【一般区分】 ◆最優秀賞 大角 今日子(おおすみ きょうこ)
あっち側とこっち側大角 今日子(滋賀県)
「手帳を持ったら、ぼくらとは違う、あっち側の人間ですよ。同じことをしたいなんて、無理に決まってます。」
私が同僚にこう言われたのは、昨年のこと。長期間におよぶ原因不明の体調不良で、病院を転々とした結果、国の指定難病であることがわかった。数ヶ月の休職期間を経て、職場に復帰する際、自分のことをカミングアウトし、制限されていることもあるが、みんなと一緒に働きたい、一員になりたいと話をした後の一言であった。「あっち側」はいろいろな受け取り方ができるが、マイノリティーである、配慮がいる、障がいがある、そんな人を指すのであろうと感じた当時の私は、激しい憤りを感じ、彼に反論した。しかし彼は全く悪気はない様子で「だって、ぼくらと違うから手帳が出るんでしょ。」と当然のように言っていた。悲しくなった。
そんなことを経験した私だが、その数ヶ月後に自らが「あっち側」と「こっち側」の境界線を感じる出来事に遭遇した。難病支援センターでお世話になっている保健師さんの勧めで、障害年金の説明会に参加した時だった。入口で受付をすませ、会場に入ろうとした私は目の前に広がる光景を見て立ちつくしてしまった。私が今まで参加してきた仕事の研修会とは全く違い、車いすの人、酸素のボンベを転がしながら歩いている人、体に装具をつけていたり、スライドを見るために道具を使っている人もいた。様々な人が様々な状態で集まっている様子を目にして、どうしても一歩踏み出すことができない自分がいた。その時、彼とのやりとりが思い出され、その時の自分があんなに腹を立てたにも関らず、今このドアに「あっち側」と「こっち側」の境目を感じていること、自分が「あっち側」に入ることに大きな抵抗を感じていることに気づいた。私はあんなに悪くない、私は「こっち側」の人間だ、と差別心をもっていたのだと思う。
交流会の時間、沢山の話を聞くことができた。自分の病気やおかれている状況を隠したいと思っている私とは対照的に、参加者の方は病名や困っていることを堂々と話されていた。しっかりと前を向いて歩いている人、重度であってもいきいきと生活を送っておられる人を見て、「あっち側」の仲間だと思われたくないと入室できなかった自分の方が恥ずかしくなり、大きな葛藤がきっとあるだろうに、今の自分を自分として受け入れておられることに尊敬の念さえ抱いた。
説明会の後、保健師さんに自分のこの思いを話すと、「だから来れるかなって私も心配してたのよ。」と私のマイナスな感情を否定せずに受けとめて下さり、「いろんな人がいたでしょ。でもみんな頑張ってたでしょ。負けてないでしょ。強かったでしょ。あなたもその中の一人。よく頑張ってる、そしてこんなに仲間がいる。一人じゃない。」と仰った。数時間前まで仲間に入りたくないと入室できなかった自分が恥ずかしく、又情けなく涙が溢れた。そしてこんなに強く生きている仲間がいることが誇りにさえ思えてきた。
自分と違う者を排除しよう、離れようという思考は人間として当然で、何万年も昔から体にしみついている本能だと聞いたことがある。長い年月をかけて、様々な出来事や時代によって考え方の変化があり、自分とは異なる者も受け入れようとする今の時代が来ている。今はまだ変化している真っ只中であり、その過渡期はまだまだ、もしかしたらこれからずっと続くものなのかもしれない。自分が障がい者なのかそうでないのか、「こっち側」なのか「あっち側」なのか、と区別したり線を引いたりするのではなく、みんなが一人一人として堂々と胸を張って生きていける社会になることを願う。また、こうなった私だからできることを探していきたい。自分の思いを発信したり、マイノリティーと呼ばれる方の力になったり、「あっち側」に足をふみ入れた自分だからわかること、できることを探していきたい。そして、「あちら」と「こちら」の線がみんなの中から薄くなっていくように自分も活動していきたいと思う。