沖縄観光のあゆみと可能性 ~これまでの50年、これからの50年~
温暖な気候に青い海、独自の芸能文化や食文化、地元の人たちが醸す個性的な空気感。1度は旅行してみたい場所として、沖縄は国内でも有数の観光地という地位を確立してきました。県内への入域観光客数の推移を見てみると、その発展の急成長ぶりがうかがえます。
本土復帰した1972年度には56万人だったのが、「沖縄国際海洋博覧会」が開催された75年度には100万人を突破。次いで、91年度に300万人、2003年に500万人を超え、14年度には700万人。そして、19年度にはとうとう1,000万人の大台に到達しました。
復帰から50年の沖縄の観光の歩みを、背景とともにダイジェストで振り返りながら、これからの沖縄観光についても考えてみましょう。
沖縄観光、復帰からの50年史
1972(昭和47)年5月15日に沖縄が日本本土復帰したことで、本土-沖縄間の渡航にパスポートが要らなくなりました。これを契機に、沖縄戦に関連した復帰前の「慰霊観光」中心だった状況が、徐々に「美しい海と温暖な気候」というイメージをまとったリゾート地を目的とした沖縄観光に変わっていくことになります。
この当時は観光地として、そしてそれ以前に日本の一部として先ずインフラ整備を急がなければならない状況でした。1975(昭和50)年に「沖縄国際海洋博覧会」の開催が決まると、それに向けて沖縄自動車道や港湾、宿泊施設などの整備が一気に加速します。そうしたインフラの中でも、とりわけ重要だったのは沖縄の“玄関口”としての那覇空港でした。
沖縄は日本という島国の中の、さらに島嶼県です。近年は国際クルーズによる海路でのインバウンド客も増えましたが、観光客を含めた県外の人たちが沖縄を訪れる際は、当然ながら航空機の利用が圧倒的に多くなります。空港は観光産業の面での重要性はもちろんのこと、県民の生活や経済活動を支える社会基盤としても必要不可欠と言わざるを得ません。
さらに、那覇空港はソウルや上海、香港、台北、そしてマニラといった東アジアの主要な都市が1,500km圏内にあってアクセスしやすいという地理的な優位性もあり、国際的な視野で見れば日本の経済成長を牽引する可能性も見込めることから、政府は那覇空港の機能整備を沖縄振興の重要施策に位置づけて積極的に推進してきました。その延長線上で、2020年3月にも新設された第2滑走路が供用開始されています。
こうした空港を始めとするインフラ整備を経て、1977(昭和52)年には航空機の団体旅行運賃割引と同時に航空会社が大々的な沖縄キャンペーンを実施したことにより、沖縄への観光客の数は大きく伸びました。80年代に入ると、万座ビーチやかりゆしビーチなどのリゾートホテルが相次いでオープンし、さらに観光客数は増加します。
バブル経済が崩壊して90年代に入っても、沖縄観光はさほど大きな影響を受けず、発展・拡大を続けました。1996(平成8)年に航空運賃が自由化されたことに伴って、パックツアーの価格が安くなったことも観光客増加を後押ししています。また、90年代の半ばには安室奈美恵やSPEEDなどの沖縄出身アーティストが全国に名を馳せ、沖縄のイメージを大幅にアップさせました。
そして2000年代に入ると、先ず2000(平成12)年に「九州・沖縄サミット」が開催され、翌2001(平成13)年にはNHK朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』で独特なうちなーぐちを始め、ゴーヤーや泡盛などの食文化も注目され、爆発的な“沖縄ブーム”が起こります。ただ、同年に米国同時多発テロが発生した影響で、一時的に危機的状況に陥ります。しかし、官民一体となったキャンペーンを展開して何とか回復基調に戻すことに成功します。
2010年代始めには新型インフルエンザの世界的流行や東日本大震災(ともに2011年)の影響で国内観光客が減少する局面もありましたが、その一方で外国人観光客数が伸びています。2012(平成24)年には5,000人規模のクルーズ船が寄港するようになり、アジア圏からの新規路線も就航されました。
この10年間の沖縄観光の勢いは凄まじく、2013(平成25)年には新石垣空港開港、続いて翌2014(平成26)年に那覇空港新国際線ターミナルの供用開始、さらに2015(平成27)年には宮古島の伊良部大橋が開通、同じく宮古島では2019(平成31)年にみやこ下地島空港ターミナルも開業しました。これらの背景もあって、沖縄への観光客数は2019年に1,000万人を突破し、7年連続で過去最高を更新しています。
しかし、2020年代に入ると未曾有の新型コロナウイルス感染症が世界的に猛威をふるい、その勢いに急ブレーキがかかることになります。新型コロナと現在、そしてこれからの沖縄観光については後述します。
観光資源の多様性と独自性
沖縄が観光地として大きく発展を遂げてきた要因の1つには、老若男女問わずに楽しむことができる観光資源の豊富さが挙げられるでしょう。
最も代表的なところで言えば、やはり海。沖縄が語られる時には「青い空と青い海」というイメージが定着して久しいですよね。実際に県外から沖縄の海を訪れるとその青さや透明度、そして温暖な気候も相まって圧倒的な異国感を感じる人も多く、こうした自然環境は世代限らずたくさんの人の心を動かします。
若い世代であれば様々なマリンスポーツなどのアクティビティを積極的に楽しめます。さらに中高年や高齢者でもダイビングにトライする人もいますし、ビーチを眺めたり、浅瀬でゆっくりと海水浴を楽しむこともでき、文字通り広大な包容力を有する海、と表現できます。
また、自然という枠で言えば、2021年に世界自然遺産として登録されたのも記憶に新しい「やんばる(山原)」の森や西表島もあります。ヤンバルクイナやイリオモテヤマネコといった絶滅危惧種を含むたくさんの希少種が生息し、生物多種性に富んだ森林は独自の生態系を築いており、本土の森とは植生が全く違います。本島北部の木々生い茂る山道に足を踏み入れると、“空気の匂い”が一変する体験ができるはずです。
文化的な分野に目を向けても、伝統的で多種多様な工芸や芸能があります。琉球舞踊や琉球古典音楽は割と渋めで中高年以上の層が主に楽しんでいる傾向にありますが、若い世代であっても“ホンモノ”の芸を目の当たりにすれば、その深遠さを体感することで唯一無二の経験を得ることが出来るポテンシャルがあります。伝統工芸では、琉球王朝時代から連綿と続く技術を受け継ぎながらも、現代の時代感覚を巧みに作品に反映させた織物ややちむん(焼き物)などもあり、各分野で若手の人気作家が出てきている現状もあります。
さらには、オフシーズンの観光客底上げを図って誘致に力を入れたプロ野球キャンプを始めとする各種スポーツキャンプ・合宿が実施され、そのメッカとしての沖縄という地位を確立したことも挙げられるでしょう。冬でも気候が温暖な上に、海外に行くよりも移動時間が短くコストも低く済むことで、多くの球団やチームが冬場の沖縄でキャンプをするのは今や風物詩になっています。
この他にも、北部には沖縄観光の代名詞の1つと言ってもいい「美ら海水族館」や、地元の若者も遊びに行く異国情緒溢れる中部・北谷のアメリカンビレッジ、南部には沖縄戦の歴史の重さを実感する戦跡の数々もあります。また、沖縄観光で想起されることの多い首里城は残念ながら2019年に焼失してしまいましたが、その周辺には様々な文化財が点在していて散策すれば琉球王朝時代の情緒を味わうことも出来ます。ちなみに、首里城の復興は「見せる復興」をテーマに2026年の完成を目指して工事が進められているところです。
これからの50年へ向かう「持続可能な観光」
現在、そしてこれからの沖縄観光を語る時に、新型コロナウイルス感染拡大の影響についての言及を避けることはできません。
2020年にコロナ禍に突入して以来、人の移動を制限するなどの感染対策措置がとられ、沖縄観光は大打撃を受けました。復帰50年の節目の年となった2022年も例外ではなく、コロナ前から既にあったオーバーツーリズムなど沖縄県内の観光を巡る課題に加えて「ウィズコロナ」「アフターコロナ」という新たな視点を含めた沖縄観光のあり方を模索しなければならない段階に差し掛かっています。
沖縄観光について国内外での誘致宣伝や受け入れ体制整備事業、観光関連産業の人材育成などを担う沖縄観光コンベンションビューロー(OCVB)の下地芳郎会長はコロナ禍について「我々がかつて経験したことのないレベルで、大きな影響を及ぼしています」と語ります
「これまでにも9.11やSARSなどで観光客が減少する危機はいくつかあって、その度に官民で連携する“沖縄観光の強さ”を発揮して乗り越えてきました。しかし、今回の新型コロナに関しては期間が長期に及んでいることもあって『単に観光客数が回復したから大丈夫』ということにはならない。2022年には回復の兆しも見えてきましたが、観光を支える観光業界がきちんと安心感を持てるような『復興』を目指していかなければならないと考えています」
こうした厳しい局面を迎えている一方で、下地会長は「沖縄観光の魅力が損なわれているわけではありません」とも強調します。
「沖縄の自然の特性や文化的魅力、そして整備が進むインフラなどに目を向ければ、沖縄観光の魅力は強化されている部分もたくさんあります。非常に苦しい時期が続いてはいますが、こうした沖縄の魅力をフルに活用することで、これからはもっと“攻めた”取り組みにチャレンジしていけるとも考えています」
コロナ禍を受けて、観光業界では感染対策を踏まえながら、これまでにはなかった形での旅行の楽しみ方を模索する動きも出てきました。
自宅から1~2時間という距離の近場を旅行・観光する「マイクロツーリズム」や、リモートワークが普及したことを踏まえてリゾート地で働きながら休暇をとる「ワーケーション」、そしてリゾート地・沖縄の観光を始めとする様々な産業の生産性や付加価値をテクノロジーで向上させる社会経済のDX化を推進する取り組み「リゾテック」も挙げられます。この動きは観光地としての沖縄の魅力やポテンシャルを再認識する大きな契機になったと言えるでしょう。
エンディング
世界に目を向ければコロナ禍の影響によって社会と企業、そして地域との関係性のあり方がグローバルな視点から見直され、そこには「持続可能性」というキーワードが貫かれています。アジア圏を主とした航空便の国際路線、国際クルーズの再開・新規就航の動きも出始め、グローバルな視野が不可欠になる中で、沖縄の観光を巡っても官民ともに「持続可能な観光」をテーマに“これからの50年”に向かって長期的かつ持続的な観光の形を模索する様々な取り組みが行われている真っ最中でもあります。
下地会長は「沖縄にとって本当にプラスになる観光を目指すことが大事だと思います」とシンプルな表現で沖縄観光の先を見据えます。「観光をすることで、観光客も、観光に携わる人も企業も、そして地元の人たちも豊かさを実感することができるような光景を目標にしたいですね」