【高校生区分】 ◆佳作 木村 芽依(きむら めい)

勇気120%木村 芽依(栃木県立宇都宮中央女子高等学校3年 栃木県)

二年前。私は、軽い知的障害をもった弟について作文を書きました。そしてその作文が学校の生徒会誌に載りました。少し複雑な気持ちもありましたが、障がいを持つ人と関わりのない人に何かが伝わるといいな、と思いました。少し経ち、私の作文を読んだという友達から「弟可哀想だね。感動したよ。」と言われました。可哀想?私の弟は可哀想なのか?友達が、何に対してそう感じたのかは分かりません。が、何かしら普通と違うところに対して言ったのだとすると、それは違うよ、と今すぐ言いたいです。

今年、中学校の特別支援学級に入学した弟は、毎日新しい経験と発見と共に頑張っています。補助輪無しの自転車で、友達と遊びに行くこともあるし、おいしいお米を炊くこともできます。少しずつ、中学生男子らしくなっていく弟がちょっと寂しい時もあります。

そんな弟が最近新たに「SO(スペシャルオリンピックス)」のバスケットボールに参加するようになりました。スペシャルオリンピックスについて何も知らなかった私は、どのような団体なのかを調べて大きな感銘を受けました。スペシャルオリンピックスとは、知的障害のある人々がアスリートとして活躍できるスポーツ組織で、全世界で活動をしているそうです。最初は正直、「知的障害のある人たちが試合や大会に出られるほどになるのか」という偏見の見方をしていました。一回見てみたいと思い、弟の練習について行きました。家族みんなで参加することを大切にしていて、私はその日の「ボランティアさん」として紹介してもらいました。練習に参加して、最初から最後まで、感想を一言で言うと「すごい」でした。私はそれまで自覚もなく無意識に、障がいのある人を自分より下に見ていたのかもしれない、と初めて気付きました。情けなかったです。アスリートの皆さんは、何より礼儀が正しく、挨拶をたくさんしてくれました。逆に、少し恥ずかしがっていた私の緊張をほどいてくれる程。練習中も、常に声を出していて、圧倒されました。三時間一緒にバスケットボールをして、途中から相手が障がいのある人ということなど感じる時もなく、純粋に仲間と思いきりバスケットボールを楽しみました。そしてその瞬間確信しました。「可哀想じゃない」。

集まっていたアスリート達は皆ハンディがあるかもしれませんが、可哀想に見えるどころかキラキラ眩しく光って見えました。言葉では表すことのできないパワーと元気をもらいました。障がいがあっても、人と少し違っていても、全く可哀想じゃない。自分の居場所を自分で見つけ、そこには仲間がいる。心から素晴らしいと思いました。

一年前まで夢がなく、自分の将来像が見えなくて悩んでいた私に、今は、立派な夢があります。一般の小学校の特別支援学級の先生になることです。私が、ハンディのある子ども達が安心できて自分の居場所だ、と思うことができる場所を作りたい。いや、作る。私がこの夢を決めた時、母は私に「弟のことがあるから無理してない?大学で障がいについて詳しく学んで、辛くならない?」と何度も心配の声を掛けてくれました。でもね、ママ、それは余計なお世話です。私は自分で心から学びたいと思ったから学ぶし、なりたいと思ったからなります。ママは時々、弟のハンディはママのせいだ、と自分を責めるけど、誰のせいでもないことだし、責めてても何も変わらないよ。前を見よう。未来を考えよう。

言い方に語弊があるけれど、私が今、こうした価値観で作文を書いていることも、将来特別支援学級の先生になりたいのも、全ての発端は弟の存在です。きっと、弟にハンディがなかったら、全く違う夢があったかもしれない。しかし今、自分に最適な夢を見つけ、それに向かって走り出そうとしている。

弟が教えてくれたこと。何事にも全力百二十パーセントで取り組む姿。私は、弟が何かを諦める姿を見たことがありません。その分泣いても叫んでも、絶対妥協しない姿。私が一番尊敬する人かもしれません。凌ちゃん(弟)、めいちゃんの弟に生まれてきてくれてありがとう。これからも色んな事があるけど、
元気百二十パーセントで頑張るぞー!