【一般区分】 ◆優秀賞 松浦 綾子(まつうら あやこ)
心のバリアフリー松浦 綾子(神戸市)
先日、自宅で懐かしい文集をみつけた。『温かい手』と題されたその薄い本は、中高生の福祉体験についてまとめられたもので、早い話が、この作文コンクールの過去の受賞作品が収められた冊子である。そこに、二十年ほど昔の私の作文も収録されていた。
私が中高生のころ、夏休みを利用して地域施設でボランティア体験ができる「ワークキャンプ」という制度があった。私はその参加を楽しみにしており、毎年のように制度を活用させていただいた。とりわけ、お年寄りや障害者と交流できる施設によく赴いた。介護に関心を持っていたためである。高校では学内のボランティア推進委員会にも所属し、私は他の同級生よりも障害をもつ人たちとふれあう機会に恵まれていたように思う。
世間では、ボランティアやバリアフリーという言葉が定着しはじめていた。
私は自分の視野が広がってゆくのが嬉しかった。世の中には色々な病気や障害があることを学んだ。介護への理解を深める中で培われたのは、思いやりの精神だと思う。冒頭の文集には、障害者との交流を通じて、いかに気遣いが大切かということに気づいたかが綴られていた。
いま読み返すと、あのころのひたむきな姿勢をただただ、まぶしいと感じる。
ところで、福祉に長く携わる人は「障害は個性」という言葉を耳にしたことがないだろうか。私自身、社会に出てからも福祉活動を続けてきたが、これまでに何度もこの表現に出会った。障害も個性という表現は、どこか耳触りが優しい。障害者はみな、障害というユニークな個性を持っている――そう現場で教われば、そのままその表現を心に留める人が多いのではないだろうか。
しかし、私にはずっと違和感があった。
個性。そう表わされると、私にはそれが何だか良いもののように感じられるのだ。「個性がほしい。」「個性的でうらやましい。」――時としてそのようにも表現される「個性」に、障害はあてはめられるものなのだろうか。
もし自分が今、十代の私に出会えたならば、「障害は障害だよ。自分の感覚を信じて、人を思いやる心を大事にしてね。」そう声をかけてあげたい。
人生には、予想もしないことがたびたび起こる。誰にも明日のことは分からない。人はいつか病を得るものとはいえ、遂に私にも一昨年の冬、思いもよらぬことが起こった。
私自身が、発病してしまったのである。
人生で初めて入院をし、短期間のうちに全身麻酔下の手術を二度も経験することになった。現在も通院を続けているが、難病だから完治の見込みはない。医師からは、進行すればこの病は障害者認定の対象になると聞く。患者会やSNSを通じて出会った同じ患者さんの中には、すでに障害者手帳を持つ人が何人もいる。発病当初、当然のことながら心身に大きなショックを受けた私は、うつ状態でふさぎこむ毎日を半年以上も過ごした。
「まさか自分が、介助される側になるとは。」
今まで当たり前にできていたことが、不自由になる。体の変化に、心が追いつかない。自分が別人になってしまったような絶望感と、将来への不安が押し寄せては深く落ちこんだ。
そんな折である。
「病気も個性だから前向きにいこう。」
健康な友人にこう励まされた瞬間、私は何だか無性に寂しくなってしまったのである。心の中に、渇いたものが広がってゆく。今まで幾度も耳にしたこの言葉は、本人の立場になればこのように響くものかと知った。はっきりと感じてしまった、心の温度差のようなもの……。
私の知る、同じ病気を患い障害者認定を受けた友人のうち「障害(病気)は個性だから。」と捉える人はいない。皆が、病気に対して悔しさや憤りや、大きな不安を抱えて生きている。病気を受けいれるだけでも、相当苦労をした経験をもつ。発病確率は百万人に数人程度、根治は移植に頼るしかない――私たちの病は、支える家族にも大きな負担をかける。個性と一言で表わすには、あまりに重い負荷なのである。
もし、個性という言葉を適切に用いるならば。それは障害そのものではなく、ハンデという逆境を受容する過程を経て得た力を基に人生を歩もうとする、それぞれの生き方こそが、個性と言えるのではなかろうか。
障害は障害だよ。
これから福祉について学んでゆく人たちに出会う機会があれば、私はぜひそう伝えたいと思っている。そのうえで心の段差を除いてゆけば、人は人とのつながりの中で、豊かなものに触れられると信じている。
今、私は健常者も障害者もその中間の私のような状態の人たちとも多くのつながりを持っているが、ことさら障害を意識することはない。私は、全ての人に配慮を心がけるからだ。心のバリアフリーとは、健常者が障害者に接する時の特別な態度ではなく、人が人と向き合うために必要な心の在り方なのだから。
人は十人十色という。たくさんの色を知りたければ、自分から求めてゆかねばならない。赤や青ばかりが一番と思っていると、景色は単調なものとなるだろう。
全ての色彩を認め、自分の色も見せてゆけたら、自分も周囲の人の人生も彩り豊かなものになる、そう思うのだ。
二十年かけてようやく、私は心のバリアフリーを掴みかけている。