【小学生区分】 ◆佳作 長尾 早恵(ながお さえ)

右手が不自由な母の従姉妹長尾 早恵(福岡雙葉小学校6年 福岡市)

私が母の従姉妹であるYちゃんに初めて会ったのは双子を出産し、大きい方の子をつれて退院してきた日でした。

昔、事故にあって「右手が不自由だから口を使ったりすると思うけど、ジーっとみたり、そのことで何か言ったりしないでね。」母からそう言われてドキドキしたのをよく覚えています。

二十一歳の時に事故にあい、右手が不自由になってしまったYちゃんは五年間の入院生活と三度の手術を経て、親指と人差し指で軽い物がつまめる、右うでを脇から少しはなせるようになっていました。そこまでには、病院の先生や家族そして友達のサポート、本人の血をはくような努力があったそうです。

二十一年間自由に動いていた右手が突然動かなくなったら、どんなに悲しくつらいでしょう。はじめは「命があっただけでも」と言っていたYちゃんのお母さんは、ひっしでがんばるYちゃんの姿に毎晩かくれて涙を流したそうです。そんなお母さんの力になったのは、Yちゃんの明るさだったそうです。どんな時にも弱音をはくことなく、反対に皆を笑わせるようなことも度々だったとか。

そんなYちゃんは次々とキセキをおこしていきます。運転免許の取得、ダンサーから演出家への転身、結婚そして双子の妊娠です。

右手の不自由なYちゃんが双子を産む。家族会議が開かれ、どうサポートしていくか何度も何度も話し合いがもたれたそうです。まずは実家のすぐ近くに引っこし、そしてご主人、実家の両親と姉、ご主人のお母さん、友達。二十四時間体制のローテーションが組まれたのです。

「ただいま。」お父さんにだっこされた赤ちゃんとYちゃんが帰ってきました。Yちゃんの右手は左よりずっと細く、だらんとたれているようにみえました。少しドキドキしました。するとYちゃんは私の気持ちに気づいたのか、明るい笑顔で「来てくれてありがとう。」と言ってくれました。

次に会った時は小さく産まれた子の方も退院していてYちゃんはすっかり双子のお母さんになっていました。Yちゃんが一人の世話をする時は他の誰かがもう一人を世話していました。Yちゃんは、左手と右の二本指と口を使って上手にミルクをのませたりおむつかえをしたりしていました。誰かに全てやってもらったら楽なのでしょうが、「できるだけ自分でやりたい。」そんなYちゃんの気持ちを尊重して、周りの皆も「私やろうか。」と声をかけるのです。緊急の場合以外は「お願い。」と言われてからするというルールを決めたそうです。お願いしたのですから自然にありがとうと言う言葉が出てきます。簡単なルールですが、双子のサポートをする全ての人がこのルールに従ったことで、気持ちのイザコザはほとんどなかったそうです。双子も今では三歳。お母さんの言葉を理解し、お手伝いもするようになったので今ではサポートも姉と母親とご主人の三人になりました。

障害があるからといって何もかもができないわけではない。そして、してほしい事としてほしくない事もある。大切なのは「何かお手伝いしましょうか。私にできる事はありますか。」そのような気持ちで接することだと思いました。Yちゃんが私に言いました。「皆私をかわいそうだと言ったけど、右手が使えなくなったから皆の優しさがわかったし、私幸せだよ。子どもたちも皆に可愛がってもらって幸せ。」

全ての人がYちゃんのように考えられるわけではないと思いますが、これから私が接する方々が一人でもYちゃんのようになってくれるよう、心がけて行動していきたいと思います。