【中学生区分】 ◆佳作 榎木 颯月(えのき さつき)
「当たり前」の存在榎木 颯月(宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校附属中学校2年 宮崎県)
「ばあーか。」
いつものようにスイミングスクールから帰ってきた私にかける姉のひと言目は決まってこれだ。本気で言っているのではないのは百も承知。構ってほしくて言っているのだ。みんなから親しみを込めて「はーちゃん」と呼ばれている姉は高校二年生。きりしま支援学校に通っている。はーちゃんはこうして私の状態なんて関係なくからんでくるので、落ち込んでいるときなど「しつこいな。」と思うときもある。でも、たいていの場合、元気が出る。
姉の障がいは「脳性麻痺による両上下肢機能障害・体幹機能を含む」という長い名前。簡単に言うと、体は動くが動きが少しぎこちない、というものだ。だから、自分でご飯を食べることができるし、文字を書くこともできる。お風呂も一人ではいれるし、しゃべることだってできる。私たち家族にとって、ぎこちなくてもはーちゃんができることに一生懸命取り組むのは当たり前のことだった。
ところが、その「当たり前」という感覚が揺らぎそうになる出来事に出くわした。以前、知り合いの人達が十五名で家に遊びに来たことがあった。その中には、小学校低学年の男の子が三人いた。私たちも一緒になってみんなで遊んでいるうち、その子たちは姉のおもちゃを使って遊びだした。それが気にくわなかったのか、姉は急に泣き出し、ついには癇癪を起こした。いつものことなので、私は、「はーちゃん、静かにして。」とたしなめたが、いっこうに静かにならなかった。それもいつものことだ。ところが、いきなり小さな笑い声が聞こえてきた。
「なんか、変なことしてるー。」見ると、男の子たちが姉のほうを見て笑っていた。確かに、泣きながら暴れて物を投げたり、暴言を吐いたりすることは普通ではない。私たち家族にとってはいつもの当たり前のことでも。だが、それを改めて口にする必要はないのではないだろうか。心をいらだたせつつ、姉に障がいがあることは、人には「当たり前」ではなく「特別」に見えるのだと痛感した。幼い男の子たちだから教えなくてはいけないと思ったが、何も言うことができずにいると、「そんなこと言ったらいかんよ。」という声が響いた。私の友達の女の子だった。私が言いたくても言えずにいた彼女のひと言は、私の心には何倍も大きく響いた。男の子たちは驚いた表情をしたが、何も言わなくなった。私は彼女の勇気あるひと言に深く感謝している。
世の中にはいろいろな人がいる。自分にとっては「当たり前」でも、他の人にとっては「特別」になることはたくさんあるだろう。それをいろいろな人とふれあう中でわかり合っていくことが大切だ。
二〇一六年七月、「障がい者は必要ない」と施設で多数の障がい者の命を奪うという衝撃的な事件が起こった。介護職員として働いていたという犯人は、「ふれあう中でわかり合う」ことが全く身に付くことなく、自分勝手な考えに陥っていたように思う。しかし、事件があったから、危険だから、区別して生活していく、ということは決してあってはならない。
そんなことをしたら、私の姉のはーちゃんのよさは周りに少しも伝わらなくなる。はーちゃんは、学校でも家でもムードメーカー。はーちゃんがいるから笑いが絶えない。はーちゃんの周りには元気があふれる。はーちゃんは決して必要のない人間じゃない。はーちゃんは居て「当たり前」の存在だ。私は、もっともっと多くの人に、障がい者は「特別」ではなく、そこに居るのが「当たり前」の、大切な一人の人間なんだと分かってほしい。