活動事例紹介「高齢社会フォーラム・イン神戸」
「兵庫県における活動事例の紹介」
兵庫県で過去に受章された事例の中から、2事例の取組を紹介しました。
□KOBE 在宅ケア・ボランティアグループ ほほえみ(平成24年度社会参加活動)
こんにちは。ほほえみ副会長の重松が紹介させていただきます。
ほほえみグループが結成されたのは、今から32年前の昭和57年のことです。昭和50年に、社会福祉協議会にボランティア情報センターが設置されました。このころは在宅ケアに対応するボランティアのニーズも高まり、この昭和57年、第1回在宅ケアボランティア養成講座が開催されました。講座終了後の10月に、修了生67名によって「KOBE在宅ケア・ボランティアグループほほえみ」が誕生しました。その後、社会福祉協議会の養成講座を修了された方々が各区のボランティアに残り、活動をしています。
5年経過した時点で、会員制を導入しました。震災後、活動メンバーは減りましたが、状況が落ちついてきた後、徐々に増えていきました。しかし、その後、養成講座も各区の福社協にかわり、修了後は個人登録され、ほほえみに入会される方は少なくなってしまいました。昨年のメンバー総数は、男性16名、女性124名になっています。男性の会員さんを募集中です。また、会員の高齢化も進んでいますので、若い会員さんも募集しています。
平成25年度の活動年間対応件数822件、実活動者数102名、延べ活動時間に至っては7,086時間になっております。各区のそれぞれの班に、各1名、班長、副班長、会計、ニュース員がいます。ほほえみニュースは年2回発行しています。現在、ほほえみニュースは89号となっております。
活動内容は、友愛訪問、通所・通学・通院などの外出介助、家事援助、身辺生活介助、施設や福祉団体の行事協力、施設内介助、カーボランティア、子育て支援など幅広く多岐にわたっています。
今までに、平成4年、厚生大臣賞、平成24年には社会参加章を受章しています。表章の後の活動ですが、これを励みに、また頑張っていく気力がさらに湧いてきています。
ボランティアは年齢ではありません。やる気、気力です。ボランティアのメンバーは皆さんお元気です。元気でないとボランティアはできません。一病息災、少々の病気はぶっ飛ばしております。
活動状況は、各区の長年にわたる活動風景です。年代は前後していますが、この後紹介させていただきます。活動を通じて感じていることですが、介護保険が始まった前後から、施設内支援は急速に増えてきました。これからも増加していくことでしょう。また、平成11年度から子育て支援のニーズも増えています。これからも社会の動きによってニーズは変化していくことと思います。地域のネットワークを大切にしながら、何でもしてあげるボランティアではなく、自立支援に向けたいい関係を大切に活動していきたいと思っています。ほほえみ活動は、これからも続いていきます。私たち人間関係を大切にして、ともに生きるまちづくりを目指しています。
では、活動状況の写真を見ていただきます。
兵庫県のじぎく兵庫大会が学園都市で行われ、
おにぎりを作り、奈良漬けを配りました。
お米は新潟から送っていただきました。
灘区石屋川公園で、
子育て支援のお花見に協力しました。
長田区七夕祭りをみんなで盛り上げました。
須磨区、小学校でお子さんに給食介助を
しているところです。今年4年生になり、
上手にスプーンを持てるようになりました。
北班、重症身体障害児(者)療育センター
「にこにこハウス医療福祉センター」へ、
入浴後の髪を乾かしに行っています。
灘班です。特別養護老人ホームで、
日曜日、ロンロン喫茶ボランティア
をしているところです。
灘区の秋祭りです。駄菓子屋さんを行っています。
東遊園地地下の慰霊地と復興モニュメント
にて、沼津市の中学生たちに
ボランティア研修を行いました。
北班、スーパーボールすくいを行いました。
北区ボランティア祭りに参加、手芸品などの
販売のお手伝いをしました。メンバー
の盲導犬も参加しました。
灘班です。子育てフェスタで折り紙を教えています。
灘班、お祭りでたこ焼きにチャレンジです。
以上が私たちの活動なのですが、今回は神戸市の五つの区しか紹介できませんでした。各区でも、ほほえみはこのような活動を行っております。ご清聴ありがとうございました。
□山﨑 戸始子様(平成25年度エイジレス章)
【ネパール民族舞踊披露】
長寿会の皆さん、きっと、「面白い、パワーがもらえる」と言ってくださるわ。
こんなふうに踊らせてもらうようになったそもそものきっかけ、思い出すわ。定年退職後の私に、特養のケアマネのヒロコから朗読のボランティアをしてという依頼があった。でも、それが回を重ねるに従って会員がどんどん減っていくものだから、押しつけのボランティアはしたくないと言って断った。
帰りに1階のフロアを通りかかると、入所者の方たちが、たくさんでコーヒーとホットケーキ食べて、カラオケ楽しんでいらっしゃる。ヒロコが、「これだ、あんた、踊りなさい」。私も着物を着ていたものだから、それならと明治一代女を踊った。踊りながら客席を見ると、自信と確信のようなものが湧いてきた。あれから踊り続けて11年。
5年前、ある方の進言を受けて、私の踊りは「踊る戸始春、世界の踊り七変化」と銘打った。図書館でCDや書籍を、そしてインターネット、海外に行っては積極的に踊りと歌にかかわった。特別養護施設、それから老人会、自治会、障害者団体など、西宮市を中心に尼崎市、伊丹市、宝塚市、神戸市などからお呼びいただくこともある。踊り、これは私の生きがい。そして大切な活動の一つ。
大切な活動の一つといえばもう一つ、80代半ばに私の母が認知症の兆しをあらわした。そのころの私って認知症について何にも知らなかった。一緒に住んでいた弟夫婦と私、そして母は次第に奈落の底に。私はこのことを友達に打ち明けた。友達が「あんた泣いているのね、だから言ったじゃないの」。何冊かの本が手渡された。講演の案内も次々と届いた。認知症の理解は目からうろこだった。この悲しくてつらい体験は私にある活動を促した。そう、これからの活動は認知症関連にかかわる活動と。
平成22年3月、西宮市シルバー人材センターで「認知症の人とともに生きる」の講座で私は講師として初登壇。何人もの人が泣かれた。
平成24年健康生きがいづくりアドバイザー、心療回想士、そして認知症ケア指導管理士の三つの認定を取った。また、厚労省が推進する認知症サポーターキャラバンのキャラバンメイトでもある。これらは、シルバー人材センターの女性代表理事の任期が終わったら認知症関連の活動に移行するための準備だった。
そして今、その第二ステージに立っている私。市の社会福祉協議会との協働で、認知症サポーター小学生養成講座を8月と9月に集い場と育成センターで開いた。今後は小学校の福祉授業の一環としてこれを広めていくことになっている。
活動の頻度は月によってまちまち。この10月は踊り5回、西宮健康づくり推進委員として気功を1回、さくらFMで朗読を1回、社協の評議員として敬老の集い、赤い羽根などで4回、忙しかった。私にはソフトボールで国体、全日本、そして実業団で活躍してきた経験がある。身についたスポーツマンシップと健康は私の生活を支えてきた貴重なベース。このベースに乗っかって、これからもゆっくりと私らしい芸能活動にチャレンジして、幸せを売る戸始春でまいりたい。
また、認知症講座では、何でも地域で相談を受けて話し合って、皆さんの役に立つお役立ちパーソンになるという、そういうこと。それから、そのためのスタディを私は怠らない。
ところで今、私にとってなおざりにできない非常事態が生じている。100歳になる私の母は、今年に入って3回も救急車に乗った。お母さん、戦後貧しかった。子供たちはいつもおなかをすかしていた。おお、戸始子ダンス、ダンス。進駐軍のアメリカさんの前で私は一生懸命しなをつくって踊った。踊り終わると、子供たちにチューインガムやチョコレートが配られた。このことがお母さんに知れた。叱られると下を向いて立っていると、戸始子あんたは本当に踊りが上手だ、踊りの天才だ、しっかり踊りなさい。
今後の私の活動の一番は、「お母さん大丈夫、私がそばにいるよ」。母に寄り添いながらいただいたエイジレス・ライフ章に恥じないよう、自らの責任と能力に於いて自由でいきいきと楽しく充実した生活を送る高齢者であり続けたいね、お母さん。