沖縄を代表するお笑い芸人ガレッジセールと振り返る沖縄のカルチャー ガレッジセールインタビュー

皆さんは「本土復帰」というワードを耳にしたことがありますでしょうか?
本土復帰とは1972年に沖縄が日本に返還されたことであり、今年は復帰50周年という節目の年になります。
そこで沖縄が本土復帰した1972年に生まれた「復帰っ子」(注)のガレッジセールとともに復帰後50年の歴史を振り返りながら、独自の発展を遂げた沖縄の文化や芸能について紹介していきます。
(注) 沖縄では1972年生まれの方を親しみを込めて「復帰っ子」と呼びます。

プロフィール
ガレッジセール ゴリ/照屋 年之 川田 広樹
所属:吉本興業
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沖縄の魅力とは

沖縄県内外で活躍されているガレッジセールのお二人が思う沖縄の魅力とはどのようなものでしょうか。

【ガレッジセール :ゴリさん】
「沖縄は“欲”の強い人が少ない。といった印象を受けますね、東京という場所は全国から、のしあがりたいだとか一旗あげたい!成功したい!という人たちの願望の塊の都市という印象を受けます。東京ではもっと頑張って、もっとビッグなミュージシャンになるぞ!とか、会社を立ち上げて社長になるんだ!という話をよく聞きますが、沖縄の友達の話を聞くと、“今週の日曜日、みんなで集まってビーチパーティーするよ~”とか(笑)。

要するに“何かを掴み取りたい!”という気持ちよりも、働いたあとの時間をいかにみんなで楽しむか?に重点が置かれている気がします。 そういう方向で時間を使った時に、果たしてお金を掴むことが幸せなのか?と思わされる部分がありますね。最低限の生活ができて心の幸せを得る方が幸せなのか?など、沖縄という土地には、色んなことを考えさせられます。そういう意味では“欲”というものが、違う方向性に向いている気がしますよね。具体的には“出世したら自分の時間がなくなるから、そんなに出世したくない”という人など、東京では聞いたことがないんですけど(笑)。

沖縄だったらいるんですよ。だから、そういう意味では“しあわせの価値観”みたいなものが違うのかな?というふうに感じますね。」

沖縄には、地理的にも歴史的にも独自に発展してきた伝統芸能がありますが、
その魅力について教えていただけますか?

【ガレッジセール :川田さん】
「琉球民謡って沖縄で暮らしている頃から生活の一部というか、親戚の集まりで三線の音色が聴こえてくるのも当たり前の光景でしたよね。僕、結婚式場で働いていたんですけれども結婚式の最後にカチャーシーを踊るというのも当たり前の光景で育ってきて、東京に行って披露宴に参加したらカチャーシーを踊らないし民謡も聴かないので、こういうカルチャーは沖縄だけなんだ!と内地に行って気づいたんですけれども。

その独特の民謡というのも奥が深くて、いまだに誰が作ったかわからない作品があったりとか、大人になってからそういった沖縄の伝統芸能の奥深さや魅力を感じるようになりました。子供の頃は沖縄の海が綺麗なのも当然で、内地に行ってから“沖縄の海は綺麗だったんだなぁ”と改めて気付かされたりしましたね。

やはり沖縄を離れてみて、人の温かみもしみじみ感じるようになりました。東京で働いていると時折沖縄に帰ってきてエネルギーチャージしたくなるんです。沖縄に帰省して充電して、また東京で頑張ろう!という気持ちの切り替え方をしています。ものすごくパワーをいただける島なんじゃないかなぁと僕は思っています。」

復帰当時の沖縄は

お二人は、沖縄本土復帰の年に生まれた「復帰っ子」として、本土復帰50周年の番組などのMCとしても各種メディアでご活躍ですが、そんなお二人の少年期から青年期を過ごした沖縄での思い出や出来事をお聞かせください。

【ガレッジセール :ゴリさん】
「僕は本土復帰(1972年5月15日)の一週間後に生まれまして、幼稚園まで沖縄で幼少期を過ごしました。基本的に復帰前のことも知らないので、沖縄がどういう状況だったのか知りませんでした。幼少期は近所の半径数百メートルが自分にとっての世界ですから。 近所で虫を獲ったりとか、友達と駆けっこしたりだとか、家に帰ってぜんざい食べたりだとか、そんな中で育ちながらも僕が小学校一年生から五年生の途中まで大阪に転校することになるんですが、その時に初めて“沖縄ってこんなに遅れているんだ!”ということに気づかされたんですよね。

もう!電車という巨大な鉄の塊の長い蛇が、大量の人間を中に飲み込んでレールで走っていくなんて信じられないし、地下鉄なんてもっと怖くて。こんな巨大な穴を何百メートルと掘って、なんで天井が崩れてこないのかな?とかを子供ながらに真剣に考えたりとかしました。巨大もぐらが本当は住んでるんじゃないのかな?とか(笑)ワクワクしたりしながら。ただ電車に乗るだけでも、沖縄出身の田舎者にとってはエンターテーメントで車両の端から端まで無駄に走ったりしましたね。そのくらい楽しかったです。

そして那覇のメインストリートでもある国際通りで唯一、大きな建物だった三越よりもはるかに大きなビルが一つどころか、何十というビルが建っているわけですよ。“わ!沖縄ってこんなに遅れているんだ・・・あんなに田舎なんだ。”というのを7歳で知るという経験をしました。

そこから小学校五年の二学期にまた沖縄に戻ってきた時に、毎週読んでいた週刊漫画雑誌(少年ジャンプ)が一週間遅れで届くという事実を知りまして。それを知らない大阪の友達が週刊漫画雑誌のあらすじを先に言うという・・・地獄を味わい。 やはり大阪に行くことによって、復帰後の沖縄を知った感じですね。本土コンプレックスを7歳にして抱えましたね。」

【ガレッジセール :川田さん】

「幼少期の思い出を辿ると、観光客がたくさん来ていた記憶がないんですよ。中高生になって急に、ビキニの綺麗なギャルがいっぱい来るようになって(笑)よーし!観にいくぞ!と友達とビーチに行って、普通に見ているとバレるので、サングラスをかけて見ていた・・・といった記憶がありますね。

そういった記憶を踏まえても僕が幼い頃の沖縄は、観光、観光してなかったんだな~という印象があります。 子供の頃は、家族で山原にビーチパーティに出かけたりしていたんですが、その時も観光客はさほどいた記憶がないんです。でも、中学・高校生になると、ものすごく観光客が増えて綺麗なお姉さん達のビキニが楽しみでしょうがなかった(笑)! あと食文化に関しても、幼少期はさほど沖縄料理の人気があったように思えないのに、どんどん沖縄料理の人気が出てきたイメージはあります。

今でこそ、いろんな有名な沖縄料理があるんですけれども、今のように、沖縄料理が有名じゃなかった記憶があります。僕が上京した27年前も東京には沖縄料理屋さんが少なかったんですが、20数年経った今では東京にも沖縄料理屋さん増えていますし確実に認知度が上がっているのを感じています。」

沖縄と本土のギャップ

沖縄に対する想いを色々と伺いましたが、お二人が沖縄から出て感じた本土とのギャップや魅力について教えていただけますか?

【ガレッジセール :ゴリさん】

「僕の場合、沖縄の魅力はやっぱり気候だと思っています。ある程度、温暖な気候ということで僕の中では生命は安全が確保されると思っているので。僕は冬が嫌いなので寒いと恐怖を感じるんですよね(笑)。 温暖な気候だからこそ人の心が穏やかになって、ある程度ガツガツした欲もそこまで出ず、わざわざテーブルチャージの高い高級レストランやバーで食事をしたり高いお酒を呑まなくても、コンビニでビールを買って、砂浜の波のBGMと綺麗な星空があれば、東京の高級バー以上の贅沢を味わえる。 温暖な気候で作られる美しい海だったり、青々とした緑だったりという部分が僕は心を癒すと思っています。

僕自身は東京に憧れて上京しましたけど、やはりコンクリート・ジャングルの中で生活していて客観的に沖縄を見ると都会と緑のバランスが非常にいいと感じます。心が疲れたらすぐ逃げることができる海と自然があるというのが大きな魅力だからこそ、都会の仕事で疲れても休みができたら沖縄に行きたいというファンが多い理由なんじゃないでしょうか。 僕は本当に寒さが苦手なので、全テレビ局が沖縄に移ればいいと本気で思っています(笑)。」

ゴリさんに誘われて上京して芸能活動を始めた最初の苦悩、
沖縄ブームとお二人の努力でつかんだ成功について教えてください。

【ガレッジセール :川田さん】

「上京した時は沖縄方言を禁止しようと二人で話をしました。標準語じゃないと本土の人たちに笑いも伝わらないですし、日常では方言で喋るのが楽だったんですけど、あえて標準語を勉強して標準語でネタもやっていました。

そこから一度、自分たちの単独ライブで“沖縄出身なんだから沖縄の方言でネタをやろうぜ!”となり、沖縄の方言でネタをやったら駄々スベリをしまして・・・。やはり方言では伝わらないんだという苦い経験もしました。

しかし、それこそ、当時のNHK朝ドラ「ちゅらさん 」から端を発した沖縄ブームが起こり、たまたま僕らも同時期にコント番組に出演するチャンスがありブームに乗ることが出来たように思います。そのコント番組で沖縄の方言を使ったネタをやっていたら大きな反響と手応えがあったのでその時に初めて“方言でコントしてもいいんだ!”と思いました。

そういった経験を振り返ると僕らが活躍出来たのは、沖縄ブームのおかげというところは大きいと思います。苦悩というほどではありませんが、東京の人たちは時間に厳しかったり、満員電車に驚いたり、店の行列に並ぶのも習慣として無かったので慣れるのに大変でしたね。」

沖縄本土復帰50周年を迎えた今、思うことは

沖縄が本土復帰して駆け抜けた50年を振り返った今、
お二人が現在、思う事、伝えたい事をお聞かせください。

【ガレッジセール :川田さん】

「僕は物ごころついた頃から、“復帰っ子”と呼ばれているんですけれども、復帰の年に生まれただけで復帰のことはあまり知らずに過ごして来ました。今回、復帰50年の節目の年を迎えて本土復帰について改めて勉強をしました。いろんな人に復帰にまつわる話を聞いていくと、僕の場合、沖縄戦の話にたどり着いたんです。

沖縄本島をはじめ伊江島など、いろんな場所を訪ね歩いて沖縄のオジィ・オバァの話を聞いてみたんですが、現在、沖縄戦の戦争体験者はどんどん減っていってもう生の声が聞けなくなるという現実もあります。沖縄に多くの観光客が来てくださっているのも、日本が平和だからこそだと思います。 恒久平和の尊さを子供たちに伝えていくことも、“復帰っ子”としての使命のような気がしています。」

時代と共に駆け抜けた50年について
沖縄の伝統・文化を通しての沖縄の魅力をお聞かせください。

【ガレッジセール :ゴリさん】

「復帰した当時は経済的にもスポーツでも、いろんな意味で沖縄は本州に比べて遅れをとっていたと思います。沖縄国際海洋博覧会と言う沖縄にとってある意味、シンボリックなイベントを経ても沖縄は自分たちの生まれた島に何となく自信が持てない部分もあったような気がするんです。

そんな時に、具志堅用高という偉大なボクサーが日本チャンピオンのみならず世界チャンピオンという偉業を成し遂げて、沖縄県民に勇気と自信を与えてくれたんですよね。

そこから高校野球。甲子園で全国で通用するはずもない沖縄の高校球児たちが、沖縄水産の栽弘義監督によって1990年に全国決勝まで行くわけですよね。

そういったスポーツ関係者の活躍で初めて“あれ?沖縄って頑張れば、本土の人たちに追いつけるんじゃないか?”と。どんどん沖縄県民が自信をつけていったような気がします。

そしてアクターズスクール旋風って、僕にとっても大きな出来事だったりするんですよ。

僕が東京に上京した19歳当時は“沖縄って、今何時なの?”とか聞かれることも普通にありましたし(笑)。当時はまだ沖縄の観光は今ほど、盛んじゃなかったんです。やはりボクシングや野球、アクターズが全国に巻き起こしたアクターズ旋風はじめ航空会社が沖縄の海や自然は観光になるんだと言うことを夏のキャンペーンでドーンと打ち出してくれたおかげで観光客も80年代後半から90年代には爆増しましたよね。その辺から「沖縄=田舎」というイメージから「沖縄=踊って歌えてオシャレな人たちがいる県」と言う、憧れの的になるようなイメージに劇的に変化したと感じています。もちろんNHK朝ドラ“ちゅらさんブーム”もあり、沖縄サミットもあり、元プロゴルファーの宮里藍が全米を制覇して、とうとう東京オリンピックでは、空手の喜友名選手が金メダルを獲得するという快挙を成し遂げましたよね。

もう僕ら世代が感じていた「内地コンプレックス」みたいなものは沖縄にはもう無いんですよね。そういった各界の沖縄出身者の活躍を踏まえてみて、やっと沖縄は本土並みを実現してきたと思いますので、僭越ながら僕からは“沖縄県民の皆さん、本当に50年間お疲れさまでした!”とお伝えしたいです。これからは沖縄から世界にエンターテイメントを発信していくような沖縄県になっていくと思いますし、僕らもがんばります。」

エンディング

今回はガレッジセールさんに沖縄の文化や魅力についてお話をいただきました。 これからも沖縄への熱い思いを発信し続けていただきたいと思います。 沖縄が日本に復帰して50年が経ちました。このWEBサイトでは、今後シリーズで、様々な角度から沖縄の魅力を発信していきますので、どうぞお楽しみに。