佳作 【小学生部門】 松川 心優

心の声が聞こえる人に

 

今治市立立花小学校 六年 
まつかわ みひろ
松川  心優 (愛媛県)

私には、難聴という聴覚障がいがあります。生まれた時に、息ができなくなって、お母さんと別々の病院に入院しました。その後、元気に大きくなったけど、言葉が少なくて、お母さんが検査に連れて行くと、難聴だと分かりました。お母さん、お父さんは、

「家族でうまく話ができるだろうか。」

「難聴の子をどのように育てていけばよいのか、よく分からない。」

と思ってとてもショックで心配だったそうです。その後、私は、補聴器をつけるようになり、よく聞こえるようになってとても楽になりました。ようち園は、お兄ちゃんといっしょの地域のようち園でしたが、あまり楽しくありませんでした。先生の言うことや友達の言うことは、何も分かりませんでした。だから、友達と仲よく遊べませんでした。そこで、年長さんの時に、松山ろう学校のようち部にかわりました。ろう学校では、ようち部なのに、毎日宿題があって、たいへんでしたが、がんばりぬいたので、同じ障がいの友達がたくさんできました。みんなとげきをしたり、勉強をしたりしてとても楽しかったです。手話や指文字を習って、先生の言うことや、友達の言うことがとてもよく分かるようになり、友達と仲よく遊べるようになりました。言葉を覚えると楽しいことが分かったので言葉を覚えるために、物の名前を書いて家の中にはって、その名前を見て覚えました。

小学校はお兄ちゃんといっしょに行きたくて、地域の小学校に入学しました。知っている友達がほとんどいないので、とても不安でした。でも学校でみんなといっしょに生活する中でだんだん私のことを分かってくれるようになりました。私が聴こえなくて困っていると、友達が、手話や指文字、筆談、身ぶりなどで教えてくれます。授業中は、先生だけでなく、友達もダイナマイクを発表する人に回してくれます。みんなで遊ぶ昼休みの遊び方は、交流学級の係の子が、ホワイトボードに書いて出してくれます。みんな優しい友達ばかりです。とてもうれしいし、毎日が楽しいです。そして私は、だんだん「自分がだれかのために何かできることがあるかな。してもらうばかりではなくて、何かできることをしたい。」と思うようになりました。そんな時の五年生の体育で、バスケットボールの試合をしている時、あやのさんが泣いていました。ボールの取り合いで、相手チームの子の手が当たり、

「手がいたい。いたいのに、相手の子が謝まってくれない。」

と言って泣いていました。木村先生が

「いたいね。いたいのは分かるよ。でもね、バスケットボールの試合をするのが初めてだから分からないと思うけど、バスケットではボールの取り合いで手が当たっても、試合中に相手の子が謝ったりしないのよ。いちいち謝っていると試合にならないのよ。」

と話しても、いつまでも泣いていました。私は、あやのさんがつらそうだったので、泣いているあやのさんの背中をさすり続けました。しばらくするとあやのさんは泣き止んで試合にもどりました。私は、「よかった。あやのさんが元気になった。」と思ってほっとしました。

二学期最後の学級活動で、交流学級担任の森田先生が、

「この二学期に友達にしてもらってうれしかったことがある人は、みんなに紹介してくれませんか。」

とおっしゃいました。すると、あやのさんが

「バスケットボールの試合で泣いた時に、みいちゃんが背中をさすり続けてくれました。つらい時に側にいてくれてうれしかったです。」

と発表していました。私はとてもうれしくなりました。私は、ずっと耳が聴こえにくいです。でも、人の心の声は聴こえるようになりたいと思います。お母さん・お父さんが付けてくれた心優という名前のように心が優しい人になりたいです。私は、障がいがあって不便だと思う時はあっても、不幸だとは思いません。障がいがあってもだれかの役に立ちたいのです。そのためにも、もっとみんなに難聴のことを知ってもらいたい、手話や指文字を知ってほしいと思います。そして楽しく話したいです。