【一般区分】 ◆優秀賞 黒田 美穂(くろだ みほ)

触れ合ってわかる大切なこと黒田 美穂(北九州市)

平成二十八年秋、どこかで何気なく手に取ったチラシ「みんなでフラッシュ・モブ」。

テレビなどでよく耳にするようになったフラッシュ・モブ。街の中などで突然踊り出し、戸惑う人たちを横目に、一通り踊った後に、また何事もなかったかのように人ごみに戻っていく、というパフォーマンスである。

以前から、面白そう、やってみたい、と思っていた私は、早速問い合わせた。

あの、まだ空きはありますか。恐る恐る尋ねる私に、応対してくれた職員は「是非いらしてください。」と言ってくれた。

やった、うれしい、空きがあった。ワクワクした気持ちで当日を待った。

そして当日。

どんな人が来ているのかな。私のようなおばちゃんに務まるのかな。などと、いろいろ考えながら会場に向かう。黒崎コムシティの1階に、その会場はあった。

会場の扉をそっと開けると、そこは大勢の、障害のあるような人たちが三十人ほど集まっていた。会場を間違えたかと驚いて後ろを振り向く私に、会計の男性がにっこりとほほ笑む。あなた間違ってませんよ。

私の戸惑いをよそに、ワークショップが始まった。講師の言うことなど聞かないでぐずぐずしゃべりながらうろつく女の子、ひたすら飛び跳ねる男の子、意思がうまく伝えられない子、耳が聞こえないおじさん、決して手をつながない女の子…、そんな人たちの輪の中、「思っていたことと違う、どうしてこんなことになったのか、これが、私が求めていた場所なのか。」と、ダンスそっちのけで自問自答の2時間が過ぎていった。

やれやれ終わった。フラッシュ・モブだというから来てみたのに、予想と違う。もう来るまいかな、と思った。隣では、同じく初めて参加したらしい女性が半ば腹立たしそうにつぶやいた。「思っていたのと違う。」

彼女のように、私ももうやめちゃおうかな。

帰ろうとする私に、みんなが口々に言ってくれた。

「じっちゃん、また会おうね。」

でも、まだこの時は、次から来ないことばかり考えていた。帰宅してからチラシをよく読むと「障害のあるなしにかかわらず、一緒にダンスワークショップを」と書いてあるくだりに気がつき、こういうことかと苦笑した。

ここをよく読んでいれば申し込まなかったかもしれない、などと、私は後悔しながら、なぜ、この「みんなでフラッシュ・モブ」に応募したのかと考えた。

会社で経験のない慣れない部署に廻され、同僚には聞こえるように悪口を言われ、後輩には朝の挨拶もされず、一人だけの残業を見て見ぬふりの上司、そんな毎日に辟易していた日々の中手に取ったチラシに、「何かワクワクするものがあるかも。」と申し込んだのだ。

しかも、1回だけでやめては、せっかく納めた講座代がもったいない。とりあえず今期、あと5回続けよう、と決めた。

そして2回目。ちょっと重い気持ちでドアを開ける。すると、みんなが口々に笑顔を向ける。「じっちゃん、こんにちは。」

あ、私のことを覚えてくれていたんだ。また会おうね、と言ってくれた言葉は、何の飾りもなく、心の中から言ってくれたものだ。

こんな私でも受け入れてくれる場所が、ここにあった。この人たちは、人を受け入れる温かさを持っている。

やめようかという迷いにとらわれていた自分が、申し訳なく思えた。

その日から、この時間を楽しむ私がいた。そして、彼らとの交流の中で、普段の生活も変わった。街の中、バスの中、困っている人がいれば、どうしたのだろうかと思いを寄せ、手を差しのべる勇気をもらった。

それから2年、私たちダンス集団「レインボードロップス」は、八幡東区中央町商店街、チャチャタウン小倉、ウェル戸畑などでダンスの披露を行ってきた。

障害のある人でもダンスに打ち込む姿を見ると、すごいなと思うし、私も頑張らなければ、と励みになる。

ここに来てよかった、と、今は迷うことなく言える。

誰しも、弱いところがある。自分ではどうにもならないことがある。

障害をもった人たちは、この弱い私を仲間と認めてくれた。ダンスの楽しさ、作り上げる喜びを教えてもらった。

障害を持っているから何もできないわけではない。その人から学ぶことはたくさんある。

しかし、社会には、いわゆる「健常者」がいわゆる「まとも」な人間を標榜しながら、弱い人を攻撃し、傷つけ貶めることに喜びを見出す人たちが、少なからずいる。

折しも、数年前、悲しい事件が起きていた。

障害を持つ人間は生きる価値がない、こんな自分勝手な理由で、多くの障害者が殺され、傷つけられた事件だ。

自分こそ劣っている人間を粛清する資格があるなどと、誤解も甚だしいが、加害者が、自分の弱さに目を向け、「誰かに助けられている」という認識があれば、このような理不尽な事件は起こらなかったのではないだろうか。その自分の弱さに気づかせてくれるきっかけが、この加害者にはなかったのかと、残念でならない。

普段の生活の中でも、会社や学校に新しく加わった人や、仕事に就いたばかりの人、仕事があまりできない人など、弱い立場の人にわざと意地悪、いじめ、仲間外れ、悪口を言いあうなどということがある。

自分も、ややもすれば、「そちら側」になり、大きな間違いをするところだった。

小さな優越意識が、取り返しのつかない大きな誤解につながらないように、いろいろな人と交流し、認め合っていくことが肝要と、常に思う。