【高校生区分】 ◆佳作 日渡 美和(ひわたし みわ)
日常日渡 美和(鹿児島県立鶴丸高等学校2年 鹿児島県)
生まれたばかりのお地蔵様のような弟の側に、二歳で黄色のワンピースを着た私が笑顔で一枚の写真に写っている。当時のことを覚えているわけではないが、確かに、私は弟の誕生に心の底から喜んでいた。弟の寝ている布団の周りに、たくさん人形を並べてみたり、よく弟のお世話をしたがったりした。弟が発達障害であることが分かったのは、弟が三歳の時。しかし、そのことを私が理解するのは数年後であった。
私が小学校四年生になったとき、弟が同じ小学校に入学した。弟は、やたらと勝負事にこだわる特性があり、それには私も大いに困らされた。運動会やドッヂボール大会で、弟のチームが負けると、そのたびに弟は大泣きした。その度に注目されて、特別良い意味ではなく、弟は有名になった。「みわの弟さっきも凄く泣いてたよ。」と言われることが嫌だった。弟は、特別支援学級にも所属していて、そのこと自体が当時の私にとっては恥ずかしかった。小学校という場所においては、弟が邪魔に思えた。
勉強や運動ができず、また独特な特性をもっていることなど、弟が他の多くの人達と異なることが変で、悪目立ちしていると思っていた。何より、弟がかわいそうだった。
私が小学校四年生の頃、夏休みの美術の課題をするために、絵画教室に姉弟で通った。私は絵を描くことが大好きで、その教室の先生からアドバイスをいただくと、その度に格段に上手になっていった。一方の弟の絵は、やはり、彼と同じ学年の男の子が描くであろう絵とは違っていた。弟の絵には、先生も手を加えることができず、また弟は人からのアドバイスには聞く耳を持たなかった。絵画教室に通う意味は無かった気がする。
それでも彼は絵を描くことが好きで、六年生の頃から別の絵画教室に毎週通うようになった。弟の絵は決して写実性に優れているわけではない。だから弟の絵は下手だと思っていた。しかし、中学生後半から高校生の今にかけて、弟の絵の魅力がだんだんと分かってきた。多くの人は思いつかないような世界に思いを馳せたり、素直で純粋な表現を思うままにできたりするところが好きだ。絵の中は、弟の頭の中に広がる世界が反映されている。絵を見てみると、多種多様な生き物がいたり、ロボットがいたりする。時には、現実にあるものと無いものが共存していることもある。鮮やかで見ごたえがあり、どれも優しい絵だ。弟の絵が好きになると、不思議なことに弟自身のことも認められるようになった。
弟は、時々自分が保育園生の時、小学校低学年の時の話をする。弟が保育園生の頃は、歌はとても楽しそうに歌える子ではあったが、話し始めるのは人一倍遅かった。しかし、今ではすっかり話すことができるし、まだ話せなかった頃のことを思い出しては、実はあのとき…と語ることもある。話せなかったけれど、しっかり周りを見ていたのだと驚いた。私よりも随分記憶力が良い。何も分かっていない子だとこちらが勝手に思っていただけだったのだ。
弟は生まれた時からずっと大切に、愛されて育ってきた。両親の弟に対するきちんとした理解があり、また積極的に、いろんな人達に弟の特性を理解してくれるよう働きかけをしてくれた。そのおかげで、弟は理解のある先生や生徒に恵まれてきた。特別支援学級もその一つだった。弟が自分のペースで遊んだり、勉強したりできて、学校に根気強く通うことができた。クラスの子達ともたくさん交流できた。小学校時代の私は、特別支援学級やそこに所属する弟が嫌だったが、それは偏見だった。特別支援学級のおかげで弟は成長できた。
私が高校生になり、改めて思うことは、弟は変ではないということだ。確かに成長のスピードはゆっくりだ。しかし確実に成長している。最近では私よりも自立意識が高く、よく家事を手伝っている。また、金銭感覚もしっかりしていて無駄遣いもしない。小さい子に優しくしたり、大人や先輩には、きちんと敬語を使ったりもする。思い返すと、弟は小学校低学年の頃からなぜか敬語を使いこなしていた。
全ての人は皆、長所と短所がある。得意・不得意、その度合いがある。多くの人と比べると、弟はこの度合いの差が大きい。しかしそれだけのことだ。個性の一つである。発達障害は恥ずかしいことではない。私は、障害の有無に関わらず、お互いの個性を認め、大事にできる人になりたい。