【一般区分】 ◆佳作 原田 君江(はらだ きみえ)
「こころのバリアフリー活動」への想い原田 君江(静岡県)
私は遠位型ミオパチーという進行性の筋疾患患者で中途障害者です。首から下は動きません。
体調の異変に気づき始めたのは、二十代後半頃でした。今まで簡単に開けていたペットボトルのフタが開けにくくなったり、スリッパがすぐ脱げてしまったりと、原因がわからないまま、全てのちょっとした動作がとても不自然になっていきました。
通勤していた当時、満員電車や人ごみで少しでも押されれば簡単に転んでしまうので、人ごみを避けるため、仕事開始は九時からでしたが、比較的空いている六時台の電車に乗ったり、駅の階段や改札は、利用客のみなさんが降りた後、一人ゆっくり転ばないように出る毎日でした。
これはただ事ではないと恐る恐る病院へ行き検査入院をしました。
医師から、「あなたの病気は、遠位型ミオパチーです。将来、歩けないどころか首から下の筋力がなくなり、寝たきりの可能性もある進行性筋疾患です。治療法はありません。」と言われました。
言われたときは何がなんだかわからず、自分の耳を疑いました。
その日の夜は、病室の白い天井を見つめながら、
「一体自分の身体はどうなってしまったんだろう?この先自分はどうなるんだろう……」と孤独と不安に襲われました。
退院後は、障害が重くなっていく自分が、家族や周りの方々に迷惑をかけずに暮らすにはどうすればよいのか。もちろん今もこの問題は、解決したわけではありませんが、当時の私は、
「自分が一歩でも動けば家族に迷惑がかかるから何もしないで、じっとしていよう。」と自分の存在そのものをかき消す方法ばかり考えていました。
出口の見えない日々が数年続いたある日、いつものように悶々とネットをしていたら、同病の仲間も同じサイトにアクセスしていました。この仲間との出会いが私の生活の奮起となりました。
それに加え、日本の研究者が、世界に先駆けて、患者の筋肉でシアル酸が低下していることを発見し、培養細胞の段階では、シアル酸を与えると機能が回復する実験に成功した。という朗報が飛び込んできました。
しかし遠位型ミオパチーは難病認定されていないため、研究助成の対象にならず、思うように研究が進まない事を知りました。そこで支援してくださるボランティアを募り、同病患者のみなさんと署名活動などを開始し、難病指定に向けて活動しました。
それが、障害者として初めて社会に向けての発信でした。
署名活動中、「難病指定されるといいね。」とあたたかい御言葉を掛けてくれたことやボランティアのみなさんが自分事のように活動を共にしてくれたことは今でも忘れません。
このことをきっかけに私自身の心のバリアも少しずつ解消されていき、外出もするようになっていきました。
ある日、仲間に駅前の居酒屋さんへ連れて行っていただいたときのことです。そこは、出入り口に段差があり、内装も掘りごたつ形式でバリアフリーとはほど遠いお店でした。
お店の人に迷惑がかかるし他の店にと思っていたときに、居酒屋の店主さんと仲間たちが力を合わせて私ごと車椅子を持ち上げてくれてスポッと掘りごたつの中にセッティング!
段差があっても「こころ」さえあればバリアなんてなくなるんだということに気づき、感動した瞬間でした。
そして、社会と繋がることの大切さも感じました。その気づきが、今の「こころのバリアフリー活動」に繋がり、障害者がお店に入りやすいようにステッカーを貼らせてもらう活動を始めました。
活動を始めて五年になりますが、県内外合わせて約五百店舗以上のお店が賛同してくださっています。
また、一年に一度、島田市商店街探検ツアーというイベントを実施し、約百三十人の無償ボランティアのみなさんにお手伝いをしてもらいながら、地域の皆様と障害のある方との交流も図っています。
「今年もみんなの笑顔に会いに来たよ。」とおっしゃってくれる地域の人たちの優しさに力をもらっています。
私が仲間や友達、地域のみなさんと繋がりを持たせてもらったように、障害のある方が一人でも多く社会と繋がることができるよう、微力ですが地域のみなさんと一緒に活動をしていきたいと思っています。
これからもお力添えの程、よろしくお願い致します。