池田 政晴さん 90 歳
合唱仲間と良い音楽生み出す。人間性を磨く。生きる力になる。

長年のブランクを経て蘇った「歌いたい」という思い

ステージでの池田さん

 池田政晴さんは、北海道帝国大学合唱部に所属していましたが、終戦の年に肺結核を患い、その後しばらくの間は声を出すことから離れていました。
 その学生時代の合唱から長年のブランクの後、移住先の霧島市( 旧牧園町) で、病状を改善させていくなか、地元の合唱団からの誘いを受けました。これを機に「また歌いたい」という気持ちが池田さんの中に湧き上がり、そこから様々な音楽活動を再開することになりました。

リーダーシップを発揮して一致団結した合唱団づくり

登山道整備作業中の中尾さん

 昨年36回目を迎えた霧島国際音楽祭の支援に、池田さんは様々な形で携わってきました。特に昭和60年からは霧島国際音楽祭のボランティア組織である「霧島国際音楽祭牧園友の会」を発足させ、その会長としても活躍しました。
 地域の3合唱団が合併して「合唱は愛」を合言葉に誕生した「混声合唱団グリーンエコー」の昭和63年の発足以来、その代表としても合唱団を率い、特に鹿児島県合唱フェスティバルでは10年以上連続して金賞を受賞するなどの功績を収めました。その中で平成10年には九州地区代表として全日本合唱コンクール全国大会に出場し、銅賞を受賞、また3回の県知事賞を受賞するなど、今や「混声合唱団グリーンエコー」は鹿児島県を代表する合唱団へと成長する輝きを見せています。

病院やホテルなどでコンサート地域密着型の活動も

 「混声合唱団グリーンエコー」は、発足当時から合唱団主催の定期演奏会を開催。最近では地域の病院内でのミニコンサートや、ホテルのクリスマスコンサートなども開催し、「白い歌青い歌フェスティバル in kagomma」への参加など、地域密着型の活動にも力を注いでいます。
 池田さんは合唱団の精神的支柱となって団員たちを一つにまとめながら、自らも歌い続けています。「今後は、合唱の魅力を伝えていく仲間の育成にも力を注いでいきたい」と、池田さんは語ります。