優秀賞 【中学生部門】 石賀 美月
私=私+障がい
倉吉市立東中学校 三年 |
みなさんは、障がいと聞いてどんな障がいを思い浮かべますか。一口に障がいといっても、乙武さんのように四肢欠損など見た目だけで配慮が必要だと判断できる障がいもあれば、ヘレン・ケラーさんのように目が見えなかったり、耳が聴こえなかったりする見た目だけでは判断しづらい障がいもあります。
私は後者の障がい者です。小学校一年生の時に聴力検査において再検査の通知を受け、大学病院でくわしく検査したところ、私には左耳の聴力が先天的に備わっていないことが判明しました。私はその時、どうりで聞きとりにくいことがあるわけだと納得したのですが、一緒に来ていた母は先が見えなくなり、私の将来を案じ、病院からの帰り道このまま私を連れて海で死のうと本気で思ったそうです。今私は生きているのですが、当時私が母をそこまで追いつめていたのかと思うと、心苦しくなります。その後私は小学校に入学してすくすくと育っていくのですが、成長するにつれ、私は耳のことで思い悩むようになりました。なぜかというと、私は左側から音を受けとることができないので、左側から話しかけられても反応を返せないからです。その反応を返せないことが無視だと思われてしまい、私は一部の人から嫌われるようになりました。そのことが辛くて、どうして神様は私に障がいを与えたのだろうか、どうしてもっと見てわかりやすく、誤解されない障がいにしてくれなかったのだろうかと毎日毎日考えました。
それは中学校に入学してからも続きました。私は中学一年生の時、左側から迫る車に気付けずに交通事故にあいました。幸い命に関わるものではありませんでしたが、このことでまたいちだんと自分の耳が嫌いになり、いつしかそれは憎しみに変わりました。自分のことが嫌でたまらなくなり、消えたいと何回も願いました。今自分が呼吸していることすら罪のように感じ、どうせ聴こえないなら左耳を切り落としてやりたいとも思いました。
私がネットでジーン・ドリスコル選手の名言を見つけたのはそんな時でした。ドリスコル選手は幼少の頃から車椅子に乗って過ごして、パラリンピックで5つの金メダルを獲得した長距離の選手です。私が見つけた彼の名言はこれです。
「障がいは障がいではなくて、私の特徴の一つになった。」
私は初めてこの名言を見つけた時、頭をハンマーで殴られたかのようなショックを受けました。なぜなら、今まで私にとって障がいとはお荷物でしかなく、障がいが自分の特徴の一つなどとは一ミリも考えていなかったからです。しかし、私はこの名言のおかげでとても大切なことに気付くことができました。それは、私は左耳が聴こえないということもふくめて私だということです。だからいくら私が自分の障がいを憎んでも、私と障がいは切っても切れないものなのです。私は障がいとよりそい生きていくのです。しかしなぜでしょうか。障がいのある私というのが前よりも嫌いじゃありません。むしろ、自分の特徴の一つとして人に堂々と話せるようになりました。
それはなぜかというと、やっぱり自分の障がいを受け入れたからだと思います。自分の障がいを受け入れ堂々としているだけで、私の心はずいぶんと軽くなりました。だからもしも今、自分の障がいをお荷物だと思っている人がいるとしたら私はこう伝えたいです。
あなたはその障がいもふくめてあなたなんだよ。そしてその障がいは、あなたにしかない大切な個性。だから障がいをお荷物として憎むのではなく、個性として認めて欲しい。そうすることできっとあなたは楽になるし、私たちの世界をもっともっと広げていけるのだから。