【中学生区分】 ◆優秀賞 長田 大和(ながた やまと)

障がい者と共に働くこと長田 大和(加藤学園暁秀中学校3年 静岡県)

僕は障がい者の友人がたくさんいる。小学生の時からボランティアとして毎年彼らとボウリングをしたり掃除の仕事(実習)をしていた。

僕の母の会社はいわゆる「掃除会社」で、そこで障がい者とともに働いたり、障がい者も一般社会で働けるような支援をしている。小学校五年生の時に初めて母から「夏休みだし、障がい者と一緒に掃除のボランティアをしてみないか」と誘われたのがきっかけで一緒に働くことになった。僕にとって障がい者はそれまで遠い存在で、精神障がい、知的障がい、身体障がいがあることも知らなかったし、生まれて初めて精神障がい者と知的障がい者と話をした。彼らはいたって普通で、見た目には障がいがあることはわからない。コミュニケーションも取ることができるし、掃除はプロと変わらないくらいの技術がある。掃除を「面倒だな」と思っている僕が恥ずかしくなるくらい一生懸命でひたすら汗をかいていた。その姿を見ていると僕も一生懸命にやらざるを得ない。

帰ってから母に「どうだった?」と聞かれた。普通だったよと答えてから僕は「障がいって何なんだろう」と疑問を持った。母は「特性よ」と言っていたけれどその意味はわからなかった。

母の祖父(僕にとって曽祖父)は「皆でお互いに助け合いながら幸せに生きて行こう」と障がい者とともに仕事をしてきたそうだ。だから障がい者は弱者と括らず、お互いに助け合うという気持ちが大切だと説明してくれた。そこでなるほどと思ったのは一緒に掃除をしていると僕まで一生懸命になったことだ。掃除の技術を教えてくれる指導者の話を熱心に聞き、確かにそれを忠実に守って実行している姿は心を動かす。彼らから学んだことだ。

日本の企業は障がい者を雇用しなくてはならないという義務があるそうだ。もちろん障がい者の人たちが多く働くことが出来る世の中になったら良いと思うが、本当に必要なのはその人に合った仕事で働くことだと思う。一緒に仕事をしてきてその人に向き不向きがある。例えば細かな作業が得意な人。数を数えるのが苦手な人。雇用を義務にしてしまうと、ただ雇用すればいいという考え方になってしまい、その仕事が合っていなければ働いていても苦痛になってしまい結局その障がい者の幸せにつながらない。

僕が一緒に働いていた友達は、一般企業に就職したけれど仕事が合わずに辞めてしまったそうだ。理由は、数が数えられずに怒られることが続いたからだ。また一方で別の友達は母の会社へ就職した。もう五年経ち先日会った時も笑顔で積極的だった。楽しいと言っていたし仲間とも協力し合って仕事をしていた。今では一人暮らしをしていると言っていた。

曽祖父の言葉「皆で助け合う」はとてもわかりやすい小学校の道徳に出てくる言葉だが、実行するのが難しいことだ。それは、人は認め合うことがなかなかできないからだ。僕自身も人を認めたり許すことがきっと出来ていないと思う。この「認め合う」ことがもしかすると母が言っていた「特性」なのかもしれない。

僕に今できること。それは自分自身を変えることかもしれない。人として大切にしなければならないことを備えた、そんな大人にならなければならない。