平和を愛し、礼節を重んじる「空手」の魅力

昨夏に開催された「2020東京オリンピック」で、初めて正式競技として採用された空手。発祥の地は、沖縄です。明治期の1879年まで450年続いた琉球王国の時代に生まれ、今や日本全域、そして世界中に1億人以上の愛好者がいるとされています。

東京五輪の際、男子形で初代王者となった沖縄市出身の喜友名諒選手(劉衞流鳳凰会)が優勝を決めた後、コート中央で正座をして四方に座礼した姿に代表されるように、空手では礼節を重要視します。「礼に始まり、礼に終わる」。空手は護身術として研鑽されたため、稽古を通して自らと向き合い、忍耐力や体力、精神力を磨くことこそが最大の目的です。だからこそ、平和を愛する守礼の心を大切にするのです。

多くの流派が残存し、多様性も大きな特徴の一つである沖縄空手においては、先人から脈々と受け継がれた「型」の習得に重点を置き、繰り返し稽古に励みます。沖縄が日本に復帰してから50周年、そして空手の日本普及に大きな功績を挙げた船越義珍氏が県外で初めて空手を演舞した1922年から100周年を迎えた2022年。大きな節目に、攻防一体となった無駄の無い身体動作を追求した空手の魅力や源流、真髄を探っていきましょう。

①起源や歴史<発祥>

沖縄古来の徒手武術「ティー」と中国武術が融合

空手発祥の起源は諸説ありますが、琉球王国時代の武士(サムレー)が護身術として学んだ武術「手(ティー)」がルーツであるとされます。文献や伝書がほとんど残っておらず、ティーがどのような武術だったかははっきりと分かっていませんが、ティーと伝播された中国武術が融合して現在の空手の基本が形成されていきました。

日本や中国、東南アジアなど、近隣諸国との積極的な貿易で繁栄していた「大交易時代」(14~16世紀)のように、外国に近いという地理的優位性を生かし、古くからさまざまな文化を取り入れてきた沖縄の知恵と風土の産物の一つとして、空手も生まれたのでした。

空手のことを当初は「唐手」と表記したそうです。琉球王国時代はまだ士族のみを中心にたしなまれていたため、一般に広まっていたわけではありませんでした。なぜ大衆にまで普及していったのでしょうか。

きっかけは、1879年の「琉球処分」により琉球王国が沖縄県になった後の1905年。この年、琉球王国時代から空手の大家で知られた糸洲安恒氏の功績で県立第一中学校(現首里高校)と沖縄師範学校の体育科目に唐手が採用され、それぞれの学校で唐手の達人が体育教師を務めて指導に当たりました。明治期は徴兵令が発せられ、各学校で体格検査が行われた際、唐手をやっている学生の体格が非常に優れていたため、採用されたということです。この頃には「トゥーディ」(沖縄の方言)との呼称も「カラテ」と改められました。

沖縄空手研究所所長で、沖縄大学の客員教授を務める嘉手苅徹博士(スポーツ科学)は「沖縄で空手が普及したことを見る時に大事なのは、王府時代から近代に空手をつないだ指導者が学校教育に空手を導入するに当たって重要な役割を果たしたことです。小中学校や師範学校、商業、水産学校などの学校教育に空手が入り、空手家が指導したことで、県全体へ一気に広まっていったという特徴があります」と説明します。

ちなみに、現在の「空手」という表記が正式に決まったのは1936年10月25日です。当時は「唐手」「から手」「空手」などいろいろな表記が乱立していましたが、空手界の代表者や沖縄県職員らが議論を重ね、表記や呼び方を「空手」とすることが公式に決定しました。この10月25日は2005年に県議会で「空手の日」とすることが決まり、毎年記念演武祭が開かれています。国際通りに数千人の空手家が集まり、年齢や性別、国籍、流派を超え、先人から脈々と受け継がれてきた型を一斉に演武する姿は”圧巻”の一言で、一見の価値があります。

日本、そして世界へ広がる「KARATE」

また時計の針を少し戻します。発祥の地、沖縄では学校教育への導入によって一般に普及した空手ですが、県外での広まり方は経緯が異なります。きっかけは1922年、達人の一人であった船越義珍氏が柔道創始者の嘉納治五郎に招かれ、東京で初めて型を披露しました。その後、船越氏は東京の大学で空手を指導していきました。

前出の嘉手苅氏は「本土で普及の土台になったのは大学です。大学内の空手研究会を中心に関東、関西と広がっていき、そこから指導者が生まれてさらに普及していきました」と解説します。大学のほか、陸軍戸山学校・警視庁の研究会も普及の一助となりました。その後、1933年に大日本武徳会が空手を日本の武術として正式に承認し、柔道や剣道、弓道などと並んで日本武術の一角に収まりました。それと同時に競技化も進み、日本中で親しまれるようになっていきました。

さらに世界に広まっていく要因の一つに移民の存在が挙げられます。1900年にハワイに到着した26人を皮切りに、戦前、戦後と多くの人が沖縄から海を渡り、現在では世界に沖縄にルーツを持つとされる沖縄県系人は世界に約42万人いるとされています。先人たちが移民先で門弟を増やし、裾野を広げたといいます。普及を目的に欧州で指導をする空手家がいたり、戦後の米軍統治下で空手に魅了され、帰国後に普及に励んだ米軍人・軍属もいたりして、空手は「KARATE」として世界へ飛躍していきました。

②現在<礼節を尊ぶ空手の真髄>

「空手に先手なし」秘められた理念

沖縄の空手は、特徴や伝承地域などから首里手(スイディー)、那覇手(ナーファディー)、泊手(トゥマイティー)、上地流に大別する事ができます。昭和に入った頃から流派名が付けられるようになりました。現在も多くの流派が伝統的な型を継承しており、多様性を認め合っています。

また「空手に先手なし」や「人に打たれず、人打たず、事なきをもととするなり」など先人の金言に象徴される「平和の武」という認識は、流派を超えた共通理念となっており、沖縄空手にとって揺らぐことのない土台となっています。技法や技術だけでなく、礼節を尊ぶ「守礼の心」を学び、どこまでも自己鍛錬を追求する精神性こそが、世界中の人を惹き付ける空手の最大の魅力となっています。

近年は空手のブランド化の取り組みも進んでいます。沖縄県は2016年に世界へ空手を発信する空手振興課を設置。2017年には沖縄空手を独自文化として保存、継承、発展させるため、その真髄を学ぶ拠点である沖縄空手会館が豊見城市に誕生しました。2022年8月には沖縄空手会館と沖縄県立武道館を会場に第2回沖縄空手世界大会・第1回沖縄空手少年少女世界大会が開催され、競技とセミナーを合わせて国内外から2,384人が参加するなど、大会を通した交流も活発です。

③未来<受け継がれる空手>

喜友名さん、佐久本さんが語る空手の魅力とは

これまで空手の歴史や理念を紹介してきましたが、当事者たちはその魅力をどう受け止めているのでしょうか。東京五輪男子形で金メダルを獲得した喜友名諒さんと、師匠で劉衛流道統5世の佐久本嗣男さんに話を聞きました。

空手の真髄とは。

【佐久本さん】
「技の奥深さを追究していくためにはもちろん技術も伴ってきますが、一番大事なことは崇高な精神性を尊ぶ武道だということです。修行、鍛錬を通して人としての優しさや思いやり、他人に対する気配り、謙虚さが自然と培われていきます。『空手に先手なし』など先人が伝承してきたように、武道として平和を希求する。空手をやっているというだけで、人種も文化も国籍も全てを超えて交流ができ、心を一つにすることができます。私にとって空手は平和を達成するための手段だと思っています」

【喜友名さん】
「私は幼稚園で空手を始めましたが、ここまで続けてきて、継続することの大切さを学びました。技だけでなく、稽古の中で精神面を鍛えることもできます。空手を通して国内、海外といろいろな場所へ行き、多くの人との繋がりもたくさん持つことができました。自分にとって人生の財産になっています」

オリンピックで喜友名さんが優勝したことの意義をどう捉えていますか。

【喜友名さん】
「オリンピックは、今でも選手村に入った時から閉会式まで鮮明に覚えています。誰でもできる経験ではないし、一つのことに挑戦して、上を目指し、目標を達成するためにはどれだけのことをこなしていかないといけないのか、とても勉強になりました。今振り返っても、佐久本先生や毎日顔を合わせている道場の仲間がいなかったら、絶対に達成できないことでした。オリンピックの後からは、空手に興味がなかったという人からも声を掛けてもらうことが増えました。流派関係なく、子どもたちに夢を持つきっかけを少しは与えることができたかなと思っています」

【佐久本さん】
「金メダルを取った後、喜友名はコートの上で自然発生的に正座をしました。空手発祥地の地である沖縄で鍛錬を積んできた彼があのように礼と節を表現したことは、とても意義深いことでした。相手の選手がいて、自分も結果を出すことができたという尊敬、自他共栄の精神です」

修行を積む過程で、空手の歴史に思いを巡らせることはありますか。

【喜友名さん】
「劉衛流(1800年代に仲井間憲里氏が中国から持ち帰った拳法が起源)だけでもとても長い歴史があり、佐久本先生も宗家から技を受け継いで僕たちに指導をしてくれています。例えば、アーナンという形一つとっても『最初につくった方はどんな風に使っていたんだろう』とか、動きの意味を考えたりしています。もっと比較、研究していきたいです」

今後の目標を教えてください。

【喜友名さん】
「今、後輩たちも世界を目指して本当に頑張っています。自分が経験したこと、学んだことを引き継ぎ、目標を持つきっかけを与えたいです。目標を達成するためにはどんなことをやっていけばいいのか、そういったことも伝えていきたいですね」