佳作 【高校・一般部門】 矢野 英希

老人ホームのおばあちゃん

 

やの  ひでき
矢野 英希 (名古屋市)

平成二十年十一月二十五日、僕は障害者雇用枠で名古屋市内の老人ホームに嘱託職員として採用されました。

居室の清掃、ゴミの分別回収が僕に与えられた業務でした。

僕は高校生の時に統合失調症に罹患し、高校卒業後この老人ホームに採用されるまで三十箇所近く職を転々としました。それまでは、障害名をクローズにしての就労だったので、健常者と同じ外見をしてはいましたが、内側の心を病んでいましたので大抵どこの職場でも対人関係のもつれで離職していました。ひとつの職場に長くとどまれず、三か月や一か月で退職してしまうことの連続でした。そんな僕に老人ホームの清掃員など務まるだろうかと、自信はありませんでしたが、やる気だけはありました。なぜなら僕は、ハタチで結婚をし生活を営んでいくために働かなければならなかったからです。しかし、家庭や精神障害を背負って働くということは、両手両足に鉄アレイをくくりつけて水中を泳ぐような苦しさを伴いました。先ず、服用している薬の作用で動作が緩慢になる。そして、精神的ストレスが蓄積されると幻聴・被害妄想といった症状が現れる。健常者にはまずありえませんが、自分の悪口をあたかも本当の声のように感じ、大変な苦痛を強いられます。

老人ホーム内はエア・コンの温度が高めに設定してあり、ひと部屋清掃し終えると、灰色のTシャツの背中に南北アメリカ大陸のような汗の染みが浮かび、上半身ぐっしょりとなりトイレの個室に入ってTシャツを絞ることもありました。

各居室のおじいちゃん・おばあちゃんの性格は十人十色で、優しい人、冷たい人、むずかしい人、その一人ひとりの息づかいにあわせて床をモップで水拭きしたり、ゴミ箱のゴミを回収したりしました。汚れがひどい居室では、便や反吐などが床に落ちていることもあり、鼻をつまみながらそれらを清拭しました。(汚れにも名前がついていたらいいのに、そしたら持ち主にそっとお返しするのに)そう思ったこともありました。頭からの汗が滝のように流れ落ちてきて目や口に入るので、髪を丸刈りにしバンダナを巻いて仕事をしました。

入居していらした方で、ハットリさんという九十歳代のおばあちゃんだけは何故か僕に優しく接してくれました。「あんたは純粋でかわいい」と、いつも飴玉・ジュース・フルーツの残りなどをこそっと僕に持たせてくれました。何度かハットリさんと接するうちに僕の中で好意が生まれました。ハットリさんの居室を清掃するのが楽しみになりました。戦争時代の話や働いていた時の話など生き生きと語って聞かせてくれました。

同僚のヘルパーさんたちは、僕のことを「気持ちわるい」といい無視をしました。とても悲しかったです。

次第に幻聴がひどくなり気休めに耳栓をして仕事をするようになりました。その姿が珍奇にうつったのでしょう、ますます同僚のヘルパーさんたちの悪口は増えていきました。「気持ちわるい」と。

何が「気持ちわるい」のか?

僕なりに健常者の視点で考えました。精神障害者は何を考えているのか、何をするのかわからない。つまり目に見えない、予測がつかない、幽霊や地震を怖がるような心理ではないかと思うのです。

悲しいことですが、現実の世界では目に見えて安心できることのほうに重きを置きます。でも、目に見えない心を僕たちが病んでいることは厳然たる現実です。

人の心、自分の心は目に見えません。ですが、目に見えないものを見るのは心です。

その心を病むことがどれくらい辛いことか、健常者の方々に少し自分自身に置き換えて感じていただきたいです。

ハットリさんだけは、「あんたは、かわいい子だよ」と、ねぎらいの言葉をかけてくれました。僕のことを、「あの子は、がんばり屋さんだよ」と、他の入居者や同僚のヘルパーさんたちにも伝えてくれました。

床にボトボト落ちる自分の汗も、他の汚れと一緒に清拭しました。ただひたすらと。

気が付くと、働き始めて一年が過ぎていました。不思議なことにあんなに僕をいじめた同僚のヘルパーさんたちが、「矢野さん、がんばってるね」と言ってくれるようになり、僕がしんどい時には仕事を手伝ってくれる方も出てきました。

ああ、介助も清掃の仕事も、かく汗は同じなんだよなあと思いました。

そうか、これが社会で働く、生きるっていうことなんだと知りました。

働き始めて一年三か月目に、蓄積された疲れのため、統合失調症を再発し、老人ホームを辞めることになりました。退職日にハットリさんに別れの挨拶をしにいきました。「何か買いなさい、がんばったね」と言っていただき千円札を一枚くださいました。胸が熱くなりました。僕たちは最後に握手をして別れました。ハットリさんは涙ぐんでいました。

後日、いただいた千円で詩集を一冊買いました。今でも詩集をめくるとハットリさんのことを思い出します。ハットリさんの愛に感謝しています。ハットリさん、ありがとう。

老人ホームを辞めたあとは、病状とうまくつきあいながらもピアセンターなないろに通い、地域の方々と楽しくふれあいながら幸せな日々を送っています。

終わり