【中学生部門】 ◆佳作 山本 修輔(やまもと しゅうすけ)

ばあと僕の生活山本 修輔(長岡京市立長岡中学校1年 京都府)

「ばあ」僕は、祖母のことをそう呼んでいる。両親が仕事でいそがしいので、赤ちゃんのときから僕はばあに世話をしてもらってきた。ばあは目の病気で、今はほとんど目が見えなくなってしまっている。

僕は、ばあがいなければ困ってしまうことがたくさんある。なぜなら、ばあは僕の一番の理解者だからだ。ばあは、どんな話でも、心を込めて聴いて、受け入れてくれる。また、ばあは学校生活で困っていることがあれば、僕に合った解決方法をアドバイスしてくれる。特に、僕の苦手な数学を、字が見えないのに文章や図形などを覚えて、僕に分かるように教えてくれるところがすごいし、やさしいと思う。

ばあは、毎日を工夫しながら、それなりに楽しく生活している。一日のほとんどの時間をラジオを聞いて過ごしているため、とてもいろいろなことを知っている。僕もよくラジオを聞くようになった。また、ばあは料理も得意だ。買い物に一人で行くことはできないが、たくさんの食材を使って手の込んだ料理を作ってくれる。弱火で作っているのも、安全に過ごすための工夫の一つだ。ばあは外へ出ることが難しい分、僕たち孫が家へ来るのをとても楽しみにしてくれている。身の回りの小さな幸せを見つけながら生活していこうとばあは心がけているそうだ。

僕はテレビで盲目のピアニストの演奏を聴いたことがある。そのピアニストは、間違うことなく、とても楽しそうに弾いていて、まるでけんばんが見えているようだった。そのピアニストは、2才の時に同じ曲を違うピアニストの人が弾いているのを、聴き分けられたそうだ。目が不自由な分、よく聞こえる耳を神様は与えられたのかなと思った。

母に盲目のバイオリニストで活躍されている方の話も聞いた。僕はバイオリンを習っている。試しに目をつぶって弾いてみたら、楽譜が読めず、音も間違ってしまうので、とても難しかった。障害を持っていても健常者と同じように活躍できるのはすごいことなんだと実感した。

僕はばあとの生活で気付いたことがある。それは、目が不自由だと大変なことも多くあるけれど、それは周りの接し方や環境によっては不幸ではなくなる、ということだ。しかし、それは簡単なことではない。僕はまず、相手がどんなことで困っているのか分かろうとすることが大切だと思う。その上で、相手の立場に立ってその気持ちを想像すること。そして、自分のできることを行う。いつも忘れてはいけないのは、それが障害者であっても健常者であっても相手の立場に立ってその気持ちを想像することは変わらない、ということだ。僕は健常者も障害者も共に助け合って生きていける社会にするために、「障害者だから。」という接し方の違いを無くしていきたいと思う。

僕は、今年の夏休みに、友達のおじさんの話を聞いた。夫婦ともに目が不自由だが、仕事や子育てを頑張っているそうだ。その人が暮らす町では、毎日ヘルパーさんが来てくれるなど、福祉の制度が整っているらしい。でも、その人が育った町はあまり福祉の制度が整っていないので、そこでは住めないのが残念だそうだ。

僕は、誰でも、何処でも、当たり前に、その人らしい暮らしができる社会になればいいなと思う。そして、大好きなばあが、困ることなく幸せに暮らしていけるように、僕も、できることを探し、増やしていきたい。