【中学生区分】 ◆最優秀賞 鶴 樹里愛(つる じゅりあ)
障がいのあるとき鶴 樹里愛(福岡市立元岡中学校3年 福岡市)
私は三歳のとき、十万人から十五万人に一人の確率で発症する難病を患いました。内部障がいなので見た目には全く分かりませんが、現在の医療では完治する方法がなく、もう十年以上、毎月検査と治療のため大学病院に通院し、必要に応じて入退院を繰り返しています。
病棟では、多くの障がいのある方が治療を受けています。車いすの方、義手・義足の方、発達障がいの方など、もちろん私のように目には見えない障がいの方も含め、それは多種多様な障がいのある方がいます。そして、お互いがお互いを支えています。例えば、車いすの友達がトイレに行くときには私が点滴台を押してあげたり、車いすの友達はベッド安静の友達に食事を運んであげたり、ベッド安静の友達は、目の見えない友達に本を読んであげたりと、出来ないことを見つけたら、出来る人が手伝います。そしてここでは、障がい者・健常者という区別はありません。あるのは、その場面ごとに、ある事柄が「出来る」か「出来ない」かだけです。
障がい者と健常者。この言葉は、確かに様々な制度や仕組みを作ったり、何かを分類したりする上で必要な言葉や概念なのかもしれませんが、障がい者という言葉には、その人がずっと二十四時間障がいがある状態という意味合いが含まれています。
でも病棟での例のように、障がいはあるときとないときがあります。車いすの友達は、自分で移動できますが、点滴台を同時には運べません。このときが運べないという障がいがあるときであり、誰かの支えが必要となります。目の見えない友達は、何でも自分で出来ますが、点字でない印刷物を読むことは出来ません。このときが読めないという障がいがあるときであり、誰かの支えが必要となります。
私は小学生の時、いつもくまのウエストポーチを身に付けていました。これは、低血糖で動けなくなった時に、周りにいる子達に気付いてもらい、すぐに先生を呼びに行ってもらうために、担任の先生が考えてくださったアイデアです。「くまのポーチの子が動けなくなっていたら、すぐに職員室へ先生を呼びに来て下さい。」と私が入学するとき、みんなに伝えてくれていました。普段は、友達と同じような生活を送れますが、低血糖で動けなくなったときが、私の障がいがあるときです。
そして私たちは、障がいがあるときには必ず誰かの支えが必要となります。この支えがあるおかげで、日常生活を送ることが出来ています。
これは健常者にも同じことが言えると思います。ベビーカーの親子は、階段を上ることが出来ません。お年寄りや妊婦さんは、電車等で長時間立っていたり、重たいものを持ったりすることが出来ません。視力の悪い友達は、後ろの席だと黒板の字が見えません。日常生活のいろいろなところに障がいがあるときがあり、誰かの支えが必要となっています。このとき、障がい者、健常者という区別は必要でしょうか。ただ、何かをするのに困っている人、手助けが必要な人がいるだけではないでしょうか。私は、障がい者と健常者の違いは、この障がいがあるときが多いか少ないかだけの違いなのかなと思っています。
障がい者支援、ボランティア等、これらの言葉を聞くと、肩に力が入ったり、かしこまってしまったりと、少し遠慮しがちなところはあるかもしれません。でも、街中で、障がいがあるときに遭遇し、手助けをしたら、たまたま相手が障がいのある方でした。これで私はいいと思うのです。注意をして周りをよく見渡せば、誰かの障がいがあるときが見つかるかもしれません。その時、みなさんに出来ることがきっとあるはずです。気軽に一声かけてみてください。