【一般区分】 ◆優秀賞 須藤 優斗(すどう ゆうと)
生きていく理由須藤 優斗(埼玉県)
私は生まれつき脳性麻痺という病気を持っている。そんな私が、今春から大学生活を送ることになった。小中学校と地元の学校に通っていたが、いじめを機に高校は特別支援学校に通うことにした。特別支援学校という完全に守られていた環境から抜け出した私に待っていた「大学」という環境。何も守ってくれるものなどは無く、いじめを受けていた小中学校の頃が頭の中を何度も横切った。入学前までは「たくさん勉強して、友達や先輩と仲良くなって、自分の障がいを最大限に生かすんだ。そして、その学びを社会に出て思いっきり広げるんだ。」という希望で溢れていた。
しかし、過去には中学二年生で同級生複数人からいじめに遭い、友人からも裏切られ、人を信用できなくなった私。その出来事は私を「自殺」という決断までに追い込んだのだった。とにかくこの世界から逃げたかった。ただただ生きていることが辛くて、人と関わるのが嫌だった。この出来事が私を特別支援学校へと導いたキッカケであった。いざ特別支援学校に入学してみると、私の想像を遥かに超えるものであった。勝手なイメージとして、先生が主体として生徒がそれらに受け応えをすると言った、機械的に学習していくのだと想像していた。しかし、それは大きな誤解であった。実際は生徒が主体となって、あくまで先生は生徒を支える立場という、イメージとは真逆の教育環境に衝撃を受けた。何よりも印象に残っているのが、「笑顔」だ。障がいを抱えているにも関わらず、いつも笑顔でキラキラと輝いている生徒を目の前にし、私は自分が情けなくちっぽけな人間だと強く感じた。そのとき、「自分も負けてられない。障がいという能力を生かして、この社会に大きな変化をもたらしたい。」という思いが芽生えた。その思いに応えるように、第一志望の大学に合格することが出来、入学を待ちわびる日々が続いた。
そして、待ちに待った入学。まず始めに大学の友達を作ることを目標にした。入学当初はすぐに出来るだろうと思っていた。しかしながら、そう簡単には出来なかった。小さい頃から私の発音が変だと笑われてきたトラウマがあるため、なかなか自分から声をかけることが出来なかった。周りの人は皆友達がいる。入学して二週間も経たないうちにいくつかのグループが出来ていた。次第に焦りを感じ始め、「このまま四年間友達がいなくてもいいや。」と考えるようにしたが、無理だった。そこで私は部活に入部することにした。部活に入れば、共通の趣味を持った人と知り合えるから、友達が出来るかもしれない。先輩も出来るかもしれない。そんな期待を胸に入部した。それでも初めは怖かった。新入部員が障がいを持っていて、ましてや声も聞き取りにくいからどんな反応をされるのかが怖かった。もしかしたら入部を拒否されるかもしれない。いじめられるかもしれない。そんな不安もあったが、先輩たちは私を受け入れてくれた。さらに同級生にも受け入れてもらい、一緒に話したり、帰ることも多くなった。そんな中で「この部活に入って良かった」と思えた出来事があった。それは、部活の旅行での事だった。飛行機で行くために成田空港に早朝の集合だったため、始発では間に合わなく前泊する予定でいた。しかも、一緒に行ける人がいなく一人で行くつもりでいた。すると、旅行前日に先輩からある一通のメールが来た。その内容は「車で行くから、一緒に行かないか。」というメールだった。そのメールを見たとき、嬉しさよりも驚きの方が大きかった。こんな自分を誘ってくれたことに驚きを隠せなかった。その驚きと同時に「先輩たちの楽しい雰囲気の中に自分なんかが入ってしまっていいんだろうか。自分のせいで楽しい雰囲気を壊してしまうのではないか」と心が揺らいだ。しかし、せっかく誘ってもらったのに断る方が失礼だと思い、乗せてもらうことにした。いざ乗せてもらうと緊張で胸がいっぱいだった。「本当にいいのか。」なるべく雰囲気を壊さないようにした。でも、空港までの道中は暖かな空間だった。普段はなかなか先輩たちと一緒にいる機会が無いからこそ新鮮だった。何より先輩たちの優しさには感謝してもしきれない。車に乗せてくれたこと。嫌な顔せずに私の話に耳を傾けてくれたこと。あの車内での一秒一秒が私にとっての忘れられない大切な宝物だ。
また学校生活でも、一緒に過ごす友達が出来た。今までは一人で食べていた昼食がいつも以上においしく感じた。歩くスピードが遅いと、立ち止まって待ってくれる。何か困っていることがあれば手を貸してくれる。
私は今、とても幸せな時間を過ごしている。なぜなら、私の身体を理解した上で私と接してくれている友達や先輩がいるからだ。
障がいがある人と無い人との心の輪。それは何気ない日常の中にあるのだと私は思う。障がいがある人と無い人がお互いに心を開くのは簡単な事では無い。ただ、そのキッカケは何気ない日常のどこかしらに潜んでいる。私はそのキッカケをいくつも見つけることが出来た。一度は人から遠ざかり、死の直前まで追い込んだ私が、今はたくさんの人と繋がっている。だからこそ、私は生きたい。たとえ、世界中の人が私の存在を嫌がっても、私には支えてくれる人がいる。私はその人たちに恩返しをするためにも、今を強く生きていきたい。不器用でも、気持ち悪くても構わない。それが須藤優斗だ。
私にとっての障がいがある人と無い人の関わり。
それは「生きる原動力」だ。