできれば、これぞ幸せの国じゃないかと、そういうまちづくりをしていかなくてはいけない、そういう議論をしていきたいと思っています。
60歳~70歳の世代は、我々だって力があるぞ、若い子をもう一回ひっぱっていく原動力になろうと。そういう目で仕事、社会参加を皆様と考えましょうよ。自分たちの歴史を振り返ったら必ず結論がでます。何ができるか「志を果たしていつの日か帰らん」ふるさとですよ。
- 団塊世代の位置づけ
会場との質疑応答および意見交換
岡本:皆さま、高齢者の三大不安というのをご存知でしょうか。社会学者の今田高俊教授は、経済不安、健康不安、アイデンティティ不安と言っています。この中のアイデンティティというのは、社会における存在意義とか自分の役割などと訳しますが、本日のテーマの社会参加と同じ意味合いをもっているのではと思います。この不安を就労という形で解消できれば、同時に収入を得ることができ経済不安も解消されます。さらに働くのは健康によいというデータもあり健康不安も解消されるかもしれません。例えば、ぴんぴんころりの代表県である長野県はもっとも高齢者が働いている県だそうです。このように就労を中心とした社会参加が高齢者の三大不安を解消する。これは近江商人のいう三方よしではないかと思います。
さて、次に掲載した上の図、楕円が二つ重なっていますが、左側がビジネスの領域、右側はボランティアの領域で、右にいくほど報酬が安く、一番右が無償ボランティアです。一番左は競争的労働市場で、高い給料をもらって働く領域ですが、ここで太刀打ちできる高齢者はあまり多くない。そこで、もう少し右に寄った現役世代を補完・応援する領域や、さらに右のボランティア活動でも有償の領域で働く高齢者が増えています。
つまり二つの楕円の重なった、ちょうどまん中くらいの領域にシニアが活躍できる場、多少の報酬もあって就労できる場があるのではと考えています。
会場A:就職前の学生の移行期間を踏まえて、高齢者にも同様の準備期間を設けたらどうかとの話でしたが具体的なアイデアはどういうものですか。
坂林:65歳まで雇用を義務化することで苦しんでいる企業もあるようですが別の考え方ができないか、その期間を例えば週三日勤務にしてあと二日は地域活動に参加し、地域デビューのための勉強を保障するようなことが社会の仕組みの中につくれないか。企業と連携をしながらさまざまなことに使える移行期とした捉え方をしてみてはという提起です。
上原:ふるさと納税制度というのがありますが、70%が地方から出てきている人たちですから、例えば往復の旅費を出すとかすれば地方の農業も活性化できたりするのではと思います。
会場B:団塊世代より一回り上の我々の時代は60歳までは働いて、それを超えた第2の人生は働かないのが当たり前だった。ところが団塊の世代は60歳過ぎても働くことを前提にして話をされているようです。なぜかというとボランティア活動をしていても60代の参加者が少ないので気になっていたのです。
上原:時代の曲がり角が10年毎にあると思いますが、以前は55歳で定年でもその後ちゃんと暮していけた。ところが窓際、肩たたきなどの言葉が出てきたように社会や退職後の環境も大きく変わり働かざるを得ない状況になってきたのです。
坂林:これまでは高齢期を生きるのに自分らしい生き方があればそれでよかったのだけれど、この人口減少社会に際して何とかしていかなくてはならなくなった時に頼りになるのはやはり地域に密着したリタイア後の高齢者なのです。どこかに就職して働くだけではなく、自ら協同組合的に仕事をつくり出していくような社会が実現すれば楽しいし元気の源にもなるのではと思います。
会場C:60歳からNPOを作って相模原で地域活動をしてきたのですが、65歳の人たちが地域に出てくるだろうと思っていたところ、なかなか出てこない。男性の参加率が女性の1~2割というのが実態だと思います。港区とは住民環境などかなり違うとは思いますが、社会参加に関しても地域間で多少の差があるのでしょうか。
水野:港区でも、働かざるを得ないから仕事を探しに来られる人がいる一方で、一応いいのがあれば働く、家では奥さんの邪魔ばかりしているような感じの人も仕事を探しに来られます。そういう方たちは自分たちのできることをまずやったらどうかと思います。
上原:地域差は確かにあるようです。町田の駅前駐輪場で職員募集をすると60歳以上と限定しても100人位の応募があるそうですから、確かに地域間で格差が出ているのかと思います。
会場D:コーディネーターへの質問です。前掲図の下の図の方に関心をもちました。人生90年時代になり65歳以降の25年をどう生きるかと考えると、キャリアを持ちあって新しい仕事を作り出していかなくてはなりません。三角形が上下に二つありますが、上の三角形は各地にある生涯大学校のこともあり得ると思います。60歳以上の人を集めてカリキュラムを組んでまちづくりに人材を送り出していますが、様々な人が集まってキャリアをぶつけあって新しい商品をつくっていくような、地域だけではなくて職域の中にもその可能性はあると思います。共生しながらそういうことをやっていかないと将来性のある楽しい高齢期にならないと思うのですが、いかがでしょか。
岡本:高齢者の活躍の場を地域でつくる、事業者が雇用の場を作り出すコミュニティビジネスが普及してきましたが、シニア自らがミニ会社を起業する、いわゆるナノコーポも増えてきています。また法人のかたちをとらないワーカーズコレクティブという数人の個人事業主が集まるような形態もありますが、こちらは圧倒的に女性が多く家事支援とか地域の課題を解決するような仕事を始めています。
会場E:前掲図の下の図に、一度きりの教育学習機会を経て、それをもとに人生を全うするのは過去のパターンで、これからの長寿社会を生きていくには一度目の教育の機会の後に二度目の機会を設けて、新たなスキルを身につけ次の人生を全うする、とあります。
図の三角形が二つとも同じ大きさなのが気になります。社会も技術も大きな変化が起きるのですから同じことをやったらいいということにはならない、そうするとこの三角形の書き方が違ってもいいではないかと思うのですが。
岡本:三角形の大きさに特に意味はありません。特に男性には、むしろ意識改革のための教育機会があった方がいいのではないかと思います。また、東京大学とUR都市機構と柏市が行っている実験プロジェクトで、地元の農家が就労の場を創ってくれているのですが、人によって農業への適性にかなり顕著な差がでるらしいのです。多少向いていなくても60から65歳の間に農業の勉強をしてもらえばもう少し適性が高まるのではないか、その位の意味合いです。
上原:60歳、還暦からもう一回スタートしてもいいではないかという意味だと思います。そこからもう一回、ベースにあるものを持った教育というようにチャレンジしていったらいいのではないかというのが上の三角形だと思います。
会場F:私は同じ三角形でいいと思います。実際に自治体の中に、技術系のものを中心にしながら専門科目を作って知識は全員で共有していけるようなシニアカレッジ、地域高齢大学校がかなり出てきています。企業の中にもこういうものができてくれば自分たちが、また同じ世代の人がどういうものを作っているか、使いたがっているかが見えてきます。日本の技術で、日本の高齢者が、すぐれた商品をつくりアジアの人たちも共有するようになっていけば、日本が海外の次の高齢者に輸出できる、残していけることもあるのではないかと考えています。
会場G:フレッシュ・シニアのフレッシュとは年齢が若いという意味ではなく年をとっていてもフレッシュであればいいということだと思います。昨年75になってそろそろいろんな役を降りなくてはと思っていましたが後を引き受けてくれる人が出てこない。ある本を読んだら、75才というのは年中組、80歳以上が年長組で60歳代はまだ仕事もあるし年少組なのだから、年中組はまだ頑張って色々な仕事をやりなさいとありました。そこで高齢者の中の年中組だと考えを改め、世話役を続けることにしました。
会場H:私も団体の世話役をしていますが75になり先のことを思うと団塊世代に登場して欲しいと思っているのですがなかなか探せないでいます。一方で、様々なNPOが育ってきてはいても、実態は玉石混交のため問題も生まれてきています。そういう状況の下で、従来のかたちで受け継いでもらってもいいし、新しくお任せしてもいい。団塊世代と共存していきたいし、彼らの個性を社会に還元していくのも我々の役割だと思っています。
上原:次に引き継ぐ世代が出てこないということですが、団塊世代は必ず出てきます。まだ我が身と感じていないのです。先輩方が引退すればやるしかない。この世代は800万人もいますからそのうち必ず出てきます。
会場I:今27歳です。経済的な余裕がないから働きたいとの話が出ていましたが65歳以上が金融資産の7割を所有していて、他は3割のなかで生活しているとの現実があります。投資でも何でもお金は使ってもらわないと廻ってこない。
何でも食べられる、どこでも寝られるというのは世代に関係なく当たり前のことですし日本の競争力と言っても、今やメイドインジャパンが通じる時代ではないと思います。これまで培って来られた経験知とかは僕らも素直に頂きたいと思いますが、何かが違うのではないか、正直なところ違和感を覚えました。
上原:個人資産の7割以上は団塊以上が持っているのは無駄遣いをしないような教育を受けてきてそれが染み付いているからです。だからお金が使えないのです。
我々が反省しなくてはいけないのは、自分たちは成功例しか言ってこなかったということです。失敗した経験から入っていくと20代30代まで話が共有できる。価値が違ってもコミュニケーションをもつことが大事だと思います。
会場J:高齢化の問題は、若者を含めた大きな日本全体の構造の中でどうするかという議論をしていかなくてはなりません。元気な高齢者が頑張るのはいいことですが、それは若者の職場を奪うのではなく働ける人は税金も払っていく、それは若者にもプラスになるという視点を失ってはいけない。世代間のことを含めて高齢者の問題を考えないとこの議論が変なことになっていくと思います。
岡本:このフォーラムはシニアの社会参加で世代をつなぐというタイトルですし、まさしくそうしなくてはいけないと思います。
私も団塊世代ですが、以前若い人から年金が出る逃げ切り世代ですねと言われたことがあります。その時は、団塊世代はまだ人生二回時代になっていない中途半端な世代だけれど、若い世代は準備期間があり、本格的に人生を二回やれて羨ましい世代だと言い返しました。本格的な人生二回時代を前に、若い人には悲観的になることなく揚々たる前途があるのだ、二回の人生なのだと考えてほしいと思いました。
水野:地域で子供も大人も老人も一緒に楽しんで知恵を出しあえる場所はお祭りだと思います。少なくなってきているようですがいろいろな世代がお金も知恵も暮らしぶりも出し合って、楽しんでいけるような世の中になったらいいなと思います。
坂林:生活保障の基本は働く場所がちゃんとあること、高齢者にとっては居場所と何らかの社会参加があることだと思います。労働行政がしっかりしていないと若者のところで、非正規で働いている人も多く失業率も高くなる。これは国の課題ですが高齢者も声をあげるべきだと思います。高齢者が資産を使わないのは社会保障に不安があるからで老後の安心が得られる年金があればお金も使う。そういう社会にするために社会保障はどうあるべきかというビジョンが示されていないのです。若者にお金を渡したくても自分の老後が安心かどうかと思うと渡せない。国のつくりかたをどうするかという決定的な議論が欠けています。しかし私たちは地域のなかで色々なミクロの問題の支えを作っていかなくてはなりませんし、そういう運動を通して知り合った人たちと議論を深めていきたいと思っています。
会場K:70半ばになっても、まだまだ人生の年中組だと思って希望を持ち、生涯現役として生きていきたいと思います。そんな希望がもてた今日の会でした。
岡本:会場の皆さまと一緒に活発な意見交換をしていますうちに、もう終わりの時間がきたようです。皆さん、今日は長時間、どうもありがとうございました。