友近 規さん
子供の死を乗り越えて障がい児スカウティング活動に貢献。
名前(年齢) | ともちか ただし 友近 規さん(80歳) |
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地域 | 松山市 |
活動概要 | 長男の知的障がいにより、ボーイスカウトの活動に参加するようになった。それから40余年、子どもたちに「価値ある休日の提供」が自分の責任と使命であり、この活動を絶やしてはならないと、活動を続けている。 |
(注)年齢は、平成26年4月1日時点
知的障害を持った長男のために。
長男が知的障害児であったことから、ボーイスカウト連盟の「障がい児スカウティング部門」に参加するようになった友近規さん。実際に参加してみると、障害を持った子供たちが楽しく生き生きと活動している姿に、とても感動しました。
その時「価値ある休日の提供」が自分の責任と使命であると考え、昭和52年に「松山第36団」を立ち上げ、活動を始めました。
「年間50回の集会」を目標にし、「価値ある日曜日の提供」を合い言葉に余暇活動の場づくりと、障害児・者に対する一般社会の理解を深めるために、積極的に活動を進めてきましたが、長男が15歳で急性白血病を患い、入院わずか40日で他界してしまいます。
一時は活動をやめようかと思った友近さんですが、一緒に参加して活動してきた仲間たちに対する責任を感じ、「休むまい、継続すべし」を信条に活動を続けることにしたのです。
年間50回の価値ある日曜日。
年間50回と一言で言っても、一年間の日曜日は52回ですから、友近さんは、ほとんど毎週日曜日を子供たちの活動に当ててきたことになります。
友近さんは「一週間ごとに楽しみに参加してくるスカウトの姿を見るにつけ、価値ある日曜日の提供が彼らに対する責任と使命であり、この活動を絶やしてはならないと自分に言い聞かせてきました」と語ります。
昭和62年度に松山市長から知的障害者更生援護功労者表彰を受けた友近さんは、平成7年度には愛媛県知事からも知的障害者更生援護功労者として表彰されました。さらには、平成14年度、障害者自立更生者等厚生労働大臣表彰を受けるなど、その活動は高く評価されています。
さらに障害者の活動の場を広げていくために。
平成7年から、松山市の知的障害者相談員としても活動を始めた友近さん。平成11年からは、松山手をつなぐ育成会副会長として、障害者等の相談に応えるとともに生活安定にも貢献、保護者からも厚い信頼を得ています。
「障がい児スカウティング」活動も率先して行い、現在でも「年間40回以上の集会を図る」を目標に、平成24年度も合計47回を開催し、目標を達成。
「今後も年間40回以上を目標に、『松山第36団』の輪を広げるために、新会員の参加呼びかけを行っていきたい」と語ります。