【一般区分】 ◆佳作 久米 映里(くめ えり)
小さな奇跡を起こしたヒーロー久米 映里(川崎市)
ある公園で小さな奇跡を起こしたヒーローのお話です。
十年程前、私は知的に障害を持つ子どもたちの支援員をしていました。今で言う民間学童や放課後等ディサービスのような独自の事業です。平日の放課後や週末に子どもたちが集い、外出や室内活動をしていました。
ある秋の週末、大学の学園祭に招待されてみんなで出かけました。お天気にも恵まれて、校内は音楽や屋台そしてお客さんでにぎわっていました。その日の私の担当は、ディズニーが大好きな男子高校生のまーちゃん。個別行動になり、私たちは近くの屋台に並び早々におやつを食べ終えました。集合時間までだいぶ時間があるなと思っていると、まーちゃんが「公園!」と言いました。そこで、屋台のお兄さんに近くの公園を教えてもらいました。私が「公園に行こう。」と言うと、まーちゃんはつま先でぴょんぴょん跳ねながら大学の門へ向かいました。私はまーちゃんから返事がなくてもそのジャンプで伝わっていることがわかりました。
私たちは数分でコンクリートでできている山がシンボリックな公園に着きました。その山はすべり台にもなっていて小さな子どもたちが何人も遊んでいました。まーちゃんは一目散に山を登り、すべり降りました。何回も何回も高校生の速さで山を登ってはすべり降りました。何かあっては大変なので、私も後ろからついてコンクリートの山を登っていくのですが、まーちゃんの動きが速すぎて必死です。私の息が切れるころ、まーちゃんは山の上から地面を見下ろしながらうろうろし始めました。私は一息つく余裕ができたので、顔を上げるといつも感じる困惑した視線をいくつか感じました。それは私たちの行動を奇怪に感じて目に留まってしまうが目は合わせられないという違和感のある視線です。私は子どもたちと外出するとたいてい感じていたので、その時も特に気にすることはありませんでした。
そのコンクリートの山には、すべり台とその階段のほかに山をよじ登る用のかすがいが縦に何列も付いていました。見下ろし歩いていたまーちゃんがいきなりすべり降り、ちょっと跳ねてかすがいの一つにつかまり、ぶら下がりました。そして「助けてー」とセリフを言い始めました。高校生のまーちゃんなら数センチで地面に足が着く高さにつかまって、助けを求めるまーちゃん。まーちゃんは、多分映画の監督のように山の上から景色を見てあるディズニービデオのワンシーンを思い浮かべ、そして自ら再現をし始めたのでしょう。私はまーちゃんの行動の背景がわかったので、その再現の邪魔をしないように数メートル離れたところで観覧することにしました。
しばらくすると一人の男の子がまーちゃんに近寄ってきて、「どうしたの?」と心配の声をかけてくれました。しかし、まーちゃんは自分の世界にはいっているので返事をしません。代わって私が、「ディズニービデオの真似をしているみたいなんだ。楽しそうだよね。」と答えると、その子は顔をキラキラさせてまーちゃんの近くのかすがいにぶら下がり始めました。すぐ手を離しその男の子はまた私のところにやってきて、名前を尋ねてきました。
「『まーちゃん』だよ。」と答えると、また並んでかすがいにぶら下がり始めました。そして、「本当だ!まーちゃん楽しいね。」と言いました。その声を聞きつけたのか、次々に近くにいた子どもたちもぶら下がり始めました。何十秒後には公園にいた大半の子どもたちが、コンクリートの山にぶら下がるという面白い構図ができ上がりました。そしてまーちゃんは、その中心で「助けてー。」と言い続けていました。周囲で見ていたお母さんたちからは、笑い声が聞こえ始めました。何人かのお母さんは、「どこからいらしたのですか?」「ディズニーの何のお話ですかね。」と話しかけてくれました。気づけばいつも感じる嫌な視線は無くなっていました。それどころか、公園にいたみんなが一つになったような気持ちの高まりを感じました。
数分して、まーちゃんは手が疲れたのか足を地面におろしました。そして、すべり台の階段へ向かっていきました。一体感のあった光景はフラッシュモブだったかのように、子どもたちも個々の遊びへと戻っていきました。
集合時間が近くなってきたので、私はまーちゃんにあと三回滑ったら集合場所に戻ることを約束しました。まーちゃんは三回すべり終わると、約束通り公園の出口に向かって歩き始めました。すると後ろから、
「まーちゃん、バイバーイ。」と子どもたちの声がしました。
まーちゃんは振り返らないので代わりに私が振り返り、「バイバーイ。」と大きく手を振りました。
公園のみんなを笑顔にしたまーちゃんは、その功績に気付いていませんし、ただ自分のやりたいことを貫きたかっただけかもしれません。しかし、私にはまーちゃんがたくさんの人の心にやさしい種をまくという小さな奇跡を起こしたヒーローに見えました。そして、公園を出る時彼の横を歩く自分を誇らしく感じました。