【中学生区分】 ◆佳作 瀬尾 菜々美(せお ななみ)

小さな勇気瀬尾 菜々美(千葉大学教育学部附属中学校2年 千葉市)

乗り込むのもためらう程、人でいっぱいの満員電車。私は毎朝、「座りたい」という気持ちを抑えて通勤快速に乗り登校する。

中学生になり、電車の時間を変えた私も毎日同じ電車、同じ車両に乗り始めて二年目。学生やサラリーマンも、言葉は交わさないが「知り合い」のようになっている。その中の一人に、白杖を持った視覚障害者の人がいる。音と気配で感じ取り点字ブロックを頼りに一人で行動するのは大変だろう。ましてや、通勤ラッシュの時間帯に電車に乗るのだから相当な神経を使うはずだ。白杖を持った男性は毎日、慣れたようにエスカレーターから近い乗車口付近に並び、電車を待っている。

電車が来るとサラリーマンに続いて乗り込む。私は手伝った方がいいのかと思いながらいつも声を掛けることができない。

ある日、電車のカタンコトンという音しか聞こえない中、視覚障害者の男性に一人の女性が声を掛けた。「この席どうぞ。」と。男性は「ありがとうございます。」と言って女性に支えられながら座った。優先席でもない、普通の座席。空いているわけでもない、満員電車。気づいているはずなのに、静かだから声を出すと注目を浴びてしまうという必要のないプライドが邪魔をして声を掛けない人が多い中で女性は席を譲ったのだ。私は感心すると共に、気づいていたのに大丈夫だろうという自分自身を安心させて納得していたことに後悔した。

しかし、もっとすごいのはこの後だ。女性が席を譲った次の日から男性へのサポートは毎日、当たり前のようになった。毎日、座っている人は違うけど、男性が来たことを確認すると声を掛け、トントンと肩をたたきながら席に座るように促す。もちろん、中には音楽を聴いたり、スマホを使って無言で会話などをしていて気づかない人や、気づいているはずなのに気づかないフリをしている人もいる。

でも、考えてみれば私だって気づいていたのに声を掛けられなかった人だ。結局、気づいているのに気づかないフリをしている人と一緒なのだ。「声を掛ける」という小さな勇気から動いた行動によって救われる人や、それを見て自分の行動を改め直そうと思う人がいるだろう。私は後者だ。気遣いのできる優しい女性に考えさせられ、心を動かされた。

障害者の人との関わり方は、難しそうで大変そうだけど、小さな勇気と優しい心遣いで打ち解けるのかもしれない。逆に、変に気を遣う方が違うと思う。私は間違っていたのだ。

今も、男性は毎日同じように電車に乗り、他の人に支えられながら席に座る。見えていないはずなのに笑顔で「ありがとうございます。」と言う。見ているだけで、私は朝から嬉しくなる。

座れることの多い帰りの電車では、小さな子供を連れて大きな荷物を持ったお母さんやお年寄りの人を見つけると、前の私より率先して席を譲れるようになった。「知らない人に声を掛ける」という抵抗があまりなくなってきたのかもしれない。

あの女性がどんな人なのか、話したことないから何も分からないが、何も知らない私だからこそ分かることは、周りに気を配ることができて正義感があるということだ。そして、障害を持った男性も私にはどんな人でなぜこんなにも満員の電車に乗っているのか分からないが、毎朝見ていて分かることは、周りの人に支えてもらっていることを当たり前だと思っていないことだ。

「障害のある人をサポートする」、それをすることができているだろうか。ただの決まり文句になってはいけないと思う。私は、今回の何気ない女性の優しさによって、障害者の男性の反応によって、障害についての見方、考え方が変わった。毎朝目にする光景は輝いている。私もその輝きの一部になれたらと、周囲を気にして、毎朝登校している。