佳作 【高校・一般部門】 青木 寛明

頼りにしてくれてありがとう

 

あおき ひろあき
青木 寛明 (横浜市)

今年の節分の日の事である。その日私は、夕方から都内で友人達と会食を楽しみ、横浜の自宅に帰宅すべく、東海道線に乗った。夜9時半を過ぎた東海道線はまだ混雑していたが、ホームまで見送ってくれた友人が、何とか席を見付けて着席させてくれたため、のんびりと電車に揺られていた。

電車が川崎駅に到着すると、沢山の人が乗車して来て、車内は満員となった。その時不意に前方から、

「どなたか席を譲って頂けませんか?私は妊娠しているのです」

と、若い女性の声がした。私は反射的に立ち上がり、彼女に、

「どうぞ。お座り下さい」

と言った。私の後からも何人かの人が立ち上がったため、結局私は元の席に座り、彼女が隣に座る形となった。

彼女は、品川から乗車したが、車内で倒れてしまったので、一度川崎駅で下車した事、横浜まで行く事などを、私に話してくれた。私は、

「横浜から先、どちらまで行くのですか?」

と尋ねた。私も横浜で降りる。いつまた倒れるかも分からない彼女を、一人で帰すのが心配になったので、同じ方向だったら同行しようと思ったのである。結果、彼女と乗り換える路線は違ったが、心配であったし、彼女は大荷物を持っていたので、彼女の乗り換える電車のホームまで送って行く事にした。最初彼女は遠慮していたが、やがて私の申し出を受け入れてくれた。

横浜に着くと私は、空いているルート、エスカレーターのあるルートを選び、慎重に彼女を先導して歩いた。右手に杖を持ち、左手に彼女の荷物を持ち、自分のリュックを背負った私は、よたよたと進んで行った。傍目に見たら、かなり不格好だし、危なっかしかったであろう。逆に彼女に心配を掛けてしまっているかもしれないとも思ったが、彼女は時折、

「前に柱がありますよ」

などと私に声を掛けながら、横を歩いてくれた。すべてを任せ、信頼してくれている彼女の行為がありがたかった。

こうして、彼女の乗る電車のホームに辿り着いたので、私は、

「気を付けて帰って下さいね。そして、どうか元気な赤ちゃんを産んで下さい」

と言った。彼女は、

「親切にして頂き、ありがとうございます」

と言い、少し涙を浮かべている様子であった。私は、彼女の乗った電車を見送り、彼女が無事に帰宅できる事を祈りながら、家路に着いた。

あれから半年以上の月日が過ぎた。予定日が5月頃と聞いた気がするから、今頃はやさしいお母さんになって、楽しく子育てをされている事であろう。叶わぬ事と思うが、彼女と彼女のお子さんに会ってみたいなと思う今日この頃である。そして、

「あの時はありがとう」

と伝えたい。

視覚障害者は、町中ではいつも「助けてもらう側」に位置する。駅や道で、色々な方々に声を掛けて頂き、時には目的地まで誘導して頂いたりして、本当に感謝している。でも、助けてもらうばかりではなく、私達視覚障害者でも、だれかを助けてあげる事ができる。

この出会いは、視覚障害があっても、だれかの役に立つ事ができるという事を、実体験を通して感じる事ができ、自信も持てた一時であった。

私は、電車内でご年配の方が立っておられる雰囲気を感じたら、元気な時などは、席を譲る事もある。また、複数名で乗車して席がバラバラになってしまった方がいる時も、席を動いてあげたりする。乗る電車が分からずに迷っておられる方がいると雰囲気で感じたら、進んでお声掛けをして、ルートや乗るべき電車をお教えすることもある。そんな時、

「ありがとう。やさしいですね」

と言って頂けると、とても暖かい気持ちになれる。

しかし、私達が、何か健常者のお手伝いをしようとすると、

「他の人がやるから座ってて下さい」

とか

「大丈夫です」

と言われてしまい、寂しい想いをする事が多々ある。どうせできないであろうとか、危ないと思っている人もいるだろうし、視覚障害者の手を借りてはいけないと思っている人もいる。だが、視覚障害者も、だれかの役に立ちたいとの強い想いを、常に持っている。

昨今は、人が困っていても、中々声を掛けづらかったり、掛けずに立ち去ってしまう人が多いと聞く。また、特に言葉掛けが苦手な方が多いようで、黙って手が出て来て、助けてくれようとする事もある。だが、やはり最初は、言葉によるコミュニケーションが大切だと感じる。

「大丈夫ですか?」

と声を掛け、掛けられる事から、お手伝いが始まってほしい。そして、心にゆとりを持ち、周囲へのちょっとした気配りができれば、とても生活しやすい社会になると思う。

これを読んでいる方に、お願いしたい事がある。町中で困った事があったら、傍にいる人が障害者であっても、どうかその人に頼ってみてほしい。できない事もあるだろうが、私は、全力でお手伝いしたいと思う。