【中学生区分】 ◆佳作 篠原 光(しのはら ひかり)

人との関わり方篠原 光(長崎県立長崎東中学校1年 長崎県)

私の母は特別支援学校の教師をしている。私はこの作文を書くにあたって、心の輪を広げていることについて母と話をした。そのとき話題になったのが私の小学校の同級生、Aちゃんのことについてだ。私は彼女との出会いを通して、互いが相手の個性を認め合うこと、自分だけでなく他の人のことをよく知ることの大切さを実感することができた。

私は彼女と、小学一年生の入学式のときに出会った。平均より少し身長が高かった当時の私は、列に並んだとき近い、という理由でお世話係を任された。当時の私は、彼女が他の人とはどう違うのかがわからず、深く考えずに接していた。先生の話によると、彼女は言葉を覚えることが苦手で、場の空気などがあまり読めないのだという。だから私は、なるべくゆっくりと話し、できるだけコミュニケーションを取るようにした。そうしていくうちに、彼女は私のことを名前で呼んでくれるようになった。普通の人なら当たり前のことだろうが、初めて名前を呼ばれた日の嬉しさは、今でも胸に残っている。そして彼女が私の友達やクラスメイトの名前を覚えたときは、自分のことのように喜んだ。このことを母に話すと、「私の名前を呼んでくれた。」と言っていたことは今でも覚えている、と言った。そして、小学五年生のときにあった宿泊学習では、初めて親がいない場所で同級生との合宿をするということで、彼女だけでなく、私も緊張していた。このときは自分のことしか考えられなかったが、彼女の緊張や不安は計り知れないものだったと思う。しかし彼女は、途中くじけそうになりながらも、なんとか二泊三日を乗り越えた。私も心配していたため、無事一緒に帰ることができ、とても嬉しかった。

しかし、母の話のなかで気づいたことがあった。それは、障害のある人への印象の違いだ。例えば、電車に乗っているとき、急に近くの人が大きな声で叫んだらどう思うだろうか。一年生のときから彼女と一緒にいた私なら、何かを怖がっているのかな、と心配になる。しかし、障害について知らない人、偏見がある人などは、不快になったり迷惑がったりしてまうのだという。私はこのことを聴いて悲しい気持ちになった。いろいろな考えを持っている人がいるのだとはわかっていたが極端だと思った。その人たちは障害のある人の気持ちを考えたことはあるのだろうか。母も言っていた。わかっていても、障害のある人を下に見てしまうと。それが世の中の普通なのであれば、私は変わってほしいと思った。障害のある人とない人が共生できる社会になってほしいと思う。

私は彼女と出会えてとても嬉しかった。自分以外の幸せが、これほどまでに温かいものだと知ることができたからだ。このとき母は私に初めてこのような、仕事の話をくわしく聴かせてくれた。それは、私が障害に対して自分なりの考えを持ってほしかったからだそうだ。私は障害があるかないかではなく、その人がどういう人で、どういう考えを持っているのかが一番大切なのだと思う。いろいろな考えを持っている人がいるのはわかっているが、たくさんの人に、人との関わりで感じることのできる温かさを知ってもらいたい。これから、社会に出ていくとなると彼女のような人に会うこととなるかもしれない。そのとき私は、普通の人として、普段通りの接し方をしたい。そうして、人の輪を広げていきたくさんの人と関わっていきたい。