平成22年度 交通安全施策に関する計画
別添参考
参考-6 平成21年度交通安全ファミリー作文コンクールの最優秀作
別添参考
参考-6 平成21年度交通安全ファミリー作文コンクールの最優秀作
○小学生の部 最優秀作〈内閣総理大臣賞〉
香川県高松市立大野小学校 五年 遠藤 侑里奈
暗やみは危険がいっぱい
「ピーポーピーポー」救急車のサイレンの音が今日もひびく。去年の冬、交通事故で親せきの人が重しょうを負った。幸い命は助かったが、今でも病院でリハビリの毎日をおくっている。毎日の散歩を日課にし、健康には人一倍気を付けていたのに。事故のことを思うたびに、悔しい気持ちでいっぱいになる。
今回の事故の原因は、運転手の不注意による信号無視だった。私は、夜間の交通安全について家族で話し合い事故当日をふり返った。
事故発生は、夜の八時。雨がふり、周囲の見通しが悪かった。かさをさしコートを着ての散歩だった。運転手と歩行者の両方に悪い条件が重なった。父の話では、夜間の交通事故は少なくないそうだ。いくら交通ルールを守っていても暗く見通しが悪いので、事故にあう危険性は高くなる。夜、外出しないのも一つの方法だけど、出かけなければならない時もある。みんなどうしているんだろう。夜の町の様子を注意して見ることにした。
母の車の窓から夜の道を何回か見て回った。買い物帰りの人たちや、じゅく帰りの学生さんたちに会った。そして、服の色で見え方がとてもちがうことに気が付いた。
まず、歩行者の人たちの中で、白っぽい服を着ている人は遠くからでもよく見えた。でも、茶色や緑など暗い色の服を着ている人は、近くに来るまであまり見えなかった。夜、黒っぽい服を着るのはとても危険だということを知っていたけれど、服の色で運転手からの見え方がこんなにもちがうなんてびっくりした。時々、けい光色の服を着たり、たすきなどの反射材を身に付けて夜の散歩をしている人を見かける。でも、近くへの買い物や外出にまで、身に付けている人は少ないと思った。
次に、自転車帰りの人の中に、無灯火で乗る人を多く見かけた。乗っている人たちは暗くても平気みたいだった。でも、運転手からはよく見えずに危ないと思った。自転車の夜間灯火は交通規則になっている。当たり前のことなのに、規則を守れない人たちが多いことにおどろいた。
夜の道は危険がいっぱいだ。何かいい方法はないのだろうか。父が「日ぐれの早い北おうでは、夜の安全対さくとして、国を挙げて反射材の着用を歩行者に呼びかけているようだ。」と教えてくれた。夜の散歩だけでなく、外出時には、みんな反射材を身に付けて出かけると、運転手に自分の位置を早く知らせられる。反射材の光が、命を救う光になる。
私は、事故を未然に防ぐために、自分のできることからまず始めようと思う。夜間の外出はさけること。外出時には、必ず反射材を身に付けること。突然の事故から自分の命を守るために、昼間だけでなく夜の交通安全対さくにも気を付けていきたい。運転者と歩行者のお互いのやさしい気配りと思いやりがあれば、悲しい事故は少しでも防げると思う。
○中学生の部 最優秀作〈内閣総理大臣賞〉
愛知県豊橋市立中部中学校 二年 木さやか
道路の上の「家族」
「無理はしないで。気をつけてね。」
うちの祖父は、七十三歳。よく幼稚園の弟を自転車の前に乗せて、遊びに連れて行く。出かける前に祖母が心配して声をかける。
祖父は、ほかの七十代のお年寄りに比べて、はるかに元気だ。母が働いていて忙しいときなど、私たち孫を祖父が自転車に乗せてあちこちに連れて行ってくれる。私も小さい頃によく乗せてもらっていた。
私は、祖父の自転車に乗せてもらうのが大好きだった。ゆっくりとペダルをこぐ祖父の自転車は、顔に当たる風がやさしくて気持ちいい。しかし、ただ一度だけ、横を勢いよく通り過ぎた車に祖父が驚き、自転車のバランスを崩して転びそうになったことがあった。祖父は、私にケガをさせまいと私を抱きかかえて必死に自転車を支えた。おかげで、祖父はそばの植え込みに顔をつっこみ木の枝で顔に派手なひっかき傷をつくった。顔から血を流して家に帰った祖父を見て祖母は仰天。それ以後、祖父が出かけるとき祖母が心配して声をかけるようになった。
自転車の事故は多い。私たち中学生も自転車を乗り回している。勢いよく走っていて車や人にぶつかりそうになることもある。逆に、お年寄りの自転車の運転は、私たちと違う。ゆっくりマイペースだ。急いでいるときなど、道路の真ん中でのんびりと走っているお年寄りを「邪魔だなあ。」と思ってしまうことがある。逆に、細い道などですれ違うときなどは、お年寄りの方が止まって行き過ぎるのを待っていてくれたりする。
先日、塾に遅れそうで車で送ってもらうとき、車の前にお年寄りが自転車に乗ってゆっくりゆっくり走っていた。「急いでいるのに困るな。」と怒ってしまった。よく見ると、小さな子を前に乗せている。運転していた母が「うちのおじいちゃんみたいだよね。」と言った。本当だ。孫を乗せて気持ちよさそうに自転車を進めていく祖父そっくりだ。そう思うと今までのイライラがすっと消えるような気がした。急がせて転ばせないようにゆっくりと横を通りすぎなきゃと思った。相手に家族の姿を重ねただけでこんなに優しい気持ちになれるんだと思った。
道路の上にはいろいろな年齢の人たちがそれぞれのペースで行き来している。自分の都合ばかりを考えていると、つい「私の道」のように勘違いをしてしまい、自分優先の勝手なルールが頭の中にできてしまう。
道路の上のみんなが互いに家族の姿を思い出して通行できたら、もっと優しい気持ちでいられるのかもしれない。
祖母が祖父を送り出すときのように、みんな家族の無事を願っている。きっと、お互いに少し思いやるだけで、防げる事故も多いだろう。そのためには……、道路の上にたくさんの「家族」がいると思えばいい。
○一般・高齢者の部 最優秀作〈内閣総理大臣賞〉
鹿児島県鹿児島市 新田 瑞穂
祖父の選択 ~新しい人生のスタート~
「おじいちゃんへ。今までありがとうございました。おじいちゃんが車と共に過ごした長い歴史の終止符のお祝いに、パウンドケーキを焼きました。大口に住んでいた頃は長距離を運転してわざわざ会いにきてくれ、姶良に住んでいた時はこまめに野菜を届けにきてくれて、お世話になりました。高校卒業したら免許を取る予定なので、是非助手席に座ってくださいね。瑞穂」
七月六日にわたしが祖父に送ったファックスである。七十五歳になった今年の六月、祖父は車を手放すことを決めた。この世代としては免許も自家用車も早くから持ち、車社会の先駆けとでも言えるような人だ。車を運転しなくともしばらくの間は手元に置いておきたいと言ったのは、祖父にとって車は思い入れが強いものだったからだろう。
母は祖父が運転免許を返上することを望んでいた。というのも祖父は七、八年前に目を悪くしている。運転に支障はないようだが年を重ねる度に目だけでなく体の諸機能も衰える。また、最近高齢者の交通事故のニュースをよく耳にするため、母は祖父が運転中に事故を起こすのではないかと心配していた。体力がなくなってから新しいことを考えるのは難しい。車なしの新しい生活スタイルに変えるのは元気な今のうちだというのが母の考えだった。
「目的地まで歩いて行ったりバスで行ったりするのは時間もかかるし不便かもしれない。でも運転している時は気付かなかった車窓からの眺めを満喫するのも素敵なことだよ。」
とわたしも言った。
数日後、返事のファックスが届いた。
「ケーキ、とてもおいしかったよ。車がなくても大丈夫。買い物は近くのストアに、おばあちゃんと計画を立てて行っています。昨日はお墓に一時間ぐらいかけてバスで行ってきました。ちっとも遠く感じませんでした。万歩計を見たら一万歩くらい歩いていました。心配はいりません。おじいちゃん」
祖父はずいぶん迷ったようだったが、ついにはきっぱりと車と決別した。銭湯、買い物、病院、美術館に行くのにも祖母とバスを使って出かけている。車がなくて不便なため出不精になるかと心配したが、別段困っているようには見えない。路線図と時刻表を見て移動している姿はこれまでよりも生き生きしている。毎日歩くから足腰が強くなったとさえ言う。祖父は見事なまでに生活リズムを変えた。
車は、いつでもどこにでも天気に関係なく移動することができるすばらしいものである。しかし、その便利さには交通事故というリスクが常につきまとう。祖父は車を返上することでそのリスクを回避した。その上、健康というおまけまで付いてきた。この夏、祖父はドライバーとしてではなく、歩行者としての新しい人生のスタートを切ったのだ。
目次 | 前へ | 参考-7 交通安全に関する財政措置