佳作 【小学生部門】 中村 晴菜
人を救うまほうの言葉
加古川市立野口小学校 六年 |
みなさんは、心を動かされた、一言はありますか?私は言葉とは、時に相手を傷つけ、悲しませてしまうものになるかもしれませんが使い方をまちがえなければ相手を勇気づける、ま法の言葉になると思います。
私は、生まれた時から二分脊椎という病気で、何度も入院をしてきました。それをしった友人達は、「大変なんだね。」「どんな病気なの?」といっていました。中でも私の心に強くささったのは、「かわいそう。」という言葉でした。その言葉を聞いたしゅん間、なぜかすごく、くやしくなって自分がいやになっていきました。後から考えると、ずっと他の子と同じ、ついていけていると思っていたのに、自分との差をつきつけられたようで、くやしかったのだと思います。その時は、どうして私が障害者になんか、なってしまったのだろう。障害者にならなかったら、友達ともふつうに遊べるし、ふつうの生活を送れたのかもしれないのに…と心の底から思いました。
何日かたち、その日は年に三、四回程通っている、子供病院のしん察の日でした。私は正直、あまり行きたくありませんでした。自分の病気のことを、深く考えなくてはいけないからです。いやだなぁと思いながらも中に入り、順番をまっていると、自分の番号がよばれたのでしん察室へ入りました。
その日の話は、手術をするか、しないかで色々な、良くなるところと少し不便になることをたくさん聞きました。やっぱりあまりいい気はしませんでした。すると、私の気持ちに気づいたのか、幼いころからずっと私を見てくださっている先生が「君のような病気をかかえている子たちはね、ものすごく強いんだよ。他の子とは、ちょっとちがっても、それは、一人一人の個性だから自信をもって堂々としていたら大丈夫。」と言ってくれました。その言葉は、心の中の大きな傷をいやしてくれているようでなぜだか、なみだがあふれだしそうになりました。私は、かわいそうなんかじゃない。みんなといっしょなんだと思うと、自信がもてました。それにこの病気がなかったら、あんなすてきな言葉も、もらえなかったと思います。その日のことは、今でもよく覚えていて、本当に先生に感謝しています。
それから、学校でも堂々としていると、友人もかわいそうなんか言わずに、困っていると助けてくれたり、いっしょに遊んだりして今でも仲良くしています。
あの時の言葉は、消えかかっていた私の心を救い出してくれて、全ての人が平等でそれぞれの人がちがった輝きをもっているということを教えてくれました。私は、先生からもらった、その言葉を心を救うま法と思っています。これからもむねを張って、自分らしく堂々と進んでいきたいです。