佳作 【高校・一般部門】 上田 ケイ

後悔の先

 

長崎県立諫早農業高等学校 二年
うえだ けい
上田 ケイ (長崎県)

バス通学をしている私は、学校から家へ帰るバスの中で隣に座っている友人と一緒にウトウトしながらバスに揺られていました。そんな私が一瞬で目が覚める出来事が起きました。それは、バスがバス停に止まると同時に小・中同じ学校だった同級生が入って来たからです。私は、その子が入ってきた時に驚いてずっと見ていましたが、その子は私の事を覚えていないのか笑顔で私の横を通りすぎ後ろの席に座りました。

バスに乗ってきた同級生、Мちゃんは、支援学級の子でした。初めて会ったのは小学一年生の時です。Мちゃんは肌がとても白く頬がポッと赤く色づいていてとても可愛いく性格もおっとりしていたので、小学生という少しお姉ちゃんになった私達にとっては、妹のような面倒を見てあげたくなるような存在でした。そんなМちゃんはもちろん皆の人気者で毎日Мちゃんの取り合いをしていました。ですが、学年が上がって、知識がどんどん増えていくうちにМちゃんと自分との違いが明らかになっていました。私達は漢字をしたりかけ算をしているのにМちゃんはひらがなをしている。私達は学校で勉強をしているのにМちゃんは水族館に遠足に行っている。私達は、Мちゃんは、を繰り返すうちにМちゃんは障害者なのだと気づきました。それからは一緒に遊ぶ時も同い年なのに年下に話しかけるような話し方で、手伝ってあげるのがあたりまえ、危ないことが少しでも起こりそうだったら絶対させない、がМちゃんの友達である私の考えでした。Мちゃんが障害者でもМちゃんは相変わらず可愛く一緒に遊ぶ事がとても楽しかったので私はМちゃんのことが大好きでした。だから、小学校の運動会では、全員リレーで一人100メートル走るのをМちゃんと一緒に50メートル走って残り150メートル走るという役を自分から立候補していたり、同じクラスになれず一緒に修学旅行に行けなかったことをとても悔しく思っていました。そして、私もМちゃんも中学校に上がりました。中学校は小学校とまったく違って勉強に部活にと毎日忙しくいつの間にかМちゃんと関わることが急激に減っていきました。それから一年が経ち中学二年生になった時、Мちゃんと同じクラスになりました。Мちゃんと関わる事がとても久しぶりだった私は少し楽しみでした。小学校の時と同じように全員リレーでМちゃんと一緒に走り残りを多く走る役を立候補しました。いざМちゃんと体育大会の練習をしようとすると、始めは一緒に走ってくれていたМちゃんが、練習を重ねていくうちに「嫌だ」と言って走ってくれませんでした。全員リレーで得点が高かったためМちゃんが走ってくれないことにイライラしだしたクラスメイトが私を責めてきました。私は何度頼んでも「嫌だ」と走ってくれないМちゃんや、Мちゃんの分も多く走っていて疲れているのに責めてくるクラスメイトに耐えきれず泣いてしまいました。それから私はМちゃんと関わるのを避けるようになりました。体育大会から夏休みが過ぎすぐに秋にある修学旅行の準備が始まりました。どこに行くかきまった後は、班を決めることをします。一番最初に決めるのはМちゃんを誰と一緒にするかでした。私は、行動がゆっくりで手伝わないとなにもできず、手を繋いでないと何処かに行ってしまいそうだと思いました。いろいろ回りたい場所があるのに、Мちゃんと同じ班だと回れないかもしれないと思い、小学校の頃一緒に修学旅行に行けず悔しい思いをしたのに、Мちゃんと同じ班にならないようにしていました。私は、いつの間にかМちゃんと一緒にいることが楽しくなくなっていました。

今私は高校で介護の勉強をしています。その中では、福祉についての勉強はもちろん障害についても学びます。今の私は、なんの障害もなく暮らしていますがいつ事故に遭うかもいつ病気になるかも分かりません。突然、自分の足が動かなくなる、話せなくなる事が、あるかもしれません。そう障害者の立場になって考えると今までの自分の行動に後悔をしました。Мちゃんにもできる事があるのに勝手にできないと決めつけていました。Мちゃんにも感情があるのに相手の気持や行動の理由を考えもせず理解しようとする努力すらしていませんでした。学校やボランティア活動で学んでいく内に今までの自分が無意識に障害者を下に見ていたことが分かりました。

私はまだ、相手の気持ちを上手く引き出すことも、自分の気持ちを押しつけずに伝えることもできません。私にも多くの出来ない事があります。ですが、これから先多くの人と出会い、後悔して、学んで、出来なかった事を出来るようにしたいと、一人でバスに笑顔で乗ってきたМちゃんを見て思いました。