【高校生区分】 ◆優秀賞 長谷川 璃奈(はせがわ りな)

生きることで長谷川 璃奈(群馬県立伊勢崎興陽高等学校2年 群馬県)

「病気はどうして私を選んだのだろう。」

十七年間の人生の中で今までに何度も考えたことがある。そもそも「障害」とは何を指すのだろうか。どんな印象を持つのだろうか。

私は、産まれつき心臓に疾患のある完全大血管転位症という病を患っていた。この病気は左心室から出るべき大動脈が右心室から出ており、右心室から出るべき肺動脈が左心室から出ているという心臓の出口の血管同士が互いに入れ替わっているのだ。本来ならば、全身→心臓→肺→心臓→全身→と続くべき血液の流れが全身→心臓→全身・肺→心臓→肺という二つの血液回路になってしまう。この状態だと生命を維持できず生存率は極めて低くなる。助かる可能性が少しでもあるなら、と諦めず手術を決断してくれた両親がいたからこそ今の私がいるのだ。

そして、それからは病気を受け入れ向き合って行く為に過ごしてきた。小さい頃の入退院を終えて四歳から通い始めた保育園。周りの友達に病気のことを聞かれたらどうしよう、幼いながらも不安な気持ちがあった。けれど不安が嘘のように、みんな普通に接してくれた。その頃は運動制限も無く鬼ごっこ、缶けり、ケイドロなど走ることが大好きで運動会のかけっこでは一番でゴールすることが多かった。とにかく活発で傍から見たら病気とは思えない程に元気だった。定期検診で早退して病院に行くときは、「バイバイ。」や「頑張ってね。」などと声をかけてくれて皆なりに病気を理解しようとしてくれているのが伝わった。こうして卒園までの間、病気を理由に何かを我慢したり嫌な思いをすることは無く充実した時間を送ることが出来た。これなら小学校も大丈夫だろう、と少し自信がついた気がした。

しかし、現実は違った。

「ずる休みしてるの?」

小学三年生から心臓に負担がかからないように、走るなどの激しい運動が禁止という運動制限がかかった。以来、体育は見学が当たり前になった。この何気なく発せられた言葉に傷ついたと同時に怖くなった。周りの友達は病気を知っている子もいれば、知らない子も多い。怪我をしている訳でも無く目で見て分かるように体のどこかが不自由な訳でも無い。誤解されても仕方なかったのだ。このとき初めて周りからの視線を気にするようになった。水泳、持久走、皆が嫌いだったり苦手とする授業では周りから余計に「どうしてずっと見学なの?」や「見学だと楽で良いね」などの言葉をかけられた。そして、この反応が「障害」に対する率直な印象だと思った。相手のことを知りもせず、見た目や行動で判断し心無い言葉で傷つける。この社会では良く目にすることで、一歩でも間違えれば差別やいじめに発展する場合もある。まず、自分の「障害」を周りに理解してもらうことが始まりだった。

しかし、一度でも心無い言葉を耳にしてしまうと皆が同じ気持ちなのではないか、などと不安な気持ちがあった。そんなとき支えになってくれたのが両親や担任の先生だった。特に両親は病気のこともあり、些細なことも気にかけ心配してくれて学校の様子も良く話していた。勇気を出して両親に伝えれば「嫌な思いさせてごめんね。」や「他に何か言われた?」などの声が返ってきた。担任の先生も皆に分かりやすく病気のことを説明してくれて、それでも心無い言葉をかけられたときは「言って良いことと悪いことがあるよ。」と、友達を叱ってくれたり私に励ましの言葉をかけてくれた。この出来事をきっかけに、周りの反応も変わって行き体育の授業では「これなら一緒に出来そう?」と誘ってくれるようになって、嬉しかった。運動会や体育大会、参加は出来なくても一生懸命に皆が練習する姿を見て精一杯の応援を送った。当日、種目が終わった友達には「応援ありがとう。」や「応援のおかげで頑張れた。」と言われてクラスの仲間として参加できていることが嬉しかった。優勝したときには、皆で一緒になって喜びを分かち合った。写真撮影では「真ん中で写ろうよ。」と端にいた私を気遣ってくれて、皆と同等に接してくれたことが本当の意味でクラスに打ち解けられた気がした。

「病気はどうして私を選んだのだろう。」
繰り返しになるが、十七年間の人生の中で今までに何度も考えたことがある。二度の手術を経験し、毎年の検査入院や定期検診。その度に恐怖や不安を抱え押し潰されそうになった。誰が悪い訳でも責任がある訳でも無いのに目の前にいる両親に当たってしまう。自分でも知らないうちに自分自身が壊れていくようで、耐えられなかった。それでも、支えになってくれたのは変わらず両親や兄妹、友達、医師や看護師さんだった。常に傍にいてくれて、弱音を吐くと励ましの言葉をかけて背中を押してくれた。不安なときは話し相手になってくれて心が軽くなった。こうして周りの多くの助けがあってからこそ、困難を乗り越えることが出来た。

私は、この病気を抱えて生きていかなければならない。きっと、この先も傷つくことや大きな試練が待っているかもしれない。けれど、病気を持って産まれたからこそ自分一人では生きていけないことを身に染みて感じ、今この瞬間を生きていることも奇跡だと思った。「障害」とは、目に見えるものもあれば見えないものもある。身勝手に判断し決めつけるのでは無く、まず相手のことを知り理解することが大切だと思う。そして、自分には何が出来るのか、もし逆の立場だったら自分はどうして欲しいのか、を考えることだ。差別やいじめという偏見だけで人を判断するのではなく、一人の人間として尊重することで障害者と健常者が互いに生きやすい社会になるのではないかと思う。私も、「障害」と向き合い今まで大切に育ててくれた両親に感謝を忘れず、今日という時間を生きていきたい。