【一般区分】 ◆佳作 武内 美津子(たけのうち みつこ)

びっぐ・あい武内 美津子(堺市)

時は、2014年、夏

自動ドアが開いた向こうには、吹き抜けの広い空間が広がっていた。

ここは、大阪府堺市の泉ヶ丘駅から徒歩五分ほどの国際障害者交流センタービッグ・アイ。大阪府主催の「オープンカレッジ」に参加するために訪れた。「オープンカレッジ」とは、大阪府下の障害者が、プロの指導を受けミュージカルの稽古から舞台発表まで体験できるイベント。

実は私、2004年9月、突然病に倒れ、その影響で徐々に光を失い、重度の視覚障害を持つ。人がいるのはわかるけれど、どなたかはわからない程度の視力。病気の影響で、体温や血圧の調節ができなかったり、下肢の麻痺があったりして家で寝起きするのが精一杯だった。そんな生活の中、2014年からパソコンを習うようになった。音声ガイドのソフトを使うと目が不自由でもパソコンが使えることを知ったから。堺市の視覚聴覚障害者センターの人が家に来てくれて月2回、1時間ずつ教えてくれる。パソコンの授業の折、先生の原田さんがこのオープン・カレッジのことを教えてくれたから、今日私はビッグ・アイに来た。

練習会場には、定員60名、様々な障害を持つ人がいた。脳性麻痺、知的障害、精神障害など。視覚障害者は、私ひとり。視覚障害者は、外出や行動が困難でこういったイベントには参加しづらいらしい。私は視覚障害の新米なので、何も知らずに参加した。参加前、視覚や聴覚、車いすの人等の身体障害者が集まってくると思っていたので、身体障害以外の方がこんなにいることに驚いた。そして、各々の可能性を開こうとする姿勢に胸を打たれた。人生の殆どを健常者として日常を送ってきた私は、こうしていきなり多数の多様な障害を持った人と出会った。

練習が始まった。私は目が不自由なので、最前列の左端にひとつ用意された椅子に座って練習する。車いすの若い女の子が私の白杖を取り上げて使う。ボランティアのサポーターさんが取り戻そうとしてくれるができない。彼女はまるで目の不自由な人のように車いすの前を白杖で突きつき移動しているらしい。でも、休憩時間には一緒にトイレに連れて行ってくれた。障害者トイレは広いから一緒に用を足そうと誘われたことだけはやんわり断った。練習中には知的障害の人が先生のように仕切ったり、周りにお構いなく大声を発していたり、突然椅子ごと後ろから抱きつかれたり、ドンドンと椅子の背をけって来たり、もう、ワチャワチャなのである。そんな中、先生方は、根気よく指導して下さった。私も何回か練習に参加するうちに、抱きつかれたりけられたりするのに慣れた。友達もいっぱいできた。最後には、1500人収容可能という大舞台での発表を成功させたいというみんなの思いがひとつとなり涙が零れるほどの発表ができた。それは自画自賛ではなく、障害者の舞台を初めて目にした私の友人達も同じ言葉を口にしていた。

こうして、私は私達障害者を支えるビッグ・アイのスタッフやボランティアの方々の存在、パソコンの指導をはじめ、こういうイベントを実施している行政の存在を知って感動した。

この年、私は大阪府障がい者芸術・文化コンテスト2014にも参加し、朗読劇「ロミオとジュリエット」で、準グランプリを受賞した。これをきっかけに2016年には、「全国盲人演劇祭」で一人芝居「夕鶴」で、銅賞を受賞。同じ演目で大阪府障がい者芸術・文化コンテスト2016で知事賞のグランプリを受賞。2017年、「全国盲人演劇祭」一人芝居「かぐや姫」で、金賞受賞。また昨年には、鳥取県のじゆう劇場にお声をかけて戴いて、初めての団体演劇に参加し、文化庁の事業でフランス公演にも出演。演劇をしたことなかった私の人生が一変した。

その陰には、多くの支援して下さる方々の有難い存在があった。また、カレッジやじゆう劇場のような障害者団体では障害者同士も、互いに支えあった。まさに、ビッグ愛なのだ。

障害を持つ者同士の支えあいや情報交換は、とても有難いですが、私はまた、普通の人の中に溶け込んでも生きたい。

私が日常生活で一番困っている買い物では、品物が何かわかりにくいし、値段はまったく分からなくて店員さんに聞くと、面倒くさいという態度をあからさまに取る人もいて、購入をあきらめてしまうこともある。勿論、快く対応して下さる方もいる。近くの髙島屋の豆腐売り場の店長さんは、買い物の手伝い、レジでのお金の支払い、袋詰めをし、袋をリュックサックに入れて、背負わせてくれる。その様子が、NHKの「ハートネットTV」で紹介されたことがきっかけで、他の売り場の方達も今までよりも親近感を持って手伝ってくれたり、「テレビを見たよ。お手伝いしましょう」と、ガイドをして下さるお客さんまで現れて、本当に有難い。こんなふうに、何気ない優しさに触れると、生きていてもいい、生きていてよかったと思える。

私達障害を持つものが生きやすい社会は、健常な人にとってはもっと生きやすいものだと思う。ビッグ愛で、いつでも誰でも生きやすい優しい社会でありますように。