【小学生区分】 ◆最優秀賞 安田 湧(やすだ わく)

希望の星安田 湧(鹿児島市立西紫原小学校5年 鹿児島県)

ぼくは「希望の星」です。ぼくは赤ちゃんの時に重い病気で鹿児島から神戸のこども病院に運ばれて、三年間入院していました。気管の病気で、何度も死にかけて、ずっと人工こきゅう器につながれていたそうです。それがきせき的に良くなって、今ではドッジボールができるぐらいに元気になりました。

こども病院をたい院した時に病院の先生やかん護しさん、入院している子供のお母さん達に言われたのが「わく君はこども病院の希望の星だからがんばってな。」だそうです。ぼくにはその言葉の意味が全然分かりませんでした。

昨年の夏休みに家族で四年ぶりに神戸に行きました。入院していた時の病院の先生やかん護しさん、子供達、家族に会いに行きました。神戸に行ったら、会う人みんなが「元気になって本当によかったね。」と喜んでくれました。ぼくを見て、なみだを流す人もいました。ぼくの病気は本当に重かったのだろうなと思いました。でも、みんなが喜んでくれて、何だかとても温かい気持ちになりました。

夜は、ぼくといっしょに入院していた同じ年の愛ちゃんの家にとまりました。愛ちゃんはぼくと同じ気管の病気で、たい院はできたけど、今でも人工こきゅう器が必要で、車いすでの生活です。のどからの人工こきゅうのため、声を出すこともできません。愛ちゃんのお母さんが、「ピアノをひいてくれへん。」と言ってきました。なぜならば、ぼくは、ようち園の時からピアノを習っているからです。ぼくがピアノをひき終わると、愛ちゃんのお母さんが「めっちゃ上手やな。」と言いました。そして、愛ちゃんが「もう一回お願い。」という手ぶりをしてきました。ぼくは笑顔で「うん。」と言って、心をこめてピアノをひきました。愛ちゃんは体をゆらしながら楽しそうにきいていました。ひき終わると愛ちゃんがはく手してまた「もう一回。」という手ぶりをしてきました。愛ちゃんのお母さんが「わく君のピアノが本当に気に入ったみたいやねん。ごめんな。あと一回だけひいてくれへん。スマホにとって、次からは動画を愛ちゃんに見せるから。」ぼくはにっこりして、もう一回、一生けん命ひきました。その後、愛ちゃんはぼくのピアノの動画をニコニコしながら何回も何回も夢中になって見ていました。ぼくのピアノの音色が愛ちゃんの心にとどいたようでとてもうれしかったです。

夜中、ぼくは人の家だからなかなかねむれずにいました。愛ちゃんのお母さんはずっと愛ちゃんのたんをとったり、人工こきゅうの管を動かしたり、何回か着がえさせたりとほとんどねていないようでした。

よく朝、愛ちゃんのお母さんに「いつねているのですか。」と聞いたら、「愛ちゃんが心配で、夜はなかなかねられへんねん。わく君のお母さんも入院していた時、同じようにわく君のかん病に必死でねていなかったんやで。」と言われました。お母さんもぼくのために夜ねむれないぐらいがんばってくれたのだと初めて知りました。ぼくのかん病でとても大変だったのだろうなと思いました。感しゃしたいです。「でもな、こうやってわく君が元気になったすがたを見ることができて、おばちゃん本当にうれしいわ。やっぱりわく君はこども病院の希望の星やねん。勇気でるわ。ありがとう。またピアノをきかせてな。」と言われました。ぼくはその時初めてぼくが「希望の星」と言われている意味が少しだけわかったような気がしました。

神戸に行って本当に良かったです。なぜならば、愛ちゃんが今も病気と戦いながら精一ぱい生きているすがたを見て、同じ病気だったぼくが今こうやって当たり前に生活できていることが本当に幸せなことだと気づかせてもらったからです。ぼくにとって愛ちゃんは一しょに病気とたたかってきた大切な仲間です。そんな愛ちゃんのため、ぼくにも何かできないかを考えました。ぼくは今、ピアノコンクールで全国大会に出場することを目標にがんばっています。絶対に出場して、その動画をとどけることで、愛ちゃん家族に勇気をあたえ、少しでも元気になってほしいです。きっと喜んでくれると思います。

また、ぼくが今、元気に当たり前の生活ができているのは、お父さん、お母さん、いろいろな人たちに助けられたからだということが神戸に行って分かりました。これからも感しゃの気持ちをわすれず、一日一日を大切にすごしていきたいです。そして、ぼくがいろいろなことに挑戦し続け、みんなをびっくりさせることでおん返ししていきたいです。だってぼくは、「みんなの希望の星」だから。