【高校生区分】 ◆最優秀賞 長谷川 歩(はせがわ あゆみ)

障がい者の家族として長谷川 歩(大分県立国東高等学校双国校2年 大分県)

世間から見た障がい者のイメージは、どのようなものだろうか。私が聞いたものは「怖い」「迷惑」「可哀想」「ガイジ」などだ。

そのことをネットで、障がい者の家族の前で、そして本人の前で言う人がいる。私はそれが嫌で、許せなくて、理解もできなかったのだが、この夏の経験を通して、自分の考えがいかに薄っぺらく、偽善的であったかを思い知った。

私には広汎性発達障害の弟がいる(以下H。)私が小学二年生のときに生まれた子で、「H君、成長遅くない?」と友人に言われたときも、私はHをずっと「普通の子」と思っていた。なので母から、私を含めた兄姉に弟の障がいのことを伝えられたとき、心底驚いたし、また「普通」じゃなかったことにショックを受けた。

けれど当時小学生だった私は、「弟君のお世話、偉いねぇ」という周りの評価に誇りを感じていた。その枕詞に「障がい者の」がつくことが明らかだったからだ。周りの大人が私とHの関係をもてはやし、いつのまにか私も「障がい者の」Hがいることを美談にしていた。Hの幼い愛らしさ、そして周りの大人のその評価があったから、私は今までHを世話していたのだ。私は、今回の経験でそれがいかに考えなしであったかを痛感できた。

今年の夏休みの数日間、障がいを持った子どものお世話をする施設にボランティアに行った。以前からHも通っていた施設だったので、どのようなものか興味があったし、なによりHの過ごし方が気になっていた。

私は困惑した。Hの態度が家にいるとき以上に荒かったからだ。迷惑をかけることは最初からわかっていたが、現場にいると耐えられないものがあった。「他人」に害を加える弟を「可愛くない」「恥ずかしい」と思う自分がいたのだ。そのHの気を必死に逸らそうとしている支援員さんを間近で見て、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

子ども達を家に送るとき、Hがまた癇癪を起こした。車の中で暴れて泣き叫び、他人に迷惑をかける弟に私は不甲斐なさを感じて、「本当にごめんなさい。」とHを抑えながら、運転をしていた支援員さんに言った。

「いいんですよ。」と普段と変わらない声でおっしゃったので、気を遣ってくれているのだろうと思い、私は一層惨めに感じた。そのとき彼女は付け加えた。 「まだ『大きい赤ちゃん』って言えるもんね。」

彼女はベテランの支援員さんだった。沢山の障がい者をみてきて、沢山の障がい者を導いている人が、そう言った。私のそのときの衝撃なんてお構いなしに、Hは叫び続け、私にしがみ付いていた。

挨拶をして家に帰り着いた途端、涙がとめどなく溢れた。

それはHの将来を考えたからだ。彼も年をとって、私達と同じように中年になり、高齢者になる。「可愛いH君」じゃなくなる。世間が彼を許容しなくなる。

Hが成長した時、まだ「可愛いH君」として扱ってくれる人がどれだけいるだろう。急に大きい声をだして、意味が分からない行動をとる他人を、一体どれだけの人が尊重し、その家族を「偉いねぇ。」ともてはやしてくれるだろう。

その問いに対する一部の答えが「迷惑」「可哀想」「ガイジ」なのだ。障がい者が家族でも身内でもない人にとって、自分の理解の範疇を超える人間は異物なのである。

では障がい者は本当に怖くて、可哀想で、生きている意味がないのか?今回のボランティアの体験で、それだけは前よりも確固たる意志を持って否定できた。楽しいこと、嬉しいこと、苦しいこと。それぞれ表情豊かに今を鮮烈に生きて、命を輝かせているその姿は、私達と何も変わらない、人生を謳歌している一人の人間だった。その命に間違いも貴賤もないと、心の底から思った。

この経験によって、障がい者を蔑ろにする人にモラルが欠如しているとは思わなくなった。H達の現実を正確に想像し、慮ることは家族でさえ難しいのだと、身を以て痛感したからである。私は障がい者の家族になりきれていなかった。彼らと過ごさなかったら、私は一生馬鹿なままで、将来Hを煙たがる「他人」になっていただろう。「可愛さ」から離れていく弟を支え、彼の障がいに対する「障害」を受け止める。その覚悟があって、私はやっとHの家族になるのだと思う。

彼らを認め、理解するのは難しいと思う。それでも私は彼らを正しく知ってほしい。それは私がそうだったように、自分の考えと直面して、人間として成長できる機会を、彼らから受け取ることができるからである。