第1分科会「高齢社会フォーラムin東京」

「コロナが分断した人間関係を、人間の力が紡ぎ直す。 老いて「健康とは何か」を第一線の専門家と語る作戦会議」

コーディネーター
樋口 恵子
(東京家政大学 名誉教授)
パネリスト
飯島 勝矢
(東京大学高齢社会総合研究機構 機構長)
春日 キスヨ
(高齢社会をよくする女性の会・広島 代表)
中村 丁次
(神奈川県立保健福祉大学 学長)

〈要旨〉
 第1分科会では、「コロナが分断した人間関係を、人間の力が紡ぎ直す。老いて「健康とは何か」を第一線の専門家と語る作戦会議」をテーマに、パネリスト3名の専門家による報告が行われました。飯島勝矢様からは、コロナ禍で高齢者に進んでいるフレイル化の防止には、単なる運動習慣だけでなく文化活動や地域活動が効果的であり、高齢者のエンパワメントを実現できる社会こそが必要であるとのお話がありました。中村丁次様からは、フレイル、介護予防のためにも高齢者はしっかりと栄養を取らなければならない。コロナ後には、SDGsの観点からも理想的な日本の伝統的食文化を世界に発信すべきだとのお話をいただきました。春日キスヨ様からは、人生100年時代の課題は一人暮らし期、長寿期をどう生きるかである。そこをしっかり見据えて、元気なうちに暮らしや人間関係の組換えが必要であるというお話をいただきました。

分科会1

【樋口】 皆様、こんにちは。内閣府高齢社会フォーラム第1分科会によくお集まりくださいました。今年は異例づくめのフォーラムでございます。何しろコロナ禍の下で行われるということですから、今日は1人ひとりのパネリストの方々がご自宅や研究室からという、いわゆるZoom会議でございます。直接に皆様のお顔を見ることができなくて、私たちはとても残念に思っております。

 しかし、にもかかわらず、このようなZoomで出会うことができまして、コロナに負けないどんな社会がつくれるのか、そう言っている間にも世界でも異例の速さで日本の高齢化はずんずんと進み、おそらくコロナ後の高齢社会は、今とはかなりかたちの違った75歳以上80歳以上の後期高齢者といわれる人が多数派を占める新しい社会になっております。

 そこで、第1分科会のテーマは「健康」でございます。超高齢社会の特に高齢者たちの健康、これをどうすれば打ち立てることができるだろうか。コロナで分断された人間関係を人間の力でまた結び直し、そして新しい高齢社会のどこに光を見いだしていけるか。日本の第一線で働くお三人のリーダーの方々におそろいいただきました。五十音順でご紹介申し上げます。お一人目は飯島勝矢先生、お医者様でございます。今日も診療の場から駆けつけてくださいました。

【飯島】 こちらこそよろしくお願いいたします。東京大学の飯島と申します。もともと高齢者医療、老年医学が専門である医師ですけれども、同時に「ジェロントロジー」といいまして、高齢社会対応のまちづくり全般をどのように総合的に俯瞰しながら構築していくべきなのか、を推し進めている研究機構の機構長をやっております。今日は健康長寿について、いろいろ私の最新の取り組みも含めましてメッセージをお伝えできればと思います。よろしくお願いいたします。

【樋口】 よろしくお願いいたします。健康寿命や平均寿命の定義とか、フレイルとは何か、いろんな言葉の意味だけでも教えていただきたいものがたくさんございます。先生は、内閣府の「1億総活躍国民会議」の民間委員としてもご活躍でいらっしゃいます。

 次に春日キスヨ先生をご紹介いたします。近著『百歳まで生きる覚悟』(光文社新書)のなかで、高齢者が健康を祈念しつつ倒れた後の対策を、家族とも相談せず「おまかせ」であること、ピンピンコロリ願望は幻想であり、多くの場合、スタスタの次に、ヨタヨタという心身の衰退期があることを指摘。まさに私などその「ヨタヘロ期」の入り口にいるので、ショックでした。「予防」と言われてもワクチンはあるんでしょうか。高齢者の生活支援に長年かかわっていらしたお立場からさまざまな問題を生活の分野からご覧いただいている春日キスヨ先生、よろしくお願いします。

【春日】 私は社会学の視点から支援の現場に関わりながら高齢者介護や暮らしと家族の変化について考えてきました。2002年以降は虐待防止支援の現場に関わってきたのですが、虐待関係に陥った高齢者のなかに自分が高齢になって倒れたときのことをこれまで考えていなかったという方が結構おられました。そのなかで「学歴もありそれなりの仕事に就き、知識も能力もある高齢者が自分が年をとり倒れた時に向けてどんな備えをしているのだろう」と疑問を持ちアクティブシニアといわれる元気高齢者の話を聞く仕事を始めました。そして、そこで知ったのは、多くの高齢者が健康増進には関心があっても、体力・気力・知力が低下していく長寿期をどのように暮らしていくか、倒れた時にどこで誰に支えてもらっていくかについて考えたくない、考えていないという事実でした。そのなかで考えたことを、今日は「人生100年時代、長寿期を生きる新たな暮らしの技法の創出を!!」という題で、「長寿期を生きる暮らしの知」が新たに創出される必要がある、というお話をさせていただきたいと思っています。

【樋口】 あの、「ピンピンコロリ」というのは無理ですか。

【春日】 無理だと思います。1割台ぐらいの人は可能かもしれませんが、医療技術が向上している現在、大多数の人はいったん倒れても回復し、より弱った状態でヨロヨロしながら長寿期を生きねばならない時代になっています。だから、倒れても回復し、ヨロヨロしながら生きていく力、それもひとり暮らし高齢者が増えている現在、誰かの支えを受けながら一人で長寿期を生き抜く力が必要。そうした力をいつどのような形で身につけていけるかどうかが高齢期の大きな課題だと思うんです。

【樋口】 個人としても、そうしたヨタヘロ期の高齢者を支える社会をどう作るかも、大きな問題でございますね。あとでよろしくお願い致します。

 さて、日本人の平均寿命は、今オリンピックにその種目があれば絶対メダル圏内にはいります。戦前の日本人の平均寿命は、先進国といっても戦前は50歳に及ばず、まさにこの7、80年の中で人生50年から人生100年といわれるまでに伸びて参りました。その理由は、医療、経済、いろいろなことがあると思いますけれども、私のように飢えた時代に育ったものからみますと、食生活の変化・向上というものが劇的であり、衣食住の中でも柱ではないかと思っております。日本の栄養学、ひいては食生活の総本山、中村丁次先生お願いします。

【中村】 皆さんこんにちは。ご紹介いただきました神奈川県立保健福祉大学で働いています。中村でございます。私は、人は何をどのように食べれば健康で幸せになれるかということを、約半世紀にわたって考え続けています。

 今日は最近よく言われているように、まず健康長寿というのは何を目指しているのかということをお話し、2番目に今話題になっていますコロナ禍でどんな食事をすべきなのかという2つのポイントをお話したいと思っております。そもそも今、政府やマスメディアでは、人から離れるという3密という政策が取られているんですが、もう1つ大事なのは体自身に感染症に対する抵抗力をつけるという話です。これがあまり出てこないので、今日はそのことに触れて、そして最後に今流行りのSDGsのことにもちょっと触れたいと思っています。

【樋口】 ありがとうございました。コロナが分断する人間関係を人間の力で紡ぎ直し、そして世界が注目する超高齢社会の老いをどのように豊かに生きていくか。今日は第一線の専門家による作戦会議でございます。それでは本論に入ります。まず飯島先生からお願いいたします。

パネリスト 飯島 勝矢氏のお話

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【飯島】 了解いたしました。ではスライドを共有させていただきます。改めまして東京大学の飯島と申します。今日は貴重な機会をいただきありがとうございました。タイトルですが、「健康長寿って何?:鍵はフレイル予防」と書かせていただきました。当然いろんな要素が必要だと思いますが、1つフレイルという言葉も前面に出しながらお話させていただきたいと思います。

 まず健康長寿ということを我々みんなで考えて、それぞれ様々な政策を取り込んできた現実がありますが、果たして今まで推し進めてきた「健康長寿」というものと我々国民の幸福というものがイコールになれているのか。それこそ、ニアリーイコールになれているのか。そこまで一致できていないのか。もっと言えば日々の充実、日々の満足度というものが、ちゃんとパラレルに十分底上げできてきたのかどうかということも、原点に立ち返る時期にも来ているんじゃないかと思います。

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 このスライドにお示ししておりますように、「人生100年時代、健康長寿を実現するために」ということで、このスライドにはいろんな情報が書いてあります。ちょうど真ん中のところのオレンジの帯のところを見ていただけますでしょうか。就労・社会参加、やはり健康づくりというのは、ベースは医学的なお話ではあるんですけれども、決して医学的なお話だけではなくて、より健康長寿を実現するというのは、もうかなり限界に来ているといいますか、医学的要素以外のところが非常に大きいということも分かっております。そこに健康づくり・フレイル予防。早期からの健康づくり・早期からのフレイル予防というものを実現したいわけなんです。

 とは言いましても、我々は老いというものが出てくる。自分でできないということが、身近な生活の中に出てくる。そこに生活支援というものが出てきます。最終的にはケアと、このような一連の流れになっているわけです。これがお一人お一人住んでいる地域のレベルで、何かシステム化されていてほしいというものがあります。

 また下に「まちづくり」と書いてありまして、小さな字でいくつも書いてあります。特に社会インフラと書いてありますけれど、これはインフラと言って道路の整備をしましょうというハード面のことだけを言っているわけではなくて、やはりサロン、集いの場、集会、交流という、いわゆる地域の居場所というところですね。もうほんとに気心知れたメンバーとの時が経つのを忘れるぐらいの居場所というのは何なのか。そこにちょっとした役割は何なのかというところが、かなり大きなウエイトを占めるのではないかということが分かってきております。

■「人とのつながり」がフレイル予防に

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 そこでこの「フレイル」という言葉は、今日拝聴されてる皆様にも、大なり小なりをお耳に入れていただけているのではないでしょうか。これはもともと虚弱という日本語の、英単語でfrailtyのtyを取った形容詞、いわいる和製英語としてフレイルということで、2014年からですからもう6年ちょっと前からケアされてきたものであります。

 何でもかんでも健康だというわけではなく、そして要介護になってぎりぎりというわけでもないという一人一人が持っている中間の時期で、しかも多面的な要素によってこのフレイルというのは進んでいってしまうんだ。この多面的というものがちょうど真ん中に書いてあるカラフルな歯車で代表されているわけです。体の衰え、身体的フレイルという要素だけではなくて、心理面、そして軽度の認知機能低下、MCIのような病態も併存してくる。そして赤い歯車、この社会的フレイルも多様なんですけれども。このさまざまな視点があい絡み合いながら負の連鎖のようになって、我々人間は自立度が落ちていくんだというものです。

 すなわち、当然「食」も重要です。そして「体を動かす」ということも重要。それと並列して自分の日常生活、どのような仲間と過ごしているんだという「社会性、人とのつながり」の要素が非常に大きいということです。

 そしてフレイルの概念の3つ目として、可逆性ということを前面に打ち出しているわけです。大なり小なりなってしまうかもしれませんけども、適切な介入、適切なやるべきことというものを、日常生活の中でアレンジしていけば、しかも継続させていけば、大なり小なりいい方向に向かってきますという、まだ戻せる余地があるんだということを、メッセージで言っているわけでございます。

 そこで、我々の研究室でフレイル予防をやっている研究室があります。そこからいくつももうエビデンスを出しているのですけれども、今日は1つ2つご紹介したいと思います。これは関東のある自治体、市町村にお力をお借りして、自立されているご高齢の方々全員の調査であります。悉皆調査49,209人ですから約50,000人です。彼らは自立されているので、さまざまな活動をされています。左下を見ていただきたいんですけれども、身体活動、いわゆる運動習慣を持っているという方です。これは「たまにやりました」ではなくて、毎日ないしは2日3日定期的にという運動習慣です。ある方は○、そうじゃない方は×。

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 2つ目文化活動。これは「私は囲碁将棋大好きで」みたいなのですね。そういうものを定期的に習慣化されている方は○。そうじゃない方は×。あとは地域活動ボランティア活動。これを持っている方は○、そうでない方は×。このように○×○×の掛け合わせで8つのグループに分けてみました。

 この棒グラフは虚弱、フレイルになってしまっている危険度の高さを表します。棒グラフは高くないほうがいいわけです。まず分かりやすいところ、一番左と一番右。両極端のオール○と3つとも×という方を比べてみると、やはりオール○、普段からやっているよという方は素晴らしいんですけれども、オール×は、約16倍リスクが高くなるということが分かってまいりました。それと同時に私がへ~と思ったのはここです。赤枠が出てきました。まず左の赤枠は運動習慣は持っていないんだけれども、文化習慣はボランティア活動地域活動をしょっちゅうやっている。一方で右の赤枠は、運動習慣はもうばりばりだ。今日も午前中にこれだけやってきたんだけど、文化活動や地域活動をやっていないという方。この2つを比べてみると、運動だけだったという方のほうが、2倍と6倍というふうに数字が出ておりますが、約3倍リスクが高く移ってきてしまったということになります。この現象をどのように考えるのかということですね。当然運動自体が否定されたわけではありません。運動を定期的にやられる方は、さらにどんどん頑張っていただきたいわけなんですけれども、今日拝聴されてる方々はお分かりだと思います。

 この左の赤枠のところにメッセージがあるわけですね。この文化活動、地域活動に代表されることは、僕なりに解釈すれば、普段から地域に出ていて普段からちょこちょこと人とつながっていて、純粋な典型的な運動はやっていないかもしれないけれども、もしかしたら結果的にいっぱい動いてるかもしれませんということです。ですから、これは純粋な運動も当然素晴らしいんですけれども、それ以外、非運動性の要素でも、結果的に体を動かしているということも相当馬鹿にならないんじゃないかということが読み取れるデータではないかなと思います。

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 もう1つ我々の研究チームから出したエビデンスをご紹介いたします。これも小さな字がいっぱい書いてあって少し読みづらいかもしれませんけど、社会的フレイルです。それがいかにリスクが高いのかということを出したエビデンスを1つご紹介します。左を見ていただきたいんですけれども、左に3つの色がついています。大きく3つのカテゴリに分けて、1~7番まで合計7問。例えば生活範囲が狭く、外出頻度が減るという分野と、家族や友人何でもいいので交流が減ってきてしまうということ、そして3つ目が支えがない。不都合な環境もろもろですね。そういう代表的な3つのカテゴリに対して、それぞれに2、3問ずつピックアップして、この7つの質問で3つ以上×がつくと、一応社会的フレイルと仮定してみたということです。

 そうしてみますと、体の衰え、いわゆる身体的フレイルの要素が全くない方々だけを抜粋したものです。5年間様子を見るだけでも、やはりこの社会的フレイルを持っている方のほうが、3.6倍多く新規の要介護になりやすいということも出てきました。このように、非常にこの社会的な要素というのは、かなり大きいウエイトを占めているんだということになります。

■フレイルサポーターがもたらす効果

 当然この人とのつながり、社会的な要素は、いろんなことがあります。例えば我々の研究チームでも推し進めておりますご高齢の方々の地域での就労。これの多面的な選択肢というのを意識してもらって、今までの現役とまた違うものにチャレンジしてもらうことも重要かもしれません。また、我々はフレイル予防で、高齢の住民の方々に主体的にフレイルサポーターとして、まちづくり全般でやっていくという活動をやっています。これはとても混み混みしたスライドで見にくいでしょうけども、①②③④と書いてあります。

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 ①番は大規模調査研究でフレイルに関するエビデンスを出して、②番は地域地域の集いの場を気づきの場に変えていこう。そこに専門職種が何かをやるということではなくて、この黄緑色のユニホームを着た地域の元気シニアがフレイルサポーターとして一緒にフレイルチェックで確認し、一緒に気づき合って仲間を増やしていこうじゃないかというものです。これが手応えがあるということで現在、全国の自治体に広げているわけなんですけども、現在③番71自治体。それこそありがたいことにこのコロナ禍でも1つ2つ3つ…どんどん導入してくる自治体が増えてくださっているということになります。ちょうど④番、東大がコントロールセンターになってデータを集めて集計しているということになります。

 今日は時間の関係上動画はお示ししませんけども、こういう場面でやっているんですね。男性のフレイルサポーターたちも、全国で頑張ってくださっております。たまにこういう方がいらっしゃるんですね。いいデータには青シール、悪いデータには赤シールを貼るんですけど、(これ隠し撮りですみません)赤シールだらけという市民の方がいらっしゃるわけです。こういう方々を特に潜在的に潜り込んでしまっている方がいらっしゃるかもしれません。

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 これをどのように見つけてどのように声をかけていくのかということです。我々専門職種も当然頑張っていく部分もあるんですけども、やはりこの市民活力というものをどんどん使って見出していきたい。そして、一人一人声をかけていきたいという部分があります。

 さて我々の最新の取り組みとして、この地域高齢者のエンパワメント、先ほど来からお話している市民活力です。それをどのように底上げしてより健康長寿にするのかということで、約2年間を使っていろいろトライ&エラーでやってきました。それを今マニュアル化する方向に向かっているということになります。またディスカッションでお話したいと思います。

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■コロナ禍での高齢者のフレイル化

 残り数分で話題提起をします。フレイルのことに関しまして、コロナでちょっと一言二言データをお示しさせてください。コロナの問題は、当然重症肺炎になって本当に生きるか死ぬか、集中治療室に入る怖い病気ではあるんですけれども、もう1つ忘れてはならないのが、この自粛生活が長期化することによってのいわゆる生活不活発です。それによってのフレイル化。すなわち筋肉の衰えが一回り二回り、どんどん進んでしまうということで、健康二次被害ではないかと思っております。簡単に情報をお届けしたいと思います。「コロナ禍の高齢者のフレイル化」ということで生活不活発、そして人とのつながりが断絶してしまう。

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 食生活も大きく乱れてしまっている可能性が高いということで、データが集まってきております。例えば40%以上のご高齢の方が外出自粛をし、特に14%のご高齢の方が週1回未満のお出かけ回数になってしまっている現実があります。しかも後ほど中村先生のほうからもお食事の話があるというふうに聞いておりますが、食事も簡単に済ませるとか欠食ということも増えてきてしまっている。

 あと我々の一つの強みとして、全国で多くの自治体でフレイルチェックというものを展開しておりまして、このコロナが始まって一旦止めてたんですけども、昨年の夏秋ぐらいから再開して、いろんなデータが分かってまいりました。特にこのフレイルチェックは実測値を取っておりまして、握力であったりあとは体組成計による筋肉量であったり、そして滑舌の速さをみたり、いろんな実測値があります。そうしてみますとよく分かってきたのですが、コロナの前とコロナ半年ちょっと過ぎたころのと比較してみますと、参加高齢者の方の約半数が、筋肉量がかなり落ちているということが分かってまいりました。特に例えば81歳のご高齢の女性の方で、体幹部分、体の部分の筋肉が約2キロ近く落ちているなんていうご高齢者もいることが分かってまいりました。しかもしゃべっていないので、滑舌も落ちてきている。握力も弱々しくなってきている。ふくらはぎの太さも細くなってきてしまっているという、実測値の前後比較で大分見えてきました。

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 そういうこともありまして、この「おうち時間」というのが自然的に長くなってしまう。このおうち時間というものは、ただただネガティブにとらえるのではなくて、せっかくならばおうち時間をかなりレベルアップしてしまおうということ。そのために「おうちえ」という情報を出しておりますので、ぜひともご興味ある方はアクセスしていただきたいと思います。

 また本来は、感染にちゃんと配慮しながら、感染予防しながらだったら、3密を避けながらマスク、手洗いをしっかりやれば、まずは大丈夫だろうと言われているんですけども、やはりそこに免疫力が下がってきたりということになると、予想外のことが起きてしまうということですね。

■フレイル予防のための『3つの柱』

 最後にまとめたいと思います。2枚のスライドで「健康長寿に向けてフレイル予防のための3つの柱」ということで、後ほどまたディスカッションでお話したいと思いますが、栄養、そして食と口腔、そして体を動かす。そこには運動そして非運動性の良さがあるかもしれない。そして3つ目、社会参加といってもとにかく人のつながりということで、多様なかたちで社会とつなぎ続ける、つながり続けるべきであるということです。

 これが3つとも自分の生活の中にどれだけ底上げできるのかということです。そこに最後のスライドですけども、With コロナ、Postコロナ、社会を見据えて個々人に対して何を届けるのかということも、重要ですけれども、地域社会の新しいスタイル、地域社会のニューノーマルとは何なのかということです。私のメッセージですけども、国家戦略として3つの「守る」ということしっかりやらなければならない。当然1つ目は感染から守る。そして、経済の打撃から国民を守る。そして3つ目は健康健全な地域社会が今止まってしまっている。これをちゃんと回しながらこのコロナの問題を乗り越えなければならないということで、まとめさせていただきたいと思います。ちょっと駆け足ではございましたけれども、以上でございます。ご静聴ありがとうございました。

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【樋口】 飯島先生、ありがとうございました。随分と勇気づけられるお話をありがとうございます。

 私は家で子供から「100回足踏み」とか指示されてますけれど、やはりそれが人間関係の中で行われるのと、まるでノルマみたいに行われるのとは違う。そこが人間なんだなと思う。勇気づけられるお話を本当にありがとうございました。

【飯島】 こちらこそありがとうございました。

【樋口】 続きまして、今は飯島先生からもおっしゃっていただきましたけれど、衣食住、その中でもやっぱりこれがなければ1日も生きられないというのが食でございます。その食のあり方が変わったからこそ日本人の平均寿命も世界でトップレベルになってきた。食生活を中心に、このコロナ禍からどう立ち上がるか、コロナ禍における食生活をどう見るか。最近は日本に災害が多ございました。そのような災害の中で食生活をどう維持するかなどについても大変お詳しい先生でございます。中村先生どうぞよろしくお願いいたします。

パネリスト 中村 丁次氏のお話

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【中村】 皆さんこんにちは。中村でございます。それでは「コロナに負けない栄養と食事の話」をさせていただきたいと思います。まず最初に「健康寿命の延伸と栄養・食事」とございますが、先ほどからお話があるように、健康寿命を目指すというのは、加齢により聴力や視力移動能力などが低下し、慢性疾患も多くなりリスクが高くなるのですが、疾病の予防とか疾病の治療ということではなくて、病気になっても障害を持っても住み慣れた環境の中で残された機能的能力を発揮し、自立した生活の下で幸福感を感じながら生きていくということを目標にしているのです。つまり、元気で自立できる高齢者をつくろうということになるわけであります。

■自立できる高齢者を作るには

 では、自立できる高齢者というのは、結局は介護のお世話にならない。では介護予防というのはどうすればいいのか。これは栄養や食事の観点から考えますと、まず介護の要因の1つに、生活習慣病の後遺症というのがあります。生活習慣病というのは、メタボを中心に起ってくる疾患ですから、メタボ予防。そして年を取ってくると加齢に伴う衰弱があるので、フレイル予防。メタボは生活習慣病の疾病予防。フレイルは介護予防。この底辺にあるのがメタボは食べ過ぎによる過剰栄養。フレイルは衰弱を伴う低栄養。過剰栄養と低栄養の両方を考えながら食生活の改善に努めるということです。例えばメタボは、お腹に脂肪がたまる、血糖が高くなる、中性脂肪が高くなる、血圧が高くなる、タバコを吸う、ストレスがかかる。大体この6つぐらいリスクがあるんですが、このリスクが1つ2つ3つ4つと多くなればなるほど、心臓病の発症頻度は高くなります。

 従って、生活習慣病の予防というのは、自分自身がどれだけ、何のリスクを抱えているかをまず見つけ、そのリスクを2つある人は1つに、3つある人は2つにと減らしていく。そのようなリスクを軽減させる食事が主になります。結局、血糖が高くなるのは、脂肪やたんぱく質、炭水化物のエネルギー摂取量が多くなり、内臓脂肪がたまり、それがインシュリン作用を不足させて糖尿病の誘因になるということが分かったので、糖尿病を防ぐにはこれらを制限した食事をしたほうがいいのですよということであります。

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 フレイルに関して特に今問題になったのは、高齢者のフレイルですが、生理的予備能力が低下するので、ストレスに対する脆弱性が更新し、そして生活機能障害や要介護状態、死亡の転帰に陥りやすい状態をいいます。

 栄養不良には代表的なものが2つあります。1つは摂取カロリーが不足する。もう1つはたんぱく質が不足するということです。フレイルというのは、エネルギーと同時にたんぱく質の摂取量が減少する。両方が同時に起こっている状態をいいます。筋肉の分解が亢進し、たんぱく質の分解能力も低下するわけです。子供のときにたんぱく質が欠乏する時には、子供はたんぱく質を合成する能力がありますので、血液中のアルブミンというたんぱく質はかなり維持されるのですが、高齢者の場合はエネルギーの不足でやせて筋力が低下して、さらにたんぱくの合成能力が低下するので、低アルブミン血症を起こしているという特徴があります。

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■メタボ対策からフレイル対策への移行

 これは横軸に肥満度が示してあり、縦軸に死亡率が書いてあります。私たちはメタボ対策を従来やってきましたから、太ることはよくない、太ることは早死だと言ってきましたが、最近、ほんとに亡くなられるお年寄りのBMIを調べたら、やせて亡くなっている人たちが圧倒的に多いということが分かってきました。つまり、日本人は太って死ぬわけではなくて、やせて死んでいるのです。これはアルブミンの値を示しております。アルブミンの値が小さくなってくると、介護認定の頻度も高くなります。やせたら何が起こるか、栄養失調状態が起ったら、どんな症状が起こるかを意図的に調べた実験であります。これはアメリカ軍で戦時中に行われた飢餓実験と言われています。太っている人がダイエットでやせる論文はたくさんありますが、健康的な人が強制的にやせる実験はありません。むくみ、冷え、立ちくらみという生理的変化が起こると同時に、私が大変驚いたのはこの精神的変化であります。集中力、注意力、把握力、判断力の低下、疲労感の増大、無感動、無力感が増える、異性への関心が低くなる、気分障害、気まぐれ、イライラ感が増加、ヒステリーが起こる、忍耐やイライラが爆発する、神経や不安が増大しタバコを吸いたくなる。衛生観念も欠如する、自殺企画や自傷が起こる、引きこもり、孤立、ユーモアや友愛が欠如する、万引きが起こる。不思議なのは知的能力は低下しなかったということであります。

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 つまり、現代社会は60歳ぐらいまではメタボ対策を一生懸命やって、それ以降は介護予防のためにフレイル対策に取り組まなければいけないということです。この時には腹八分目で控えめに食べましょう。年を取ってくると、むしろしっかり食べましょう。それはフレイル対策だということになるのです。

 最大の課題は、では何月何日をもって腹八分目からしっかり食べるのに転換するのか、ギアチェンジするにはどうしたらいいか。そのためにはぜひ医師や管理栄養士の専門職に相談なさって下さい。

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■SDGs、COVID-19、そして栄養

 さて後半のSDGs、COVID-19、そして栄養について少しお話をしたいと思います。ご存じのようにサスティナビリティという議論が起ってきました。このSDGsにどのように栄養は応えたらいいのかという、栄養の国際会議が始まりました。2013年6月にロンドンで「成長のための栄養サミット:ビジネスと科学に基づいた飢餓との闘い」が行われました。会議に寄せられたコミットメントに基づいて、食糧政策研究所から「2014年世界栄養報告」が出版されました。この報告書には、栄養が新たな時代に向かうべき根拠となる事例が書いてあります。

 私はこの報告書で感動したことがあります。これはこの報告書の最初の1ページの序文に書かれたこの1文であります。「良好な栄養状態は、人間の幸福の基盤になる」と書いてあるんです。今まで私たちは健康の基盤と考えていたんですが、そうではなく幸福だということなんです。それはなぜか。「胎児期から乳児期にかけて良好な栄養状態を保てば、脳の機能障害を防ぎ、免疫システムを強化し、死亡率を減少させ、学習能力を高める。良好な栄養状態は子供の学習能力を高め、大人になれば生産性を向上させて高額な賃金を得られ、中高年期では慢性疾患や介護の予防にもなる。逆に良好な栄養状態が保たれなければ、人間の命や生活は崩れすべては砂上の楼閣となる。残念ながら世界には、またそのような状況の人々が多く存在している。」と言っています。

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 さて、コロナに対してお話したいと思います。SDGsがすすめる中、突然コロナの嵐が吹きました。コロナのような感染症の基本は、感染元に近づかない。つまり3密をしない。もう1つ大事なのは生体の抵抗力をつける、免疫力を作るということです。実は、免疫機能に関する栄養素は、約20種類あります。栄養素は30種類あるんですが、なんと20種類は免疫機能に関係しています。これはまだほとんどが基礎研究ですが、この中の1つの要素が欠落しても、免疫機能は低下していきます。高齢者では、やせや血清アルブミン値の低下により、ワクチンの接種後の抗体陽性率が低下し感染予防率も低下します。各種ビタミン・ミネラルの欠乏は、免疫細胞の機能低下を招く。COVID-19は、高齢者や低栄養者の発症率が高いのです。ところが一方肥満者は、COVID-19の悪化リスクを高くします。太っていると重症化は2倍になり、BMIが高値になるほど緊急入院する人が多くなり、英国ではICUの感染者のうち72%が肥満傾向にある。1,743万人を分析した結果、死亡要因には高齢と男性と肥満と黒人であるということが分かってきました。

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 もう1つCOVIDと環境の問題を話します。実は地球上には170万の未知のウイルスが存在し、そのうち63万~82万のウイルスが人に感染するポテンシャルがあります。今後このような緊急事態は、何度も起こるということです。今回の温暖化問題が凍土を溶かすこと、あるいはジャングルの開発によって、我々は新しいウイルスや動物と接触することになり、感染リスクは高くなってきたわけであります。

 ところが、コロナは思わぬ副産物を生みました。これは1900~2020年までの温室効果排気ガスを調べたものです。環境はひどくなりCO2の排出量は増大しているのですが、2020年、CO2排出量は急落しました。2020年は率にして8%の低い排気ガスが見込まれ、この落ち込みはリーマンショックによる2009年の時の6倍にも匹敵する落ちようであります。これはすごいということで、ヨーロッパで環境大臣が4月9日に集まり、「欧州グリーンディール」ポストコロナの復興の中心に考えるとして「グリーンリカバリー Green Recovery」という提案をしました。私は「緑の復活」と訳しております。つまり、ポストコロナ2050年までに、温室効果ガスの排出を実質ゼロにする、グリーン移行をしながら経済を刺激する方法を取るべきだということで、環境負荷の少ない食事というのが考えられてきました。感染症によってダメージを受けた経済と社会を、単に元の生活に戻すのではなく、SDGsと調整しながら、脱炭素や災害や感染症にレジリエント、強靱な社会経済を目指し、生態系と生物多様性を保全するのはどうだろうかという提案が起こっているわけです。

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 このまま何もしないで経済を元に戻すことを進めれば、CO2はまた元に戻ります。緑の復活によってこれを落としながら経済を発展させたらどうかというのが新しい提案です。このことを受けて、WHOは、「持続可能な健康な食事」を指示しました。これは生活習慣病を世界の主要疾患にする一方で、8億人が低栄養の状態を生み出し、さらに世界の温室ガスの20~35%を食事から放出し、農耕が環境を負荷している。つまり現在のフードシステムを変革し、持続可能性も健康な食事も両方目指す食事を考えたらどうかということであります。

 これが健康面の配慮、環境にも配慮した食事を示しているわけです。全粒の穀物、つまり玄米を食べましょう。豆類、ナッツ類、豊富な野菜果物、そして卵、牛乳、乳製品、家畜及び赤身の肉を中等度に食べましょうという食事にしました。では食事が環境負荷にどれぐらい影響を及ぼしているかというのを、少しお話します。

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 これは昨年の2月、国立地域環境戦略研究機構が発表したものであります。日本人が平均的な生活で排出する1年間のCO2の総量は、1年間で電気など住居関係は2.4トン、自動車が1.6トン、食事関係がなんと1.4トン。車の排気ガスに匹敵するぐらい食事から出してるわけです。どんな食事から出しているのかということを調べたものですが、肉類が最も多く、1.4トンの内23%は肉からの排出量です。これは、牛のゲップや廃物から出る率が高くなる。そして、牛乳・乳製品が13%。これは両方とも家畜から出るということになります。では、肉や牛乳をやめるのかというと、それは反対です。肉類も牛乳・乳製品もフレイル予防とか適正な栄養を補給するために、適正に取らなければいけない。つまり、このことをもって日本人に「ベジタリアンになってください」とは、言えません。

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 もう1つの理由として、現在、牛乳・乳製品を合計した家畜由来のCO2の排出量は、食事全体の36%、つまり0.5トンで、生活全体の7.6トンの中で6.6%しか示しておりません。FAOの世界の欧米のデータを見ますと、欧米人の食事全体の家畜由来のCO2の排出量は14.5%になるのです。つまり、欧米人の出しているCO2の約半分にしかならないのです。今世界で肉食に対する攻撃が始まっております。でも、ほんとにこれは必要なのか、最近オックスフォード大学の研究者が調べていました。肉食と魚食と菜食で調べたわけであります。これは18年間も約5万人に近い男女を追っかけたのですが、結論から言います。肉食は魚食や菜食に比べて心臓病で死ぬリスクは増大するが、逆に肉や魚を食べない菜食は、脳卒中のリスクを高めてしまう。つまり結論から言えば、お魚を中心として野菜をとる日本人の食事が、環境にも健康にもいいということが分かってきました。たんぱく質源として魚介類、大豆、乳製品を中心として肉類を適度に食べる日本食が、健康にも地球にもよさそうだということで、私は最近日本の栄養、「Japan Nutrition」を世界に発信すべきだということを主張し始めています。

 自然を尊重し四季折々の変化を楽しむ。伝統的な食文化を大切にしながらも、医学、栄養学の農学等の科学的根拠に基づいた栄養改善により、誰をも取り残すことなく持続可能な食事にした日本の栄養、これは、私は科学と文化の融合だと思っています。

 このJapan Nutritionを世界に発信すべきではないかというので本を1冊最近書きました。ぜひご参考にしていただければありがたいと思います。どうもありがとうございました。

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【樋口】 中村先生どうもありがとうございました。私は「80過ぎてもちっともこの人ウエスト細くならないね」とみんなに言われて非常に悲観していたのですけれど、これからもやせ願望は捨てて、適当に太っていく覚悟を明るく新たにできまして、そのことをまずお礼申し上げます。そして、私たちの豊かな食事というのは、考えてみればさまざまな環境問題、炭素化合物、地球温暖化というような意味ではある程度意識してまいりましたけれど、空気の正常化という意味で、したい放題食べたい放題食べるという飽食の時代が、環境にも影響しているということを1つ学ばせていただきました。そして食生活に関してさまざまな新しい知見をいただきまして、また新しく私どもの食卓を見直してみたいと思っております。

 それでは最後になりました。春日先生お待たせいたしました。春日先生は先ほど自己紹介していただきましたように、家族や地域の立場から、生活の立場からさまざまなご研究をなさっていらっしゃいます。

 ジェンダー論にも詳しい方で、男性と女性の老いがどこで変わってくるかというようなことについてもお話いただけるのではないでしょうか。春日先生、よろしくお願いいたします。

パネリスト 春日 キスヨ氏のお話

【春日】 春日です。ただいま中村先生は「50代までのメタボ対策、それ以降はフレイル予防を」とおっしゃいました。確かに、私も人生100年を生きねばならないような時代、栄養や運動が非常に大事と考えます。しかし、それと共に体力・知力・気力が加齢で否応なく衰えていく長寿期に住み慣れた自宅で暮らし続けるためには、元気高齢者の間にどんな備えをしておくかという暮らし方の技法の問題が非常に大事になった時代だと考えます。そこでテーマを「長寿期を生きる新たな『暮らしの技法』の創出を!」としたのですが、私の考えを述べさせていただきます。

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■コロナ過での高齢者の暮らしの変化

 コロナ禍以前、元気高齢者の多くは「いつかは倒れることがあるかもしれない。しかし、それはもっと先のこと」と考えていたと思います。でも、その未来のリスクがコロナ禍の中で現実の問題として現象してしまった。飯島先生がおっしゃったように、コロナ禍の中で体力、気力、知力が低下しフレイル状態になる人が大量に生まれている。そして、その人たちはこれまで慣れ親しんできた在宅での暮らしを続けることが困難になってきている。

 で、私はコロナ禍での暮らしの変化について後期高齢者の人たちの聞き取り調査をしているのですが、元気な間に倒れた時の暮らしに向けての備えをその人がしていたかどうかが、外出自粛期間中、つまり社会関係が乏しくなったコロナ禍状況での暮らしの危機レベルを大きく左右する。そうした事実が見えてきました。つまり、コロナ禍以前の元気な頃に自分が弱った時のことを考えそれに向けての備えをしていたか否かが、筋力が弱って買い物に行けない時や階段の乗降が出来なくなった時などの生活上の困難を回避できるかどうかの違いを生んでいた。短期間にこんなになるなんて思わなかった、食べる量も少なくなってしまった、と言う人が結構多かったのです。

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 加えて、そうした事態に陥った時、自分を支えてくれる人を身近に持っているか否かが暮らしの質と大きく関わっていました。子どもを中心とした支え手がいるかいないか。子どもがいないなら、代わりの人を元気な時に確保していたかどうか。例えば転倒骨折した後、入院という事態に陥った人も多いのですが、子どもが県外や外国に住んでいる方、子どもはいたが先立たれてしまった方、シングルで生きてきた方、そうした人の場合、元気な間に保証人や権利擁護してくれる人を身近に確保していたかどうかが、その後の状況に大きく関わっていました。さらに、医療や福祉、介護制度に関する知識や情報を持っているかどうかも倒れた後の状況を左右していました。倒れた後、どこに相談に行けばいいか分からないで困る高齢者が多かったのです。介護保険の認定を受けた高齢者であれば、ケアマネージャ―が対応してくれるのですが、認定を受けていない高齢者の場合、備えがあったかどうかが大きく関わっていたのです。

 また、高齢者の暮らしの変化の実情をよく知るケアマネージャのインタビューも続けているのですが、その中で共通に語られたのが、これまではデイに通うことで支えられてきた子ども家族は仕事に行き、日中独居となる高齢者や遠距離介護のひとり暮らし高齢者で、施設入所を検討したり、入所する人が増えていったというのです。これまで親の日常生活に深く触れることなく暮らせていた子どもたちが日中も一緒に過ごすようになって自分が考えていた以上に老い衰えた親の現実に直面し、在宅継続は無理だとみなし、施設に入った方がいいと言い出す。さらにデイで済ましていた入浴や昼食などの世話を在宅ワークや子育てをしながらし続けるのは負担が重く在宅継続が無理と思う子どもが施設入所するよう親に促す。親の方も子どもの勧めを断りきれない。子供に迷惑をかける、かけたくない。頼るわけにはいかない。子供があんなに言うんだから断れない。今まではどうにか在宅暮らしを続けてきたが体力的にも自信がなくなった。そういう流れで施設入所を受け入れる高齢者が多く生まれていったというのです。

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 しかし、そういうふうに高齢の親たちが在宅暮らしをあきらめていく背景には、現代の高齢の親世代だからこその要因が関わっているのではないかと私は考えます。一つは現代の80代前後の高齢世代には子どもの反対を押し切ってまで一人暮らしを継続するための備えや情報・知識が乏しいということ。次に、この高齢世代には「子どもの世話になりたくない、ならない」という家族規範を持つ人が多いこと。さらに、いま一つは経済条件として高齢者の経済状況が夫婦二人が施設に入るお金の余裕はないが、1人なら親の年金で施設利用料金が賄える。そういう経済的余裕がある人が増えている。そうした要因があいまって元気な間は「最期まで在宅」を望んでいながら在宅継続を諦め施設入所する人が増えていった背景にあると考えています。

 国は地域包括ケアシステムの構築として「最期まで在宅」というスローガンを掲げています。そして元気な高齢者には最期まで在宅を望む人も増え続けています。しかし、現実にコロナ禍のなかで高齢者に起きたのは、在宅を望みながら施設に入るという選択という流れだった。いったいなぜそんな不本意な選択を高齢者の多くがせざるをえなかったのでしょうか。私の考えとしては、いまあげました3つの要因のなかでも高齢者、なかでもアクティブシニアと言われる人たちが持つ「老い衰えること」について高齢者自身が持つ高齢期観と介護をめぐる親子関係についての考えが大きく関わっているのではないかと思います。

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 先ほどの自己紹介時に申しましたが、私は高齢者虐待防止支援の現場から、アクティブシニアの人たちへ研究テーマを変えた後、元気で社会活動を楽しむ高齢者、スポーツジムやゴルフや趣味活動で多忙な高齢者などに「自分は何歳まで生きると思いますか」、「“ピンピン・コロリ”と逝けると思いますか」、「あなたは『子どもの世話になりたくない』という考えをお持ちですか」、「人生最終ステージは『どこで』『誰の手助け』を受けて暮らしていると思いますか」という質問をする形で聞き取り調査をしてきました。そのなかで明らかになったのは最後の質問に対して「成り行き任せだ。誰かがどうにかしてくれるだろう」さらに「そういう暗いことは考えない」という人が最も多かった。加えて「子どもの世話を受けること」については「世話にはならない」「世話にはなれない」「頼るつもりはない」という人もすごく多かったのです。

 しかし、さらに聞き取り調査を進める中でわかってきたのは、元気な間は社会活動とかいろんな楽しみのために積極的に活動していた高齢者が、いざ倒れた時には子どもや家族に丸投げ、もしくは支援者に丸投げしていくという実態でした。「成り行き任せ」「考えたくない」という人たちは、倒れた後にどうやって一人でも生きていけるか、など考えておらず、そのための備えもなかったので「丸投げする」しかなかったのだと思います。笑い話みたいな話ですが、80代後半の高齢女性で介護予防の「100歳体操」の会場から帰った玄関先で転倒し病院に担ぎ込まれ、リハビリ病院から自宅に帰れないまま、なす術もなく施設で寝たきりといった人がおられました。 

超長寿時代高齢者の人生課題とは

 こうした元気高齢者の年齢観や家族観はどこに起因するのでしょうか。あまりにも日本の長寿化と高齢者家族の劇的な変化が同時に進行し、高齢者の年齢意識と家族観や家族関係の組換え、高齢者の暮らし方が時代変化に追いついていないからだと考えます。先ほど樋口先生が平均寿命は女性87歳、男性81歳とおっしゃいましたが、死亡年者数が最も多い最頻値を示す年齢は女性の場合93歳、男性の場合は87歳と報告されています。そうしますと、大方の女性は95歳前後まで生きる。まさに「人生100年」時代なわけです。そうなると否応なく「加齢によるヨタヘロ期、つまりフレイル期をどこで誰に支えて貰ってどう生きていくか」という暮らし方の問題が大きな人生課題になってきます。問題なのは、この時期を支える家族基盤が直近の国民生活基礎調査の結果をみると、女性では80歳以上の一人暮らし高齢者割合が4割を超えていることです。それは同居する子供や近しい親族がいない中で、80代、90代を一人で生きなければならない人が増え、それが日本の高齢者の最晩年期の人生となっている事実を意味しています。また、国民生活基礎調査の結果をみてみると、長寿化の中、介護を受ける年齢もどんどん長寿化し90代が24.2%を占め70代よりも多くなっています。だから超長寿化のなか、後期高齢者が増えていくこれから、高齢者が80代から90代の上り坂をどういうかたちで安全で元気に暮らしていけるか、これが大きな課題になってきているのだと考えます。

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 言い換えれば、図に示しました「ピンピン期」「ヨタヘロ期」「ドタリ期」つまり、元気な時期、フレイル期、そして要介護期という3つの時期をどう元気に生きていくか、元気に暮らしていけるかが現代の高齢期の大きな課題だと私は考えます。「ピンピン期」は元気で職業活動や文化活動や社会活動を続けて可能な限り長く、「ヨタヘロ期」は社会活動・文化活動をしながら閉じこもらず課題を持ち、互いに支え合い必要な見守り・世話を受け、いったん倒れても以前のつながりや場に立ち戻ることが出来、「ドタリ期」には認知症が進み重い病気に罹っても自分の意思をくみ取ってくれる人がいて、十分なケアと自分の尊厳が保障されること。高齢期といっても3つの相異なるこうした時期に誰とどう繋がり、支えあい、どのように生きていくかという暮らしのあり方、社会制度をそうした超長寿時代に合わせどう作り変えていくかといった新たな課題が浮上しているのだと考えます。

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 この新たな「ヨタヘロ期」の課題とは、先ほど中村先生がおっしゃった障害を持ちつつ元気に生きる、ということに他なりません。それは高齢者がいったん倒れた後、フレイル状態になっても社会復帰し、倒れる以前の暮らしに可能な限り近い暮らしを可能にするための社会的支援のあり方と、高齢者自身が暮らしの組換えをどうしていけばいいのか、という問題と密接に関わっていると考えます。そして、それは一朝一夕にできるものではないとも考えます。例えば健康寿命も長年の運動と栄養摂取でしか培えないのですが、暮らし方というのも元気な間に何をどのような形に組換えればいいかという知識・情報を学び、暮らしを組換えていく必要がありますし、身近に支え手がいない人が信頼できる任意後見人を探し出し、選任するための情報や知識、さらには関係づくりも一朝一夕に得られるものではありません。

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 この間お話を聞かせてもらった80才の女性は「コロナで歩行が不自由になった。3階建ての家に住んでいるが、自分の住まいは2階部分でエレベーターもない。階段の昇り降りが毎日大変でどうしようかと困っている」と話されていました。元気な間に階段が上がれなくなった時期をイメージして暮らしを組換える。ひとり暮らしで倒れたら誰に連絡をとるか、入院中の金の出し入れなど誰にして貰うかという問題ひとつでも、かつての友達、社交の場で作った友達には助けてとは言えない場合、他の誰であれば助けてもらえるかといったような社会関係の組換え。そうした信頼できる関係づくりにも長い期間が必要となりますから、やっぱり早めの備えが重要なのです。

 加えて医療、福祉、介護に関する情報や知識、どこに助けを求めていけばどんな支援を必要としてくれるかとか、そんな学習が元気なうちに更に大事な事だと考えます。それに「子どもの世話にはならない。なりたくない」というのではなく、自分で出来ることは自分で出来ないことは子どもや人にきちんと頼む力が必要になります。「子供に連絡すると迷惑かけるから」ということで子どもへの連絡を躊躇する高齢者が多いのですが、必要なことは遠方だからといって連絡をすることを躊躇しない関係を日頃から作っておく。それから離れて住む子どもには、お盆とかお正月に帰った時に同行を頼み、かかりつけ医に挨拶し親の状況を知っておいて貰う。近所の人や友人に「自分に認知症ではないかと疑うような事が生じた場合、子どもに連絡をしてください」と息子や娘の連絡先を教えておく。子供の方もひとり暮らしの親が日頃どういう人たちと懇意にしているのかを知っておく。特にひとり暮らしで入院した場合には、鍵や金銭の支払いや留守中の戸締りをどうするかが大きな問題になるんですが、そういう人を身近に確保しておくことが重要になるわけです。そういう人がいない場合には、任意後見人を元気な間から契約をしておく。近隣の力、それもゴミ出しとかに関わってくれるような近隣の人とのつながりを作っておく。また、かかりつけ医とはこれまでずっと受診してきた医者を指すと考えている人がおられますが、かかりつけ医になって欲しい医師にはきちんと口頭で依頼をし相互的な関係を作っておく。そうしたことも重要になってきます。また、施設入所する場合でも、子どもの決定に従って不本意なままとか、倒れた後急遽やむなく入所という形ではなく、元気なうちに施設入居の可能性があることも考え情報を収集し見学もして、入りたい施設、絶対入りたくない施設の違いくらい自分で調べておくという暮らし次元の具体的な情報収集や関係の組換え、そして何よりも家族力が低下するなか長寿期をひとりで生きねばならないという覚悟、つまり意識変換が高齢者にとって非常に大事な時代になっている。それが今の時代を高齢者が元気に生きるための条件だと思うのです。

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【樋口】 ありがとうございました。このごろメディアで見ましても、ほんとに終活、人生のしまい方とか、そういうテーマのものが多ございます。実は私もつい最近上野千鶴子さんと『人生のやめどき』という本を出したので人様のことは言えませんけれども、やめ時とか終わり時、もちろんそこをきちんと見つめることは大切なのですけれど、今私たちに何より重要なことは、家族や社会の大きな変化の中で前人未到のお手本のない80代90代を生きていく。家族も頼れない。私は実は命を生み出した親なんですから、「最後の最後の後始末ぐらいしてちょうだいね」と、丸投げじゃなくてきちんと言っておいていいと思うんですけれど。ただそれを確約する手段もなかなか見つかっておりません。このしまい方はもちろん大切ですけれど、その前のフレイルと呼ばれたり、あるいは健康寿命を過ぎましたよと言われたとしても、全員が全ての能力を失うわけではなく、できることが少しずつあるわけでございます。ヨタヘロ期でも、どっこい生きてる。1人の市民、地域住民、1生活者として注目し合って、無い力を寄せ合いながら、人生100年の与えられた自分をどう全うするか、この生き方へのご提言、春日先生、ありがとうございました。

パネルディスカッション

【樋口】 これでお三方のパネリストのメインのご発表を終わりまして、これから20分ばかりは、先生方同士でのご質問、ご意見、他のお二人のパネリストのお話を聞いてどうお思いになったかなど、伺いたいと思います。飯島先生からでよろしゅうございますか。

【飯島】 飯島でございます。また振っていただきましてありがとうございます。ヨタヘロ期という言葉にも代用していただいたように、春日先生おっしゃるようになかなかもう医学的なことだけで全部を解決していくことは無理でして、むしろ、早め早めから本人が自分の人生をどういうふうに見つめ直しているのか、元気なころからどう見つめているのか、そしてまた弱ってきたときにどう見つめ直すのか、そして結構厳しく、例えば自律機能が落ちてきてしまったときに改めてもう一回どう考え直すのかという、そこら辺、実はとっても重要かつベーシックというか、一番根幹を成すところかと思います。

 とはいってもなかなか価値観もばらばらで、難しい部分かとも感じます。例えば、地域活動でわいわいとやっている方、ないしはちょっと手招きすればどうにかきてくれる方、けれどもなかなかそういうものに向き合わない方もいらっしゃる。そういう方がハイリスクなんじゃないの?という質問も、山ほど受けてきました。また一方で、その方を無理に連れてきたときに、連れてきた方は満足するかもしれませんけど、本人として本当にコンフォータブルというか、本当にうれしいと思えるのかどうか、またいろんな問題があると思うんですよね。ですから、私のフレイルの話で栄養、食ということも出てきましたし、中村先生からも食のことの重要性を言っていただいた。運動及び純粋な運動じゃない体を動かすということはとっても重要だということも強調させていただいた。

 やっぱり3つ目としては、社会性、人とのつながりということです。ここら辺が重要性ということを国民全員に訴えたときに、絶対重要だと言ってくださると思うんですけど、これを一人一人の価値観のもとに早め早めから底上げさせたり、春日先生のお話で言えば組換え方ですね。生活の仕方の組換え、人生の組換えという、この組換えというのが、春日先生へのご質問になってしまうかもしれません。多様な考え方をしている人間で国民が成り立っている中で、この「組換え」というキーワードをどう感じさせて、どのように自分の足元をもう一度見つめ直させて、だったらという気持ちにさせるというところって、とっても重要なんですけれども、ある意味とっても難しいという感じもしなくもないんです。

 春日先生が、一般の市民の方に触れ合ったり、指導者を教育していく中で、その方々を通じて市民に伝えたりというときに、その組換えというところに関して、何かもう一回り指導したり強調していることはおありになりますでしょうか。少し前置きが長くなりましたけれども。

【春日】 私、先ほどの飯島先生がお話になったデータで興味深かったのは、運動だけの活動をしていた人より運動はしていないが文化活動ボランティア活動をしている人の方がプラスの結果が出ているという点でした。が、なぜそうなるか。つまり、運動だけだったら社会とのつながりなしで済ますことが出来る。特に男性に多いように思うのですがスポーツジムに通うなど運動的なことは黙々と1人でやっていても、他の社会活動への参加は非常に少ないし、倒れたときのつながりを作るという志向性も弱い。そこら辺が問題だと思うのです。多くの自治体では健康長寿を延伸するためにもっぱら運動が強調される形で取り組みがなされています。しかし、「ヨタヘロ期」に向けて元気な間に暮らしの組換えをどうしていくかについて取り組んでいる所は少ない。例えば女性の場合に死亡者数が一番多いのは93歳だという数値を示しますと、大抵の方は「え~っ、そんなに長生きするのか」と驚かれる。「私は80代半ばくらいで死にたい」とおっしゃる。「その80代半ばからの後の10年間をよろよろしながら元気にどうやって生きていけるかが大事なんですよ。どうなさいますか」と質問すると「え、どうやって暮らしていけばわからない…」という答えが返ってくる。

 さらに、もう1つ非常に驚くのは、「子供の世話になられるつもりですか?」と講演会などで質問すると「なるつもりありません」という人が8割以上。それは今の高齢者の家族観が高度経済成長期の子どもの幸せ追求という「子ども中心」「教育中心」の「戦後家族」の家族観で、「子どもの世話にはならない」「お金の世話にはならない」というところに留まっている。現実は家族介護の形は介護保険制度などによって社会化され、家族や子どもが担わねばならない役割がかつてとは変わったが大きく残っている。例えば親の権利擁護や外部の介護サービス契約時のキーパーソンになるのが子どもの大きな役割になっている。しかし、このような形で親に対する子どものケア役割が変質している事実が高齢の親世代に自覚化されていない。つまり、高齢の親世代の「子どもの世話にはならない」という考えの基底にあるのは「子世代が親の下の世話をし、介護費用も出す」というかつての家族介護観であることが問題だと思うのです。

 したがって、社会としては元気高齢者に対して健康長寿を伸ばすための運動や栄養という健康に関わる面だけでなくて、超長寿化、家族力の低下が進み、かつ家族の介護機能が社会化された時代変化に応じて、自力で出来なくなった時、他の人からケア、世話を受けるとは一体何なのか、どのようなことが生じるのか、どんなつながりがあれば助かるのかといったようなことが暮らしの組換え方の文化を生涯学習の一環としてもっと普及すべきだと思うのです。そうでないと元気な間はそれ相応に豊かに暮らせた層の高齢者からも、孤立し孤独死する人が累々と重なる時代になりはしないかと、私は危惧しています。一人一人が生き方意識を変えない限りそれはなかなか難しい。だから現在、先生方の活動の場に来ている高齢者の方たちに、生涯学習としてそういった知識も入れ込んでやっていって欲しい。運動や栄養という内容と共にプログラムの中にそういう講義も入れ込んでやっていくというのが非常に大事な時代だと思っています。

【飯島】 それこそご高齢の方への生涯学習だけではなくて、手前の世代、そしてもっと若い頃からの重要性も感じますね。すなわち、人生の全ての学習においてそういうところを盛り込んでいく時代かもしれませんね。

【樋口】 ほんとにそうでございますね。人生100年型学習というのは、もう1つの義務教育として本当に大切だという気がいたします。少なくともそういう場を創設するのは社会の「義務」と存じます。中村先生、何かご感想、ご質問ございませんでしょうか。

【中村】 お二人の先生の話を聞いていて、とても勉強になりました。飯島先生の「社会活動が活発になると健康度が高くなる」というのは、私も共感です。

 実は今回コロナの問題が起きたときに、WHOの事務局長が最初に「ソーシャルディスタンスを保ちましょう」という発言をして、その数日後に「ソーシャルディスタンスではなくて、フィジカルディスタンスを保ってください」と言ったんです。身体の距離を保つので、社会の距離は縮めなければいけないと思っています。それで、先生の社会活動をすれば運動量が増えるのではないかというサゼッションがありましたが、私は人々が集まって社会活動をするときには、運動量も増えるんでしょうが、食事の内容も変わるのだと思うんですね。ストレスの解除にもなるし社会的支援も受けやすくなるので。社会的活動というのはその総合力、総合的なマルチな作用が起こって、結局健康になっているのだろうと思います。

 それで、今回我々はロックダウンされて、日本は鍵をかけなかったのですが、とにかく家庭の中に閉じ込められたのです。この家庭の中に閉じ込められて集団の社会活動から乖離(かいり)されたときに、食事はどうなるのかという研究が、世界中で5、6本も報告されています。そしたら一般的に野菜、果物、乳製品の摂取量は減って、炭水化物や糖分や油が増えるのです。臨床の先生方に聞きますと、太ってしまう、血糖が上がる、血圧が上がるというふうな感想を述べられる先生方もおられます。つまり、食事が偏っていくというか、もっと単純に言えば食べる食品の種類が少なくなるのです。外食をしたり学校給食をしたり社会活動の中で食事をすると、食品数は多くなり、より雑食に近いかたちになります。

 人間の栄養は、食品数が減れば減るほど偏ります。食品の種類が増えて、肉も食べる、野菜も食べる、果物も食べる、いろいろな物を食べれば食べるほど、栄養素のバランスが取れてきます。これは大原則です。社会性がなくなればなくなるほど、食品や料理の種類も減るので栄養は偏って健康状態が低下するのだろうと思います。だからやはりコロナと対抗するためには、みんなで集まって集団で助け合いながら生きてきたという人類の特徴に戻らないと、こんなコロナ禍でワクチンの取り合いとか国境閉鎖するとか皆を分離していくようなことは、ベクトルが逆だろうと思っています。

【飯島】 同感でございます。

【樋口】 ありがとうございます。春日先生、お二方に何かご質問かご感想は?

【春日】 私がすごく思うのは、よく明治維新、第2次世界大戦の終結、そして現在が日本の三大変革期だ、大革命期だと言われるのですが、明治期も戦後も社会と個々人が一丸となってどう危機を乗り切るかという課題に取り組んだと思うんです。しかし長寿化と家族変化が同時に進行する変動期のいま、危機を乗り切るための高齢者向けの取り組みの主眼は健康長寿を伸ばす取り組みだけ。しかし、この課題に国としてどう取り組むか、ヨタヘロ期、つまりフレイル期を支える介護保険制度を始め暮らしを支える社会制度の充実と共に高齢者自身の意識変革、暮らしの組換えを促すような取り組みが生涯学習の分野、教育の分野でも、大きくそれを取り上げていくような政策が私は必要だと思っています。

【樋口】 ありがとうございました。先生方、お二方お返事ございますでしょうか。

【飯島】 春日先生、中村先生も、おっしゃっていること全て同感でございます。これはメディアでもよく言われている言葉ですけれど、去年から今年にかけて今のコロナの時期、ピンチなんですけどもちゃんとこの我が国日本がチャンスに変えられるかどうかですよね。なかなかこの食に関しても原点を原点を、他の健康長寿にプラスになるようなことも、と言われてもなかなかダイナミックに変えられない。

 日本の人種というのは、なかなか分かってはいるんだけども、なかなか変えられないという独特の特徴がありますよね。それで、今回のコロナ問題は負の側面が強いわけですけれども、ここまでの状況に落ち込んだならば、やっぱりしっかり次なる方向を見据えて進化した形で這い上がってこないといけないですね。ただただ今までやってきた地域活動を止めているので、いつ再開しましょうか、という単純な発想では、何かまた同じ日本がずっと続いてしまうというような印象を持ち、やや危惧する気持ちがありますね。そこら辺、ぜひお二人の先生から「ピンチをチャンスに」というのが日本はできるのかどうかということについて、お話をお聞きしたいと思いますね。

【春日】 先ほど申しましたように、コロナ禍というのは、将来起きるかもしれないというリスクを先取り体験と言ったらちょっと悪いですが、高齢の親も子供たちも体験したと思うんです。それを契機にどうするかを改めて考えていく、その必要性は社会的に共有して問題化していくという、それが1つ大きい課題だと思います。

【樋口】 ありがとうございます。私から1つ質問してよろしいでしょうか。健康寿命と平均寿命は両方発表されるようになりまして、健康に対する関心が高まったのはいいと思うんですけれど、1つ不思議なのが女性の方が平均寿命は6、7年長いんですよね。ところが健康寿命は男性より相対的にちょっと短いんです。数量は女性は長いんですけど。

【飯島】 要介護の時期がちょっと長いですもんね。

【樋口】 そうなんです。なので、フレイルと呼ぶべきか不健康寿命と呼ぶべきか、正式な名称は無いにしても、健康寿命と平均寿命の差が女性の方が大きいのが疑問です。女の人はこまめに家事、育児などをやってきたから栄養のバランスが取りやすいとか、統計的にも近所づきあい、近所の人との会話数などは明らかに女性の方が多いのです。だけど、もしも男性の方が健康寿命を長くしている要因があるとしたら、それは何が考えられますか。

【飯島】 すみません、先にちょっとコメントさせていただきたいと思います。男性のほうが健康寿命がより長くできているコツがあるという表現よりは、女性のほうが要介護の時期がより長くなってしまうということの1つの要因だと思うんですけど、やはり女性のほうが男性よりも圧倒的に骨粗鬆症が多くて、いわいるロコモ、足腰筋骨格系の要素のトラブルが、男性もいずれは小刻み歩行でよちよちとなるんですけど、女性のほうが膝の関節の変形、O脚、そして転倒リスクが非常に高くなってくるということがあります。例えば床に座っている状態から自力ですっと立てるどうかというと、やはり高齢女性の方が厳しい方も少なくないようです。

 ですから、要介護認定されるかどうかの1つとしてやはり自立度、その場に立ったり座ったりという、いわいる足腰の筋骨格系というところのディスアドバンテージが1つ大きく関わっているんじゃないかなという気もします。一方で社会性は高いですよね。中村先生、何かございますでしょうか。

【中村】 実は、高齢者の女性に圧倒的にやせが多くなるのです。つまり低栄養状態になるのです。日本の女性はだんだん年取ってくると食が細くなります。そしてやせてきて体型がどんどん小さくなってくるのです。男性のように長く介護のお世話にならないようにしようと思ったら、女性は男性のようにしっかり食べるのですね。それで多少健康に悪い食べ物でも食べちゃう。しょっぱい物でも平気で食べるし、お酒も飲むし、いい加減な食事をするのですが、それが介護予防には多少役に立っているんですね。栄養状態がいい。だから女性はもう気ままに食べたほうがいいと思います、年を取ってくるとね。

【樋口】 有力なご助言をありがとうございます。どちらも本当だと思います。私なども連れ合いが死にましたら、別に貞淑な妻だったつもりは全く無いんですけれど、食事を作る皿数がぐっと減りました。それから今度は骨粗鬆症の方ですけれども、若い時から転んで変形性膝関節炎というのを、これはずっと死ぬまでの病気として持っておりますし、私の身辺でもこのごろベッドから落ちて、大したことないと思っていたら結果として骨折していた。つくづく女は骨を、男は血管を大事にしろと思います。

 そういうこともいろいろ心しながら健康長寿、今は死ぬこと、終わりのことが中心に語られていますけれど、やっぱり終わりに至るまでの生き方、これは春日先生がおっしゃるように、今最後の最後までの信用供与、例えば逆縁で私の周辺にも評判のいい有料老人ホームに入ってらっしゃるんですけれど、たった1人残られた若いご親族さんが逆縁で亡くなられてしまったんです。そうしたら誰に頼んだらいいだろうか。日本の法律制度ではもちろん探せばあるのでしょうけれど、こういうときは誰ですよというような決め方がまだしっかりされておりません。このファミレス社会、家族減少社会の、春日さんのおっしゃる逆縁リスクの高い社会の高齢者たちが安心できる信用供与のシステムとか、これは健康とはとっぱずれたことのようですけれど、実は安心のためにとっても大切な制度ではないか。そして「さまざまな障害を持った人だから休んでいればいいんですよ。だから静かにしていればいいんですよ」ではなくて、最後までなんとか社会に参画し、ヨタヘロであってもどっこい生きてる市民の1人、消費者の1人という、当事者としてその地域社会をどういうふうにつくれるだろうか、先生方から様々ご提案いただきました。

 まだ20分ほどございます。どうぞラストメッセージと言いましょうか、言い残したこと、これから特に政策に望みたいこと、その他お一人様5分たっぷりございますので、今度は春日先生、中村先生、飯島先生のご順で皆さまへの呼びかけを。先生方まだ若くていらっしゃいますけれど、でも皆様、高齢者でない方は飯島先生ぐらいですか。

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【飯島】 どうにか僕は中年の真ん中です。

【樋口】 中村先生は?

【中村】 72です。

【樋口】 じゃ高齢者ですね。春日先生が似たぐらいだと思います。

【春日】 いえ違います。私77です。

【樋口】 え、ほんと~。

【春日】 後期高齢者。

【樋口】 私は何と言っても88歳ですから、まさに85ぐらいで死ぬつもりでいたら、あっという間に90代のほうに近くなっているということで、残る人生をどうしまうかではなくて、やっぱり春日先生が繰り返しおっしゃったようにこの老いをどう生きるか。そしてその人たちが生涯、生を全うすることができる。いい人生だったと言って感謝して振り返れるような社会を、前人未踏の社会を、これから皆様とご一緒にコロナ禍を超えて作っていかなければと思って、今日は大変勇気付けられました。先生方、どうぞお1人5分ぐらいの感じでラストメッセージをよろしくお願いいたします。

【春日】 飯島先生にお聞きしたかったのですが、介護保険制度がありますから、要介護認定を受けた人の権利擁護も含めてさまざまなサポートというのは、ケアマネさんがなさってくださる面があります。しかし、フレイルの方、ヨタヘロの方で、とりわけ軽度でなく重い、要介護一歩手前の方、それもスポーツジムにも行かない、文化活動にも行かない、そういうような人たちに対して誰がどうサポートしていくか。一人暮らしが膨大に増えますね。そこの層のサポートのあり方、制度のあり方について、先生はどういう形のものを構想なさっておられますか。

【飯島】 実は要介護のフェーズの方々への対応はずっとやってきた経緯があります。一方で、かなり早期の健康志向の高い方々の活動もある程度確立されております。したがって、春日先生のおっしゃるように運動中心に何でもかんでも推進することが全てなんだという、ある意味では一方向で押し進めすぎたという現実もあるかもしれませんね。とはいっても先生ご指摘の要介護ぎりぎり一歩手前二歩手前(すなわちフレイル期)で、ちょっと支えが外れるとガタガタと機能低下してしまうレベルの方々へのセーフティネットや、地域で支え合う自助互助的な部分は大きな課題ですね。互助という言葉自体は漢字で分かっていたとしても、本当にコミュニティの中で気兼ねなく支え合うシステムって何だろう。システムという堅い言葉で表現するつもりはないのですが、本当に地域でのナチュラルな形は何だろうと思います。ある意味、真の原点スタイルをあまり推し進めてこられなかったというところがあります。

 やっぱり今までを振り返りますと、既存の制度が存在するため、ある意味で専門職がメインで報酬をもらいながら精力的に前に出ていくという形になってきてしまった時代が長くあります。すなわち、足元もしくは、原点の部分をしっかりと醸成できてこなかったというところが否めないんじゃないかと思いますね。

 ですから、そういう意味では、集いの場とか通いの場とか、支え合いとか互助とか、これらのキーワードは飛び交っていたとしても、それが地域で真のスタイルになっているかどうかなんですね。その意味では、どういう制度に敢えて変えていくことが出来るのか、という考えもあれば、逆に、国からの制度が縦割りの傾向が強いため、この縦割り行政のところで決めていくものだけに頼ってしまう傾向が強い、という課題もありますね。だから、おそらくその辺りを底上げできる戦略的な制度設計にもしなくてはいけないでしょうし、逆に言えば、単純には制度には頼らないという気持ちを醸成しなくてはいけないと思いますね。

【春日】 そうです。私としては制度面で、地域包括がそういうところの役割を担うとなっていますが、地域包括もキャパがないというか、いろんな仕事があって、実際機能を果たせていない部分がある。民生委員さんの場合も支援の優先順位があって、そうした層に対する目配りができる余裕がなくなっている現状です。介護保険制度の支援外に置かれたヨタヘロ期高齢者の制度的構築をして、どのように支援すればいいのかという部分と、高齢者が暮らしの次元で、どう生きていけばいいか分からない。どうすればいいのか、どんな知識が必要なのかが分からない。そうした長寿期に即した暮らし文化の蓄積というか、暮らしの部分のノウハウをもっと蓄積して普及していくというのが、非常に大事な時代になっているのではないかと思います。

【飯島】 おっしゃるとおりだと思います。いわゆる良質なおせっかい的なものの市民活力といいますか、そこら辺をもっともっと促す雰囲気を作らないといけないかもしれないですね。ありがとうございました。

【樋口】 中村先生いかがでいらっしゃいますか。まだ時間の余裕がございますのでごゆっくりと。

【中村】 私は大学の学長を約10年やっています。この時期になって、僕は日本の大学に対してある夢があります。それは、今まで人類は人生の階段の上り方の研究と教育はしてきたのです。でも、階段の下り方の研究も教育もしてこなかったのです。だから階段に登りつめて、さてこれはどうやって下りていけばいいのかというのが分からないから、不安のまま下りることを躊躇して恐怖ばかり感じたり、そして無理やりに下りて転んでしまったりするのです。人生の有意義な階段の下り方を、研究、教育すべきだろうと思っています。

 それで今、日本中に何たらかんたら老人大学というのがあります。私も時々講義しに行くのです。この前も行って集まられたお年寄りに「皆さん、この大学を本当の大学にしませんか?」と聞きました。それは入学式もします。卒業式もします。学長の卒業証書も出します。必要だったら資格も出します。今、お年寄りでも取得できる資格はたくさんあります。そういう資格も出しましょう。そしたら、参加者の半数ぐらい「そういう大学ができたら、私も入学したい」という人がいました。

 今のお年寄りで、当時の家庭の環境とか経済的理由で大学に行けなかった方もたくさんいらっしゃいます。だからそういう人たちの夢を叶える意味でも、もう一度しっかりした本当の老人大学を作ったらどうでしょうかね。国立でどこかにでも作ったらいいと思うのです。それで今お年寄りがバスに乗ったら、デイサービスの老人施設に行きます。老人施設にバスで行くのではなくて、黄色いバスで大学のキャンパスに行くのです。そして若い人たちと一緒にお年寄りが学んで、そしてそこを卒業したらまた社会の中で活躍できる、そういう真の老人大学を作ったらいいのではないかなと思っています。

【樋口】 ありがとうございます。私は見果てぬ夢をみるのが高齢者の特権だと思っていますから、いろんなことを言っておりますけれど。そのうちの1つに、先ほどちょっと触れました人生第2の義務教育。人生50年から100年になったのに、義務教育は6年から8年、そして9年に延びただけです。それなのに人生は2倍の100年!少なくとも、チャンスを正規のルートに乗せてほしい。特に私どもは法治国家に生きておりますけれども、介護保険、高齢者医療保険制度をはじめとして、ほとんどが私たちが年を取ってからできた法律の中で生きております。法治国家の法律を守る国民としてもそういう常識を教えてほしいし、権利も教えてほしいし、ぜひ私は人生第2の義務教育を、義務を何も嫌がる年寄りをつかまえてきて義務だというのではなくて、そういう学びの機会を提供するのが、超高齢社会である日本の国家の責任ではあるまいか、義務ではあるまいかと思っております。

 ぜひ中村先生も長生きしてくださって、その学長か教授にご就任くださいますように、春日先生はもちろん、私も一役買って学ぶ側にもまわりたいと存じます。この中では若者の飯島先生どうぞ。

【飯島】 僕もいろいろ言おうと思ったんですけど、もう僕の大大先輩である中村先生の今のお言葉を聞いて、同じ大学人として僕も研究者でもあり、医師でもあり、かつ大学に長年身を置く教育者の立場として、何か中村先生のメッセージは僕がやらなければならないお話にも聞こえてきて、本当に全てに賛同します。

 それでちょっとキーワードを重ねますと、僕自身、先ほど15分お時間を頂いたプレゼンテーションの一番最初、我が国は「健康長寿」をずっと推し進めてきたのですが、本当にそれは国民の幸福にイコールになっているのか。もっといえば日々の満足度とイコールになっていたのかどうかという視点で、しっかりと足元を見直し、良い部分は残しつつも、やはり大きく変えなければならない勇気をこの国は持たなければならない。会議などでこの課題があがるにしても、大きな壁を破ろう、大きな殻を破ろうとはなかなか出来ない国の風土がありますね。しかも、日本人自身が今回のコロナで、ピンチをチャンスに変えて、大きく変わったよね、と言われるようにならないといけないですね。

 やはり、先ほどお示ししたように、フレイルサポーターという地域の元気シニアを全国の多くの自治体で養成している中で、いろいろ彼らから学ぶことは多くて、地域のご高齢の市民の方々の「市民活力」ってすごいんですよね。それこそ我々以上にいろんなことを知っているし、バイタリティーだってすごいです。当然、身体自体はフレイルになっている方もいらっしゃる。そういう方々に対して、単に既存の制度だけで守ってあげるんじゃなくて、もっと彼らのパワーで助け合うという雰囲気も作っていかなければならない。いつまで経っても「ちょっとしたことを学びたいんだよ。何かを学ぶとまた次が学びたくなるんだよ」という向学心は、人間の本能だと思います。それを具現化してあげるという意味では、中村先生が先ほど言ったように従来の高齢者シニア大学の単なる生涯学習っぽい形のもので終わってしまうのではなくて、ちゃんと入学され、ちゃんと卒業し、ちゃんと次なるステップへというところとなると「よっしゃ、眠っていたエンジンをもう1回」という人たちは結構いるんじゃないかと思います。

 やはり、どんどん具現化して現場をいかに作ってあげるのかということも必要だと思うので、中村先生のコメントは私も肝に銘じながらお話を聞かせていただきました。何か最後に大きく変われる勇気を持つ国になっていければ、と願って閉じたいと思います。

【春日】 飯島先生によろしいでしょうか。そうして高齢者の新たな形の大学ができるのはいいことですが、やっぱりそれは暮らしをどう生きるか、生身の自分をどう維持していくかという課題、例えば料理ができる、家事ができる、そうした基本的な生きる力を、特に男性高齢者につけていくような形のカリキュラムを組まなければ、これまでの焼き直しと同じになると思うんです。向上心だけだったら、それこそ倒れた後どうにもならない。フレイル期をひとりでどうにも生きていけないという状態では困るわけです。そういうような意識変革を伴った学びという形を構想しなきゃいけない。もちろん、そういう時期を支える社会制度の充実がさらに必要なのが超長寿社会だと思うのですが。

【飯島】 ヨタヘロ期なら、それなりにどう自分で立ち振る舞っていくのかというところのノウハウをベーシックに教えることがね。

【樋口】 身体障害者の人を、それだけで健康でないとは誰も言わない。残る能力を利用してパラリンピックなどで立派に競技している。ヨタヘロ期になっても市民は市民であり、1人の人間は人間であって、その人の持っている力を評価する社会にぜひなってほしいと思っております。

 コロナ禍がさまざまな問題を投げかけてまいりました。よく「良きものは悲劇の後に起こる」と言う方がいますけれど、逆に言えばコロナも含め被害・災害を体験したら、その上で良きものを産み出さなかったら人間の資格がないんじゃないか。今私たちはさんざんな試練を受けながら、人間の底力とは何か、を問われているのではないかと思っております。

 私は高齢者問題に若い頃から関心を持っておりましたので、初めてアメリカに渡った30歳の時、ロサンゼルスの街中にある老人ホーム、日本で言えば「特養」に連れて行ってもらいました。地域の方がボランティアとして大勢働いていたのを見ました。ある部屋のドアのところに「ボランティアルーム」と書いてあるので、地域のボランティアの人が来て何かしてるんだろうと思ってドアを開けて入りましたら、そこには、松葉杖、車椅子、体が変形してしまった人、入居者たちのボランティアの人が集まって、そこで地域へ配るA4サイズの三つ折りを、日本は回覧版ですがアメリカ多くの地域はレターサイズの紙を折って封筒に入れて各戸に配られる。山積みされたその紙を、お手の不自由な方は、肘でしごきながらかなりぶざまな三つ折りを作り封筒に入れていました。それが高齢者ボランティアの仕事だそうでございまして、それをまた別のところに持っていって、誰か別のボランティアが各地域に配る。地域の人たちはその見慣れた三つ折りから「ああ、あそこのお年寄りボランティアが、また今月もこうして三つ折りにして配ってくれた」と、その存在が見える化、聞こえる化するわけです。これはなんといい人生の循環だろう、と思いました。

 

 お年寄りだからもう何もできないじゃない。地域の中にそうして貢献できるんだ。そういう力を拾い出しながら、私はもう本当にヨタヘロ期の高齢者でございますけれど、残る人生を若い方に助けられながら、そして人生100年を、平和と豊かさの成果として与えられた人生を感謝しつつ、高齢当事者として言うべきことは言って終わりたいと存じます。

 コロナに負けずコロナを超えて生きる人間の知恵を、今日はお三方の先生方からいっぱいいただきました。どうもありがとうございました。今後ともお元気でご指導くださいませ。