【高校生区分】 ◆佳作 小林 真柊(こばやし まひろ)
弟と家族小林 真柊(北海道上ノ国高等学校3年 北海道)
私の弟は障害をもっている。弟の病気は生まれた時からの障害で北海道には三人しかいない病気らしい。弟は運動機能の障害はないため、歩いたり走ったりすることができる。しかし、脳の発達は極めて遅く今年高校一年生になった弟のIQは小学校低学年レベルだと言われており、ひらがなと数字の読み書きはできるが、すぐ思い出せないようで時間がかかる。時計の見方、曜日もはっきりとはわかっていないようだ。服を着ることはできるが、後ろ前が逆だったり、おふろや、歯みがきは一人でできるが、完璧にきれいにすることができない。
言葉は最近家族以外にも通じるようにはなってきたが、単語をつなげてやっと文ができているという感じだ。だが、小学校の時と比べるととても成長したし、嫌なことを
「嫌。」
と言えるようになっただけでとても家族としてうれしいことである。
幼い頃の私は、初めての弟だったということもあり、お世話をたくさんしていた。しかし、今思い返すと
「弟は病気だから」
と思い、私の中で
「なにもできない弟」
だったような気がする。
さらに私が小学校三年生になると同じ学校に弟が入学して来た。弟は特別支援学級だったため、一人用の教室だった。最初のころはたくさん遊びに行ったが、高学年になると、弟が落ちつきがなかったり奇声を発している姿を見て、周りの目を気にするようになった。その時は、弟の世話よりも友達と遊ぶほうが楽しくて、母に弟の着がえなどをたのまれてもめんどくさくて仕方がなかった。
ある日、私は母とケンカをし、一人で泣いていた。すると弟は私の近くに来て
「泣いてる。大丈夫?」
と頭をなでてくれた。弟は常にみんなの顔色をうかがってくれていた。そして私のこともちゃんと見てくれていた。
「なにもできない」
と弟のことを思っていたが、それは間違いだった。
弟は中学校から、養護学校に通っている。家から養護学校までは車で約一時間かかるため、母が月曜日の朝に学校へ弟をつれて行き、金曜日仕事がおわってから迎えに行くという生活だ。平日、弟は寄宿舎に居て、自分でやりたいことをやったりしているらしい。最初は母とばいばいする時、泣いていたらしいが今では家に帰ってくると
「学校、いつ、いく?」
と聞いてくる。それほど学校が楽しいのだろう。
弟が中等部最後の学校祭に、母にさそわれて行ってみると、広場では障害を持った人たちが、キーホルダーやバッグ、パンやスポンジケーキなど、たくさんのものを売っていた。どれもとても綺麗に作られていたし、スポンジケーキはとてもおいしかった。
弟の発表を見るために、体育館に入るとイヤーマフをつけて、大きい音にビクビクしている子、とってもニコニコしている子、興奮して暴れている子などが居た。走り回る弟をおいかけていた先生はきっと毎日が大変なんだろうなと思っていると、母に話しかけてきた。
「弟くん、いつも元気なんですよ」
こう言いながら先生はとてもニコニコしていた。今考えると、怒鳴っている先生を見たことがない。わがままな生徒たちを強く怒らないということは、とてもすごいことだと思う。
弟は今、高等部の一年生で三年生から本格的に働く所を決めるらしい。家に帰ってくると、いつも弟は私と一緒にごはんを作ったりおかし作りをしてくれる。とても器用だなと思う。そして最近は集中力もついてきた。だから弟が働くということに私はあまり心配はしていない。だが、学校と違うので少し心配になるし、少し寂しい。だが、いつか私が鍼灸師の資格を取り、自分で開業して弟と一緒に働けたらなと思っている。
障害があるからといって、なにもできない、理解ができない、学ぶことができないというわけじゃない。弟は生まれた時から今まで、たくさん成長し、今でも毎日色々なことを、たくさんの人やものから学んでいる。少し人よりできないことが多いだけで、成長することや学び方は障害があってもなくても変わらないと私は思う。もっとこれから病気について、一人一人の障害について偏見や差別がなくなれば良いと思う。
私も弟のおかげで成長することができたし学ぶこともたくさんある。私たち姉弟は互いに支えあっているんだなと改めて思う。重い障害があるからではなく、家族だから、私は弟のことが大好きです。