第3分科会「高齢社会フォーラムin東京」

「認知症になっても皆がゆるやかにつながる地域の創り方」

コーディネーター
澤岡 詩野
(公益財団法人ダイヤ高齢社会研究財団 研究部主任研究員)
パネリスト
水野 隆史
(若年認知症いたばしの会ポンテ事務局)
矢作 貴晃
(NPO法人チーム赤塚 理事、株式会社和生 代表取締役)
三枝 節夫
(赤塚新町町会 会長)

〈要旨〉
 第3分科会では、「認知症になっても皆がゆるやかにつながる地域の創り方」をテーマに、パネリスト3名による社会活動の発表が行われました。福祉の専門家の水野隆史様からは、若年性認知症の方々の自立を社会的にどう支えるか等実例を交えて発表いただきました。矢作貴晃様は、赤塚の地域特性ならではのお話や、子供から大人まで世代を超えた地域の縦のつながりの必要性を発表いただきました。三枝節夫様からは、相手の顔や名前がわかるつながりを地域の中で育くむことで、認知症の人も住みやすくなる町づくりの活動を発表いただきました。

第3分科会1

【澤岡】 第3分科会「認知症になっても皆がゆるやかにつながる地域の創り方」というテーマで、始めさせていただきたいと思います。今日は、非常に短いお時間ですが、よろしくお願いいたします。まず、最初に、皆さんにちょっと問いかけをさせていただきたいと思います。二つございます。一つは、私の声、皆さん、しっかり聞き取れますでしょうか。大丈夫ですか、OKですか。結構、地声は大きいほうですので、もし、聞こえないよという方がいらっしゃいましたら、もっと声大きくしゃべらせていただきたいと思います。二つ目です。皆様、今日、いろいろなお立場といろいろな関心で、ご参加いただいたんだと思いますが、皆様の中で認知症、今日、一つキーワードになっています認知症。この認知症になった方に、直接、何か、例えば、お仕事としてとか、活動を通じて何か支援とか、何かこう関わりを持っていらっしゃる方というのは、どれくらい、今、いらっしゃるでしょうか。ちょっと、手を挙げていただけたらと思います。なかなか難しいですよね。ご自身が自己申告ということですので、ちょっと関わりがあるかなという方。はい、ありがとうございます。結構、いらっしゃるということで、今日は、そういった関わりがない方にも、ご参加いただいているということで、非常に素晴らしい場になるのかなと思っております。

 まず、最初に、私自身の自己紹介をさせていただきたいと思います。今日の第3分科会のコーディネーターを務めさせていただきますダイヤ高齢社会研究財団という研究機関で研究員をしております澤岡詩野と申します。よろしくお願いいたします。ありがとうございます。拍手をいただいて、ありがとうございます。私、まず、最初に皆様にお断りがございます。私自身、認知症の専門家というわけではございません。どちらかというと、先ほど、檜山先生がお話しされていました、ジェロントロジー、老年学の中でも、人のつながりとか、活動とか、そういったものに焦点を当てて、高齢期を豊かに生きるためのコミュニティ。どんなもの、どんなふうにしていけば、そんな楽しい、わくわくするような地域を作れるのかなという視点で研究をしております。ですので、私自身、認知症の専門家ではないということで、逆に専門家ではないから見えてくることもあるのかなということで、今日のコーディネーター務めさせていただきたいと思います。

 まず、専門家でもない私が、なぜこの第3分科会、このテーマを取り上げようと考えたかということを、ちょっと、お時間をいただきましてお話をさせていただきたいと思います。今、いろいろ地域づくり、まちづくりの現場に長い期間関わらせていただいています。その中でたくさんの素晴らしいシニアの方々、地域を担うシニアの方々に出会ってまいりました。その方々との出会いが、5年、10年経過する中で、そういった地域を担う、社会を動かしてこられたシニアの方々の中でも、やはり、一人認知症になり、二人介護が必要になりということで、そういった困りごと、今までは支える側だった方々が、助けを必要とする、そんな存在になって行く方々を目にしました。その中で、認知症になったかつての自治会長をやってらっしゃった方、その男性が、ぼやかれたことがありました。「認知症になったってさあ、みんなに言った瞬間に、なんかねえ、普通が普通じゃなくなっちゃったんだね。なんか、小さなことなんだよね。」 日常の毎日のちょっとしたこと、例えばです、知り合いとの立ち話。自治会長をやるぐらいですから、地域を歩けばいろんな人が声をかけてきます。今までは、ねえねえ、こんな困りごとがあるんだけどとか、こんなことやりたいんだけどとか、そんな声かけでした。でも、今の知り合いの立ち話は、「なんか、その知り合いが自分のことを、なんか、はれものでも触るような眼で見てくる。なんか、冗談を自分が言っちゃいけないような、なんか、そんな息苦しさを感じるんだよね。もう当たり前のようにして意見を尋ねられたり、相談をされるってこともなくなっちゃうんだよね。なんか、それってどうなんだろう。」さらにもう一つ、つぶやかれました。「なんか、いろんな場に出て行きたいんだよね。」、いろんな人に相談をすると、紹介をされるのは、認知症の方、認知症になった人のためにできた場。決して悪いと言っているわけではありません。でも、オレンジカフェとかデイサービスとか、そういったような認知症の方のためにできた場というところを紹介される。「なんかそういった場も、すごく自分にはありがたいんだけど、なんか、だんだん世界が周りから閉ざされていってるような、そんな気持ちになるんだよね。なんか、このまま長い時間生きてくって、自分は、この地域の中でどこに居場所があるんだろう。どうやって生きていけばいいんだろう。」、そんなつぶやきをされました。そんな地域の中で、しっかりと活躍してこられた、いろんなつながりを持ってこられた方でさえも、こんなつぶやきをされるということは、じゃあ、今まで地域に意識して関わってこられなかった方、つながりを持ってこられなかった方たちは、もっと大変な状況になってしまうのかな。そんな想像をしたときに、じゃあ、そうなっても、認知症になっても、地域の中でなんとなく、緩やかにいろんなつながりの中で、今までの普通を普通に続けていける「まちづくり」、そんな地域って何が必要なんだろう。そんな意識を持ち始めました。

 そこで出会ったのが、今日、お一人目でお話をいただきます水野さんでした。水野さんとお話しさせていただく中で、あっ、私の感じた違和感って、なんか普通に感じていいことなんだな。もしかしたら、この違和感って、これから日本の社会、地域全体で考えていかなければいけない違和感なのかな、課題なのかなという気持ちを強くいたしました。その水野さんから、今、地域を一緒に作っていらっしゃるこの赤塚の方々を、紹介いただきました。今日、お忙しい中、来てくださっております。そんな中で、じゃあ、折角だから、赤塚という地域、この地域を一つ、今日はスポットを当てまして、立体的に、いろんな立場で地域を作っていらっしゃる、いろんな立場で地域を考えていらっしゃる方々、お三方に出ていただきまして、まず、赤塚の地域、地域づくり、その中で認知症になった人が、どのように生きているか。どんな出会い、つながりのきっかけを持つことができるのか、そういうことを皆さんに立体的に今日は知っていただきたくて、今日は、お三方をお招きさせていただきました。ですので、今日は、お三方それぞれに20分ずつお時間を使っていただきまして、それぞれのお立場から、今日のテーマ「認知症になっても皆がゆるやかにつながる地域の創り方」、これを一つのテーマにお話をいただこうと思っています。

 今日、お三方、それぞれ異なるお立場というふうにお伝えしましたが、私の紹介の仕方が間違っていましたら、それぞれのご報告の時に訂正をしていただけたらと思いますが、まず、今日、一人目でお話をいただく、そして、私に、気づき、教えをくださった水野さん。この方は、いわゆる福祉の専門家という立場で今日は来ていただいているのかなとも思います。認知症になった方々に寄り添い、様々な社会とのつながりを作るためのサポート、それから伴走者として活躍をされていらっしゃいます。そのお立場から、赤塚という町の地域、どのように一緒に作られているのかというお話もしていただけるのかなと思います。そして、お二方目、真ん中にいらっしゃる方、矢作さん、今日はNPOのお立場で、この赤塚の「まちづくり」をされていらっしゃいます。そのお立場から、じゃあ、認知症の方、この方に、どのようなきっかけ、つながりのきっかけが提供できるのかな、どんなふうに巻き込まれていらっしゃるのかなということをお話しいただけるのかなと思います。そして、お三方目になります。やはり、地域、コミュニティを考える上では、支援(地縁)組織、町内会、自治会というつながり、活動の場は、無視できない。そして、地域を支える基盤だとおもいます。今日は、ある意味カリスマの地域の支援活動のリーダーさんだと思いますが、三枝さんに、町会活動という立場から、今日のテーマで様々な気づき、ヒントをいただけたらなと考えております。私が、あまり話しすぎるのもよくありませんので、まずは、早速、お一人目の報告ということで、水野さんからお話をいただけたらと思います。よろしくお願いいたします。

パネリスト 水野隆史氏のお話

第3分科会2

【水野】 皆さん、こんにちは。ただ今、ご紹介にあずかりました水野と申します。若輩者ですが、お聞き苦しいところもあるかと思いますが、20分若干超えそうですが、よろしくお願いいたします。私の資料は、ほとんど写真と映像ばっかりなんですが、資料のほうの写真は、ちょっとやめてもらっています。よろしくお願いします。簡単に自己紹介いたします。現在、地域包括支援センターで働いています。保健師で、看護師で、精神保健福祉士で、介護支援専門員をやっています。若い認知症、「若年認知症いたばしの会のポンテ」というものと、「みま~も・いたばし」というものと、後で出てきますが、「RUN伴いたばし」と、そういった諸々にいろいろやっています。私、元々、某大学病院で看護師をずっとやってたんですね。そのあと、地域包括支援センターというとこに、地域包括支援センターってわかりますか。皆さん、大体わかりますかね。各地域ごとにあって、お年寄り、65歳以上の方のなんでも相談所みたいなところなんですけども、そこに若い認知症の人が相談に来たんですね。その時、その方、48歳で、私も40ぐらいでほとんど、変わらないぐらいの年齢だったんですね。すごい若いなって思って、自分と全然変わらないし、見た目も全然普通だし、病院から来て直ぐだったんで、何をどうすればいいのか、さっぱりわからなかったんですね、僕も。どうしようかなと思って、本人に、あなた何したいんですかって話をして、そこから始めたんですね。というのは、若い人に対する制度上のサポートというのは、あまりないんですね。いわゆる介護保険でサポートするんですけど、行く場所って、デイサービスとすると、デイサービスって基本的に80ぐらいの方がメインなんですね。48の彼がデイサービスに行っても面白いと思いますか。面白くないですよね。当然、彼は行きたくないわけで、彼に何したいかって聞いたときに、仕事がしたいと。その時は、元々働いていたとこは、ちょっと退職せざるを得なかったんですが、車の仕事がしたいということだったので、彼と一緒に車関係の仕事をひたすら回りました。多分、何十、100近く回ったんですけど、ほとんど全部駄目ですよね。ほぼ門前払いだったんですけど、そういうことを繰り返す中で、OKしてもらったとこもありました。それで、彼が同じように自分と同じような認知症の病気の方とお話がしたいということで、板橋の中でそういう会を、彼と仲間と一緒に作ったのが5年ぐらい前の話ですね。彼と初めて会ったのは7年ぐらい前です。今は、14人ぐらい、若い認知症の人、50代中心ですね、がいてということで、それをサポートしてくれる方、ご家族も含めていますし、その他、諸々活動をさせていただいています。

■若年認知症について

 その前に、若年認知症のことって、わかりますか。わからない方が多いかと、私、わからなかったんですけど。一応、この資料の60ページから若年認知症のことを少し入れさせていただいていまして、見た目全然わからないです。もう、僕と同じ感じです。僕、46ですけど、40代、39で認知症になった人もこの前入りましたし、全然そんな方もいっぱいいます。500万人対38,000人っていうのは、高齢者の認知症の人が、今500万人ぐらいいるんですね。若年認知症の人って、今38,000人と言われています。高齢者の方は、7人に一人ぐらいなんですけれども、若年認知症の方って1万人に4、5人しかいないんですね。

分科会3_2_1 分科会3_2_2 分科会3_2_3

全然少ないんです。だから、見た目わからないし、数も少ないしみたいな形ですね。この51から2っていうのは、中央値として、大体これぐらいの年齢から発症すると言われています。みんな若いんですね。なので、経済問題として、それぐらいの歳で、もしなっちゃったら、まだ住宅ローン残ってたりとか、これから子供が大きくなったりとか、そういうことありますよね。結構、まだ若い方も多いと思うんですけど、今日。そうなったら途方に暮れませんか。途方に暮れちゃいますよね。奥さんとか働いてたらいいですけど、働いてなかったら、本当に途方に暮れるんじゃないかというような状況の方たちと、今、一緒にやっています。定期的に集まっているんですけど、その時の様子は、こんな感じでやっていて、この真ん中の人が当事者の方なんですけども、下はこれお孫さんで、お孫さん楽しそうにやってるんですけど、これ実は、娘さんがいて、娘さんが、いわゆるお母さんのケアと娘のケアをやって、うつになったんですね。全然動けなくなって、実は、お孫さんがおばあちゃんを見てるみたいな、そういう図です。これは左側が当事者なんですけど、彼は、元々、レントゲンとかの技師さんだったんですけどね。MRIとかやってたんですけど、使えなくなったんですね。操作の仕方がわからなくなったんですね。3年ぐらい前からできなくなって、その後、うちの会に来るようになって、仕事できなくなってから、お酒飲むの止めてたんですけど、うちに来て、一緒に酒飲んで、いやぁ、3年ぶりになるビールうまいなって、満面の笑みがこの顔なんですけど、その時の、僕のとても好きな一枚ですね。バーベキューとかよくやったりしています。これもバーベキューで集合写真みたいな感じなんですけど、こういうふうに孫とか子供とか来ていて、この真ん中の子、結構かわいくないですか。はい、私の娘です。かわいいですね、はい。これ旅行も行ったりしてますね。旅行も家族で連れて行けないとか、来年生きているかわからないから、連れてほしいという希望がありまして、一昨年から行って、今年で3回目を行こうかっていう話をして、お孫さんとかみんなで一緒に行って、やってますね。行ったら、やっぱり、一緒にビール飲んだりして、夜は、家族同士でお話ししてもらってます。普段は、なかなか介護があって、お話ができないので、家族同士でしっかり、心行くまで話してもらって、ご本人さんたちは、僕らが見てるみたいな形でやってもらってますね。なので、みんな楽しみにしてくださってます。こんな感じで。この方がドクターです。ドクターは、ボランティアで、お金もいいよって来てくれたり、こういう旅行なので、リスクは当然つきものなんですが、ドクターとか看護師が一緒にいっぱい行ってくれることによって、そのリスクをヘッジしながら、毎年旅行に行っています。当然、車いすの方もいます。

 本人だけで集まったりということもやってまして、これは、何をやりたいか、みんなに聞いて、ボウリングが一番多かったんですね。で、ボウリングをやったと。これ左の方が、認知症の方なんですけど、みんなでお迎えに行ったわけです。そしたら、なんか、俺、20年ぶりにボウリングやるからさ、上手にできるかどうかわからないと言いつつ、マイボールとマイシューズ持ってるわけです。で、コロコロやってる。行ってみたら、赤で見えにくいですが、200点超えてるんですね。全然僕らより、まったく上。結局、僕らが教えてもらってボウリングやってるみたいな感じになりました。いろいろそういうことをやってると、やっぱり、若くて認知症になって、働けなくなったりとか、高齢者の認知症でも一緒だと思うんですけど、住み慣れた家で住むのが難しいということがあって、そういうことに取り組み始めていて、社会福祉法人で、障がい者雇用だったり、一般のお店で働いてもらったりってことも、今、やっています。若い認知症の人の中には、高齢者もそうなんですけど、お一人暮らしの方もいるんですね。お一人なので、しかも引っ越してきたばっかりで、不安だからということで、じゃあまあ、地域の人と知り合えば、見守ってもらえたら安心かなということで、機会を作ろうと思って先ほどのものを始めました。それが、これになります。

---映像放映---

 【映像に対する水野氏のコメント】みんなこの辺の人たちは、認知症の人たちですね。この辺もそうです。みんなそうです。この人も認知症の人ですね。彼は、私のやってる会のメンバーの一人です。この方は、オーストラリア人なんですけど、認知症なんですね。一緒に参加してもらってますね。やっぱり、外国の方って、認知症になってしまって、参加(進行)されると日本語がわからなくなっちゃうんですよね。英語だけしかわからなくなって、若い認知症というだけでもマイナス(マイノリティ)なのに、さらにマイナス(マイノリティ)になってしまう、そういう方も少なからずいます。この人もうちの会の認知症の人ですね。

---映像終了---

 こんな感じでやっていて、こういう準備とかも認知症の人たちとずーっと回って、商店街に挨拶に行ったりとか、ずーっと認知症の人たちと打ち合わせも一緒にやったりとかですね。開会式は区長とか来たりして、一緒にずーっとやってますね。ここから、どうして赤塚の方に行くようになったかという話に変わります。そういう、今の「RUN伴」とか認知症の会とかをやって行ったんですけど、元々、先ほど話してたとおり、初めて私のところに、若い48歳の方が相談に来たと。そういう方と一緒に、初めて出会って、その人、僕は生涯の友だと思っているんですが、一緒にこういう活動を立ち上げたんですね。彼が、自宅で幸せに生き続けることができるようにしたいって僕は思って、仲間とともに活動していたわけです。彼、子供が好きだったんで、このクリクリした坊主が、うちの息子なんですけど、一緒に遊んでもらったりとかしてたんですね。これもうちの息子、ふざけてますけど、これ娘で、うちの会のクリスマス会の景品を一緒に買いに行ったりとか、そういうことも一緒にやってたんですね。某株式会社に協力してもらって、ボランティアやったり、仕事に挑戦したりとか、ボランティア活動やったりとか、講演会やったりしてたんですけど、ちょっといろいろありまして、家族と一緒に住むことがちょっと難しくなってきちゃったんですね。それで家族の希望としては、遠くの施設、でも本人としては、家族の住んでる町に住みたいということで、近所に住むようにしたいということで、空き家を活用したシェアハウスのプロジェクトを、ちょっと挑戦してみたわけですね。なんですが、私とか仲間たちだけでは難しくて、いろんな人に入ってもらったと。そうすると、ちょっといろんな利害がごちゃ混ぜになって、結局、頓挫しちゃったんですね。結局、彼は、自宅に帰ることができないまま、病院で亡くなってしまうという形になりました。

 はい、この方、ご存じの方いますかね。丹野さんって若年認知症では、すごい有名な人なんですが、ここに映ってるんですけど、すごく仲良くて、最後、危なくなった時に会いに来てくれたんですけど。僕は、友人が町の中で暮らし続けることができるための活動として、みんなで地域活動をしていたつもりだったんですね、僕としては。でも、結局、友人の希望を叶えることができなくて、早く亡くなっちゃうんですね。自分がやってることが、その友人に届けることができなかったんで、何のためにやってたんだろうって、僕は、そこで強く感じたわけです。結局、自分、こんなことやるの向いてないんじゃないとか、やめた方がいいんじゃないと、そこで本当に悩みました。本当に、もう止めようかなって思っていましたね。ほんとにすごく悩みました。悩んだんですけど、でも、ほかにも10人とか、周りにもいたんで、どうすればいいんだろうと考えて、悩んだわけですね。自分の力とか、今、一緒になってる仲間の力だけでは無理だというふうに思いまして、ただ、周りに住んでいる、一人一人の周りに住んでいるのは、町の人だし、だから、町の人が理解してくれて、力になってくれない限り、町の中で住み続けるのは無理だろうということに気が付いたんですね。なので、そういう町の中に住んでいる、認知症の人の隣に住んでいる町の人が、力を貸してくれる。そういう中でも、この町を良くしたいと思っている人と、まず、力を合わせることが大事じゃないかということに気が付いたということです。

■地域との連携

 さらに、認知症の人、それぞれの人の隣に住んでいる町の人と一緒に、町を良くする活動をやろうと。一緒にやることによって、認知症の人のことを理解してもらえるんじゃないかと思ったわけです。そういうことを考えたときに、ちょうど、この赤塚の町を良くしようと思っている人たちに出会ったんですね。この人たちと一緒にやれば、ひょっとしたら、認知症の人たちも町で暮らしていけるんじゃないかというふうに僕は思って、そこから、赤塚の人たちと一緒にやろうと思って、今に至ってるわけです。赤塚という地にコミットして、この後、出てくると思うんですけど、赤塚にある「赤塚ジモパ」というところで、若年(若年認知症の会)者の会と一緒で、認知症の人たちと一緒に参加したりとか、「チーム赤塚」というふうに参加させていただいたりとか、赤塚の「まちの学校」というのも、この後、出てくると思うんですけど、そこにも参加させてもらったりとかですね。さらに「チーム赤塚」の方たちと一緒に、みんなで、誰もが、安心して幸せに町で暮らせることを目標に、「みま~も・いたばし」っていう新しい組織、認知症の方だけの組織ではない組織を立ち上げることになりました。今、スタートしています。今、申し上げたとおり、赤塚地元パーティというのにも、認知症の人と一緒に参加して、この人たち、みんなうちの会の人なんですけど、一緒に参加させてもらったり、これは、今年のチラシですけど、一応、うちの会、協賛として参加させてもらったりということをしてますね。その「みま~も」という団体のオープニングイベントとして、「チーム赤塚」の方とか、赤塚の小学校のうちの会の方々のご協力を得て、「かくれんぼ」、というのを、オープニングイベントとしてやりました。その映像、この後、あるんですけど、私は、赤塚の町で、町を良くしようという先輩方と一緒にやっていけば、認知症の人も町の中で暮らしていけるんじゃないかと思って、今、やっているっていうのが、今回の私が言いたいことですね。

---映像放映---

映像中断・・・

【水野】 子供のコメントが入るんですよ。それを見てもらいたかった。

【澤岡】 どんなコメントが入るんでしょう。今日、実は、登壇をお願いさせていただいたときに、やはり、こうイメージを膨らませていただきないなあと思いまして、数値とか字面ではなくて、なるべくリアルに言葉だったり、それからこういった画像で、ご説明くださいというお願いをさせていただいたので、今日は、結構、水野さんはいろいろと動画を持ってきてくださった感じなんですが、・・・ねえ、ちょっと消えちゃった感じですか。いいところが、多分消えちゃった感じですかね。今、割と「RUN伴」って、いろんな地域で、やられているのかなと思いますが、やはり、今、ちょっと、水野さんの終わってから、私、コメントとして述べさせていただこうと思ったんですが、やはり、「RUN伴」って、認知症を知ることが大きな目的になっていますが、実は、おんなじ地域の人たちが、認知症の人じゃなくて、何とかさんって、顔見知りになる、一つの重要なきっかけになったりもするのかなあって、今、水野さんのスライドを見て、感じたところではあるんですが。じゃあ、次に。水野さん後で戻って来ていただける感じでしょうかね。では、ちょっと動画のところが止まってしまったので、また、最後の部分は、水野さん戻って来ていただくということで、なぜ、赤塚でということで、お話をいただきました。 そこから、じゃあ、今、パートナーとして一緒に地域で動いていらっしゃる「チーム赤塚」のところで、お話をいただきたいと思います。では、矢作さん、よろしくお願いいたします。

パネリスト 矢作貴晃氏のお話

第3分科会3

【矢作】 初めまして、私、板橋区赤塚というところで、「NPO法人チーム赤塚」というのを運営しております理事の矢作貴晃と申します。よろしくお願いします。「チーム赤塚」というのは、板橋区にある赤塚という地域ですね。人口にすると約5万人ぐらいの地域なんですが、その「まちづくり」を中間支援する団体でございます。


■地元・赤塚の歴史

 これ板橋区の地図なんですけど、18地区に分かれてまして、赤塚ってこの辺なんです。昔は、このぐらいの地域を赤塚郷っていうふうな括りになっていたらしくて、すごい古い、歴史のある地域になっておりまして、その分、人間関係も古く、難しい部分もあるっていうのが現状でございます。どれぐらい古いかと申しますと、これ、東京大仏というのがあります。小さいころから、日本で三番目に大きいって親から聞いておりまして、そう思っていたんですね。ただ、今回これを登場させるために、ちょっと調べましたら、やはり、全国で三番目の大きさみたいですね。座っているタイプの大仏だと三番目らしいんです。奈良、鎌倉に次いで、三番目という形の大仏があったりとか、あと、こちらは赤塚諏訪神社と申しまして、「田遊び」というものが、毎年2月13日に行われております。これが正確にはわからないんですけど、かなり古い時代から続いて、ずっとやっているということで、国の重要無形民俗文化財に指定されてもいます。隣の徳丸という地域に北野神社というのが御座いまして、そちらは、もう今年で1025年、創建されて経つらしいんですが、そこでも、「田遊び」をおんなじ形でやっておりまして、ここは資料が残っているので、1025年「田遊び」が続いているということになっているみたいです。この諏訪神社に、獅子舞というのもありまして、三匹の獅子が舞う獅子舞なんですけど、これも一応、獅子頭が古い、古い獅子頭が残っていて、角(つの)に赤外線を当てたら、かなり古い、延宝元年って書いてありまして、350年は続いているだろうというふうに言われているみたいです。私も、そこで獅子舞の保存会に一応入っています。こちらが、松月院ですね。こちらも1492年ごろ創建されて、曹洞宗のお寺になっています。家康の時代には、40石を与えられてたみたいです。 こちらが、一応、区内最古のお寺になっておりまして、古墳の上に建っているようです。創建は800年ごろということなので、1200年ぐらい経っているお寺になってます。 この隣に八幡神社がありまして、こちらは、1300年ごろ創建と言われてまして、諏訪神社の春の大祭が、3月の第二週の日曜日にあるんですが、そこで獅子舞、毎年踊ります。踊った後は、必ず、この八幡神社まで、歩いてきて、踊るような感じになっています。

 あと、これが、赤塚城っていうのがありまして、千葉実胤さんが、ここに住んでいた地域、お城の跡になっていますね。こちらが、外から見た感じです。こう山みたいなところを登って行くと、今、上が公園になっているというような地域で、かなり、古い地域でありまして、東京都でありながら、田舎の要素もふんだんにあるところから都会田舎と地元では言っております。こちらも、さっき出てきました「ののぽん」というゆるキャラを作りまして、こちら、まだ、赤塚には、狸が出るんですね。これ、一応、狸なんです。狸が、上に、横から見るとも、もじゃもじゃのカツラを被っている。そのカツラが、大仏様の頭みたいな感じと、ここに水車公園、昔は前谷津川というのが流れていて、そこで、野菜とか採って、洗ってた場所がまだ残っておりまして、その水車を後ろに背負っている形になっております。

■NPO法人チーム赤塚について

 そんな、都会田舎の地域で、じゃあ、NPO法人チーム赤塚というのは、どんな活動をするのか、しているのかというのを、ちょっと説明させていただきます。大体、10年ぐらい経つ団体になっています。当初、3年ぐらいは任意団体として、おやじの会というのを小学校でやりまして、そのメンバーから発足したような形になりまして、3年後、NPO法人を取りまして、今年で6年経過して、7年目に入る団体でございます。赤塚でどんな取組をしてきたかっていう話をさせていただきながら、最近の事業と今後の事業の話をさせていただきたいと思います。当初は、学校を中心として活動しておりましたので、父親が学校に、10年前はあまり参加しなかった。その父親をもっともっと学校に参加させていただきたいというところから始まりました。 そうすると地域の町会とかに、ちょっとずつ関わるようになってまいりまして、そうすると地域の悩み事とか、そういうのを聞くようになってくるんですね。子育てを終わってしまうと、なかなか地域の人が学校に携わることができない、学校にも入れないというのが状況なんで、何とか地域の人がもう少し学校に携われば、騒音の問題とかそういうのがなくなるんじゃないかと、そういう形で、こちらは体育館を開放して、プロの演奏家に無料で来ていただいて、演奏会を毎年一回やっております。また、今は、プロに来てもらっている以外に、演奏したいという方のために、「誰でもコンサート」というのを年に一回開催しておりまして、地域が学校に携われる仕組みを作っております。「学校に泊まろう」っていうのは、今、防災、町会を中心に板橋区の場合成り立っておりまして、それ以外の方がもし災害に遭ったときにどこに行ったらいいのか、物資は、どうなっているんだとか、ちょっとわかりづらい。町会は、わかっているんですけど、町会に入っていない人は、じゃあ、学校に行こう。でも、学校に行ったとしても、どうしたらいいかわからないということで、児童と保護者に実際に体育館に泊まってもらって、被災体験をしてもらおうという活動等を毎年やっています。学校には、ちゃんと物資が豊富にありまして、それを管理するところ、または、実際、災害が起きた時にどうやったらいいかという仕組みがまだ完全ではありませんので、そういう形で体験していただきながら、町会の人にもその活動を見ていただく形の活動をしています。

 あと、商店街ですね。ご多聞に漏れず、赤塚の商店街が、シャッター街になりつつあるので。どうしても楽なのでスーパーに行ってしまいがちなんですね。そこを祭りというときに、学校の子供たちとかにお店を出してもらったりとかすることによって、商店街が身近になってもらう活動に取り組んでいたりとか、あと、何と言っても町会支援です。町会は、行政とつながって、一番いい仕組みを持っているんですけど、如何せん、この地域は町会加入率が3割と少ないんです。あと7割の人は、どうすればいいのかというところが問題なので、町会を支援するために、取り敢えず、イベントでつながろうという形で、まあ、餅つきの支援。これは、担ぎ手がほとんど高齢化でいなくなってしまって、地域に。小学校のおやじの会、PTAとか、また、保護者の人が加わることによって、町会の活動を知ってもらったりとか、顔を覚えてもらったりとか、そういう形で支援をしております。また、下が神輿ですね。神輿もどんどんなくなってきているんですけども、こういった形で町会に携わってない方が、神輿を担ぐことによって、顔見知りの関係になったりとかという形の支援をしながら、最終的には、町会に加入していただきたいということで活動をしておりますが、まだまだ道半ばというところです。 今、話した内容は、小学校、中学校のイベントと町内会のイベントを双方向で手伝いながら、最終的には、町会に入って行けたらなあというふうに取り組んできたのが前半でございます。

 後半です。大体、4年から5年ぐらい経ってきますと、板橋区内でも名前が知られるようになってきました。それで、いろんな取組をしていこうという話も来るようになりまして、板橋総合ボランティアセンターの事業で「まちの学校」が、ございました。そこを中間支援することによって、より活性化することに役立てたい、また、板橋区内の公立の小・中学校やPTA、地域の団体と共同して、「ぐるぐる読書会」というのを企画・開催いたしました。これも、まだ、現在も続いております。あと、板橋区内の大学と共同で、区内の公園を有効活用するために「おそとカフェ」というのも支援しております。公園も、なかなか、子供が遊べる場所ではなくなってきております。何か事故があると、遊具とか全部撤去されちゃうんで、何にもない公園がただあるだけという状態です。しょうがないんで子供たちは、ボールを持って遊ぶんですけど、それでも苦情が来て、ボールを使ってはいけませんという状態なので、なんとか子供たちが遊べる場を作りたいなという形で、今、支援をしております。 この中で、ちょっと、板橋総合ボランティアセンターとの共同「まちの学校」の話をさせていただきたいと思います。

■楽しく地域を学ぶ活動

 これ先ほどありました、資料だと69頁なんですけれども、こちら4年前に「赤塚ジモパ」っていうのをボランティアセンターと共同で始めました。その「ジモパ」っていうのは、赤塚で活動する団体とか、事業所、施設などが、お互いの活動をまず知り合おうというところから始まって、世代を超えたつながり、子供からお年寄りまでが、楽しく地域を学ぶ授業っていう形で年一回イベントを作りました。その変遷も出ておりまして、だんだんと大きくなってきているところでございます。年に一回の活動なので、どうしても年一回顔を合わせるだけだと、寂しいってことで、「ジモパカフェ」と申しまして、大きいイベントではなくて、お互いが「ジモパ」で知り合った縁を活かす、また、深めるような活動として、「ジモパカフェ」っていうのを間に何回か開催しています。お茶を飲みながら、地域を知る学習会とか交流会ですね。最終的には、今、みんなの居場所づくりというところで、自宅以外の場所で居場所を作りたいということで、今、計画中でございます。我々、チーム赤塚としましては、この「赤塚ジモパ」を中間支援することによって、すごい気づきを得ました。また、いろんな団体があるということで、この活動が、今までの活動と全く違うと言いますか、もっと幅の広い活動になる転機になりました。例えば、「ジモパ」でつながった赤塚福祉園さんですね。これ、お祭りの風景なんですが、当初は、福祉園、地域であるのは、知っておりましたが、全くそれだけ、中がどうなってるかも知りませんし、職員の人も全然知りませんでした。ただ、お祭りをもう少し地域の人に開放したい、地域の人たちと一緒に作りたいという思いが、職員の方々にあって、それで飲みながら話したときに、じゃあ、やろうかということになりまして、新しくお祭りを一緒にやるようにしました。これが館内で、誰もが館内に入れるようになりまして、中で子供たちがワークショップをやってるんです。外では民間の団体とかが、屋台を出して、いろんな方々に振舞っているというような構図になっています。

分科会3_3_1 分科会3_3_2 分科会3_3_3 分科会3_3_4 分科会3_3_5 分科会3_3_6

 あと、先ほどありました見守りあいプロジェクトですね。ビデオが途中で止まってしまいましたが、「赤塚ジモパ」を通して、ポンテの水野さんと知り合うことができました。これも、そこが認知症に関して、今まで全く、名前は知っていたんですけれども、関心がなかったので、全然受け止めることができなかったんですが、水野さんと出会って、ほんとにいろんなことを知ることができ、これだったら、もしかするとこの地域で、アプリをダウンロードしてやる仕組みだったら、子育て世代もうまく、一緒に楽しんでできるんじゃないかなという思いで、今、活動しております。そうすると、今まで、我々の団体としては、学校を中心として活動していたんですが、やっぱり限界があるということに気づきました。やっぱり、地域住民は、全体像を捉えることができなかったんですね、学校を中心とすると。やっぱり、地域を俯瞰できるような応援団的な組織が、必要だってことを改めて気づかされた次第でございます。この地域を俯瞰できる横断的な立場、これはまさに我々「チーム赤塚」の役割ではないかなと感じております。

■今後の展開

 これからの事業なんですが、今ある「まちの学校」を居場所づくりということで進めさせていただきます。また、水野さんと一緒に、「みま~も・いたばし」というのを立ち上げております。これは、全国にある組織ですが、唯一、民間の出資金で成り立っている組織です。この組織は、今後、もっと広がっていくんじゃないかなと思います。 最後に、第2層恊これはもう行政がやっているやつで、予算もある組織になっています。板橋では支えあい会議となっています。ただ、そういう協議体ですと、赤塚の場合、私に全然情報とか入ってきてませんし、年齢層が高い、町会長クラスの人しか集まってない団体としか認識がありません。なので、「まちの学校」とか「みま~も」ってのは、子供世代から大人まで、全部、縦のつながりですね。この世代を超えた縦のつながりが、これからは必要になって来るんじゃないかなと思っております。 中期的展望としては、この三つ、同じことを目指していると思いますので、その協議体みたいのを作って、そこを中間支援しているのが、「チーム赤塚」の役割ではないかなと思っています。とにかく、ボランティアでやってると、楽しくないと続かないので、楽しくやることを心掛けております。ご清聴ありがとうございました。

分科会3_3_7

【澤岡】 どうも、ありがとうございました。やはり、さっき水野さんのお話にもありましたが、認知症になった人が、隣近所とつながることが大事って気づいたとおっしゃっていましたが、でもそれって家族、それから支援をする団体さんがいかに頑張って動いても、それだけでは、なかなか町につながりを生み出していくことには、やっぱり限界がある。その中で、今、「チーム赤塚」とのつながり、そして、「チーム赤塚」との出会いが、認知症になった人も子育て世代も、様々な人が隣近所でつながる中の一部になれている。こんなような視点も、今日は提起をいただけたのかなと思います。どうしましょう。水野さん行けそうですか。はい、わかりました。今、やはり、赤塚の地域特性についてもお話しいただきました。都会田舎という言葉が出てきましたが、都会であり、田舎である。やはり、この地縁というものが色濃く残っている地域であるというお話もしていただいたように思います。やはり、地域を動かしていく、地域を共に作っていくという上では、NPOだけではどうにもならないという部分も大きいのかなとも思います。その中で、今日は、赤塚の地縁組織の代表というわけではないですが、お出でいただいています。地縁組織、地域、都会田舎の中の地域の中に色濃く残るなかで、NPOが活動する上では、難しいことがあると伺っています。そういったNPOとか様々の団体との連携、そういったことも含めて、三枝さんにお話しいただけたらと思います。よろしくお願いいたします。

パネリスト 三枝節夫氏のお話

第3分科会4

【三枝】 ご紹介いただきました、私、三枝と申します。お二人のようにパソコンを使ってとかいうのが、私、できないものですから、ただ、ひたすらお話をするだけでございますので、眠くなったら寝ていただいても構いませんけども、ちょっと、今、澤岡さんからお話がありましたけれども、そういう趣旨でお話ができるかどうか、ちょっとわからないんです。まあ、認知症とかいうのに全く専門家でもないので、そういう形のお話ができるかどうかわかりませんけれども、地域のつながりということで、最終的にそういう人たちの支援とか、見守り合いとか、そういうとこにつながっていけばいいのかなと、そういう活動の報告をさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 今、水野さんと矢作さんの方からお話があって、三番目にしゃべると、私がしゃべろうと思うことが、かなりの部分でお話をされてしまっているので、5分ぐらいでいいかもしれません。最初に、ちょっと矢作さんの方から、赤塚という地域が、こうやって古い町、村なんですよというところ。ほんとに、私も当然、生まれも育ちも、この赤塚なもんですから、子供のころから町の発展とか、そういうのをつぶさに見てきました。ほんとに、畑がたくさんある場所だったんですけれども、そういう農地がだんだんなくなってきて、駅の近くですと高層マンションができたり、一戸建ての住宅がたくさんできて、ほんとに人口がどんどん増えて、この10年で世帯数が約2000世帯、人口も約3000人ぐらい増えてるということで、なかなか少子化とかいう時代ではあるんですけど、最寄りの小学校なんか、かなりの人数の児童が通って、中学校もかなりの生徒がいる。結構、板橋区の中では大きな学校が点在している。それだけ子供たちがたくさんいるんだなあという地域だと思います。それと、先ほどから松月院とか諏訪神社とかっていう町の地名が出てきましたけど、それは、同じ下赤塚と言うんで、ちょうど下赤塚というのは、板橋区の西の端にありまして、北へ行くとすぐ埼玉県の戸田市とか和光市、南はすぐ練馬区なんですけれども、どちらかというと下赤塚の中でも北の方の今言う諏訪神社とか、松月院とか、そこの近在に農家とか、昔から、その室町とか、そういう時代から人が住んでいたようです。

 これは、私、詳しい年代知らないんですけど、徳川時代になって、川越に松平藩が、今、徳川家ですよね。川越街道整備して、そこに新しい街道ができて、その後、大正年間に東上線ができて、下赤塚という駅があるんですけど、昭和5年に開業されたということで、だんだん道路だとか鉄道とかというところで、人の流れがどんどん、どちらかというと南側のほうに発展してきたというふうな。現在は、今でいう川越街道の下を地下鉄有楽町線とか副都心線が、ほんとに都心まで乗り換えなしの、あるいは新宿、渋谷、横浜まで乗り換えなしで行けるような地域になったので、そういう点では、アクセスが良くなって、新しい人たちもどんどん増えているのかなというふうに思います。それから、先ほど、古いっていうところで、板橋区って約200ぐらいの町会があるんですけど、町会名に昔の、いわゆる字(あざ)の名前を付けてる地域って、下赤塚と赤塚しかないんです。それこそ諏訪神社の門前にある大門っていう町会だったり、多分テロップで、先ほど渡したんですけども、篠ケ谷戸(しのがやと)だとか、上谷津(かみやつ)だとか、下寺家(しもじけ)、番匠免(ばんじょうめん)とか、ほんとにどう読んでいいのかなと。ほんとにその村々のいわゆる字の地名が、未だに町会名として残っている、そういう板橋区の中でも、ほんとにここだけしかない地域なんです。そういう点では、古い地域であり、また、なおかつ新しい住民がたくさん入って来てるという、そういう地域なのかなというふうに思います。

■赤塚の取り組み

 今日は、何をお話したらいいのかなあと思うんですが、矢作さんの方から、いろいろ「赤塚ジモパ」の話があったり、「おそとカフェ」の話があったりしましたけれど、私自身は、今、青少年の健全育成下赤塚地区委員会という板橋区18の行政区域に分かれていまして、その各地域で、いわゆる青健という組織があります。下赤塚地域でその会長をしております。それともう一個別で、地元の町会の町会長も仰せつかっておりまして、そういう意味では、ほんとにこの赤塚の地域のほかの町会長さんとか昔ながらの人たちとも、良く顔見知りで、いろんなお話をさせていただく。そういうふうな関係が知らず知らずと構築をされているので、自分がこういうことをやってみたいなということを、比較的抵抗なく皆さんが受け入れていただいているのかなと思います。

 先ほど、ボランティアセンターがやった「まちの学校」というのが、三回シリーズであったんですけど、最初は、防災について、二回目が、認知症、お年寄りを地域でどう支えるかという、最後は、地域の活性化をするにはどうしていったらいいか。その三回シリーズで、ボランティアセンターっていうは、18の地域で全部行って、たまたま私もそれに参加してて、とってもいいことをやるんだったら、これをこのままで終わってしまうのは、もったいないから、何か続けていきたいですねということで、それから、今の「赤塚まちの学校」が続いております。その中に、矢作さんが所属している「チーム赤塚」なんかも、ほんと中心的な役割を担っていただいて活動しております。先ほども、いろんな団体、それこそ福祉園ですとか、区立の図書館、それから、先ほど包括と言いましたけれど、包括支援センターなんかも参加していただいたり、あるいは、もちろん障がい者の就労施設ですとか、ほんとにいろんなタイプのボランティアの方たちが、そこに参加をしていただいて、みんなが月に一回集まっていただいて、じゃあ次は、どうしましょうかとか、この団体とこの団体が、何かイベントできないだろうかというようなコラボしてもらうと、ちょっと違う発想で、今まで子供だけが対象だったのが、そこにお年寄りが入って来るですとか、なんかそういう活動がどんどんできるのかなと思っています。

 今度の日曜日かな、先ほど「おそとカフェ」というのが、公園を使って多世代交流をしようという発想なんですけど、ちょうど子育て世代のお子さんをお持ちのお父さん、お母さんたちもなかなか公園で自由に遊ばせることができないというようなことがあって、うちのちょうど近くにある公園なんですけど、そこそこ規模が大きな、広場もあったり、それから水のせせらぎがあったりとか、面積的にもそこそこの公園なんです。そこで役所にお願いをして、そこで火起こしをしたり。公園で火を起こすなんてもってのほかだと言われてしまうんです。当然、消防署にも全部届けを出しながら。そこで前回は、焼き芋を焼いて食べたりとか、次回は、今度冬なのでお汁粉を作って食べようとか、いろいろそういう公園では、なかなかできないようなことをやろうと思ってます。そこに、うちの町会の老人会の方がいらっしゃるんですけども、その方たちも来ていただいて、小さい子と、いつもは輪投げを、老人会やってらっしゃるんですけども、そういう方が来ていただいて、子供たちと一緒に輪投げをやって、輪投げをやるとマシュマロもらって、マシュマロを焼いて食べられるとか、なんかそういう、ほんとに多世代交流ができてるなっていうふうに実感して、それでこれも年に4回、春夏秋冬、いろんな、夏は夏、冬は冬、秋は秋の特性を活かしながら、企画をしながらやっております。

 先ほど、「まちの学校」の方もお話ありましたけども、これも年に一回、「赤塚ジモパ」、ジモパというのは、地元パーティというのの略を言っているんですけども、そういう形の、ほんとにいろんな団体のつながりとかもやっております。一応、「赤塚まちの学校」の実行委員長も私やっています。「おそとカフェ」の実行委員長っていうのも私やっているんですけども、スタッフに恵まれて、私が別に何をするんでなくても、皆さん一生懸命、それこそ、先ほど、矢作さんがおっしゃったように、自分たちも楽しんでやりましょうということをコンセプトにやっているので、どんどん皆さんがアイデアを出していただいて、どんどん、また違った形のつながりができているのかなあと思います。

 あと、町会としてなんですけど、うちの町会も結構大きな町会でして、登録というか、世帯数は、4000世帯ぐらいあって、板橋区でも7番目か8番目に大きな町会なんです。ただ、町会員数は、先ほど、矢作さん、30パーセントと言ってましたけど、うちは30パーセントちょっと切れて、1000人ぐらいしか入ってないんですけども、それでも、いろいろ防災ですとか、ごみのリサイクルですとか、そういうところも町会には、必ず、いろいろオファーが来て、それなりの担当決めて、解決して行こうという、その中で、うちの町会も昔からいらっしゃる方がたくさんいらっしゃるので、例えば、私なんかも、あれ、そういえば、最近、おばあちゃん見ないなと、ちょっと通りすがりの人に聞くと、今ね、なんか具合悪くて入院しちゃってるみたいですよとかっていう、そういう話とか、そういったつながりみたいなものが、やはり、できるだけ町会の中で、一人でも多くの方がそういう関係、顔の見える。先ほど、お話がありましたけれど、顔の見える関係っていうものが、とっても大事なのかなと思います。うちの町会も、春は、今言った公園で桜が咲くころにお花見をやったり、夏は、盆踊りやったり、秋は、子供神輿を出すお祭りをやったり、もう少しすると餅つき大会をやったりとか、いろんなそういうイベントをやりながら、若い人たちも気軽に参加できるような、そういうイベントをできるだけ企画しながら。若い世代の人たちが来た時に、私は、必ず、声をかけて、今日どっから来たの、今日ありがとうねとか言う話をしながら、そうするとつながりがどんどんできてきて、また、次に参加してみようかなっていう気持ちになっていただくのかなというふうな、そういうのが大事かなと思います。なんて言うんですかね。この間、成人式がありまして、うちの地区でも。私も立場で参加させていただいていたんですけど、ちょうど、障がいを持っている方が一人、参加をしていただきまして、一人ポツンとしてて、あれ、どうしたのかなって思って、そしたら、隣にお母さんだと思うんですけども、その会場には、本来、親は入ってはいけないことになっているんですけども、よく見てたら、なるほどなって思って、そのお母さんにちょっとお話を伺ったらば、よく来ていただけましたねと言ったら、どうしてもこの子が来たいからって言うんで、でも、やっぱり、来ていただけるっていうのが、私としては、非常にうれしかったし、そしたら、ほかの民生委員の人が、あの人ね、誰々さんだよとか、やっぱりちゃんと知ってる、そういう町のつながりというものが、相手の顔がよく見える、名前がわかるとか、そういうことのつながりを如何に地域の中で、育んでいくかというのが、私なんかにとっての使命かなと思っています。

 これは、たまたま町会っていう縛りではなかなかできないところではあるんですけれども、やはり、地域の中で、それこそ水野さんですとか、矢作さんですとか、ほかにほんとにたくさん、多種多様な方がいらっしゃって、そういう方たちといろいろ交流を深めながら、いろんな、逆にアイデアを出していただきながら、つながりをどんどん広げていく、如何に町がつながっているかということ、そういうことを如何に、皆さん一人一人が感じていただいて、活動していただく、そういう視点で見ていただくだけでも、最終的に、例えば、障がい者の方とか、あるいは認知症の方ですとか、ほんとに支援を必要とするような人たちが、少しでもその地域に住んで良かったなあ、この地域の人たちの何かふれ合いとか、そういうものを感じてもらってくれたらいいなというふうに思っております。これからも、活動の課題というのは大変多くて、地域の人が全部が全部、そういう気持ちでやっていただけるわけではないので、その辺のところを啓蒙活動とかいうのも、私なんかがこういうのをやるって言うと、町会長、そんなことまでやらなくていいんだよって、言われてしまうことも多々あるんですけども、私としては、できるだけ皆さんが、ここにいて、困ってることがあれば、少しでも何か手助けをしてあげたい、この町で住んで良かったなというような、そういう思いになっていただけるような、そういう活動をできるだけこれからも続けていきたいなあと思っています。私の発表は、以上でございます。よろしいでしょうか。すみません。お役に立つかどうかわかりませんけど、すいません。失礼いたします。

【澤岡】 どうも、ありがとうございます。おそらく、今日は、認知症になった人というところに焦点を当てていますが、障がいを持つ人、それから、もしかしたら、今の地域、その閉じこもりの若者というのも増えています。外国籍の方も増えています。そんな方々、すべてを主語にしたときに、やはり、重要なのは、日常の町のつながりを如何に育んでいくか。おそらく、餅つきとか様々なきっかけをお話しいただいたんですが、これもおそらく、今、見ていただきますが、この「かくれんぼ」、すべての人のつながり、緩やかな町のつながりを育んでいくためのきっかけ、種まきなのかな。おそらく、この赤塚が、非常に今、認知症になった人も住みやすい地域になっているというのは、もしかしたら、そういった活動に関わる人すべてが、町の育み、町のつながりを育んでいくために、何かこういった活動、イベントをきっかけ、種まきをしているからなのかなということも感じさせていただきました。

水野 隆史氏の動画

【澤岡】 水野さん、さっき動画が一番いいところで途切れてしまったようですが、もしよろしければ、最後、皆さんに見せていただければと思います。よろしくお願いします。

---映像放映---

【水野】 これが、「チーム赤塚」の人たちで、その時の様子の写真もちょっと見ていただきたいんですけど、これがさっきの「ののぽん」で、この真ん中のこの人が、この人、統合失調症の人です。普通に参加してますね。この人、車いすの人です。見た目、そのまんま。この真ん中の親指立てているこの人は、若年認知症。うちの会の人で、普通に参加してもらってます。この人も、うちの若年認知症の会の人で、この人は、探す役になってもらったんですけど、全然探してくれなくて、ビールばっかり飲んでて、全然やってくれなかったんですね。相変わらずな感じ、自由にやってます。こんな感じで、みんなでやって、先ほどの矢作さんの写真もあったんですけど、多世代で子供を含めて、みんなで楽しく遊んで、理解し合う、お互いに見守り合って、認知症でも、車いすでも、統合失調症でも、みんなでお互いに見守り合うっていうのを体験したというような、そういった会になっています。さらに、また、町の中で広がってまして、今、「子ども食堂」で、このバンダナしてる人、この人も若年認知症なんですね。彼は、ご飯を作るのがとても得意なので、いろんなボランティアをしたり、今は、お豆腐屋さんで働いたりしてるんですけど、子供たちと一緒にご飯を作ることで、ここが彼にとって大切な場所になっているんですね。子供は、ご飯食べて、子供においしいって言ってもらって、彼はとてもうれしいし、子供は子供で、彼に作ってもらったご飯を食べることによって、ここにくる子は結構、ここって毎日やってるんですね。365日、毎日やって、三食出しているんで、ほんと食べれない子供とかも来る場所なんですけど、そういったところで、彼は、その人のところで、毎週土曜日ボランティアをすることによって、彼は、そこでも役に立っている。子供にとっても役に立っているというところも少しずつできてきたかなっていうところです。すいません。だいぶお見苦しいところを、私は、これで終わりにさせていただきます。どうも、ありがとうございました。

【澤岡】 どうも、ありがとうございました。やはり、今の「子ども食堂」でボランティアをされるきっかけにつながったのも、お互いみんなが顔見知りになるというところから、始まったということになりますか。

【水野】 そうですね、はい。

【澤岡】 ありがとうございます。よくシンポジウムとか、いい事例紹介で見られますのが、やはり、こういう就労につながりました、ボランティアにつながりました、その一部分だけを切り取ることが多いように思います。ですが、今日お話しいただいたのは、やはり、そこにつながるための、普段の日常、如何にお互いを顔見知りになるか、お互い一緒に何かをする機会を増やしていくか、それがもしかしたら、豊かな、誰にとっても住みやすいコミュニティにつながっていくのかなということを、お三方から教えていただいたように思います。ちょっと、お時間限られてはいるんですが、普段、赤塚という地域の中で、別の視点、別の切り口、別の立ち位置で活動されているお三方。今日は、改めてほかのお二方のお話伺われて、何かちょっと感じたこととか、ああそうだったのねって気づいたこと、または、ちょっとこういう機会だから聞いてみたいよという何かご質問などありましたら、水野さんから、まず、ちょっと順番にいただけたらなと思います。如何でしょうか。

質疑応答とまとめ

第3分科会5

【水野】 ありがとうございます。質問は、ないんですけど、なんで赤塚って地域がいいかっていうのを、ちょっと説明しときたいなと思います。この「チーム赤塚」っていうところ、NPOなんですけど、普通そのNPOとか地域の団体って、とっても失礼なんですけど、やっぱり高齢化していて、70代くらいとか、高齢の方がメインなことが多いんですね。この「チーム赤塚」って、30代、40代、50代ぐらいの人が、ほとんどなんですね。若い人が中心になって、町を良くしたいって思ってる団体ってすごく少ないと思うんですよね。そういう団体があるっていうこと、しかも、赤塚っていう町を良くしたいっていう団体なので、そういう団体って、あんまり聞いたことがなくて、すごくいいなと思ったのが、まず、一つありました。しかも、プラス、そこに三枝さんという町会長さんがいる。「チーム赤塚」もあるし、三枝さんって町会長もいる。その三枝さんっていう町会長さんは、普通、町会長さんって、いろんな方がいる。もし、この中にいたら、俺は違うって言ってほしいんですけど。町会長さんって、結構多いパターンとしては、俺の言うことを聞け的な、そういうパターンの方が多いと、そうじゃない方もいると思うんです、全員じゃないですよ。全然そういう感じじゃなくて、若い僕みたいな人間が何か言っても、全然、聞く耳を持って、面白いんじゃないかとか、力を貸してくださったりする。そういう方なんですね。そういう町会長がいて、しかも、若い人が中心のNPOがあって、みんな根を下ろして、団体も町をよくしたいと思って、ずっとやっている。そんな町って、なかなかないだろうなっていうことがあって、そこで、いろんなことをやっているので、そこでやることが、この一連の労働(活動)ができれば、そこで、であれば、認知症の人も暮らしやすくなるんじゃないかって思ったのが、きっかけとしてあります。説明なんですが、そんな感じです。

【澤岡】 では、それを受けてというわけではありませんが、如何でしょうか。

【矢作】 そうですね。まず、知ることが、多分、一番大切なのかなと思います。子育て世代、に私共ももちろんいるわけですが、そうするとやっぱり、どうしても子供に目が行きがちになってしまって、ほかの情報っていうのが入ってこない。私の場合は、一応、三世代で暮らしているので、母親がおりまして、母親は、まだ、認知症にはなっておらず、元気なので、なかなか認知症って、言葉ではメディアで見てはいるんですけども、実感するということがありません。その中で、町のつながりを作るというのを合言葉に、顔の見える関係づくりをしてるわけなんですが、その後に、いろんな団体と知り合って、特に水野さんと知り合ってからいろんな情報が入ってくるようになって、改めて、ああこれつながりっていうか、顔の見える関係っていうのはすごい大切なんだなと思いました。当初、NPO法人を赤塚限定で立ち上げたときに、結構、町会長さんとかが煙たがられたんですね。あいつら、なんか、名前売りたいから作るんじゃないのかって感じで、すごく言われていた時期がありまして、その辺を町会長の三枝さんに、改めて聞きたいと思うんですが、どんな感じでしょうか。今、現在は。

【三枝】 私自身は、「チーム赤塚」、本来、ある小学校のおやじの会から立ち上がってるんですね。その小学校自体、私が卒業してるんですが、子供はお隣の小学校へ行ってたんで、いわゆるPTAとか全くやってなくて、ただ、「チーム赤塚」ってのが、まだ、NPOになってなかったのかな、その時に団体でいろいろ中間支援やってるの見てて、とってもいいことやってるから、俺も入らしてもらっていいかなって、自分から進んで入ったようなところがあるんですけど。 やはり、先ほども言ったように、昔の村の名前がついている町会ということで、例えば、何々姓がずっと町会を、矢作っていう姓も赤塚では、すごい由緒正しい昔からの、矢作町会長さんも、実際、中にいらっしゃるんですけど、そういう町会長さんの苗字を見ると、ああ昔の方の家なんだなとよくわかるような、ほんとにそういうところが多いんですけども、やはり、自分たちが入って、携わってないと、あいつら何か好きなことやってるみたいだねとかって、何かちょっと斜めに見られてしまうようなところが、無くは無いのが実情ですね。 その中で、こういうふうにひた向きにいろんなことを考えながら活動をしているっていう、そういうのを見ていると、そこに私が入っているっていうと、なんで入ったのって、びっくりされるんですけど。でも、こうやって一生懸命こういうことやってるし、今度こういうのあるみたいですよ、是非、協力してくれませんかねって、町会長会議とかでも事前にこういうチラシを巻きたいんだけど、町会にいいでしょうかという、町会長会議で出したりして、それを、やはり、いいんじゃないか、ぐうの音が出ないような形で、ちょっと、取り敢えずは、絶対に、じゃあ回覧板でこれを回せるようにしましょうっていうことで、やってもらえるようになったりとか言うのは、確かに、無くは無いですね。 だから、別に私がそれをやってるからどうかということではないんですけど、やはり、何かこの、人が新しいことをやるってことに対するする抵抗感ていうのは、どうしても古くからいる人には、抵抗があるのかなというふうに思います。この辺のところを、新しい感覚とか、若い人たちの意見とか、そういうものを如何に取り入れるとか、話を聞くとかっていうことを、でも、だんだん町会長さんも変わってきて、すごく理解のある町会長さんも増えてきてるので、だいぶ、やっぱり、赤塚というところも変わっているのかなあというふうには思います。

【澤岡】 ありがとうございます。今日、お時間が16時までということで、残り15分ですが、ここでちょっと、もしよろしければ、皆さんから、なにかご自身の取組の視点から見て、こんなこと聞いてみたいとか、何かございましたら、いくつか質問をお受けできるかなと思いますが、如何でしょうか。

【来場者:男性】 赤塚の取組が、非常にこう、それで全部が説明できてるかどうか知りませんけど、いい取組をされていると感動しましたけど、私が住んでいるところで、若年とは違いますけど、高齢者の斑認知症みたいなのがね、家の近くでおられて、いろいろ困ったこともあったり、そうでもないときの付き合いの方が、もちろん多いんだけど、そういう時に、民生委員の方だったか誰かにちょっと名前は言わないで相談をしたときに、個人情報については気を付けてくださいねっていうふうに釘を刺されて、なかなかほんとのところ、一番困ったようなことについて、誰がこうだっていう相談ができない状態なんですよね。だから、一度オープンになってしまえば、周りの人も本人も気楽にやれるんだなあという感じを、今、受けましたけど、そこに行く過程が難しいなと思っているんですけど、そういう個人情報的な管理についての議論は最初になかったのかなあと。自然に今の状態に行ったのか、その辺をちょっとお伺いしたいなと思いました。

【澤岡】 これ、おそらく、お立場が違うと、またこう見解も違うのかなと思いますので、それぞれ、ご報告いただいた順番で、では、ちょっとご意見というか、いただけたらと思います。

【水野】 ご質問ありがとうございます。基本的に個人情報とか、あらゆることを、あらゆるって言い過ぎなんですけど、誤解を招きそうなんですけど、当然、難しいですね。特に若い認知症の方だと、若いですし、高齢と違うので、高齢でももちろん個人情報難しいんですけど、若いと特に隠したいという場合が極めて多いです。ただ、そこを突破するのは何かというと、やっぱり、信頼関係なんですよね。その方と如何に信頼関係を結んで、何かあったときに情報出してもいいよというふうにできるかどうか、そこまで行けるかってところに、多分なると思います。私のところで、いろいろやってますが、すべての方とそうなっているかというと、まだ、そうなってない方も当然います。でも、やっぱり、多くの方と、今、そこまでは行けるようにはなっているので、やっぱり、町の中でもそれぞれの方と如何に信頼関係を結べるかということなので、そういう意味では、町でずぅーと根を張っている人たちであれば、そういうことも、少しずつ限界を突破して行けるんじゃないかなと、私は思っています。キーは、基本的には、信頼関係だと思っています。

【澤岡】 ありがとうございます。では、町で根を張っているお二方にいただけたらと思います。

【矢作】 個人情報の問題は、やはり、水野さん同様に難しいところで、それゆえに顔の見える関係を作る、信頼ですね。その構築がほんとに大切なんだと思います。それを作ったとしても、すごく難しいところがございます。やっぱり、人間模様、様々ですから、すごい大変なことがございますね。それをちゃんと、コーディネイトできる人が地域にいっぱいできてくると変わってくるんじゃないかなと思います。そのためには、常々、勉強する必要があるなっていうのを感じています。

【三枝】 そうですね。民生委員さんとの情報共有とかっていうのは、私なんかも、ほんとに知りたいっていうのをすごく思ってまして、今、板橋区で、例えば、大きな災害、震災があったときには、うちの町会では、要支援何級とか要介護何級とかの人の名簿があるんです。それは、町会長と副会長だけにしか渡されなくて、それもちゃんとファイルになって、鍵もかかるぐらいに、そのぐらい管理をしっかりしなさいということのようなんですけども、私もそれを見て、うちの町会で、程度の差はいろいろあるんですけど、60人ぐらいうちの町会にいるんです。じゃあ、この地区だったら、なんかあったら、誰々さんがとかっていうのは、一応、話をしながら割り振りを決めたり、ただ、我々が、その時にその場にいるかっていうのは、全く別問題なので、それはもう、しょうがないですけど。あとは、実は今日、最後、お話の中で、民生委員さんとの情報交換というのを、話をしようかなというのを思ってたんですけど、民生委員さんのいろいろお話を聞くと、やはり、役所の方から、個人情報については、一切そういうものに対しては、きちっと守ってくださいという、強いお達しを受けていらっしゃるので、なかなか、その辺を、別に情報を公開しようとか、流そうとかってことではなくて、ただ、我々地元のこういう人間に対しても、なかなか、それがやっぱり情報として伝えにくい、まだ、そういうシステムになっちゃっているのかなと思います。その辺のところを民生委員の方々と話をしながら、私、まだ、実現してないんですけども、定期的になんかそういう、逆に民生委員の人でも困っているとかいうような人とか地域でいるんであれば、そういう方のところに、じゃあ、誰かこう、先ほどの支え合い会議っていうのが、うちの地域でもやってるんですけども、私も個人的に、NPO法人で、「みんなのたすけあいセンターいたばし」っていう介護保険でサービスを受けられない人がそこへ連絡をすると、例えば、ちょっと身体が動かないんで庭の草むしりやってくださいとか、お部屋の掃除してくださいとかいうのがあるんですけど、たまたま、そういうので情報が来て、自分が行けるときは、行っちゃったりもするんですけど、ほかの方に行ってもらったりっていうのが、そういう情報が地域の中で、簡単にこういうの困ってるんだけどというのが、わかるともっともっと地域の中で、そういう助けられるというか、手を差し伸べられるような、そういう身近なところでできるのかなと思うので、できるだけそういう、個人情報、個人情報という時代になっちゃって、なかなか、町会でも名簿作るのが非常に大変になってしまった時代なんですけども、なんかそういう人と人とのつながりみたいなものを、さっき、水野さんが言ったように、信頼関係を如何に日ごろから作って行くのが大事なのかなというふうに思います。

【澤岡】 ありがとうございます。おそらく、それは、周りで支えよう、何かお助けができないかなという側も、まさにそういう発想が必要だと思いますし、もしかしたら、認知症になられたご本人、それからご家族も意識して外とつながっていくというふうに、ちょっと意識を変えていくということも、もしかしたら、今、求められているのかなというのも、今、感じさせていただきました。あと、お時間、もうお一方ぐらい、ご質問お受けできますが、如何でしょうか。はい、お願いいたします。

【来場者:男性】 今日、本当にいいお話を、地域での活躍、一つの例として、非常にいいことをお聞きいたしました。認知症の問題ですが、認知症ってのは、若年性認知症と高齢者になってからの認知症、これ全然違うわけですよね。はっきり。今、高齢者になってからの認知症で、非常にモデルの人が一人います。聖マリアンナ大学の長谷川和夫先生。この人は、長谷川スコアということで、認知症の専門家であり、認知症の度合いを決めるための条件を研究した人なんですが、ここ2、3年あまり、また、その人が認知症になられて、昨年、残念ながら亡くなられたわけなんですけども、その認知症と、今日の認知症になっていうのは、どの程度の人たちのサポートなのか、そして、これから閉じこもっておられる認知症の人とか、何とかっていうのを、やはり、助けてっていうんですか、いい社会を作って、みんなが、いわゆる社会に出て、活動して、なかなか老化しないようなね、地域を作っていくべきだと思う。そして、今日、非常に喜ばしいことは、私は幼児教育からそれをやらないかんだろうと思っておりますので、今日の活動は、幼児の人がたくさん出ておられて、こういう社会になって行くんだから、皆さん助け合おうじゃないか。あの時代から、やはり、教育っていうんですか、していかないと社会は、良くならないんじゃないかと。令和になって、令和維新を、その辺のところをターゲットにこれからやって行く一つの大きないいモデルで非常にありがたく思いました。一つ、最後にあれなんですが、厚生労働省が、認知症サポーターっていう制度を、補助金を出して、各都道府県市町村にやっております。私も町田で、3回も4回も受けまして、この手に輪をつけて活動しようと思うんですが、そういう人はほとんどいなくなりました。折角、制度があって、パッとやって、ちょっと経つとそういう状態がなくなるという。これは、社会が悪いのか制度が悪いのか。それから、やはり、一つ一つの水たまりでいいことをやっておられるやつが、やはり、池となり、川となり、海に流れて行くような情報っていうんですか、みんなの協力が必要だと思いますので、また、いろいろ具体的なことがわかりましたら、教えていただきたい。その認知症サポーターは、どういう活動になっているのかということを、ちょっと知らせていただければ、ありがたい、こう思います。

【澤岡】 これは、今、具体的に赤塚の中では、認知症サポーターの方々が、今、お三方の中ではなにか動かれていたりとか、一緒に連携されていたりというようなことは、何かおありでしたら。もし、おありでしたら、教えていただけたらと思いますが、如何でしょうか。

【矢作】 そうですね、サポーター養成講座っていうのを、以前、下赤塚のお年寄り相談センターというところとジョイントさせていただいて、何回か開催いたしました。今は、子育て世代の人たちですね、狙いは。たまたま、PTAとかもやっていた関係で、そこに学校のPTA関係者とか、そういう人たちを呼んで、講習会をした経験はございます。また、商店街を利用した徘徊訓練とか、そういうのも協力していた経緯がありますが、先ほどおっしゃったように、なかなか浸透していかなかったというのが現実です。そういう意味では、先ほど出した「みまもりあいプロジェクト」のアプリのダウンロード。これは、子育て世代が、今、ほんとに簡単にできて、みんながスマホを持ってる時代なんですね。そうすると、この地域で、5万人の地域で、もし3分の1でも、みんながダウンロードしたら、ほんとに見守り合える地域ができるんじゃないかなっていう可能性の方が、今は強くなって、そっちの活動をしているところでございます。

【三枝】 私、あまり認知症のことっていうのは、よくわからないで、ただ、自分もサポーター養成講座受けて、オレンジリングいただいたりして、先ほど、矢作さんもおっしゃったけど、赤塚の商店街で実際に認知症のサポーターの、一般の人にも入っていただいて、こういうふうに認知症の方が、もしいたら、町で見かけたら、こういうふうに接してくださいとか、そういうことをやったりはしておりました。そういうもので、もっともっと持続しながら啓蒙していくということも必要なのかなと思っていますけど、なかなかそこまで手が回らないというか、あれなんですけどね。その辺、また、今のお年寄り相談センターなんかと、お年寄り相談センターさんも、「赤塚ジモパ」「まちの学校」に入っていただいていますので、また、そういう情報をいろいろいただきながら、協力しながら、何かそういうことも含めて活動して行けたらいいかなというふうに思っております。

【澤岡】 ありがとうございます。やはり、サポーターになったからといって、何か活躍の場があるかというよりは、日常生活の中で認知症になった人と如何に生きていくかという、その視点を持って生きて行けるか、そちらの方が、もしかしたらサポーター養成講座受けた人にとっては、重要な部分なのかなとも、ちょっとこれは、個人的な感想ですが、感じていたりもします。今日、もう少しお話を深めて行きたいところではあるんですが、今日は敢えて、認知症になった人に何か場を用意するとか、何か支える仕組みを作ろうねというアプローチではなく、どちらかというと地域、今日もキーワードで出てきました。まちのつながりを育む、この多様なつながりを育む中で、じゃあ、認知症の人も一緒に巻き込んで、巻き込まれて、そして、お互いに認知症の人も一緒に地域を作っていく存在として、このまちづくりという視点から、今日は、このお三方にお話をいただきました。皆さん、赤塚だからできる、ではなくて、おそらくご自身の地域、それから、今、取り組まれている活動も、もしかしたら視点を変えれば、何か認知症になった人と一緒に、そして豊かなつながりを育む何かのきっかけ、種まきにもなるのかもしれません。今日は、それぞれの地域、ご自身が取り組まれている活動、そういったものを、ちょっと振り返られながら、じゃあ、ご自身だったら、ご自身の地域だったら、どんなことができるかな、どんな種まき、つながり、豊かな育みを実施して行けるかなという視点で、今日は、お話を聞いていただけたらと思いました。今日は、非常に短いお時間、タイトなスケジュールとなりましたが、皆さん、それぞれ何かお土産を持って帰っていただけたらと思います。今日は、皆さん、どうも、ありがとうございました。