【高校生区分】 ◆佳作 成田 遥南(なりた はるな)
「笑顔」と「ありがとう」成田 遥南(茨城県立下妻第一高等学校1年 茨城県)
私には、ダウン症の姉がいる。小さい頃の私には「ダウン症」という意味が分からなかった。私は年を重ねるにつれて、どんどん姉との身長差が大きくなっていくこと、姉の歩くスピードが自分より遅いこと、話すのがゆっくりなことなど不思議に思うことが増えてきた。だから自分で調べてみたことがある。ダウン症とは、一番目から二十二番目まである染色体のうち、二十一番目の染色体が一本多くあり、三本になってしまうものらしい。
私は姉と一緒に遊んだり、出かけたりもしたが友達を見つけたら、視線を気にして少し離れたこともあった。別に、姉のことが恥ずかしいとか、姉のことを隠したいわけでもないのに、体が勝手に動いてしまった。
私が中学生になると、イライラした事があると時々、姉にあたってしまうことがあった。でも、私は姉のおかげで今の私があると思っている。それは何故かというと、中学生になってからは、部活が始まり疲れて家に帰るといつも姉は、「今日、どうだった?」と言ってくる。疲れている私は「あぁ、今日も疲れたよ。」と適当に答えてしまう。そうすると姉は私の前に立って、ニコッと笑って「笑顔。」と言った。
私も気づいていた。最近、父も母も仕事が忙しく、疲れた顔をしていて、私も含めて笑っていなかった。そうすると必ず姉は、ニコッと笑って「笑顔。」と言う。そして、相手が笑うまで「笑顔。笑顔。」と言い続ける。私は笑顔を大切にする姉に何度、救われたことだろう。
それから私は、つらい時、苦しい時も笑顔でいようと心がけた。
姉は中学校を卒業してからは、特別支援学校の高等部に入学した。それからの姉は毎日が楽しそうだった。自分から話をするようにもなった。入学してから少したった頃、姉の学校で文化祭のようなものがあるから行ってみないかと母に言われた。私は、姉のような障害をもった人たちとは、姉と一緒に行っていたダンスでしかふれあったことがなかった。私は教師になるのが夢だったので特別支援学校にいる先生方はどのようなことをしているのかと興味をもったので行ってみることにした。
中学生になってからはあまり障害をもった人達とふれあう機会がなかったので、少し緊張していた。行ってみると、その学校の生徒達がつくったいすやかご、キーホルダー、パンなどたくさんのものが売っていた。どれもとても綺麗につくられていて驚いた。その近くには、生徒と先生がいた。生徒の中には、じっとしていられなくて、走り回っていた子もいた。そして、その子を追いかけて捕まえている先生がいた。こんなことが毎日あったらきっと疲れるだろうなと思っていた。だが、先生達はみんな笑顔だった。姉のことを知っている先生に会うともっと笑顔になり、姉と話し始めた。やっぱりすごいなと思った。だから、姉も笑顔を忘れないんだなぁと思った。
高等部を卒業すると、姉は障害をもつ人たちが働ける所で仕事をすることになっていた。場所によって、パンを作ったり、織り物を織ったり、部品を種類ごとにまとめたり、いろいろな仕事があった。何度も違う仕事を体験して、姉に合った仕事場を決めた。姉はそこで楽しく仕事を続けている。
私は一度母に聞いたことがある。「お姉ちゃんがダウン症で大変だった?」と。すると母は、「大変だけど、お姉ちゃんがいたからいつも笑顔になれるし、今のあなたがいるんでしょ?」と言われた。
姉のおかげでたくさんの人が笑顔になれた。ダウン症とか全く関係なく、いろいろな人がふれあい、助け合いながら生活できる社会になってほしいと願っている。そして姉にいいたい。「ありがとう。生まれてきてくれて。」