河野 輝明さん 79 歳
現代文化の普及活動に奔走 自身も全国最高賞を受賞。
短文芸が古くから盛んな国東
大分県国東(くにさき)市は、古くから短文芸が好まれており、多くの句会が存在するほど俳句文化が盛んな地域です。そこで育った河野輝明さんも、小学校高学年で俳句を始め、高校生の頃には新聞に投句するほど俳句を詠んでいました。
河野さんが退職した平成8年、国東地域で、いくつかの俳句愛好者団体を統合し、新たな団体として俳句だけの主宰誌を刊行しようという機運が高まり、河野さんを指導者として国東市中央公民館俳句教室が発足しました。
現代俳句全国大会で最高賞に
国東市中央公民館俳句教室のリーダーとなった河野さんは、地域の文化協会、大分県現代俳句会に加盟し、俳句文化の普及活動に奔走します。主な活動は市内外の祭りやイベント、定期講演会などの句会主催やその入選作品の選句など多岐にわたり、俳句と人生に関する演題での講演依頼も多く、小中学校の外部講師としても活躍しています。平成26年まで県内新聞の読者文芸俳句部門の選者を12年間務め、現在も多くの個人添削希望者の要望に応えています。
また、自身の創作活動においては、平成25年の第50回現代俳句全国大会において、河野さんの詠んだ句が、全国から集まった15,444句から選ばれて最高賞に輝きました。
「雑煮食うも骨をひろうも箸の国」
この作品は、火葬場で遺骨を拾ったとき「食事も遺骨を拾うものも同じ道具を使うことに不思議な感覚を覚えた」「その1年後、対照的な慶事として雑煮を食べる姿が浮かんだ」という体験から詠まれました。生後100日のお祝い「お食い初め」では赤ちゃんに箸で食事の真似ごとをさせます。それを皮切りに日本人は死ぬまで箸と共に生きます。俳句のなかで「人間の一生を描こう」という河野さんの思いから生まれた俳句です。
一人でも多くの方に俳句の素晴らしさを
「私の喜びは、一人でも多くの方に俳句の素晴らしさに気づいてもらうこと、俳句の心を深めてもらうことです。80歳を迎えますが、感謝の気持ちを忘れず、創作活動、普及活動に取り組んでいきたいと思います」と語っています。