【高校生・一般部門】 ◆優秀賞 小池 みさを(こいけ みさを)

クラス会はエールの交換小池 みさを(千葉県)

母が脳出血で倒れるまで、私は『難病の娘』として、両親の庇護のもとにいた。

経済的には自立していたが、両親は、庭の草とり、窓掃除、具合いの悪い時に食事を届け、体力のない私を支え続けてきた。

先天性の病であることは、「誰にでも起こりうること」と、私が親を責めたことはないし、「待ち望んで産んでくれたのに、病気でゴメンネ」と思っていたのに、親にとって「先天性」という響きは、重荷だったことだろう。

私が体調不良で転職を繰り返していた時、「ムリするな」と見守ってくれた両親だった。

大学で幼児教育を学び、「明るい笑顔に、よく通る声、保育者になるべくして生まれたような人」と、身に余る実習評価をいただき、希望通りの保育現場に就職できたのに、私はたった2年で退職をし、入退院を繰り返していた。将来像が描けず、人生の落伍者になった気分だった。

級友の多くが、保育現場で働き、次々に結婚し、子育ての話題で盛り上がるクラス会に、私は気後れして欠席をするようになった。

クラス会は、大学卒業以来、数年毎に開催されている。クラス会幹事を初回からずっと務めているトモは、往復葉書でクラス会の案内を出してくれる。返信欄には、近況を載せるので、トモは全員の近況をコピーして、クラス会で配布し、欠席者には郵送する。手書きの近況は、級友たちの声が聴こえるようで懐かしい。私は、その近況欄に、なんて書いたらいいのか戸惑った。

和式トイレから立ち上がって大腿四頭筋断裂、尺骨神経マヒで両肘手術、瓶の蓋をひねって両手指の腱鞘炎で手術等々、日常生活場面で怪我が絶えず、大学病院で原因もわからない。筋力が弱いのは鍛練不足だと思い、自己流スクワットで膝の靱帯損傷、腕を大きくまわしたら大胸筋断裂、肩も亜脱臼。鍛えようと努力するほど、身体が壊れ、努力に裏切られてばかりの心も壊れていった。

手術の傷も治りにくく、私は思いきって保健所の難病相談に出向き、そこで出逢った医師に、コラーゲン組成異常の可能性を指摘された。精密検査の結果、私は難病と判り、長年の身体の謎が解けた。そして、難病者であることよりも、自分は努力しても無駄な人間だと、自尊心を欠いて生きる方がつらかったと実感した。

難病が判明し、腹が座った私は「よし、この稀少難病の周知をしよう。病気は直らなくても、早期発見によって、病気と上手につき合えれば、自尊心を保って生きていける」と思い、幼児教育を共に学んだ級友たちに、クラス会でうちあけた。

年齢は重ねたものの、学生時代同様に私は「元気なミサちゃん」で、外見から難病者に見えないから、級友たちは驚いたようだった。

久しぶりに皆とゆっくり語り合うと、幸せに輝いて見える級友たちも、それぞれ人生の荷物を背負っていることを知った。苦労を隠していたのではなく、私自身が自分に目が向いてばかりで、級友たちを慮る心が足りなかったのだろう。

社長夫人のチコは、「介護で痩せたと思われないようオシャレするの。従業員に心配させないようにね。」と言う。外見は、裕福で美人な社長夫人なのに、「姑を入れて5人の子育て中。」と、実際は汗だくの生活と知った。

子どもに障害のある級友もいた。自分が病であるより、我が子が病である方がつらい。

気立てが良く優秀で、級友の誰よりも早く園長に抜擢されたアンは、「私も病気したよ。」と打ちあけてくれた。元気なチィが心筋梗塞で急死した年、宿泊でクラス会を開催した。

私は夜8時を過ぎると、血管が弛緩してしまい、急性低血圧で倒れ易いので、このクラス会は断るつもりだった。

幹事から「ミサは8時就寝OK。夜中も喋りたい人と班分けするから任せておいて。」と連絡があり、割り勘なのに、4人部屋を私一人で使わせてくれた。トモとチコが幹事で、チコは「クラス会の下見という大義名分で介護を休めた。」と言う。旅行中、忍者屋敷で全員で忍者のポーズで記念写真。学生のように、腹の底から笑った2日間だった。

次のクラス会は、秋の訪れと共に逝ったアンへの黙とうから始まった。アンと私は、私がクラス会で病を告白して以来、文通をしていた。折り紙を花の形に切って貼った絵手紙は、今でもアンの温もりが伝わってくる。

今春、トモからクラス会の時期について打診があった。トモは、保育現場に就職しなかった数少ない一人だ。保育の話に興じる仲間の話を、トモはどんな思いで聞いてきたのだろう。親が決めた職に就いたトモは、「私のために考えた。」と親に感謝し、今の職場で面倒見のよさを発揮している。「10月は運動会があるだろうから、11月がいいかな。」と、皆の予定を案じながら、トモはクラス会を企画する。

そういえば、学生の頃、創作劇をした。

背の高いトモは、舞台中央でモミの木になって、劇の最初から最後まで見守る役だった。

小柄で賑やかな私は、仔犬役。その人らしさを考えて役を設定し、全員が主人公になるストーリーを創った。「誰もが、自分の人生の主人公。一人ひとり輝けるような劇にしよう」と、皆で頭をひねったものだ。

クラス会は数年毎なので、日頃は級友たちと会えない。でも、目を閉じれば、楽しかった思い出が蘇り、クラス会で知った級友たちの健闘ぶりも思い出される。私は難病だが、級友たちにも加齢に伴う不調がでてきた。病気になることも、老いることも、死ぬことも誰にでも起こること。

新美南吉の『でんでん虫の哀しみ』には、「哀しみは誰でももっているのだ。~私は私の哀しみをこらえていかなきゃならない」とある。

私も、級友も、誰もが何らかの哀しみを背負って精一杯生きている。クラス会で、互いの健闘を称えるエールの交換をしたい。