【高校生・一般部門】 ◆優秀賞 渡邉 千夏(わたなべ ちなつ)
私らしく学びたい、私らしく生きたい。渡邉 千夏(静岡県立静岡中央高等学校2年 静岡市)
私は二十一歳の現役高校生です。
なぜ二十一歳になっても高校生なのかと疑問に思う方もいるでしょう。私らしく学びたいと考えに考えた結果が今の私なのです。
私は中学校二年生から昨年まで耳栓がないと学校生活を過ごすことができませんでした。色々な音が、例えば廊下を歩く足音、ノートを板書する音すべてが同じ音量で聞こえてしまって、パニックを起こしてしまうことがよくありました。その時、私を助けてくれたのが「耳栓」という「イヤリング」だったのです。しかし、実際問題、学校生活を送る以上私が耳栓をつけることをクラスメイトにも知ってもらう必要がありました。そこで中学二年生の担任の先生が帰りの会でこう言いました。「千夏さんは授業中、耳栓をします。だから少し大きめな声で話しかけてあげてください。世の中にはいろんな人がいます。見た目ではわからなくてもそういう人がたくさんいることを学んでほしいです。」私は先生の言葉は今でも正しかったと思います。クラスメイトの中にも大きめの声で話してくれる人がいた一方で、「耳栓なんかしている奴と関わるなよ。おかしいんだよ。」と心ない言葉を言ってくるクラスメイトもいました。でも、心ない言葉を言ってきた同級生の意見がすべて間違っている訳ではなかったと耳栓が必要なくなった今、思います。「人と違う」ということに負の印象を持つのは普通のことだと思います。それは「同調」を求める「学校」のシステム上あたり前のことなのかもしれません。
私は中学二年生から昨年までの六年間、少しずつ、少しずつ、耳栓がなくても生活できるように努力をしました。「この一時間は耳栓なしで授業を受けよう。」そういう思いを大切に生活しました。
でも、一番大きなきっかけになったのは「朗読」と出会ったことでした。自分の想いを言葉にして「伝えよう」と努力することで、今まで雑音として聞こえていたものが、一つひとつ大切な音として耳に入ってくるようになりました。そして、耳栓が必要なくなった昨年、私の想いを詩にしました。
- 『耳栓をすること』
- 私が耳栓をしているのは
- 目が悪くなったら眼鏡をかけることと同じ
- 耳が悪くなったら補聴器をつけるのと同じ
- ただ少しでも快適に生活したいだけなんだ
- 私にとって耳栓はイヤリングと変わらない
- みんなとお話したくない訳じゃない
- みんなとお話したいから耳栓をするんだよ
私が「私らしく学びたい」と考えたのにはもうひとつ大きな出来事がありました。私は高校に入学した頃から、自分が触ったものが汚なくなってしまうのではないか、誰かに少し当たっただけで危害を加えてしまうのではないかという加害恐怖を強く感じてしまう病気になってしまいました。外に出ることがつらく学校にも行けなくなり、家の中の自分の部屋のベットの中にひきこもる。たまに外に出る時もまわりを汚してしまわないように手袋をいつでもしている。そんな日々を半年から一年間くらい過ごしていました。
そんな毎日を過ごしていた時、体育の先生が「ハンディキャップ体育の授業を受けてみない?」とすすめてくださいました。私は、「ハンディ」という言葉に少しとまどいました。確かに「病気」かもしれないけれど「障害」とまでは言えない自分が「ハンディキャップ体育」の授業を受けさせてもらえる権利があるのかと。今、思えばその考えさえも偏見だったのかもしれないなと感じています。
でも、実際にハンディキャップ体育の授業を受けてみると、体に障害がある仲間はもちろん、私のように心に病気がある仲間もいてとてもアットホームな授業でした。「自分らしさ」を一番大切にして、他の体育の授業とは少しだけ違い、「人と比べて」ではなく「自分の中の記録と比べる」すなわち「ナンバーワン」を目指すのではなく「オンリーワン」を目指すことを大切にして指導してくださる授業でした。昨日の自分と比べてどのように体調が違いそれがどのように記録に反映されているのかを先生や仲間と分析し「ムリはしないけど努力はする。」自分らしくがんばる。どうしたら仲間が目標を達成できるのかみんなで考える。そして自分が元気な時は仲間のことを気づかい、自分が調子が悪い時は仲間に助けてもらう。というとても素敵な経験をさせていただきました。私は、病気や障害の有無で人は比べられないんだと強く想いました。そして、私が耳栓をしたり、手袋をして生活しているのは少し変わった個性なんだと考えるようになりました。
先生がくださった言葉で心に残っている言葉が二つあります。
一つは保健室の先生が言ってくださった言葉で「千夏さんは細かいことが気になる病気で悩んだり、苦しいこともあるけれど細かいことが気になることは千夏さんが目指している理系の研究職にきっと向いているんだよ。」という言葉。
二つ目は世界史の先生が授業中に言ってくださった言葉で「フィンセント・ファン・ゴッホは現代で言うアスペルガー症候群だったのかもしれない。でも障害として見るのではなく彼の個性として見るべきで、その個性が彼のような天才を生んだんじゃないかな。」という言葉。
どちらの言葉も病気や障害は個性で、それを大切にするべきだと私の心に残っています。
私は今まで、たくさんの心ない言葉に傷つけられたこともあったけどたくさんの心のこもった言葉に助けられました。
私は、病気や障害を温かい目で見守ることが大切だと思います。自分もそうしてほしいですし、自分もそうしたい。
私はタイトルにもあるように私らしく学び高校を卒業したい。そして自立して生活したい。そのための一歩として私はアルバイトを始め、一年以上続けて働くことができています。「個性」が少しくらい強くても工夫次第で素敵な日々を歩んでいけるはずです。
だから「私らしく学びたい、私らしく生きたい。」そう強く想います。