前川 明人さん
短歌講座の講師や歌集の発表により地域文化の発展に寄与。
名前(年齢) | まえかわ あきと 前川 明人さん(86歳) |
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地域 | 長崎県(長崎市) |
活動概要 | 現役引退後、短歌講座の講師を務めるとともに、修了生により結成された「れもん短歌会」の指導者となり、20年間に亘り、合同歌集「檸檬」を発行。また、現在も、各短歌会のの運営に参画し、短歌の選考を務めている。 |
(注)年齢は、平成26年4月1日時点
終戦直後の被爆地長崎で。
終戦直後の昭和21年被爆地長崎で、前川明人さんは歌誌「短歌長崎」に入会し短歌を始めます。
「短歌長崎」は、戦時中も県下で唯一発刊を許可されていた短歌誌の継続誌で、地方文化の推進を旗印とする主宰者の意志を反映したものでした。前川さんは、ここで18年にわたって短歌を学びました。
昭和27年に日本歌人クラブ会員となり、昭和36年有志らと超結社の短歌研究グループ「渦」を結成します。
その後、短歌会「未来」・「歌の実」・「幻桃」等に所属し現在に至ります。
定年退職し長崎に戻ったのを機に地域文化活動に率先して携わり、大正時代に長崎歌壇に影響を及ぼした斎藤茂吉の足跡を長崎の文化財産として顕彰。平成11年以降合計28回にわたって歌誌「幻桃」に斎藤茂吉に関する連載を寄せています。
また、退職後の61歳で歌集「褐色山脈」を、65歳で「黄砂の周囲」、74歳で「空間」、77歳で「円型」、81歳で「破裂」と精力的に歌集を発表。「空間」は長崎県文学賞を受賞しています。
短歌会を結成し後進の育成に尽力。
平成6年秋に始まった長崎市中央公民館での短歌講座で講師を務めた前川さんは、講座修了後に修了生に呼びかけて「れもん短歌会」を結成。修了生56名中、20名が参加し新しい短歌会が生まれました。
「れもん短歌会」は、前川さんが講師となり毎月2回の勉強会を続け、平成25年には20年記念大会が盛大に開かれました。
また、「れもん短歌会」では、前川さんが発行人となり、毎年、会員の作品を集めた合同歌集「檸檬」を発行するとともに、長崎市中央公民館主催の「公民館まつり」に参加し、会員の色紙、短冊、写真等を展示するなど積極的な活動が行われています。
地域文化の発展に尽くしながら、さらに先を目指す。
平成6年に、当時機能的に不十分な状態であった長崎県文芸協会の事務局長に就任。「県文芸大会」の運営発展のために4年間尽力。また、現在は長崎県文学賞選考委員の選出を務めるなど、地元長崎の文化発展のために活動を続ける前川さん。
「地域文化活動の発展、推進にこれからも鋭意取り組んでいきたい」としながら「所属短歌会『未来』『幻桃』等に毎月発表している作品をまとめ、早期に第7歌集を発行したい」と意欲を語ります。