【一般区分】 ◆優秀賞 奥野 幸子(おくの さちこ)
人生を支えてくれる人たち奥野 幸子(和歌山県)
いつもいつも一人住まいの私を気づかって代わる代わる尋ねてくれる有りがたい友達のグループがいてくれる。
いきなり目の障害になったのが今から五年前のことです。何の心配もせずに受けた緑内障の手術で眼圧が下がらず中心の視野が欠損しました。その日を境に私の目はまっ暗になり失明の一歩手前でした。家の中も一人で動けなくなりました。そして、わずか九十日で住み馴れた家を出て目の施設に入所することになりました。何が起こったのか。友達は誘い合って旬のおかずやちらし寿司を食べさせてくれました。
洗濯や施設への持ち物の名前書きも手伝って用意をしてくれました。一番ありがたかった事は不安や怒りでちぎれそうになっている私の心をほぐし寄り添ってくれたのです。
三十年来の友だちに支えられ生きていました。暗い地の底で全ての人や物に感謝でした。
施設に行って五か月の頃、通院で眼圧を下げる再手術を受けることになりました。
往復百七十キロの道のりはいくらタクシーでも大変でした。友だちは、ローテーションを組んでタクシーに同乗し見えない私の脇を持ち連れて行ってくれました。
みんなに手を引かれながら私はいつまでも、死にたい、一気に終わりたいなどと、もったいないことを思っていることがはずかしくなりました。友だちの大切な時間優しい励ましに、これからは前を向いて生きるのだと力が湧いてきました。
再手術から一ヶ月が過ぎる頃、目の前が明るくなり一本の光りが差し込みました。目は見えないが光りの筋が重なりました。
光りがあることで足元が明るく感じられる。
それは眼圧が下がった結果だと思いました。暗い地底からは少しはい出したような。三ヶ月が経ち両目の眼圧が下がり今までかすんでいたもやが取れたみたいです。手すりを頼りに施設の廊下を歩けました。自分の力で一歩ニ歩とゆっくり前に動けました。
「ヤッター。行けた行けた。」
と大声で叫ぶと周りのみんなが
「よかった。よくやった、おめでとう。」
と肩をたたいて喜んでくれました。
それからも施設の仲間に点字図書館のあることやテープやプレーヤーを貸してくれることも親切に教えてくれました。
再手術の通院は半年で終わりました。
ライトハウスのカタログを友だちが読んでくれました。拡大読書機のあることを知りました。光りがちょっぴり戻った目に使えるのか県立図書館へ実物をさわりに行きました。
拡大読書機の上にハガキを置き倍率を八倍ぐらいに上げると文字が浮き出し見えました。
特徴のある友の字が飛び込んで胸が熱くなりました。そばにいた二人の友だちが
「すごいな。あなたの笑顔を久しぶりに見た。いつもの幸ちゃんになってきたよ。」
と言って辺りも気にせず拍手をして三人で肩を抱き合い無言で喜びました。
「文字が見えると何かできる。生きるぞ。」
という勇気を与えてくれました。
拡大読書機も上手に使えるようになり台上で文字が書けるようになりました。
昨年十二月。五年ぶりにわが家に帰りました。やさしかった夫や義母も亡くなりさみしい帰宅でした。子育て中の長女と孫が迎えてくれ、わが家の玄関を入りました。
長女は二百キロも離れた所に住んでいるが家の中を片づけ暮らして行けるようにしてくれました。勿論友だちが掃除、草ひき、買い物と力になってくれました。
「ありがとう。ありがとう。」
と何回お礼を言っても感謝しきれません。
市役所の方々にも大変お世話になっています。安全面で目の不自由な者への風呂、便所廊下などへの手すり付けです。
施設での生活と変わらずの環境でした。前の記憶がよみがえり元気が出てきました。
友だちは、多年の支援にも誘い合って来てくれます。
「あんた話できるからまだいいよ。不便や不自由はあってもあきらめず、あせらず、ゆっくりやるんよ。」
とその時々の言葉かけをしてくれます。
私は常々同じ障害を持っている人の仲間に入れてほしいな。と思っていました。
今年やっと念願が叶い「市の視覚障害者協会」に入会しました。仲間の話から苦労の中から工夫していることや五感を働かせていること、生活の中で段々なれて自信がついてくる。など、たくさんあって中途視覚障害の私にはどれもが役に立つことで使っています。
工夫しながら頑張っている先輩たちの
「あきらめなかったら何でもできるよ。時間はたっぷりあるから大丈夫だよ。」
と背中を押してくれます。経験の上に言ってくれる尊い言葉です。中途障害者と言って甘えてもおられません。自分らしく前を向いて生きるのです。
一人住まいの家も、ヘルパーさん、訪問看護の先生、薬局さんが来てくれます。近所の人も声をかけてくれたり草ひきもやってくれます。
咲いた花もくれてとても明るく交流してくれます。温もりのある皆様の気配りに
「ありがとう。戻ってきて良かった。」
と心からのお礼を言うのです。
世の中は一人で生きては行けません。弱い所を補なって笑える一日にしたいです。私が前よりももっと心がけていることは
「すみません。ありがとう。」
を心からのまごころで相手に伝わるように言うことです。六十七才で失明寸前となり急な経験、人生のレールからはずれ大勢の人に助けられ今、生かされていることに感謝の気もちで一杯です。力強く生きぬきます。