活動事例紹介「高齢社会フォーラム・イン八戸」

「東北ブロックにおける活動事例の紹介」

□東北ブロックにおける活動事例①(青森県上北郡六戸町 武田 茂)

〈要旨〉平成29年にエイジレス章を受章した武田茂様から活動事例紹介
教員の時に見た生徒の押し花の色をきっかけに、自然界の植物固有の色を出す押し花を学び、現在は保育所や老人 クラブ、三沢基地のアメリカ人家族、高齢者大学で押し花を教えている。今後も人と人との絆を深め、実践し、また後継 者の育成に励みながら、健康長寿のために活動を続けたいと発表いただいた。

〈活動事例発表〉

○活動を始めた時期・きっかけ

武田 茂氏の写真

 ただいまご紹介にあずかりました、青森県六戸町の武田茂でございます。発表に先立ちまして、一言、お話しいたします。私は、生まれも育ちも山形県東根市で、また学校は大阪、神奈川県、東京、そして就職先は山形県庁、青森県庁、そして、青森県の教育庁のほうに落ち着きました。そういうふうに移動しながら歩いているものですから、イントネーションや言葉がかなり雑種化しております。非常に聴き苦しい場面もあるかと思いますけれども、極力、頑張ってお話ししたいと思います。ご了承のほどお願いします。それでは発表に移らせていただきます。

 日頃の活動についてですが、私は教員なので、理科・数学担当で生徒と一緒に生活しました。その中で、生徒への長期休暇、特に夏休みのときには1人一つの理科研究課題を与えます。地方の子どもの特徴だと思いますけれども、ほとんどの研究がまず35%ぐらいは植物の標本、研究物を提出します。その提出物を見ると、押し花が非常に多いのです。その押し花の共通点が、茶色とか黒で仕上がっているわけです。生徒の作品を見てびっくりして、茶色と黒に仕上がっているということは押し方だなと思って、私も押し花にはあまり関心がなかったのだけれども、電話帳とか雑誌に挟んでやってみました。すると、やはり生徒と同じような黒や茶一色の仕上がりになるわけです。

武田 茂氏の資料スライド1:活動について

 どうしてこういう仕上がりになるのか。自然界にある色、つまり青とか赤とか、花であれば赤とか黄色とか、そういう色で仕上がらないのか。そういうことに着目して研究に励んだのですが、昭和38年頃だからカラーというのはなかったです。テレビも カラーでなくて白黒。図書館に行って辞典や辞書等を調べるとカラーはあるけれど、人工着色です。絵の具で染めたもので、やはり実物、自然界のものとはダントツの違いであったということです。私は、簡単に自然界の植物固有の色を出せないのかというところに着目して没頭しました。それで、日本中で聞きました。ですが、日本中どこ見ても、本格的に押し花はやってないのですね。

 私は山形にお盆とか正月に帰るので、お盆に帰ったときに仙台に行ったら、4年に1回の花の万博が開かれていたので、そこに足を向けて責任者に聞いたら、「東北地方とか関西ではない。東京でも、今やり始めたのであまり進んでいません」ということでした。廊下にカラーのきれいな自然界にある色の押し花の額が4、5枚展示されていまして、「よしこれだ、簡単に私もやれるんだ」と思って、「2、3日ぐらい勉強すればいいのか」と聞いたら、「3年、4年かかりますよ」といわれました。よし私やりますと。そこで、冬休みとか夏休み、春休み、長期の休みに、東京に3、4年通いました。

武田 茂氏の資料スライド2:おもな活動状況

 技術を習得して一応作れるようになって、いろいろ自作で作ったものを生徒に見せたりするとやっぱり「これはどういう風にして作った」とびっくりします。これはちょっと難しいから後でゆっくり教えるよ、と。実物を額に入れて、それだけ展示しました。町のいろいろなイベントに個人的に展示しているさなかに、やはり話が広まって、異様に参加希望者が出たと教育委員会で教えられました。いろいろ先のことを考えようと思って、退職5年ぐらい前から町の教育委員会に相談して、文化協会に加入しました。文化協会に加入したら、やはり希望者が50人ぐらいいて、ちょっと1人では教えきれないんですね。それで1カ月に4回、4交代ぐらいにして教えた経緯があります。

 そこでまずびっくりされるんですね。自分の花壇その他にある花と同じ色に出ると。それで子どもたちに作品を作ったりしました。それから教育委員会の中のいろいろな研究会とか講習会などに誘われて教授しました。やはり黒の押し花を見ているので、びっくりして、これはどうしたんですか、写真ですかと言われても、カラー写真がなかった時代です。これは手法でいけるものですよ、とそういうお話をして、実際に始めたのは昭和45年、46年あたりから本格的に取り組みました。指導の資格も得ているので、生徒、教室みたいなものを抱えて、大体、常時、35~36人の方を抱えて、ボランティアでやっています。今もずっとボランティアで、報酬はいただかない。私の持っている力を皆さんに吸収させて、生涯作り手個々で楽しんでいけばいいというのが私の信念ですから、お金はもらわない。そういうことで今も続けているところです。

○活動状況

 主な活動ですが、4枚ある写真のうち一番左の上は、これは、押し花教室に通っている生徒の作業風景です。その下は、保育所の「親子押し花教室」という名前を付けて今も毎年やっているのですが、親子でやっている風景です。

武田 茂氏の資料スライド3:学習イベントと施設での活動

 それから、右上は奥入瀬郷の老人クラブの方の押し花教室です。それから、こういう活動をしていると新聞記者が来て、これは東奥日報だと思いますけど、取材して新聞に載せる。こういうことから、また「うちのほうでも何とか」と来るわけですね。だから現在でもかなり県内を歩いています。

武田 茂氏の資料スライド4:三沢基地ジャパンデーの体験活動

 その状況の一つですが、三沢基地ではかなり前からジャパンデー、つまり日本の日といって、日本の文化を基地の中のアメリカのかたがたに伝承する会があります。これも今年は30人ですが、大体私は20年ぐらい、現職のときから通ってやっています。ただ1人ではできない。基地の中でやると、アメリカ人の家族というのは日本人みたいに1人2人ではない。基地の中の家族もかなりいますので、大体平均4、5人。そこの家族が一回に全部来るのです。いくら小さい子どもでも、やれれば自由にやらせて手伝わない。花は私が押したものをセットして、一人一人に包んで、1日やっていれば大体150~160人来ます。そういうことで、しおりとか葉書とか、去年あたりは額を作りました。そういう活動をしていると、アメリカの基地の司令官賞を、感謝状をいただいて、すると意気が上がってまた頑張るということです。なので、習っている生徒さんも連れていって、一緒にやります。

武田 茂氏の資料スライド5:高齢者大学での押し花講座

 次は、高齢者大学といって、近隣の各市町村の講習会になり、これは青森市のものです。その下は、種市町(現在の洋野町)ですかな。それから上のほうは六戸町の様子です。下は作品です。だからこの作品も、ただ単に一つの葉書なんかをやってもあまり魅力がないから、私はいろいろ考えます。これから出ますけれど、こけしにしたり、貝です。アメリカ人は帆立貝の殻をきれいに煮沸して脱色させて白いものを作ると非常に喜びますね。そういう自然のものを使って、基地あたりで使う。紙でなく、そういうものもやっていて、たまたまジャパンデー以外にこの地区のグル ープに依頼されて行くこともあります。ただ、そういうときは言葉に通訳を付けてもらうのですが、「あなたがたも英語を少し勉強して、あなたがたでやればもっとできますよ」と言われました。暇がなくて英語もあまりしゃべれないですが、単語がぽとぽとぐらいでは駄目ですね。こういう仕事をするとき、やっぱり会話を勉強していかないと駄目だということで、いま英会話を勉強しているところです。

武田 茂氏の資料スライド6:世界のラン展などへの出展作品

 これは、自分の作品ですが、東京の世界ラン展ですね。ランでなければラン展に出せませんから。上は教え子が「結婚式でブーケをもらったので、先生やってください」と言うので、一つのブーケから、三つか四つ作ります。短いから鶴をやりましょうと。「黒いのはなんですか」とよく聞かれますが、鶴の黒い部分はアケビの花です。本来、紫だけれど、押せば真っ黒になります。「先生、足の部分は何を使っているんですか」と聞かれますが、これはランの花の咲いているところを落としてやると、足はちょうど、南天の足は鳥に似ているので、それを使います。だから買ってくるものはなくて、ほとんどもうその辺にあるものを使って作ります。

武田 茂氏の資料スライド7:その他の展示・出展作品

 それから右のほうは、私の友達がランの栽培をやっているので、その方からいただいて、このカーテンのような下のものも自分で工夫をして染めるんです。中学校辺りの図画工作の時間でやるんじゃないでしょうか。そういうことで、工夫すればこういう波を打ったカーテンのようなものができる。それに、ちょっとその辺の人たちが持っていないものを友達からいただいてつくる。それだけでも普通の植物と違って、ランというのは難しい。ランというのはかなり水分を含んでいるので、花を放って置いてもなかなかしおれないんですね。というのは、気孔の数が他の花の100分の1ぐらいしかないんです。他の花が100あったらば、ランの呼吸する孔は三つ四つしかないのです。だから長持ちするのです。

 次は桜です。遠田市の官庁街の日本百選道路の脇の桜をイメージしてつくっています。大体、2000個ぐらいの花を使っています。右は外国の花ですが、ちょっと難しくてこのヒゲの部分を押すのが大変です。ブラックキャットというシンガポールの花です。

○今後の活動

 今後の活動としては、ここに挙げた四つの活動を柱として、私はいま頑張っております。人と人との絆その他を深め、実践、それから後継者の育成に励んでおります。最後になりましたが、人の心に響く潤いと癒やし。こういう活動をしていると健康長寿に結びつくのではないか、と思って頑張っております。以上です。

武田 茂氏の資料スライド8:今後の活動について 武田 茂氏の資料スライド9:最後に

□東北ブロックにおける活動事例②(名川UUクラブ 中村 貞一 (青森県三戸郡南部町))

〈要旨〉平成25年に社会参加章を受章した名川UUクラブ様から活動事例紹介
 UUクラブは、男の料理教室がきっかけで結成されたが、現在は女性も加わり、毎年行う花見ウォークの準備や指導、過去には記念植樹も行っている。奉仕活動ではサクランボ祭りの前の道路のごみ拾いや除草も行っている。さらに、年に数回日帰りウォークを開催し、健康で長生きするために、ボランティア活動、奉仕活動とともに様々な健康イベントを開催していると発表いただいた。

〈活動事例発表〉

○誕生の経緯

中村 貞一氏の写真

 青森県南部町名川UUクラブ第4代会長の中村貞一です。スライドは南部町を象徴する流れである馬渕川です。UUクラブが誕生したきっかけは、男の料理教室です。料理教室が終わったときに、このまま別れてしまうのは忍びないということで結成されたものです。初代会長は元、町の教育長。副会長は元、町の助役。そうそうたるメンバーですが、会員の中には警察官とか、あるいは消防隊とか自衛隊、あるいは学校の教員など、いろんな職業の退職者で構成されました。会計を担当するのは元郵便局長。懇親会で大いに活躍するのは元飲食店やカラオケバーの経営者、こういう方です。それからバスケットボールやテニスの元国体選手も入っていました。

 男だけで最初はスタートしたのですが、話を聞いて女性も入りたいという声がたくさん出てきまして、結局は3年目ぐらいからまとまってきちっとした活動ができるようになりました。会費は年間1人2000円です。あとはその都度集めます。皆さんもおそらくそうだと思いますが、UUクラブのUUというのはなんですか、とよく聞かれます。よく考えたもので、楽しく愉快にUU。温泉に入るので、湯に入ってUU。最後はこの人生を悠々。これがUU十訓というもので、私たちの心にしまっておく言葉で実践しましょうということでございます。

中村 貞一氏資料スライド1:UUクラブの誕生 中村 貞一氏資料スライド2:UUとは何か

○活動内容

 毎年5月4日、南部町で花見ウォークというのをやっています。UUクラブ員も参加してスタッフになっております。UUクラブの会員が準備体操、それからウォークの指導とまではいきませんが、スタッフになって進めております。UUクラブの事業はたくさんありますので、今はやっていませんが、前に3年ぐらいやりましたのが、記念植樹です。小学校1年生に入学する生徒ですが、南部町からバスでみんなを集めて、代わる代わる集めて記念植樹をするのに、小学校1年生ですから手伝ってやらなければなりませんのでUUクラブ員が全員出て、一緒に植樹しました。

中村 貞一氏資料スライド3:活動内容 中村 貞一氏資料スライド4:活動内容

 次が奉仕活動です。私たちは奉仕活動とボランティア活動を区別しています。奉仕活動は、サクランボ祭り前の道路のごみ拾いとか除草、草取りなどです。UUクラブの帽子もあるのです。帽子に書いてあるUUはちょっと見えないかもしれません。次は、これも町の事業ですが、応募してタイトルにあるような事業に頼まれてといいますか、歩き方の指導をしたときのものです。おそらく皆さんの中にも毎日歩いている人がいると思いますが、要するに膝を伸ばすということです。この機会に皆さんにも説明しておきたいと思います。

中村 貞一氏資料スライド5:活動内容 中村 貞一氏資料スライド6:活動内容 中村 貞一氏資料スライド7:活動内容

 次は、年に2、3回になりますが、日帰りウォークです。町外、県内外、ウォークに行っています。
24年間も毎年やっていますので、さてこの写真はどこでしょうかという問題です。一番下にあります。秋田県は横手になります。大森公園のサクラソウ、芝桜ということでございます。次ですが、この絵はどこでしょうか。これは私たちがちょうど1カ月前、9月13日に一泊旅行で行った場所です。青森県ではありません。後ろは太平洋です。これで分かった人がかなりおられるんじゃないかと思います。

中村 貞一氏資料スライド8:活動内容 中村 貞一氏資料スライド9:活動内容 中村 貞一氏資料スライド10:活動内容
中村 貞一氏資料スライド11:活動内容

 また、軽スポーツということで、私たちがやっているのはパークゴルフ、グラウンドゴルフ、カローリング。年に1回はやっています。もちろんカローリングも室内のカローリングですので、冬季間は海洋センターのフロアでやるわけです。海洋センターに暖房も組みます。各大会に賞品を出して実施しています。

 健康で長生きするために、今、はやりの言葉が三つあると思っています。一つは、エアロビクス。二つ目は、筋力トレーニング。三つ目はストレッチングですね。健康で長生きするためにこれが必要だと言われています。

中村 貞一氏資料スライド12:活動内容

 私たちUUクラブは、エアロビクスはウォーキングで、ストレッチングは準備体操の中に含まれますので、これは、筋力トレーニングです。ちょっとカメラを気にしている方がいるようですが、男性がやっているのが腹筋、それから女性は背筋と腕ということでございます。年に1回、各自が家でやっているものの締めくくりの反省として実施しております。

 次は、最初のスタートの料理教室ですが、これは年1回、今でも続けております。それから健康測定、血圧の測定は毎回です。それから、血管年齢、体脂肪、骨密度の測定は年1回、保健所さんの協力をいただいて行っております。


○名川UUクラブがめざすもの

 最後のまとめになりますが、表章後の活動です。やっぱり活動の意識が高まったということで、どんなに年をとっても褒められるのはいいことです。

 UUクラブが目指すものは何かといいますと、私たちはPPK運動と言っていますが、ピンピンコロリでございます。PPK運動を目指して毎日活動しているということです。今後の課題は、一ついえば、会員数が減ってきていることです。なんといっても1年に1個ずつ年を取っていきますので、どうしてもやむを得ないことだと思っています。

 最後に私もUUクラブの会員として今思っていることは、まずやってみることです。それから2番目は、迷ってもやめるな、進めということです。これだけの年齢になりますと、そんなに無茶なことはできません。最後にこの写真は、大臣賞をいただいたときの記念写真です。賞状と盾があって、これも一泊ウォークのときに使ったものです。ご清聴ありがとうございました。

中村 貞一氏資料スライド13:表彰後の活動 中村 貞一氏資料スライド14:活動内容 中村 貞一氏資料スライド15:ご清聴ありがとうございました