【中学生区分】 ◆佳作 太田 汐里(おおた しおり)

祖父と私太田 汐里(佐賀県立唐津東中学校1年 佐賀県)

私の祖父は、四年前突然脳こうそくで倒れ、右半身が動かせない不自由な体になってしまいました。言葉もうまく発することができず、何を言っているのか聞き取れない状態になってしまいました。あんなに元気だった祖父が、重度の障害者になってしまい、私はとてもショックを受けました。病院に行っても、以前とは変わってしまった祖父の姿に、私はただただ戸惑うばかりで、どう接すればいいのかわからなくなってしまいました。退院してからも、祖父の言葉は聞き取りづらく、何を話して良いか分からない私は、大好きだった祖父と、だんだんと距離を置くようになってしまいました。私は小さい頃から、祖父にはとても可愛がってもらっていたので、祖父も私のこの変化に気づいていると思うし、祖父にとって、それはとても悲しいことだったと思います。

それでも、私なりに、祖父のために私に何かできることはないか、一生懸命考えました。祖父が動く方向に先回りして、歩くのに邪魔になりそうな物をどけたり、座る前に椅子をひいたり、物を取ってあげたりしていました。しかし、祖父は、必ずしもそういうことを望んでいるわけではないような気がしてきたのです。祖父は、自分でできることは自分でしようとします。私が「手伝おうか」と声をかけても、自分でできそうなことであれば、断られます。たとえ時間がかかることでも、自分でやります。祖父は、きっと特別扱いされたくないのだと思います。

ある時、祖父が「じいちゃんが、また車に乗れるようになったら、すぐ迎えに行くのに」とつぶやいたことがありました。私は、それを聞いてはっとしました。祖父は、以前と変わらず、私に何かしてあげたいと思ってくれているし、心配もしてくれている。優しい祖父は、祖父のままだったのです。私は、祖父の、自分でできることは自分でしたいと思っている気持ちを、尊重したいと思いました。私は、祖父に対して、先入観を持たずに、障害者としてではなく、障害があるないにかかわらず、ただ困っているから手伝おうという気持ちで、サポートすることが大事なのではないかと思いました。それは、祖父に対してだけではなく、障害のある人すべてに対してもそうだと思います。

祖父は、今も毎日リハビリを頑張っています。私も中学生になり、部活などもあって、祖父に会う機会が減ってしまったけど、会いに行ったときには、学校であった出来事などを、以前のように話してみようと思います。たとえうまく聞き取れなくても、一緒に過ごす時間を大切にしたいと思います。また、いつの日か、祖父と一緒に外出したりできるようになる日が来ればいいなと思います。