【一般区分】 ◆佳作 八崎 美智子(やつざき みちこ)

障がいのある人との出会い、ふれあいの輪について八崎 美智子(福岡県)

三十年前私は小学生でした。その時の出来事を話したいと思います。

クラスメイトに足の不自由な女の子がいました。私は活発なグループで彼女とグループは違っていましたが同じ校区だったこともあり、一緒に勉強したり下校したりすることもありました。

何故足が不自由なのか知りませんし、どのように彼女がサポートしてほしいと思っているかなども聞いたことはありませんでした。昼休みの鬼ごっこやドッヂボールにも友達に誘われたら参加して、図書室で過ごすこともあり、決して一人でいることはありませんでした。

しかし一度だけ彼女の障がいが邪魔になることがありました。それは運動会のクラス対抗リレーで全員で競争することになった時のことです。私は負けず嫌いな性格で、競争では一番になりたいし、なれるように努力してきました。今回はその思いも努力も叶わないと直ぐに分かりました。「出場しないと言えばいいのに」「当日欠席することになればいいのに」と心のどこかで思っていました。しかしその時、そのように口に出したクラスメイトは一人もおらず、本人も放課後に残って懸命に練習していました。当日全員でリレーに参加して優勝はできなかったものの思い出に残る良い一日になりました。

大人になって暫くして彼女に会うといつものように明るく声を掛けてくれて、家族が増えたことを大変だけど幸せだと話してくれました。私はずっと彼女に対して申し訳ない気持ちをもっていて未だにそうです。あの時彼女の障がいを理由に人格を否定し、拒否したことを心から後悔しています。

彼女が明るく生きていたのは、周囲が障がいについて理解し、本人も障がいを悲観的に受け止めるどころか「きらきら輝く個性」と認識していたからだと思います。そのような彼女と彼女を取り巻く周囲の人達のような考え方が共生社会には大切なのです。

当時の私のように障がいを否定することに抵抗がない人もいるだろうし、障がいを理解できない人もいると思います。その人の心を「そうじゃないんだよ、そういう考え方もあるけど、こっちの考え方の方が相手は嬉しいんじゃないかな」など、一つの感情に対して丁寧に導いていく行動が大事だと思います。様々な感情が芽生えてしまうのも現実ですし、それを受容し変化させていくことが必要だと思います。

私自身が考え方を整理して、彼女や彼女の周囲の方々が捉える障がいの目線に立てたのは、テレビ番組の影響も大きくあります。障がいについてのノンフィクションのドラマやドキュメンタリーを目の当たりにして、感情を揺さぶられ、思い違いを突き付けられました。また知人の家族に障がいのある娘さんがいて、その出会いも私に変化を与えてくれました。

その娘さんの母親は高齢でしたが、彼女のお世話を生き甲斐とされていて、「〇〇ちゃん、〇〇ちゃん」といつも幸せそうに話しをされ、いつもどんな時でも彼女の存在を「きらきら輝く個性」と捉えられていました。しかし、過去障がいを受け入れるまでに時間がかかったが、家族の支えで障がいと共生できたと話されていました。彼女が病気を患い亡くなられた時に、「五十数年も一緒に居れるとは思ってもみなかった。結婚して家を離れ子どもを産んで… といった経験はできなかったけど、人よりも長く一緒に過ごすことができた。こんなに幸せな時間を過ごせたのは彼女のおかげ。」と言う言葉が心に響き、幸せをもたらした彼女に嫉妬するくらい感動しました。

これらの体験を経て、障がいのある人が出演されているテレビ番組を積極的に見たり、機会を見つけてボランティア活動に参加したりするようにしています。まずは自分の目で見て肌で感じなければ次の一歩は踏み出せません。その時の自分の感情に寄り添いながら、相手への最善のサポートを考えています。

ボランティア活動は、「できる時に、できることを、できる範囲で」という心持が大切だと教わりました。それが長く続けていく秘訣で、共生社会を実践していく私達にとって重要なことです。一人ひとりが居心地の良い空間、時間を過ごす権利があります。「幸せになる権利」は誰でも持っていますが、「人権を侵害する権利」は誰も持っていません。小さな声でも継続していくと誰かの心に届き、同じ気持ちの人が増えていくことを信じて、これからも共生社会について追求していきたいと思います。