第1分科会「高齢社会フォーラム・イン東京」
「 こうすればみんなが主役になれる ~地域も職場も女も男も~ 」
- コーディネーター
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伊藤 恭子
(NPO法人高齢社会をよくする女性の会) - パネリスト
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池田 陽子
(特定非営利活動法人JAあづみくらしの助け合いネットワークあんしん代表理事 理事長) -
野老 真理子
(大里綜合管理株式会社 社長) -
池谷 照代
(藤枝市男女共同参画推進センター 「ぱりて」 運営協議会 会長)
【伊藤】 私は、こちらの第1分科会のコーディネーター務めさせていただきます、伊藤恭子と申します。高齢社会をよくする女性の会の運営委員でございます。よろしくお願いいたします。みなさまどうぞ、前の方にいらしていただいたらいかがでしょうか。グループディスカッションもさせていただく予定でございますので、どうぞ前の方にお掛けいただくということで、お願いしたいと思います。
それでは、今タイトルにもございましたように、『こうすればみんなが主役になれる。地域も職場も女も男も』ということで、始めさせていただきたいと思いますが。私どものパネリスト、池田陽子さん、野老真理子さん、池谷照代さん。それぞれの各地からお越しいただいております。時間の節約もございますので、さっそくお始めいただこうかと思いますが、いかがでございましょうか。池田陽子さん、どうぞ。まず、お一人当たり15分ということで、パワポを使いながら、各地の大変ユニークな活動を報告していただきます。そういった流れの中で進めさせていただこうと思います。よろしくお願いいたします。
パネリスト 池田 陽子氏のお話
【池田】 どうもみなさんこんにちは。私、池田陽子でございます。ではこれから少し、私たちが主役ということでございますので、住み慣れたところで、住み慣れた家で、生き生きと輝いていきたいという、自分たちの思いを主張しながら、地域を作ってきた、そんな事例を報告させていただきたいと思っておりますけれども。私は、15分という時間を与えられましたので、15分の中では、パワーポイントを使っているとなかなか、時間オーバーになってしまうかなと思ったものですから、こんな資料を用意させていただきましたので、この資料を使いながらお話しをさせていただきたいと思います。
○“あんしん”して暮らしてゆける里づくりの目標
私どもは、特定非営利活動法人でございます。しかし、この特定非営利活動法人になったのは、25年の4月でございます。その前は、あづみ農業協同組合という中で、福祉課というところから、福祉の事業を通じて、地域の役に立っていきたいということを考え、活動してまいりました。やはり農業協同組合の基本理念っていうのは何かっていいますと、社会の役割をきちんと果たしていきたい。そして、明るい社会を作りますっていうのを、自ら地域を作っていくという思いで、協同組合は立ち上がったわけですから、そのメンバーシップのみなさん方と、どういう地域を作っていくのかっていうのを、福祉の視点から考えてまいりました。私はその福祉というところに当初は関わっておりました。私自身、JAあづみという中でもって、福祉というのは、正に平成10年の、3月から始まりました。この3月のときに、私自身が福祉課を立ち上げていくのにどうしたらいいのだろうかってことを考えたときに、当たり前に人は人として生きていくんだ、そのときに、必ず若い人は年を取るし、突然に、若いから急に年を取るわけではない。そしたらその、なだらかに、地域の中で安心して老いていける里を自らの力で作ろうじゃないかっていうところから、みなさん方の1ページのところに書いてありますように、私は、安心して暮らしていける里づくりの目標というのを考えました。
○活動地域
私たちJAあづみというのは、安曇野市と松本市にまたがっておりまして、市としましては、安曇野市は9万8000人の人口。そして松本市は24万という人口を抱えているんですけれども、その中のかつてのJAあづみという農業協同組合の管内の中で、私たちはNPOの活動を、現在はしております。なだらかに老いていく、当たり前に老いていくってことはどういうことかっていったら、若いうちは学びもありますし、働くってこともあります。
そして働く中に生きがいを求め、そして自分の生き方を追求しながら生きていきます。ですから若いうちは、一生懸命生きがいづくりをしよう。そしてこの時代を過ぎていく中で、地域の中でよりどころを作っていこうよ。そしてもう一つは、ときとしては病気になるかもしれない。ときとしては交通事故に遭うかもしれない。ときとしては障害を持つかもしれない。そんなときに、たった一人になっても、病気になっても、地域の中で老いていけるような、介護保険制度の隙間になれるようなサービスを作っていこう。そして、65歳以上になったら、地域の中で介護保険を使いながら、安心して地域に支えてもらいながら老いていく道を作りたい。これが念願でした。
それが結果としては、高齢者は先輩として、地域の子どもたちと一緒に、この安曇野市の中でどうあるべきかを探りながら、高齢者と、そして子どもたちは生き生きとこの地域の中で明るく生きていくような、それを自主的な意思を持ちながら、自立しながら共に作っていこうじゃないかっていうところから、農業協同組合の中にいるときから始まってまいりました。ですから、最後まで自宅に生きられる地域。そして、最後まで地域で暮らすには何が必要なんだろうかっていうことを、常に追い続けてまいりました。
○自らが「生き活きと輝いていたい」という願いの実現
2ページのところをご覧いただきますと、そこで私どもが作ってきたのは、今お話ししましたような、その隙間、介護保険制度に入っていく中において、本当に困ったときはどうしたらいいだろうかという、有償在宅サービス。介護保険制度では、どんどん新しい方向に変わっていきます。どんなに変化しても、地域は安心して老いていける里を作りたいために、有償在宅サービスという一つの方向。
そして、誰しもが地域の中で、隣近所支え合いながら、安心して老いていける、安心して暮らせる場所。そしてこのことをやり続けていくためには、地域の中に人材が必要なんです。このときにはどうしてこういう地域の中で私たちは、頑張って老いていかなきゃいけないんだろうか。生きていかなきゃいけないんだろうかということでもって、生き活き塾という学びの場を作ってまいりました。この学びは、ただ頭で吸収するだけじゃなくって、私たち何を必要とし、何があれば地域で老いていけるかっていうことを、考えてまいりました。そのことを考え実践していく中におきましては、私たちは、その中から、農業、そして福祉、そして食という問題を中心にしながら活動を生み上げてまいりました。
それがみなさん方の、一番最後の、4ページにございます、この絵図でございます。私たちは有償在宅サービスをやりながら、そして安心広場を作りながら、そして生き活き塾っていう学びの中から何を作ってきたのかっていいますと、『特定非営利活動法人JAあづみ暮らしの助け合いネットワークあんしん』という丸が真ん中にございます。そして、赤い色に塗ってあるところは、ふれあい市安曇野五づくり畑、菜の花プロジェクト安曇野、学校給食に食材を提供する会、ぬかくど隊、朗読ボランティア、心身機能活性療法指導士の会、童謡と唱歌の会、正に、赤いところは事業でございます。
そしてクリーム色のところは、地域で私たちが生きがいとして活動していく。この活動の一つの方向は、高齢者が地域の中で生き生き活動しながら、そのことを子どもたちと一緒に活動する。ですから菜の花プロジェクト安曇野なんかは、油を作って学校給食にプレゼントする。そして学校給食に食材を提供する会では、学校給食の野菜を作って学校給食に提供する。そして子どもたちと一緒にご飯を食べてくる。そして私たちの生きがいづくりとして、年金が少なくなっても小遣い稼ぎができるよねっていう、この五づくり畑というところで野菜を売っていく。
そんな思いで、少しずつ私たちはこの中から、小遣いを稼ぎながら、生き生き暮らす、生きがいを見つけています。
○あんしん広場
右側の端っこのとこにあります、あんしん広場でございます。あんしん広場っていうのは、高齢者の寄り合い所です。この寄り合い所のところでは、お茶を飲んだり、いろんな活動しています。そこのところでどんどん、10年も12、13年も続けてまいりますと、どんどん高齢者は年を取っていって、お買い物にも行けなくなります。ですから私たちは、自分たちの力で、このご用聞き車あんしん号というのを買いました。170万円でした。これは正に、自分たちの活動費と、そして寄付と、そしてまかないまして、なんとかこのあんしん号を買って、地域の高齢者が困っているところへ出かけていきながらやってまいりました。
○あんしん有償在宅サービス
左側のところにあります、あんしん有償在宅サービスは、介護保険制度の隙間を埋める活動としてやってまいりました。その下のところにございます、介護予防日常生活支援総合事業は、今年度から、介護保険が緩和されてくる中で、軽度な要支援、要介護の人たちにとっては、大変今、どこへというよりも地域の中で、安曇野市なり松本市内で、地域の中でどうぞ面倒見てもらってください、こういうことになりましたので、私どもはここで、この事業者としての資格を取りまして、介護予防日常生活支援事業総合事業も受けて、正に、老いていくための道のりを自分たちで作り続けてまいったところでございます。
○「特定非営利活動法人 JAあづみくらしの助け合いネットワークあんしん」の誕生
なぜ私たちは、NPOに歩みを切り替えてきたのかっていうと、私たちは安心して暮らせるという思いを継続していくために、2ページのとこにございますように、変化こそがニーズ。そして、私たちは地域のニーズを受けて、こうあってほしい、あああってほしいという思いを貫いていく。その中においては、私たち自身としては、NPOになることによって、この一つの思いを、継続的に事業的に進めていく。そのことを考えたときに、私たちは安曇野市へお願いしまして、市長さんに提言書を書いて、地域でこういう生き方をしたいんですって申し上げまして、私たちとしては拠点づくりに着手しまして、28年の4月に地域支え合いセンターをオープンしました。寄り合い所、支え合う場、仕事づくりの場、参加する場として、今生き生きと活動をしております。
今現在は、この場所ができたことによって、生活支援整備体制、そして拠点介護予防事業者としての位置づけもいただきまして、民生委員さんとか、区長さんとか、地域の方々と一緒に、安曇野市というこの地域の中で、私たちはどうやっていったら高齢期を生き生きと輝いて生きていけるのだろうかっていう道のりを作り続けてまいりました。
○住民の支え合いの仕組みづくり
3ページの2番目のところにございますように、住民の支え合いの仕組みづくり、コミュニティへの第1歩って書いてありますけど、私たちは確かにあづみ農業協同組合という一つの器の中でやってまいりました。しかし、地域の人誰でも参加できるというNPOという道のりの中に、もう1歩を踏み出すことができました。そうしましたら、やはりこのNPOが、地域の役に立っていくためにはどうしたらいいだろうかっていうところから、先ほどお話ししましたような、生活支援整備体制事業の中の生活コーディネーターとしての役割をいただいていたり、介護保険改正の中において、新しい総合事業への、訪問型サービスのAだとか、通所型サービスのAだとかCだとかというようなことをやりながら、私たちは地域において、元気な高齢者をつくっていく。そんな思いを重ねてまいりました。
○立ち上げたときの想いを基本に、活動を継続させる
今年で福祉課が立ち上がりまして、約20年でございます。なだらかに老いたい、当たり前に老いたいと言って作ってきたことは、3ページの4番目のところに書いてありますように、立ち上げた思いを基本に活動を継続してまいりましたら、私たちは地域包括ケアシステムの中の一員として、地域支援の役割をきちんと果たしていけるだろう。それは、介護予防は地域づくりへの副産物と書いてあるのですけれども、今までの介護予防の姿から、これからの介護予防の姿はこう変えていくよっていう中においては、社会参加として高齢者が生きがいをもって生きていく。そして、居場所集いの場、支え合いの場、これは、子どもたちが当たり前に安心して育っていける場になっていけるだろう。
最後のとこに書かせていただきました、私たちが自分たちの思いや願いを実現できる場所で、生きがいづくりや健康づくりや仲間づくり、そして、地域の文化づくりを通じて、安心して暮らせる里を作り続けたい、そんな思いで、私たちは住み慣れたところ住み慣れた上で、生き生きと輝いていきたい。正に、自分たちが主役、主体になって作り続けてまいりましたこの活動を、報告させていただきます。以上でございます。
パネリスト 野老 真理子氏のお話
【野老】 みなさんこんにちは。千葉県の九十九里浜から来ました、大里総合管理の責任者の野老真理子といいます。仕事は不動産業、建築業、管理業。仕事をして、会社を作って44年目に入りました。私はそこの2代目経営者です。年商でいくと5億円ぐらいの会社です。社員さんは25人ぐらい。外で働いてくれている、現場を受け持ってくれている社員さんたちもいるんで、その人たち合わせると、大体50人ぐらいになりますが。この50人の構成はですね、65歳以上の人たちが半分います。そして一番年上の人は90歳。90歳の人も半日だけ働きに来てくれています。私は社員さんたちの弔辞は自分が読むと決めています。何回も読んできましたけども、どんなふうに頑張ってくれていたのか、そんなことをそういう場所で話すと、家族の人たちに喜んでもらえて、家族の人たちにもその活躍を知ってもらうことで、とってもいい関係になってると思います。
残った人たちはどんな人かというと、母子家庭の人だったり、ハンディキャップを持っている人だったり、それから一度、刑務所だとか、そういうとこにお世話になって戻ってきた人だったり、薬物中毒の人だったり、ありとあらゆる様々な人たちが、残っている、もしくはそうじゃないところの能力を生かしてくれて、この会社を支えてくれています。大体ここに来る理由っていうのは、うちの会社が地域活動、私たちは地域貢献活動という言葉を使いません。企業の一つとして地域に暮らす、仕事させてもらう企業の一人として、この地域で様々な課題は、我が課題じゃないか、こんなふうに思って、一緒になってやろうっていうふうにしてきましたので、その数が300を超えているって状態です。
大体不動産業ですから、アパートを斡旋したり、もしくは新築を立ててそれを売らせてもらったりっていうところでの仕事を本業とするとですね、本業を43年間赤字になったことありませんけども、赤字にしないように社員さんたちが頑張ってくれている、本業が大体、労働時間の中で6割ぐらい。4割は平均すると、4割の力は、社員さんたちが地域活動をしてくれている。そんな会社です。
例えばですね、会社の中にはグランドピアノがあるんですけど、地域の方が入ってきて、「大里さんいいわね、グランドピアノがあって」なんて言う。私たちは掃除を通して気付く訓練をしていますので、その方がなんでそんなことを言ったかな、そうしてよくよく聞いてみると、お嬢さんが一生懸命大学まで出て、「ピアノ習ったけど就職するときにはピアノを使えないのよ」、こんな会話から、もったいないな、生で音楽聞けないのにな、弾けないのか、ということで、その方に、ピアノを弾いていただく。我が社にはたくさんの音楽活動がありますけど、そういう方たちが。チェンジする。余裕がなくてすいません。私の言葉で想像してもらっていいですか。そういうことで、例えば昼休み、場所がない、どこでやるんだってなると、昼休みは仕事が止まっているわけですよね。そうすると、仕事として使われてない空間としてあるんだっていうことで、今度は昼休みになると、どこともなく地域の方たちが入ってきて、演奏家の方が来て、演奏されてまた帰ってくる。ないっていうんじゃなくて、あるっていうふうにすると、本当にある。そういう活動をたくさんしています。
もう一つ、2階では、地域の主婦が日替わりでシェフになるレストランが、もう10年以上やっていますけども、これもまた、2階で小さな台所で、私たちがご飯を作って食べてたら、「大里さんいいわね、みんなでご飯食べれて」、こんなふうに地域の方が言われました。よくよくその方に聞いてみると、そのご飯もそうなんですけども、よくよく聞いてみると、ご主人が現役でお子さんが一緒に同居していたときは大きなお鍋で作ったのよ、あっという間になくなったのよ、でも今はご主人が退職されて、お子さんが独立されて、小さなお鍋に作っても何日も残るのよ、こんな話をしてくださって。
その話から、「ああ、この方お料理が上手なんだ、お料理好きなんだ。作れていないことを嘆いているんだ。」地域では、手作りのものを食べれない人がいっぱいいるのにっていう、こういうことにつながり、その方にお願いし、その方と同じような方を募集し、地域の方が日替わりのシェフになってレストランをするっていうので、それもまた10年以上続いている。
つまりですね、人と出会って、その人が抱えてる悩みや、要望や何かを聞き取りながら、その人を主人公に、その人にその課題を解決する側に立ってもらうという、そういうサポート、支え、そんなことをしながら、一つの地域活動を生み続けていって支えていくっていうことで、その周りの人が、それを利用してくださる。そんなかたちの地域活動が300を超えている状態です。
通常ですと、利益になるかな、これは仕事かな、社員さんだったらそうやって判断するでしょうけど、こんなことを続けているということですね、うちの会社の社員さんたちは、巡り合った人たちの、いろんな話をしたときに、これは大切なことなのかな、自分たちにできることなのかな、そんなふうに判断してですね、自らがやり始め、それでも残業なんか一人前の仕事があるわけですから、それはそれで、朝に晩に伸ばしながら、なんとかクリアしていく、この世にブラック企業って言われて批判されてるけれど、私は自分の会社を、明るいブラック企業だって思っています。
一人一人が自分の仕事としてそれを大切にして、そのことが結果として、労働時間が長くなっていくっていうこと。その人たちは誰かの役に立っているっていうことで、やり続けてくれてることに、ありがたいなっていうふうに思うし、彼ら彼女らが不幸な顔しているかっていうと全然していなくて、そんなことを、どっかできちんと話す機会があったらなあというふうにも思ってます。
今日はみなさんの中に、資料として、うちの会社でやってる様々な地域活動のいろいろな資料を持参しました。例えばこんな、地球塾なんていう、これもあると思うんですけど、今50人の人が先生になってやってくれています。我が社は不動産会社なんですけども、例えば接遇しているとき以外には、そこの場所は空いている。会議室も会議していなければ会議室は空いている。コピー機でも、我が社がコピー機を使っていなければ、コピー機は空いている。事務用品も机も、会社で仕事していなければ空いてるじゃないかっていうことで、この全てを地域の人たちに開放しています。
地域なんて言葉もあんまりイメージとして、一人一人がそういうニーズを持っていたら、どうぞお使いください。収益を伴う事業の方がお使いになるときは、いくらかいただく。だけども、地域のために、活動されるために会議をするのよなんていうことは、無料で開放しています。ですから、我が社は片っぽで不動産業の看板はかけていますけども、地域の方たちは、我が社を不動産業だと思って来ません。明るい公民館のように、会議室を使い、もしくはレストラン食べに、もしくは小物を飾ってある場所に行きっていう。
この地球塾もですね、団塊の世代の方たちが地域に帰ってくるって言われた頃、ご相談を受けまして。「うちの亭主ずっとうちにいるのよ、なんとかしてくれない」なんていう会話を面白がって、その方とお話ししたときに、サラリーマン時代に培ってきたもの、もしくは趣味や特技でやってきたもので、何か提案できるもの、みんなに教えてあげられることないですかなんて話をしたら、みんなそれぞれ持ってまして。今50人のそういう方たちが先生になって、最高齢は90歳の方です。この方、奥さん亡くなって20年経つんですけども、こないだ結婚したんです。素敵な話でしょ。やっぱりみんなに伝えたいなと思う一つなんですけど、中国茶のことを塾で教えてくださっています。その生徒さんと、20歳下の生徒さんと結婚されて、会社の中で、みんなでお祝いしたんですけども、そんなふうに、一つ一つ。
私はですね、誰もかれもが、一人一人が自分の人生の主人公だと思っています。主人公として生きるためには二つの要件が必要だと思っています。一つは、仕事でもいい、趣味でもいい、特技でもいい、なんでもいい、何かやるものを持っているということ。
そしてもう一つは、それを分かち合える仲間がいるということ。家族だけじゃなくてもいいから、友達でも知り合いでも誰でもいい。それを分かち合える。この二つを、きちんと巡り合った人が、この人はこの二つ持ってるかな、持ってないとしたらここが足りないからっていうかたちでコミュニケーションしながら、その人を主人公にするドラマを作っていくということが、結果として、一つの不動産会社が、こういうところでこういうことを話させてもらうことにもつながるし、そのことがきっかけになって、不動産の売上にもつながっているということ、本当にありがたく思っています。うまく説明はできませんでしたけど、このぐらいで。
パネリスト 池谷 照代氏のお話
【池谷】 私は、藤枝市男女共同参画推進センター運営協議会の、池谷といいます。どうぞよろしくお願いいたします。私は二人とはちょっと違った視点で、公の立場で男女共同参画を推進しているということで、事例発表をさせていただきます。お手元の資料はですね、覚えがたくさんありまして、盛り込みをしすぎましたので、きょうはこちらのパワーポイントでご説明をさせていただきますので、ぜひこちらをご覧になってください。
○男女共同参画の啓発活動について
それでは最初にですね、藤枝市男女共同参画センターぱりて運営協議会の概要についてお話しさせていただきます。私たちが藤枝市で男女共同参画の啓発を始めてから、24年から25年が経ちました。男女共同参画という言葉は平成11年の6月23日に、男女共同参画社会という法が施行されまして、それ以来使われている言葉なのですが、この法は21世紀の少子高齢社会に対応するために、今までの社会の仕組み、例えば慣行とか風習を見直して、そして人権を尊重しつつ、性別や年齢、障害のあるなしに関わらず、個性と能力を発揮して、責任も幸せも分かち合いつつ、共に社会を支えるという法律でありますので、当たり前のことなのですが、メディアで取り上げることも少なくて、男女共同参画という言葉も意味も認知度が低くて、これは課題だというふうに思っておりますが、でも今の若い世代では言葉も意味も理解していなくても、いろんな行政の施策によって、すでにもう実施をしているところでございます。
○男女共同参画センターの運営方法について
それでは男女共同参画センターの運営方法について、少しご説明をさせていただきます。ご承知のように、運営につきましては、公設民営方式と公設公営方式というのがあります。通常は公設民営方式の民営というのは、委託を受けた指定管理者が仕事として運営しておりますが、藤枝市男女共同参画推進センターの運営につきましては、基本法に基づき、公の立場で、自主的に自由な発想を持ち、公設民営で運営をしておりますが、この公設民営の民営は、行政が、私たち女性の活力に運営を委ねるという、女性のやる気で貢献をしておりますので、雇用の場にはなっておりません。
今現在、静岡県内の男女共同参画センターというのは6施設あるんですが、これは市や町では基本法によりますと、努力目標というふうになっていますので、6施設が果たして多いのか少ないのか分かりませんが、その6施設のうち、公設公営が3施設、公設民営、指定管理者で運営しているのが、政令都市の浜松市と静岡市の2施設、それから私たちがいる藤枝市の公設民営なんですが、これは女性団体が運営していることで、1施設になります。どうもこの公の機関で、任意の団体で運営しているっていうのが、どうも私どものところらしくて、これが大変特徴的だというふうに言われています。
○藤枝市の女性活動団体の誕生の経過について
それでは藤枝市の女性活動団体の誕生の経過について説明をさせていただきます。平成6年の当時、その頃全国的に、婦人会の組織がなくなりまして、藤枝市では女性団体の組織が必要として、市内で活動している女性の団体に呼びかけがありました。それぞれが参集してみなさんで行政の説明を聞いた後に、連携が必要ですねということで、趣旨に賛同しまして、平成6年5月の30日に、藤枝女性の会が誕生いたしました。
そのときの構成は、団体数が30団体、会員数は延べ人数で1500人です。藤枝女性の会の活動なのですが、当然いろんな活動団体が入っていますので、それぞれ目標が違っておりますが、藤枝女性の会としましては、藤枝市への協力事業として、平成6年開催の、静岡の女性ミリオンフォーラム藤枝地区大会、そしてその翌年の、静岡の女性ミリオンフォーラム中央大会に参加をしまして、ここで初めて、男女共同参画を学びました。
○藤枝市男女共同参画推進センターの開設経緯
男女共同参画社会基本法が、私たちが自治法とか女性史なんかを研究したり学んでいる中で、平成11年の6月の23日に、男女共同参画社会基本法という法律が施行されました。女性の会が発足した当時はですね、それぞれの女性の活動の場というのが、会員の自宅であったり、それからファミレスであったり、公民館だったりしていたものですから、大変不便だということで、藤枝女性の会の総意として、女性の活動センターを行政のほうに要望をいたしました。そしてその要望が、藤枝女性の会の長年による願いが叶いまして、平成14年の6月の25日に藤枝市男女共同参画推進センターが開設されることになりました。当初行政のほうは、センターの運営については、藤枝女性の会に委ねるということになっておりましたので、私たちはこのセンターが開設するに伴いまして、新たに藤枝市男女共同参画推進センター運営協議会というのを立ち上げまして、そこで藤枝女性の会は、これが行政でいうとてもいい言葉だそうですが、発展的解消ということで、ぱりての運営協議会に移行いたしました。
○藤枝市男女共同参画推進センターぱりての特徴及び事業の紹介
それでは、だいぶ前置きが長くなりましたけれども、申し上げたかったことは、団体の立ち上げについて少し変わっていましたということと、それから公の機関で、任意の団体が運営しているってことが大変特徴であるってことを聞いていましたので、お話しをさせていただきましたが、それではここで、藤枝市男女共同参画推進センターぱりての特徴及び事業の紹介をさせていただきます。初めに、先客万来なんですが、開館以来、平成23年まで、多くの方たちが来館してくださいました。特に全国の市議会議員、それから地方公共団体、基礎自治体の職員、その他の方が研修に見えられまして、ぱりての施設運営とか、それから事業企画が、大変特徴的だというような指摘を受けました。私たちは自主的に活動していますので、当たり前のことだと思っていましたから、気付いていませんでしたが、ぱりてが開設して2年後、平成16年に静岡県男女共同参画社会づくりの団体の部というところで、静岡県知事褒章を受けまして、今もそれが私たちの励みになっています。
それではここで、ぱりての事業をご紹介させていただきます。一番特徴的だと思われる事業は、藤枝市各種審議会、そして委員会に参画をすることです。またその後に、会内の報告会も行っておりますけれども、これは今、現在15の市議会に参加をしていますが、女性として、またシニアの立場で市政に提言をしております。また報告会の中では、それぞれの委員さんたちが提言した内容を、運委委員会の全体の共通認識を持って、いつでもだれもが市政に活躍できるスキルの場を学ぶ、スキルの場として、年3回開催をしております。
それでは提言した中で、反映された審議会についてご紹介をいたします。まず最初に、藤枝市の方向性を示す総合計画ですが、選ばれるまち藤枝創生会議、藤枝市総合計画審議会兼藤枝市まち・ひと・仕事創生総合戦略ですが、多くの提言をさせていただきましたけれども、その中で特に、藤枝市の潜在能力と課題とか、藤枝市に脈々と引き継がれてきた歴史、伝統、知的資源について、また藤枝市には、市民がまちを支える仕組みがあります、などということを提言させていただきまして、それを反映していただきました。
その次に、藤枝市社会福祉協議会ですが、これは藤枝市と社会福祉協議会と、計画書がほぼ同じものが1冊ずつありましたが、これを無駄ではないかということで、藤枝市社会福祉協議会っていうかたちになりまして、1冊になりました。社会福祉協議会ではいろんな問題がありますが、きょうは多分みなさんのまちと同じようなことだろうと思いますので省かせていただきます。
その次に、藤枝市地域公共交通会議ですが、これは毎日バスに乗っておりますので、課題が大変見えてきます。高齢者のこれからの交通手段として、なかなかどこのまちでもこれが一番赤字になっていましてネックなんですが、今後高齢者の移動の手段とした公共交通であろうということで、いろんな提言をさせていただいております。
まず中では、乗車率、どれくらいの人が乗っていて、それがどれくらいの利益があるか、今は収支率に変わりましたが、そういうことを何パーセントにするかっていうことなんかについても、いろんな意見を出させていただいておりまして、今現在それで提言が通っておりまして、進めさせてもらっていますが、最近の出来事ですと、藤枝市にたまたまお見えになった方が、移動の手段として、駅前のタクシーを利用されようとされたんですけれども、今はどこもそうだと思いますが、ドライバーが少ないですね。タクシーもなかなかそこに常駐していませんでした。それで寒空の中お待ちいただいているものですから、すぐに担当課に連絡をいたしまして、タクシー乗り場のところに、タクシー会社の名前と連絡先の電話番号、これを掲示してくださいということでお願いしましたところ、さっそく掲示がされておりました。
それから藤枝市の介護・福祉プラン21推進協議会ですが、これは基本法が施行される前から、また介護保険制度が導入される前から、こういうことは話し合いをされているんですけれども、その中で、いろんな話をさせていただいております。こちらのほうではですね、ときには女性の立場で、シニアの立場ではなくて、女性の立場として提言をさせていただいておりますが、特に分科会においてはですね、事業所の開設とか更新、それの承認に当たっておりますので、そのときには利用者の立場になって、快適に過ごすために、衛生面や災害時の避難路についても、それから地元のみなさんとどんなふうな関わりを持っているか、それから同性介護についても、事業者とヒアリングをしながら、改善すべき点を条件としてつけて、承認をしております。
それから藤枝市総合病院運営懇話会ですが、一番鍵になるのは診療報酬だと思います。今藤枝市では黒字会計になっておりまして、それは事業管理者と病院長が別々になっていて、それぞれ役割分担を持っていて、一時は本当に赤字だったんですが、今黒字になっておりますが、でも今後診療報酬によっては、またそれは問題になってきます。したがって、私の立場としましては、市民の期待と希望を提言をさせていただきますが、最近とても些細なことなんですけれども、診察室に高齢者用のステッキを置くホルダーを付けていただきました。それから患者さんが自分の症状の経過を正確に先生にお伝えできるために、患者さんがいらっしゃる、目の前にカレンダーを置いていただいて、正確に先生にお伝えをしたいということで、カレンダーを置いてくださいというふうにお願いしましたが、それもすぐにやっていただきました。
○藤枝市男女共同参画市民フォーラムについて
それでは、藤枝市男女共同参画市民フォーラムについてご紹介をさせていただきます。これからの事業、ぱりてが主催する事業につきましては私たちの思いを込めてですね、人、輝け、未来づくりというのを永遠のテーマにして活動しておりますが、この藤枝市男女共同参画市民フォーラムはですね、360人という方においでいただきますので、年間事業の最大のイベントというふうにして考えております。360人収容をするということになりますと、そのときに340人、20人くらいの、もし360人に満たないときであってもですね、会場がご覧のようにひな壇になっておりまして、講師の先生からはですね、20人の空席がすごく目立つんですね。360人ないと本当にご講演していただくのが申し訳ないような気がいたしますし、いつもそうなんですけれども、集客には本当に苦労をいたします。もし360人を超えますと、消防法によりまして、超えた人たちには退場していただかなきゃならないということもありますので、その他の事業もそうなんですが、集客人数には大変苦労をしております。15、6年前になるんでしょうか、今日お見えになっていらっしゃいます樋口先生を講師にお迎えしたときには、今でいう炎上っていうんでしょうか、2、3日の間に500人くらいの申込がありまして、それを360人でどこで切るかというのに大変悩みました。でもせっかく講演を聞きたいというみなさんですので、地元のテレビ会社に来ていただきまして、ホールから、二つの会議室にケーブルを引きましてですね、そして会議室のほうでは画面を見て講演に参加をしていただいたというハプニングがありますが、それ以降は360人集客するために大変苦労をしているところです。
それから市民ホールの中で、特に講師の先生の言葉で、今もぱりてでは実践している言葉がありますので、それをご紹介させていただきますが、それは、挨拶上手は生き方上手。男は太るな、女は転ぶな。信じよう、元気でいればきっといいことがあるという言葉です。だんだん長寿社会になってきますとですね、3世代とか若い世代と同居していますと、なんとなく高齢になったために迷惑になるんじゃないかなあという思いも、私たち高齢者の中にあるんですけれども、そうではなくて、元気でいればきっといいことがあるって信じて、明日を生きていきましょうというお話しですが、7、8年前に聞いたお話しですけれど、挨拶上手、本当に生き方上手だと思います。今学校の中で、朝先生とか保護者の皆さんが校門に立って、みなさんにおはようと言う挨拶運動をしておりますけれども、本当に挨拶上手は生き方上手だなあというふうに感じております。
それから、男は太るな、女は転ぶなだというふうに思っておりますので、私たちはこれを実践しているところです。それからこの市民フォーラムにはですね、毎年著名な講師にお願いしていますので、後で参加者のアンケートを見ますと、藤枝市でこういう先生のお話しを聞くなんて信じられませんでしたと、そしてとても幸せですというようなお話しを伺ったり、アンケートにあったりですね。それから必ずまた来てくださいというラブコール。でも毎年同じ講師にお願いをするわけにはいきませんので、その辺が、何年か先にまたお願いをしているというようなところなんですが。本当にラブコールが多いですね。それからまたもう一つはですね、必ずアンケートの最後にですね、ありがとうございましたという言葉が添えられてあります。これは当然講師に、いいお話しを伺えました、ありがとうございますという謝礼もありますが、私たち実行委員会に対してでもね、多分ねぎらいの言葉ではないか。というふうに思っておりますので、集客人数には大変苦労をするところではありますが、みなさんが喜んで、男女共同参画を学んでいただいた、そしてそのことがですね、私たちの次への励みになっているところでございます。
○ぱりて市民大学の活動
それでは次に、ぱりて市民大学っていうのをやっております。このぱりて市民大学っていうのはですね、ぱりてでは、男女共同参画は当たり前のことだと思っておりますので、それぞれみなさんが考える力をつけて、自立をすれば、自ずと男女共同参画は理解できるものだと思いますので、私たちは究極な男女共同参画の目的は、市民のボトムアップにあると捉えていますので、市民大学ではその年々の課題を学んでいます。
直近の事業をご紹介させていただきますと、平成27年には戦後70年の年に当たりましたので、歴史と事実、これは大事なことだと思いました。そしてその得たもの、失ったものについても、2回シリーズで考えました。また平成28年には、選挙権の一票の格差と価値について。また平成29年、今年ですが、選挙権が18歳に引き下げられまして、全国で模擬投票が行われましたので、果たして模擬投票をしただけで、主権者教育って言うんでしょうかねということで、これも講師をお招きいたしまして、学んでみました。
それから毎年ですね、年度初めに、藤枝市長と会う機会を設けまして、市政を身近で感じていただくために、直接市長から、その年の施政方針を伺っておりまして、私たちはこの年、どんなふうに生活をしていったらいいのかというヒントをいただいております。
○ぱりて講座について
それからぱりて講座ですが、直近の事業からご紹介をいたしますが。このぱりて講座はですね、ぱりて市民大学より身近な課題を取り上げています。平成27年度では、マイナンバーが導入されましたので、マイナンバーっていうのは、私たちに必要なのということで、学びました。また平成28年には、1億総活躍社会というのはどういう社会なのかねということで、1億というのはどういうことなのかねってことでお話しを聞きました。それからこの年には電力が自由化になりましたので、選択の自由にはなったけれども、選択をして大丈夫なのかね、継続ができるのかねっていうことで、それについても講師をお招きして学びました。平成29年、今年ですが、長寿社会になって老後はみなさん、在宅で暮らしたいっておっしゃってますけれども、在宅で暮らせるためのサービス、それから地域包括ケアについても学びました。細かいお話しはすいません、今日は省かせていただきます。
それからもう一つ、ぱりて講座では、市民大学では市民から直接施政方針を伺っているんですが、ぱりて講座のほうでは、地元の選出議員から県政報告会を開催をしております。ちなみにですね、今年決まったことですが、静岡県の県会議員の定数なんですけれども、今年1増2減というふうに決まりました。今藤枝市は人口が増えておりますので、この1増は、今私の地域では2人選出されているんですが、それが3人になったということで、より県政が身近になったというふうに捉えています。
それではですね、その他の事業としまして、たくさん事業をしておりますが、その他の事業といたしましては、はい、時間すいません。それではですね、時間だそうですので、すいませんこちらのほうをご覧になってください。特に行政相談会ではですね、毎日の暮らしの中でお困りごとなんかをですね、民間ではなく、民間で解決しようとするとトラブルが起こりますので、行政相談員の方においでいただいて、解決をしております。
それから最後にですね、私たちスタッフの関わりなんですが、みなさん65歳以上。そして70代80代とシニアになりました。でも中にはですね、会員の中には、この3月で103歳になる方もいらっしゃいまして、その方からいつも、女性が公のところでもって頑張って意見を発表してくださいってことを言われておりまして、そのようなエールを受けながら、私は高齢者だからできる、シニアだからできる特権っていうものがたくさんあると思いますので、その特権を活用しながらですね、これからも藤枝市の男女共同参画社会実現に向けて、みんなでチャレンジしていきたいと思っております。すいません、時間が超過したそうです。ありがとうございました。
牧野氏のお話
○介護離職の状況について
【牧野】 みなさんこんにちは。今日は5分で活動の報告をということで。介護離職のない社会をめざす会という団体の代表の一人として活動させていただいています、牧野といいます。共同代表にはこちらの樋口恵子先生とか、元連合の会長さんとかいらっしゃっています。
今日のテーマは、いつまでも輝いて生活できる社会づくりということですが、私自身はもう20年近く、在宅介護でも、家族の支援ということに取り組んでおります。昨今、在宅介護の風景がずいぶんと変わりまして。高齢者、老介護、認介護の問題と同時に、非常に介護者の年齢が若年化しているという傾向がございます。特に40代50代の働く世代の介護という問題が大きくクローズアップされているところでございます。若い人でいうと20代から両親の介護で離職しちゃったという方も、我々のようなところには相談に来られています。誰にも相談できず、情報も得られないで、仕事をぱたぱたと辞めてしまったと。ある調査によりますと、介護始まって1年の間に半数が離職しているというような結果もあるぐらいです。
国の調査では、現在約10万人の方が介護で離職しているということでございます。2015年の秋には、内閣官房から、介護離職ゼロの政策というのが打ち出されまして、様々な介護と仕事の両立支援制度と、厚生労働省のほうも今、介護者の支援相談体制づくりということに取り組んでおられます。
この状況を受けまして、昨年の3月に、この介護離職のない社会をめざす会が結成されました。幹事団体としては、連合さんですとか、介護職、あるいは自治体の労働組合さん、それから高齢社会をよくする会さんと、NPO、それから介護者支援団体、大体14団体が連なって、この問題にどう取り組むのかということを論議しております。この問題というのは一つのセクションで解決できる問題ではなくて、企業であるとか、介護事業所であるとか、それから行政、それから地域、みなさんのような地域を担う人々、当事者も含めて、様々な人たちが手をつないで議論しながら考えるというテーブルが必要だというふうに思っています。特に若い方が離職をするということは、非常に本来生きるべき能力が、社会に生かせなかったりですとか、人生の様々なハッピーな機会を失ってしまったりですとか、ご本人にとってもですけれども、ひいては国にとっても大きな損失であることは間違いないと思っています。
この会では介護人材の確保であるとか、それから介護職の処遇改善、あるいは介護者の新しい支援政策など、厚生労働省、国に対して提言を行ったり、意見交換を行ったり、あるいは議員さんたちの政策討論を開催したり。いろいろなことをやろうとしております。介護を担ってストレスによって心身が疲弊して、仕事どころではない、心や体を病んでしまっている人たちも非常に多くいらっしゃいまして。特に生活困難になっているという若い方も、私たちはたくさん知っています。今いろいろな政策が始まっていますけれども、特に企業さんでは介護セミナーを早くからやっていただいたりですとか、いろいろ取り組んでおられますけども、すでに離職しちゃった方々の復職支援というのは、まだまだ、何も始まっていないというのが現実です。こういう方々に対しての支援や手立てっていうのは、非常に一刻を争うことではないかというふうに思っています。
この会では今年の秋に、少し啓発の大きなイベント、特に働く人を対象としていますので、新宿駅ですとか新橋駅ですとか、そういう大きな駅の前で、ちょっとしたキャンペーンを行おうと、そんなことを考えておりました。樋口先生の等身大の人形を置こうかとか、いろいろ考えておりますけれども、そういうことで、社会的なキャンペーンを行うつもりでおりますので、みなさん方も、これからの若い人たちの住みやすい社会をつくるっていうのは、我々の責務ではないかなと思っておりますので、ぜひこの活動や運動に、なんらかのかたちで応援していただければと思いまして、この発言の時間をいただきました。どうもありがとうございました。
パネルディスカッション
○事業の参加費について
【池谷】 池谷です。今お二人のお話しを聞きながらですね、私は男女共同参画を推進するという立場ですので、みなさんに男女共同参画を理解していただくということで、ときには見学会なんかは自己負担がありますけれども、事業については、全部無料でみなさんに参加をしていただいておりますが、お二方の活動が大変パワフルでいらっしゃいますが、そういうときの事業の参加費なんかについては、どんなふうにされていらっしゃるのでしょうか。
【池田】 NPOあんしんでございますけれど、当初私たち、JAあづみっていう中から、組合員教育活動としてスタートしました。その組合員教育活動っていうのは、農協の中にあれば当たり前に組合員の人たちのために、農協がお金を出して活動するっていうのが、どちらかというと20年くらい前までの、福祉課の活動が始まるまでは私はJAの中の予算の中でやってきたというふうに思っています。
しかし、協同組合の本来の姿っていうのは、学びたいことをまず学んだら、自分たちで知恵を出し合いながら考えていく。ですから、自分たちが考えたことを実行するにあたっては、やはり自分たちの学びの代金も、そして実践する代金も、自ら地域を作るために出し合おうじゃないかっていう活動をやり続けてまいりまして、NPOという大きな一歩を踏み出すかたちになったんですけれども、やはりもちろん、NPOというかたちになりますと、事業をやりながら、自分たちでもってお金を生み出していく。そして、メンバーシップを集めながら、メンバーの中からもお金をいただいていく。
そしていろんな行事をやりながらも、そこにお金をいただきながら、この地域に役に立つ事業運営を、更に進めていくっていうことでございますので、私たちは何もかも一つ一つの事業の積み重ねは地域の方々から会費をいただいて、勉強したい仲間たちからいただきながら、それを事業し、そしてまた逆に地域のためにお役に立っていうような活動を生み上げ、継続していくっていうふうに思っておりますので、活動の経費っていうのは自己負担、自己参加の中でさせていただいている。そんな感じです。
【野老】 うちもそうです。300の地域活動を会社が持ち出してやることは一切ありません。一人一人が主人公になるっていうのは、そこに責任も伴うだろうっていうふうに思っております。その責任を取る楽しさっていうのは、会社が奪っちゃいけないっていうふうに思っていますし。
例えば毎月100人規模の勉強会をずっと、120回ほど今も続けていますけども、参加者から1500円ぐらいいただいて、100人で講演会として成り立たせてますけども、そういうものも、きちんと集めてそれを成り立たせるという力をつけることが、この永続するのに必要だと思って。これは経営者としての感覚ですけども、事業を成り立たせていくっていうのは、もう一つそういうものの持続するための力づくりっていうのは、一人一人に大切じゃないかなと思って。たくさんの音楽活動もやっていますけども、その全てが、うちの場合はそれぞれで黒字になっています。
よく補助金をもらってやるフォーラムなんか見るんですけど、やりました、結果的には人は集まってませんっていうようなこと。だけど報告書には、きちんとこんなふうになってますっていうのを、仲間内のを見てですね、これ20回やっても力つかないよなっていうふうに思うときはあるんですね。例えばうちの会社でやっているところ、会場費はもちろん、会社は不動産業ですから、それで会場は会社のものですから、いただくことはないけども、1個1個の講演会にしても音楽会にしても、きちんとやっていって10年経ったときの市民力っていうふうになったときに、全く違うものができてるっていう、私は実感があります。一人一人、もっともっと自由になって、いろんなことをこれもやろうあれもやろうっていうところに、この裏付けされる力が持ってるような気がします。以上です。
【参加者A】 違うということを認めるというのが、こういう活動では非常に大事ではないかと。排除しないということですね。というお話しがありました。それから場所がない、いろんな活動すると、集まるところがない。それをどうやって確保するか。小学校なんかは使えないかみたいな話がでまして。その後、私まだ、実は現役なんですが、今年定年を迎える人間なんですけども、現役時代からですね、特に男性は引きこもりがちになってしまうので、現役のときから地域に出る練習をしなくちゃいけないんじゃないかと。それを始めるのに、行政もそういう制度を設けたらどうなんだと。学校で教育ボランテイアとかをやってみるとかですね、そういう制度を作ってはどうかと。実は私の周囲の人間見てても思うんですけども、定年なった途端にやることがなくてというか、やりたかったことも、いつでもやれるとなるとやりたくなくなるという。呆然としてしまう人が非常に多くてですね。
なので、現役時代から、何かやるようなきっかけを、そういうのも制度として、行政も取り組んだらどうかと。それで、実は企業人としても、地域を知ってることは、本当はすごく、事業をやるにつけても役に立つはずなんです。そういうことも気づきながら、啓発活動をやっていくべきではないかという話とか。子どもの頃からボランティア等をやるような教育プログラムをもっと充実させて100年人生を、子どもの頃から考える。シニアになってもどうするかというのは考える、そういう長いキャリア教育というのをもっと充実させるべきではないかというような意見が出ました。以上です。
【参加者B】 それではご報告申し上げます。私たちのグループは、男性が2人入っていただきまして、牧野先生も加わってくださいましたので、まず最初、介護の離職の話を問いかける方がいらっしゃいました。介護離職については、家族が離職することも問題だけれども、介護従事者が離職する側面も無視できないと。家族自体が様々な形態の家族があるので、一番ふれられていないケースの例では、介護専門職の方が家族の介護をする場合の、日所に別のストレスがたまると。介護従事者自身がそういう愚痴なり相談する場が意外にないんだということを、牧野先生もアドバイスしてくださいまして、それからずっといろいろな話があったんですけれども。結局大きなテーマとして、居場所づくりということ。それが中心に話の流れになっていきました。
男性のこのお二人も、とても地域で活躍してらっしゃるんですけれども、居場所について、例えば野老さんのように、会社が提供してくれるとすごくいいよねっていう話もあったんですが、公民館の職員の方もいらして、なかなか男性はそういう居場所というか、男性向けのプログラムを実施しても参加が少ないと。男性のこちらの方は、いろんなプログラムを実践してみたけれども、参加者が、男性の場合は1人だったり2人だったり成り立たないことが多いと。ですから、男性がもう少し地域の主役になるといいんではないかと。男性が参加する場合は、大体3割ぐらいは関心を持ってくれるけど、あとの7割はほとんど無関心であると。そういう人たちを閉じこもらずに、どうやって地域に引っ張りだすかと。そういうことが今後の課題だろうというような話になっていきました。男性に人気のあるプログラムとしては、男女半々ぐらいになるのは、合唱とか陶芸。それから盆栽も人気があるということです。
それから、高齢者の一人暮らしになると、男性の場合は一番それが問題になってくるっていうのは、今までのお話しでもありましたけれどもやっぱり料理ができないと駄目だろうと。公民館で料理教室をやってみたけれども、男性の方は喜んで調理なさるけれど、終わった後は洗い物が山のようであると。そういうとこから教育していかないと難しいんじゃないかなっていう話もありました。それから、今人気があるのは、ノルディックスティックっていうんですか、ポールスティックっていうのは、男性にも女性にも人気があるというようなことでした。それから、子ども食堂の話も出たんですが、それもやはり居場所づくりの一つとして、男の人たちがお料理をして、子どもたちに提供をすると、そういう教室を、子ども食堂をやっているという、そういうお話しも伺いました。男性がもう少し地域に参加して、自分たちが地域でも主役だというふうな意識が芽生えてくれればいいんじゃないかなっていう、雑ぱくな報告ですけど、以上です。
【参加者C】 私たちは、男性がお一人。なかなかいろいろ、映画界のこととか、要するに場づくりとしてのベンチ。いろいろなところにベンチがほしいとか、そういうことを、どのようにしたらうまく、場をつくって輪をまとめていくかというようなお話、それから北欧諸国の現状はどうなっているというお話を伺いました。以上です。
【伊藤】 ありがとうございました。午前中に、藤原先生のお話にございましたように、企業を卒業されてから、渋沢栄一さんが、実業家として、大成功を収め、その後社会に役立つということで、地域への福祉の道を随分歩まれていらした。そして、日本にそういう意味での貢献をしてくださった。じゃあ今の実業家たちは一体どうなんだろうか。その気持ち、心、何人かの方たちはいらっしゃるかもしれませんけれども、今日壇上に上がって発表してくださった野老さんも、多分その、渋沢栄一さんに匹敵するような、そういう実業家としてですね、大成功を収めていかれるのではないかというようなことも、そこのグループでは話し合われてたということも、ご報告させていただきます。
そういう気持ちがなければ、社会福祉の道というものが確立されていかない、温かい気持ち。障がい者も健常者も、みんな。ですからここは、こうすればみんな主役になれる。地域も職場も女も男も。正にそういうふうな図式が描かれた会場になったかと思います。そして加えるならば障がい者。そして、健常者も障がい者も共にということが別のグループから出されておりました。今後はそういうふうな、更に広がりを持たせることになるのかなあって思いました。
今日は、まれに見る雪の日となってしまいましたが、これほど多くのみなさまがお集まりくださったことに感謝して終わりたいと思いますが、その前に一言よろしいでしょうか。藤原さんがお話しになられた、絵本の語り部の方の話の中に出てきました山崎翠さん、実は20日にですね、新しい本を出されまして、出版記念会があったんですね。奇しくも藤原さんから山崎翠さんのお話が出て、私はどきんとしたんですが、私の友人でございまして。昔から絵本を読み聞かせして48年になります。
そして最近、いろいろ日本のことを考えると、個人の尊重ということが見失われがちになってるんだろうかということに思いを馳せて、絵本で感じる憲法というようなタイトルの本を出されたんです。それが今、にわかにいろいろなかたちでブームを呼びつつありますが、憲法っていうことが出ると、絵本の語り部たちも、これ政治の問題じゃないのって言われて、なかなかとっつきにくいっていうことがあるようですが。
というわけで、こちらのグループの方の満足度がいかがだったかということを危惧しながら、お時間を前にして、終わらせていただきたいと思います。みなさま方から何かご意見等ございましたら、5分ほどございますがいかがでしょうか。今日はこのような会場に、このようなテーマで設定させていただけましたことに、関係者のみなさま方に感謝申し上げて終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。