【一般区分】 ◆優秀賞 中西 美和(なかにし みわ)

二人三脚中西 美和(徳島県)

背伸びして早く大人になりたいと思っていた私が、世間を知らないままに母親になった。

今の時代は分からない事はネットで検索するとすぐに答えがでる。良き時代、又は悪くもある時代とも言える。二十五年前は育児の本を片手に子育てをした。個人差はあるものの一歳前後には一人歩きできる。長男もあたりまえのようにすくすく成長し三歳になる頃に次男が誕生した。子育ても二倍になり、毎日が目まぐるしく忙しかった。次男の成長はゆっくりとしていた。首が据わるはずの生後二、三ヵ月になっても据わらないまま月日は過ぎさった。

長男も保育園に通園するが、風邪をひいたりして体調を崩すと、免疫力の弱い次男は高熱を出して病院通い、最終は入退院の繰り返しで一歳までには七、八回入院生活をしたせいか成長過程の段階にも遅れが生じていたのは現実だ。乳児検診の度に保健婦さんの言葉は個人差があるので「ゆっくり見守りましょうと言うのが毎回だった。完全に首が据わったのは生後八ヵ月を過ぎて初めて迎える春でした。

次男の成長過程が気になり悩んだ末に、親友に相談すると真剣に話を聞いてくれリハビリを紹介してくれた。二人三脚親子で頑張って行く覚悟を決めた訓練。週二回のリハビリ通いが始まった。緊張感が低かった次男を作業療法士の先生がさまざまな道具を使い訓練してくれた。その訓練も機嫌のいい時は素直にしてくれるが、機嫌が悪い時は中断する時もしばしばあった。中々前に進んで行けない成長ぶりに自分が妊娠中に無理したのがいけないのかと責め続け泣いた夜も山ほどあったが、涙を沢山流した数だけ強くなったような気がする。

目標は卒業と言ってもらうことと高く設定し、前を向いて歩いて行く覚悟を決めると、自然と気持ちも楽になった。

さまざまな訓練の成果もありハイハイができ、お座り、つかまり立ちができ一人歩きができた。一人歩きができた瞬間は今も鮮明に覚えている。自宅にも帰ってきて、興味を示めしていたしゃぼん玉を追いかけ歩数も増えつつあった。二才三ヵ月でリハビリを卒業し、今度は言葉の訓練として言語療法を開始した。

遊びの中での言葉の発語訓練。いつしか次男も楽しむ喜びを覚え帰る間際には大泣きしていた頃が昨日のように感じる。

やがて保育園、小学校、中学校、高校と卒業。そして就職し一社会人となった次男。山あり谷ありの学生生活では担任の先生を始め特殊学級の先生のサポート体制のおかげで学校行事にも参加する事もできた。同じ目線になって指導してくれた成果が今に生かされている。

過去は振り返るなと言いますが、今思えば殻に閉じこもっていた私。世間や近所の目を気にしながら、成長過程の遅い次男を殻に閉じ込めていたのは私だったかもしれません。

一枚の詩をくれた福祉課の担当職員さんのおかげで殻に閉じこもっていた私を大きく変えてくれた詩が「天国の特別な子ども」エドナ・マシミラ。何度も読むにつれて心が惹かれていき私の子育ての人生が大きく左右された第一歩とも言えるだろう。だからこそ遮断機の前で立ち止まっている身近な人達には、この詩をお勧めしている。

支えてくれた両家の両親、ドクター、作業療法士、言語聴覚士の先生、福祉関連の方々、友達、家族のささえで今日まで頑張れた。でも一番頑張ったのは次男かもしれない。その次男に栄光をたたえたい。

何度も繰り返し失敗する過程の中でいつの日か人は成功を求めその目標に到達する。その喜びが人生の宝となるのは違いないだろう。

千の倉より子は宝。何よりも尊い宝。私を母親にさせてくれた我が子に。そして色々な経験を学べ成長させてくれた事に感謝の気持ちを込めてありがとうと伝えたい。